樋口真嗣の地獄の怪光線

第15回

映画を残すということ。2001年70mm→IMAX→BS8Kの旅

映画が誰かに愛されるということ

なんつうか、ですなあ。こういう仕事をさせていただくと「あれ、あの映画のあそこってどんなんだっけ?」とかすぐに知りたかったりするじゃないですか? しかも出先で。自分ちだったらDVDなりブルーレイなりを探せば出てきてすぐ解決。この瞬間のために俺は見るかどうかもわからない映画やテレビ番組を買ったり録ったり焼いたりしてたんだよどうだ曹操、この先見の明を見よ! とそんなに溜め込んでどうするんだと常日頃家人に呆れ果てられるがっかりシチュエーションを捲土重来今こそドヤれる千載一遇の好機を出先というだけで逸するとはなんたる不覚。

でも大丈夫。そういう時に本当は絶対に良くない、イリーガルにアップロードされている動画とかをネットで検索して探し当ててすぐに見ることができて感謝! いやいや絶対ダメでしょと知りながらもいや別にちょっと確認だからと自分に言い訳しながらも画質の悪い360とか480ぐらいの本当に確認ぐらいしかできないぐらいの低画質のアップロード動画が最近は根こそぎデリートされています。

当然じゃい! と思いながらも不便きわまりなく、そんな時でも最近は映像配信サービスがあるから大丈夫! ちゃんと会費払って見放題!後ろめたい気持ちともオサラバ、大手を振って出先で動画を見放題!

なんだけど、も、最近あるサービスで新たにオヤこんな映画がラインナップ入り、嬉しいねえと用も無いのに見始める、そんなことができるのも月会費払えば見放題というストリーミングサービスのいいところ。便利なサービスは人間をとことんまで堕落させますな。

ところがその映画の画質が凄いんでちょっとビックリですよ。まるでレンタルのVHS並み。

そりゃ最近のこのワタクシメときたら基本4Kですし。HDRですし。高画質に目が慣れ過ぎてしまった鼻持ちならないクソブタ野郎かもしれませんが、それを抜きにしてもそりゃないぜって画質なんですよセニョリータエスカルゴ!

そんなマスターしかないのであれば諦めもつきますが、最近CSの専門放送でオンエアされたりブルーレイでも発売されていてモチロン俺も持っているから思い込みで美化された記憶と比べているわけじゃないことをここにお断りさせていただいた上でもう一度言わせてください。この画質、レンタルのVHS並みだよ涙目!

その配信サービスの名誉のために言っておきますが決してその配信全てがそういうわけではありません。新作や配信オリジナルコンテンツは刮目するばかりの高画質のものばかりです。でも言っちゃえば注目もそんなに集めているわけでもない昭和末期の旧作、おそらくそのコンテンツホルダから十把一絡げでグロス買いしたのであろうモブ扱いのその映画。ああ不憫でならないですよ。もしこの映画との出会いがこれだとしたらなんたる不幸。本当はもっといい画質で見て欲しい。もうすでに物故した監督をはじめとしてこの映画に関わった全ての人間に成り代わって私は言いたい。言わせて。マジです。

そういうのやめてください。

もちろん先にお金を出してパッケージを買っていただいたお客様に申し開きがないかもしれない。でもだからといって配信で見る自由に、画質を担保させたら映画は文化として終わると思うんです。

最高の画質を維持するためのコストの事は充分承知の上で、この映画が欲しくなる衝動を削ぐような事はしないで欲しいのです。

映画っていうのは誰かに愛され続けないと無くなってしまうのです。

映画を残すということ

なんかここのところ、映画を作るよりも映画を残すことに色々考えちゃう事が増えてます。もちろん作ってるというか作るための努力も惜しまず、なんですが最近の高画質化するアウトプット環境にこれから作る新作が耐えられるのだろうかってことをスゴイですねーと驚嘆と賞賛を惜しみなく送りながらも暗澹たる気持ちで撮れども撮れども猶わが予算楽にならざりでございますじっと我が手を見ちゃうのも偽らざる真実でございます。

こないだも4Kマスター版の「八甲田山」を拝見しました。木村大作キャメラマン渾身のグレーディングで新作を見る衝撃で40年前の映画を拝見することになりました。ここから先は恥かき話でございます笑ってくださいませ。番組の紹介欄を見て出演者の何人目、というか高倉健さん北大路欣也さん三國連太郎さんに続いて、ゆうゆう散歩にして光進丸の若大将・加山雄三さんがいるではありませんか。どういう誤植だよまったく、と思ったんですよ本気で。小学校6年の劇場公開時からもう何度も見てるんですよ! といいながら正直に告白するとそのあとは全部ビデオでした。それぞれの時期でビデオなりレーザーディスクなりDVDなりブルーレイなりで最新のパッケージで見ていたとしてもアウトプットはテレビでした。別にそのせいにしたくはないけど今回初めて気づいたんですよ加山雄三さんの存在に! なんという愚かさ!

三國連太郎さんが憎々しげに演じる第二大隊長山田少佐に随行して、その朝令暮改、横暴の限りを尽くす上司の背後でずっと苦虫噛み潰して寒さとパワハラ上司の板挟みに耐えていた倉田大尉が、加山雄三さんだったと初めて気づいたのですこの愚か者は。今までは雪けむりと暗部で見えづらかったその顔が4Kで鮮明になったのです。そんな発見(気づいてなかったのは俺だけですが)も旧作を高解像度でサルベージする楽しみのひとつであります。

そんな旧作のなかでも映画史に燦然と輝く金字塔、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」が4K/HDRで発売されることになり、前後して70ミリプリントが京橋にある国立映画アーカイブで上映、さらに12月1日、NHKのBS8K放送のこけら落としにも新たに8Kスキャンしての放送と、世界の最高画質の品評会の様相を呈してます。

映画「2001年宇宙の旅」(c)1968 Turner Entertainment Co. All rights reserved

それに耐えられる50年前の映画のクオリティがまずすごいんですけど、クリストファー・ノーラン監督が監修したという70ミリプリント版。

この監修の目的が凄い。デジタルで修正とかせずにオリジナルの状態を維持して公開当時の衝撃を可能な限り再現するというのです。

その一本しかないプリントが世界の美術館を巡回して東京にもやってきました。

国立映画アーカイブ、かつては東京国立近代美術館フィルムセンターでしたが独立した博物館として出世しました。

日本国内で70ミリプリントが上映できるのはここ以外にないそうです。

国立映画アーカイブ

2年前の2017年には黒澤明監督がソ連で撮った「デルス・ウザーラ」の70ミリプリントを上映した実績もあるけれども、世界に数本しかないプリントで、日本の後も何処かの国の美術館で上映が決まっているので万が一の事故があってはならない。それはフィルムの切断に限らず、最近のフィルムのベースは切断しないようにかなり丈夫な素材で作られているらしく、トラブルが生じた場合、映写機そのものに負荷がかかり、フィルムを送る機構が壊れてしまう可能性もあるらしいのです。そのせいで上映時の映写室の緊張感は客席にまで伝わってきて、上映終了後には、スクリーンではなく、背後の映写室に向かって拍手が送られる程でした。

デジタル処理を一切介さずかつての化学的処理だけで公開当時のコンディションを再現した70ミリフィルムは鮮明なデジタル上映に慣れ忘れていた潤いに満ちたトーンです。残念ながら劇場のスクリーンサイズはかつてのテアトル東京や渋谷のパンテオンや新宿ミラノ座といった70ミリプリントのスペックを充分に引き出す大きさでなかったけれども、6チャンネルの公開当時のままの音声が大変素晴らしかったのです。

上映に使われた2台の35/70mmフィルム兼用映写機「Kinoton FP75ES」

最近のマルチチャンネルサラウンドは、音場の再現を第一にしていて、あまり極端な音の配置をせずに例えば後ろから大きな音を出す時も左右や前からも少しだけ残響成分を散らして自然な印象を与えるような傾向があるんですけど、50年前はまだそんな時代ではなかったのです。

ヒョウの遠吠えに怯えながら岩屋で眠れぬ夜を過ごすヒトザル。

囲まれたヒョウの鳴き声がリアチャンネル「だけ」から聞こえるのです。

宇宙ステーションで聞こえるアナウンスもリアチャンネル「だけ」です。

ギョッとするほどの大胆さなのです。

1日2回の上映で6日間だけの公開も無事に終わりましたが、フィルムからデジタルに映画の上映が切り替わってまだ10年も経っていないのに、まさかフィルムによる上映がここまでスリリングになり、ここまで価値のあるものになるとは。

続いて二週間限定で公開されたアイマックス版を関東最大級のヒューマックスシネマ成田まで遠征です。今度はテアトル東京を彷彿とさせるスクリーンサイズですからラストのスターゲイトコリドーは最前列で体験します。スゴイです。容赦ない暴力性で観客を打ちのめします。

ラストに限らず、月面のティコクレーターで発掘されたモノリスから発信される強力な電波音とか、船外活動服を装着した時は呼吸音のみになったりとか、HAL9000が冷凍睡眠中の乗組員を一斉に殺戮する際のバイタルモニターの警報音とか、痛いほど鋭く刺さる音響設計が、デジタル環境になった今でも衰えることなく輝き続け、今でこそ当たり前になったエッジの効いた演出の嚆矢であることを思い知らされます。

映画「2001年宇宙の旅」(c)1968 Turner Entertainment Co. All rights reserved

そして今度は4K/HDRのソフトが発売されるはずがなぜか一カ月の発売延期。

でもそれを待っている間にNHKのBS8K版がオンエアされます。この放送のために70ミリのオリジナルネガを8Kスキャン、とレストアする上では最高のコンディション。クリストファー・ノーランの思想に反旗をひるがえす最高画質のレストア版をわずか1カ月ちょっとの間で比較できる喜びといったらもう!

でも残念ながらそんな立派な受信環境も視聴環境も持っていないので放送日に渋谷のNHKで見せていただきました。

「8K完全版 2001年宇宙の旅」NHK BS8K 3/3(日)午後6時30分から再放送予定
©Turner Entertainment Company

しかも私の筆が遅かったので同様の記事がAV Watchに出ていました。そちらの方がテクニカルには正確な事が書いてありますのでリンクをご覧ください。

世界初放送の8K版「2001年宇宙の旅」を体験!

だいたい受けた印象は同じですが、唯一違うのは我々が視聴したのはシャープの直視型液晶モニター「LV-8500N」であったことでしょうか。プロジェクターではなく光を直接見ることになるのでファーストカットの月の向こうから現れる太陽の眩さ、スターゲイトコリドーで消失点から降り注ぐスリットスキャンの光芒、ここは絶対に映画館では体験できない領域でした。50年経ってこれだけの違うフォーマットに耐えられる映画というのもそうあるもんじゃないな、と思いながら自分たちにそういう映画が残せるのだろうかと出しようのない答えを探して悩んでしまうのであります。

シャープの8Kモニターで見る「2001年」(写真は別の作品です)

編注:「8K完全版 2001年宇宙の旅」は、NHK BS8K 3月3日(日)午後6時30分から再放送予定

樋口真嗣

1965年生まれ、東京都出身。特技監督・映画監督。'84年「ゴジラ」で映画界入り。平成ガメラシリーズでは特技監督を務める。監督作品は「ローレライ」、「日本沈没」、「のぼうの城」、実写版「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」など。2016年公開の「シン・ゴジラ」では監督と特技監督を務め、第40回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。