■ HDにフォーカスしたイベント、TEA07
現地時間の6月28日から30日の3日間、スペインはサラゴサという街で「TEA07」というイベントが行なわれた。サラゴサはローマ帝国時代から続く古い街で、アラゴン州という自治区の州都である。このあたりが、かつてはアラゴン王国だったわけだ。 TEA07は、このアラゴン州の主催で、HDをテーマにした放送機器の展示会だが、この運営事務局に招かれて、日本のHD放送の現状について講演を行なった。 今回は講演のついでといってはなんだが、あまり日本に伝わってこないヨーロッパの放送事情について取材した。
■ ヨーロッパ、そしてスペインの放送事情
まずは、ヨーロッパ全体のテレビ放送の現状について、俯瞰してみたい。放送波のデジタル化の波は、当然先進国が密集するヨーロッパでも同様に進行している。ただ日本とは事情が大きく異なっており、認識として注意しておかなければならないのは、「デジタル放送=HD放送」ではないことである。 家電量販店のテレビ売り場を見ても、一見すると日本と同じように大型の液晶テレビが並ぶ姿は変わらない。日本製品の比率は少なく、PHILIPSやSAMSUNG、LGが頑張っている。しかし根本的に違うのは、画角は16:9でも、SD放送である点だ。 そもそもヨーロッパ、というか世界の大半は、PAL方式で放送を行なってきた。これは縦の走査線が625本で、日本や米国のNTSCに比べて若干解像度が高い。例えばHDの720pと比較してみると、縦の走査線数だけ見ても、100本程度しか変わらないわけである。 インターレースとプログレッシブの違いはあるものの、液晶表示ではあまり変わらなくなってしまう。その点から見ると、高解像度を期待しての720pへの移行は、あまりメリットがない。むしろPAL圏では1080iへの移行でなければ、意味がないことになる。デジタル方式のHD放送が規格として定義されたのは1990年代中頃のことだが、このときにEU諸国はHD化の道を進まなかったのは、こういった背景がある。 スペインという国の事情にフォーカスすると、地上波デジタル放送は日本より3年早く2000年からスタートしたものの、2002年には1つの放送局が経営破綻して放送が停止するという辛酸を舐めている。しかし2005年にデジタル放送全体を再立ち上げした後は、新しい放送局もスタートし、地上波放送は大幅な再編を果たした。 スペインの場合は、放送局そのものの考え方が他国と比較して非常に柔軟というかいいかげんというか、面白い。スペインにももちろん、公共放送と民放が存在するが、公共放送に対する受信料はない。すべて政府からの補助金と、広告収入で賄われている。公共放送でも普通にCMが入るわけである。スペインでは、放送は公共性が強くなければならないという考えがあるが、広告に関してはインフラとして広く利用されるべきという方針を取っている。 また地方自治体が運営する小規模の公共放送も多く、ここアラゴン州でもアラゴンラジオ・テレビという州立の公共放送局がある。そのほか放送免許を受けていない、いわゆる無免許テレビ放送局が、国内に900局近く存在する。そんな国はヨーロッパでも、スペインだけである。もっともこれは最近放送法が改正されて、多くの放送局が免許を取ることができるようになり、無免許放送はカタチの上では減少の傾向にあるという。 HDでの放送というのはまだ行なわれていないが、公共放送局の中でも比較的後発であるアラゴンTVとアラゴン州は、差別化のためにHD化の促進を検討している。TEAというイベントも、その一環で行なわれているわけである。
■ ヨーロッパでは珍しいHDの機材展示
「TEA07」の会場となっている「Auditorio de Zaragoza」は市内中心部からやや南に位置する多目的ホールで、大きさは全体で幕張メッセの1ホール分のさらに半分ぐらいの規模である。日本のInterBEEなどと比較すると小規模だが、4年前は公民館レベルだったというから、次第に規模が大きくなってきているわけだ。 ホール全体を半分に区切って、機材展示エリアと講演エリアに分けている。分けているといってもカーテンで仕切ってある程度なので、展示エリアに居ながらでも講演の内容が聞こえてくるといった状況だ。 しかし大人数を集めるのが目的ではなく、キーとなる人物をいかに集めるかに注力しており、国内放送局の技術者はもちろん、映像技術系のメディアも多く取材に訪れていた。筆者自身も取材しながら、同時に「CubeVideo 20」という映像メディア誌の取材を受けた。今はHD機材の情報よりも、HDに移行するためのノウハウや問題点などの情報が欲しい、というのが現状のようだ。 日本からのメーカー出展はローランド エスジーだけで、これはイベリア半島全域の拠点がスペインにあるから、という事情からである。すでに日本で発売済みの、マルチフォーマット・ビデオミキサー「V-440HD」を中心に、マルチフォーマットコンバータ「VC-300HD」、デジタルマルチ音声伝送システム「Digital Snake」を出展した。
まだ国内でHD放送が始まっていないこともあって、HD機材そのものの出展はまだ少ない。スペインの地元企業では、照明やクレーンなどの特器を扱うところはあるようだ。車に直接固定して走行状態が撮れるクレーンなどは、そんな程度で大丈夫なのかという作りではあるが、撮れる絵はなかなか面白い。
一方でカメラやスイッチャー、サーバといったメインのハードウェアは、地元に有力な放送機器メーカーがないため、すべて輸入に頼ることになる。ただ現在は異常とも言えるユーロ高が進行しており、機材更新のタイミングとしては、比較的有利な状況にある。 大手機材リース会社の「OVIDE」が、各社のHDカメラを一堂に集めて展示していた。もちろんカメラに関しては、ソニー、パナソニック、キヤノン、ビクターといった日本メーカー製で、レンズもキヤノン、フジノンが主流である。意外にフランスが拠点となっているTHOMSON/GrassValleyのカメラはなく、地理的に近いといった事情は関係ないようだ。
一方で国内大手電話通信会社「Telefonica」が、ADSLを使用したIP伝送によるHD放送ソリューションを出展していた。スペインの電話会社は、このTelefonicaとVodafoneが2大勢力で、Vodafoneはもちろん外資だが、Telefonicaは元国営電電から民営化された会社である。
Telefonicaは「Antena 3」という地上波民放局の主要株主でもあり、ADSLを使った多チャンネルIPTVサービスも行なっている。かつてはケーブルテレビも持っていたが、それは運営の悪化から2000年にサービスを停止した。またアラゴン州の公共放送局であるアラゴンTVが、衛星放送を利用したHD放送の実験を行なっていた。実際に衛星から電波を受信し、地上波を送信して会場で受信している。
■ 地元公共放送局、アラゴンラジオ・テレビ
会場からほど近い場所にあるアラゴンTVも取材することができた。現在HDの実験放送を行なっているのは、TEA07の期間中に合わせてのことで、政府から1週間だけ放送許可を貰って送信している。 送信設備はローランド・システムグループが機材を提供して、仮でセットアップした状態である。ソースは米国BBCの衛星HD放送などを受信し、アナログベースでV440HDをマスタースイッチャとして利用している。アナログオーディオも別途ミキサーを通し、VC-300HDで映像と音声をA/Dコンバートおよびエンベッデッドして、送信を行なっていた。 アラゴンTV自体はまだ新設されて4年目で、ラジオとテレビの両方を放送している。テレビに関しては24時間放送のうち、自社制作のオリジナル番組は8時間程度。それ以外はほかの公営放送の再送信である。機材はSDベースで、ニュースカメラはデジタルベータカムとXDCAMが中心、一部DVカメラやアナログのベータカムなども併用している。
ビデオサーバを含め社内の制作設備はAvidでまとめており、回線収録からノンリニア編集、送出までがIP化されている。マトリックスルータはGrassValley製の大型のもので集約しているものの、各セクションがコンパクトにまとまっており、このあたりもIP化の恩恵はかなり大きいようだ。 撮影スタジオもかなり大きな規模のものが1つあり、自社の番組で使っていない時間帯は、外部のプロダクションに貸したりしている。公営放送局の果たすべき役割というのが、日本とはかなり違っている。
■ 総論
日米だけを見ていると、放送はHD化するものという大きな流れの中にあるように思えるが、ヨーロッパ全体としてはこれからHDを行なうべきか、やるならいつなのかという悩みの中にある。その点では、ちょうど10年前の日本と事情が似ている。 日本では2000年からBSデジタルが放送開始するにあたって、コンテンツをHD化すると放送局側は主張したが、実際にはHDコンテンツ制作が追いつかず、SDのスクイーズで制作してアップコンバートするという、「なんちゃってハイビジョン」が横行した時代があった。 そこで本当に放送局はHDをやるのか? という制作会社側の疑いが生まれた。このため中小のポストプロダクションでは、HD化するタイミングが掴めず、現在に至っている。 しかし現在は、HD化するにあたって様々なタイミングが合致してきている。すなわちそれは安価なHDカメラであったり、CPUパワーであったり、優れた圧縮技術の登場であったりするわけだ。これからHD化を進めるには、テクノロジー面では有利になってきている。 スペインではデジタル放送自体は、昨年ドイツで開催されたワールドカップを契機に、一気に認知度が高まり、移行も進んだ。放送局も2005年の地デジ再スタートの時に新しく立ち上がったところも多く、システムのIP化もかなり進んでいる。 だが逆に、これからHD化していくには、まだ現在の機材の減価償却が終わっていないことがネックになる。特に倒産した放送局の負債を国が肩代わりしていることもあって、現在の法律では放送局が多額の借り入れを行なうことが禁止されているという事情もある。 HDが高精細であることは当然ではあるが、多額のコストをかけてそれを行なうメリットはどこにあるのか。日本の場合は、家電メーカーが儲かるから景気が回復する、というある意味はっきりしたメリットが見えているが、スペインではメリットがはっきり見えていないという印象を持った。 また国民性としても、家にこもってテレビや映画を見るみたいな、ホームエンターテイメントが根付かないのではないか。都市部での生活は、仕事が終わったら夜中まで外で酒飲んで大騒ぎするのが日常である。また古い劇場も多く、演劇やコンサート、クラブなどのライブコンテンツの価格が安い。 街のデパートや電気量販店を見ても、まあPS3はゲーム機として置かれているが、Blu-rayやHD DVDのコンテンツは売られていない。映画を見たければ、DVDで十分なのである。 人生は楽しまなければ意味がない。だがコンテンツで誰かから楽しませて貰うのか、それとも自分たちの人生そのものが楽しいコンテンツなのかは、考え方が分かれるところだ。メディアやコンテンツのあり方も、日米の動きだけを見ていると、世界レベルで裸の王様になってしまう可能性があることを実感した。 最後に今回の取材に関して、通訳及びアテンドしていただいた、ローランド・イベリアの寺内 岳氏、Flappi氏に感謝を申し上げる。グラシャス ムーチョス。
□DIGITEAのホームページ(英文) (2007年7月4日)
[Reported by 小寺信良]
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