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第234回:“原音に戻す”を目指したgigabeatの「H2C」
~ 他の高音質化技術との違いを東芝に聞く ~



gigabeat S30(MES30)

 ゴールデンウィーク直前の4月28日、東芝からポータブルプレイヤーのgigabeatの新シリーズ「gigabeat Sシリーズ」が発売された。gigabeat Sは従来のgigabeatをシステムが大きく異なり、MicrosoftのPortable Media Centerを搭載したモデルとなっている。また、機能的にも新しい技術がいくつか搭載されているが、その中でも目玉の一つが高音質化技術「H2C」という技術を搭載したことだ。

 H2Cは、九州工業大学と共同開発で作られた技術という。H2Cがいったいどういった技術なのか?、KENWOODのSupremeや、Panasonicのリ.マスター、YAMAHAのミュージックエンハンサーなどとどう違うのか? など、東芝のgigabeatの開発担当であるモバイルギガ事業部 商品企画部の稲葉均部長に話を伺った。



■ 「圧縮する前の音に戻す」がコンセプト

 先日のデバイス・バイキングでも取り上げられたgigabeat S30。iPod対抗として東芝が発売した製品であり、見た目は従来のgigabeatと大きく差はないが、PMCを搭載したということで大きくシステムが変わっている。  また、H2Cという高音質化技術が搭載されてことも大きな特徴の1つだが、編集部での実験ではその違いが感じられなかった。発売前のプロトタイプを使ったためだったのか、それとも何か秘密があるのか、その辺のところを東芝に行って聞いた。(以下、敬称略)

藤本:今回のgigabeatで搭載されたH2Cというものについて、一言で説明するとどんなものなのでしょうか? すでに他社が手がけているSupremeや。リ.マスターなどと同様のものという理解でいいのでしょうか?

モバイルギガ事業部 商品企画部部長の稲葉均氏

稲葉:H2CはWMAやMP3といった圧縮音源において、失われた高域を復元するための技術です。行なっていることは基本的には他社さんと同じですが、性能的にはかなり向上しています。

藤本:今回のH2Cは東芝さんの独自技術ではなく、九州工業大学といっしょに開発しているとのことですが?

稲葉:はい、縁があって、いっしょにやることになりました。九州工業大学は他社の手法も詳しく研究しており、異なる手法で高い効果が出せるようにしています。現在、特許出願中ということで、具体的なアルゴリズムなどはお話できませんが、かなり本格的に復元することができます。

藤本:特許出願中なんですね。

稲葉:ええ。これまで高音質化技術としてmp3PROやAAC-SBR(Spectral Band Replication)といったものがありました。これらは圧縮をする際に高音域の周波数成分も別に符号化することで音質を補っています。それに対しH2Cはちょっと違ったアプローチをしています。圧縮するとどんな音の特徴になるかを理解した上で、WMAやMP3の音の特徴を逆に見ることで、かなり正確に戻せるのです。mp3PROなどと違って、昔から録り貯めた音に対しても効果を発揮するのです。

藤本:「元に戻す」とおっしゃいましたが、この辺について少し教えてください。これまで何社かでこの種の技術について話を伺いましたが、会社によって打ち出し方や向かっている方向が微妙に違うように感じています。つまり、ある会社は「原音に戻す」とする一方で、別の会社では「原音に戻すことなど無理なので、少しでも聴き心地のいい音に補正する」といいます。そういう意味では東芝のH2Cは「原音に戻す」ことを主眼においているわけですか?

稲葉:H2Cは、圧縮する前の音に戻すというのが定義となっており、技術的にできる限り原音に戻すことを目指して取り組んできました。もちろん、限界はあり、無理に戻そうとすると音全体が破綻する場合があるので、そこはうまく味付けはするわけで、最終的にはH2Cを使って心地いい音を作るというところに目標があることは確かです。


■ 高調波の復元に工夫。消費電力は増大

藤本:特許出願中ということで、なかなかその仕組みをお話いただくことはできないと思いますが、ある程度のことを教えてもらえませんか?

稲葉:アルゴリズムについては公開できませんが、ヒントを差し上げましょう。従来各社が行なっていた方法は、周波数帯をいくつかに分割した上で、加重平均をとって、高域の欠けた部分に加えるといったことを行なっていました。

また、単純にノイズを高域に加えるだけでも聴き心地はよくなるといわれており、そうした手法をとっているところもあります。しかし、もともと圧縮をした時点で、高域がなくなる分、下のほうのエネルギー密度が上がるんです。そのため、単純に高域を補完すると、エネルギー的に破綻をきたしてしまいます。そこで、音全体のエネルギー量を見ながら適応的に高域を補完するような工夫もしています。

藤本:確かにノイズを高域に追加するという手法をとっているところはあります。これまでもDigital Audio Laboratoryにていくつかの実験をしましたが、原音とは明らかに関係のなさそうなノイズが追加されたようなものはありました。

稲葉:でも、単にノイズを追加するだけでは当然、原音に戻るわけではありません。たとえば単純な実験として1kHzおきにサイン波が出ている信号で16kHz以上が欠けているものがあったとしましょう。これにH2Cで処理すると、16kHz以上もきれいに1kHzおきの信号が再現されます。

藤本:つまり、高調波をうまく復元するという方法ですね。

稲葉:どうしても基本波だけだと、味気ないものになってしまいます。同じ基本周波数であっても高調波の入り方によって、バイオリンらしく、またビオラらしく、それぞれ楽器固有の音が作られているんです。ですから、それをうまく復元するというのは非常に重要なことです。

Harmonicsオフ時の波形 Harmonicsオン時の波形

藤本:H2Cはそうした処理をリアルタイムで行なっているんですね。

稲葉:その通りです。ただし、この処理はかなり本格的で重いんです。PCで処理するのであれば、それほど大きい問題にはなりませんが、gigabeatという小さなマシンで動かすのはなかなかツライ。実際のところ、H2Cをオンにすると消費電力が増えるので再生時間も短くなってしまうわけです。

藤本:なるほど、それはなかなか大変ですね。使うほうも、音をとるか、時間をとるか考えて選択しなくてはなりませんね。

稲葉:もちろん、できる限り消費電力を減らすような工夫はいろいろと行なっています。計算量の少ない関数のモジュールに変更したり、フィルタもいろいろ調整したり……。

藤本:なるほど、つまりアルゴリズムは九州工業大学、実装技術は東芝ということでH2Cが共同開発である、ということですね。

稲葉:その通りです。もっともベースとなる要求はこちらからも九州工業大学に出していますから、単純に実装技術だけというわけではありませんが……。

藤本:ところで、このH2Cというのは、九州工業大学のアルゴリズム部分の名前ではなく、gigabeatに実装された技術ということなんですか?

稲葉:そうですね。H2Cという名前も当社で付けており、High order Harmonics Compensation Technologyの略です。

藤本:Hが2つでH2なんですね。

稲葉:高域を補完するといった意味合いです。まじめな名前でしょ。

藤本:現状、H2Cを使うにはgigabeatが必要ということなんだと思いますが、これを別の形でリリースする可能性などはあるのでしょうか? gigabeatの場合、あくまでもアナログの音を聴くしか方法がありませんが、H2Cを使ってデジタル的にデータを変換できると、高音質なロスレスに変換したり、いい音のCDが作れることになって喜ぶ人も多いと思います。

稲葉:われわれはgigabeatを売るためにH2Cを開発したので、いまは別の形でのリリースは考えていません。

藤本:そうですか、残念ですね。ところで、このH2C、WMAとMP3には効くようになっているとのことですが、AACなどほかのフォーマットにも対応可能なのでしょうか?

稲葉:AACなども技術的にいえば可能ですね。基本的にはこのような圧縮フォーマットに対してオールマイティな高音質化技術になっています。とはいえ、AACならAAC用にある程度パラメータをチューニングする余地はあるかもしれません。

藤本:一方、gigabeatではWMAのロスレスやWAVの再生も可能だったと思いますが、これらを再生する際に、H2Cをオンにするとどうなりますか?

稲葉:とくに制限はかかっていないので、補正を試みる動きをしてしまいます。ですから、ロスレスを再生する際などはバッテリー消費のことも考えてH2Cはオフにしておいたほうがいいですね。


■ 目に見えない部分を“まじめに”作りこむ

藤本:先日、私も編集部のメンバーも、このgigabeat S30の量産試作機を使ってH2Cを試してみたのですが、どうもその違いを感じることができませんでした。これは試作機であるために、まだH2Cが実装されていなかった、ということなのでしょうか? 使い方としてはHarmonicsをオンに設定すればいいんですよね?

稲葉:使い方はその通りです。ただ、これをオンにしたらすぐにH2Cが効くというわけではないんです。その後にマイミュージックから曲を選択して再生を開始すると、H2Cが効くようになっています。

藤本:なるほど、その瞬間に音が変わるわけではないんですね。

稲葉:そうです。ただ、効果をかけた音も、人の耳には捉えにくい高域を補完するので、分かりにくいでしょう。実際、商品企画からは、もっとハッキリ違いが分かるようにできないか、というような要望が出ていました。ただ、うちの技術陣はまじめなんですよね。あくまでも、原音に忠実な結果になることを目指しました。イコライジングを少し調整して味付けしようなんてことはやらないんです。とにかくまじめに作ろうよ、って。

 実際、他社製品と聴き比べていただけると分かると思いますが、かなりいい音質です。著名な評論家にも試聴してもらい、その音質のよさにお褒めの言葉をいただきました。gigabeatは音質の基本性能であるS/Nにしてもダイナミクスにしても結構気を使って作っています。電源周りにしても、きちんとノイズをとってね。目に見えないところを、まじめに作っているんです。

藤本:音質の基本性能は以前のモデルよりも良くなったということなのですか?

稲葉:ほぼ同等のものになっています。つまり、この機種で突然音質が上がったというわけではないんです。これまでの積み上げによって音質を向上させてきました。システムがこれだけ変わって音質を保つという点ではかなり苦労しました。

藤本:H2Cとしては、今回のもので完成ですか?

稲葉:まだ製品を出したばかりなので、なんともいえませんが、社内的には、進化させるアイディアがあります。次回のgigabeatはさらに音質を向上させますから楽しみにしていてください。



□東芝のホームページ
http://www.toshiba.co.jp/
□ニュースリリース
http://www.toshiba.co.jp/about/press/2006_04/pr_j1001.htm
□製品情報
http://www.gigabeat.net/mobileav/audio/lineup/s-series.htm
□関連記事
【4月21日】【デバ】Windowsで生まれかわったgigabeat
iPod追撃の一番手はコレ?
東芝「gigabeat S30(MES30)」
http://av.watch.impress.co.jp/docs/20060421/dev148.htm
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-WMA Lossless、高音質化技術「H2C」対応
http://av.watch.impress.co.jp/docs/20060410/toshiba1.htm
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-圧縮音楽音質向上機能も装備。自動音場補正搭載機も
http://av.watch.impress.co.jp/docs/20060308/yamaha.htm
【2005年11月21日】ケンウッド、高音質HDDオーディオの“マイスター”モデル
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http://av.watch.impress.co.jp/docs/20051121/kenwood1.htm
【2005年3月17日】松下、MP3/WMA/AACプレーヤー「D-snap Audio」
-SDカード採用。対応コンポと連携しPCレスで録音
http://av.watch.impress.co.jp/docs/20050317/pana1.htm

(2006年5月8日)


= 藤本健 = リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。
最近の著書に「ザ・ベスト・リファレンスブック Cubase SX/SL 2.X」(リットーミュージック)、「音楽・映像デジタル化Professionalテクニック 」(インプレス)、「サウンド圧縮テクニカルガイド 」(BNN新社)などがある。また、All About JapanのDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも勤めている。

[Text by 藤本健]


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