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第321回:鈴木慶一×曽我部恵一のサラウンドSACD誕生まで【前編】
~ 鈴木氏「画を想像させる音を大量に入れ込んだ」 ~



ヘイト船長とラヴ航海士

 すでにご存知の方も多いと思うが、2月20日、ムーンライダーズのフロントマンである鈴木慶一氏が長いキャリアの中、ソロアルバムとして17年ぶり、2枚目の作品となる「ヘイト船長とラヴ航海士」(品番:MHCL-10089、3,000円)を発売した。プロデューサーに曽我部恵一を起用してのアルバムであるが、ユニークなのはこの作品がSACDとのハイブリッドとなっていることに加え、SACD層は2chだけでなく5.1chも収録されている点。

 まだロックの分野では世界的に見てもサラウンド作品はごくわずかしかないが、鈴木氏のこだわりもあってかなり完成度の高いものができあがっている。そこで、このサラウンドの話を中心に、どうやって5.1chの作品を生み出したのか、鈴木慶一氏本人と、それをミックスしたエンジニアである原口宏氏、そしてマスタリングを行なった茅根祐司氏のそれぞれにインタビューした。その内容について2回に分けてお伝えしよう。


■ 映画「座頭市」や「東京ゴッドファーザーズ」でサラウンド制作

鈴木慶一氏

藤本:今回のサラウンド作品、非常によかったですが、もともとサラウンドを手がけようとされたのはいつごろからだったのですか?

鈴木:今の5.1chではないけれど、逆相を使うなどしたサラウンド的なものは'70年代から試行錯誤しています。2chのミックスをする場合は、立方体となる音を作るけれど、サラウンドは立方体の中へと聴き手が入っていけるので、音楽の表現は大きく変わっていくだろうと以前から考えていました。

藤本:実際にサラウンドを具体化したのも、今回が初ではないですよね?

鈴木:映画音楽なども手がけていて、作品としてサラウンド化されたのは2003年の北野武監督の座頭市や、東京ゴッドファーザーズというアニメです。これらをやって、やっぱりサラウンドはいいなと思いました。ただ、映画においてはサラウンドになっているのですが、サントラになるとステレオミックスのみになってしまうんです。座頭市はドリーミュージックからサントラが発売されたのですが、なんとかサラウンドで出せないかと交渉したんですが、ダメでした(笑)。

No.9

 東京ゴッドファーザーズは自分のレーベルから発売し、5.1chのサラウンドミックスができているのでエンディングテーマの「第九」と「きよしこの夜」だけはと、さらに自費で「No.9」というSACDを作ったんですよ。ただ、当時は5.1chのサラウンドミックスとなると特別なスタジオを借りなくてはできず、予算面でもなかなか大変でした。今なら自宅でできるようになったので、制作環境は大きく変わりましたね。

藤本:そして今回は、最初からサラウンドを目指して、曽我部さんも呼んで取り組んだわけですか?

鈴木:いや、そういうわけではないんです。曽我部君はモノラルが好きだし、だからこそ奥行きが出る作品ができるんです。もともと通常通りステレオでと考えていたのですが、曽我部君が「アナログLPのように40分台の作品にしよう」と発案したところ、レコード会社側から、「そのサイズならサラウンドも入れたSACDが作れますよ」という提案が出て、それなら、ぜひサラウンドでやろう、ということに決まったのです。しかも、それが決まったのは3分の1はレコーディングを終えた後。一番最初に録った「煙草路地」などは、サラウンドにすることを考えずに一発録りしたものなんですよ。

藤本:なるほど、それによって1枚のアルバムの中にCDのステレオとSACDのステレオ、それにSACDのサラウンドの3つが同居しているわけですね。

鈴木:アルバムとしてはそうですが、これとは別に曽我部君のミックスによるモノラル版のアナログLPも発売されます。これはネットでの販売のみという形ではありますが、アナログLPをやったのは本当に久しぶりでしたね。担当分けという感じで2chとモノは曽我部君、サラウンドは私が行ない、スケジュール的に時間がなかったこともあってマスタリングの際は2chは曽我部君のみ、サラウンドは私だけが立ち会っています。

藤本:それぞれにおいてミックスやマスタリングは、当然別作業となるわけですよね?

鈴木:もちろん、そうですね。2chのミックスはレコーディングも担当した池内亮さんに、サラウンドは長年付き合いのある原口宏さんに頼みましたが、原口さんのアイディアでリズムの刻みが2chの倍になっている曲などもあって、非常に完成度の高いものに仕上がっています。


■ ZOOM「H2」で録った環境音もトラックに使用

藤本:2chもサラウンドも素材は同じものを使っているのですか?

鈴木:サラウンドには2chにない素材を数多く入れています。ナレーションを足したり、ノイズを増やしたり、海鳥の鳴き声をさらに入れたり……。またちょうど、当時お芝居をしていたので、稽古の声なども入れています。こうした屋外での録音や台詞はすべてZOOMのH2を使っており、H2で録った音をProToolsのトラックに流し込んでいるんです。だからトラック数的には、楽器の数よりノイズの数のほうが多いかもしれませんね。

藤本:なるほど、H2を利用していたんですね。

鈴木:そう、今回はH2を使ったけれど、こうしたリニアPCMレコーダは結構活用していますよ。最初にRolandのR-09を買い、その後KORGのMR-1を買って、H2は3機種目。それぞれムーンライダーズのライブなども会場で録音してるんですよ。今回H2で録った音はすでに4トラックのサラウンドなので、5.1chのアディショナル部分に用いています。もちろん2chのミックスにも。

藤本:サラウンドのミキシングに関して気を使ったことなどはありますか?

鈴木:センターとサブウーファに何を持ってくるかが非常に微妙ですね。そもそも決まりごとがないでしょ。正月に原口さんが自宅でラフなミキシングをしてきてくれて、それを正月明けの4日にスタジオで聞きながら修正していくという作業を2日かけて行ないました。

 原口さんとは付き合いが長いだけに、たぶんこういう風に加工してくるんだろうなという思い通りのものができていたので、自宅でのミックスで十分よかったんだけど、ボーカルの成分をどのくらいリアに持っていくか、原口さんが新たに持ってきた音を使うか使わないかなど、議論しながら作業を進めました。

藤本:音質的にはいかがでしたか?

鈴木:もちろん問題ないんだけど、最初の96kHzの音の効果がどれだけ出ているのかはよく分からないな。そう、最初は私が自宅でDigitalPerformer(DP)を使ってデモを作っており、この際96kHzで録っているんです。それをProToolsに持っていって曽我部君が作業する時点では48kHzになっています。その後、原口さんのところで再度DPにするなど、結構複雑なやり取りがされているんです。しかも、ステレオのほうは、シブイチ(6mmテープ)をマスターにしているんだからね……。

藤本:サラウンドのマスタリング作業のほうはいかがでしたか?

鈴木:ミックスした後、マスタリングに入るんだけど、結構興味深かったのがEQの特性。たとえば高域をちょっと上げようって、上げると、5つのスピーカーですべてが上がるため、ステレオと比べると思いっきり上がっちゃう。だから、リアだけ高域を持ち上げるといったことを試してみたり、いろいろ試行錯誤しました。

藤本:最後に、今回の作品を作ってみての感想や今後の計画などについても教えてください。

鈴木:やりたかったことが相当できたという印象です。環境音を入れることで歌詞が変わってくるのも面白かったですね。ナレーションを入れるとか、1曲の中で多面性が出てくる。ステレオだったらありえないけど、サラウンドなら同時に複数の歌詞があってもいいかもしれない。多層性はデヴィッド・リンチ監督の作品を例に考えれば良さそうだし……。

 とにかく、サラウンドをやってみると、これまでちょっと思っていた「映画を撮りたい」というような気持ちはなくなってくるね。音のいい点は、画像は想像してもらうことができるところ。そのための素材を大量に入れ込めることができるのも面白い点です。ムーンライダーズのNo.9は映画のサラウンドをそのまま使ったけれど、今回は1から作るということで大変ではあったけど、歌、音、言葉ともによくできたな、と思っています。まだ、次にやろうと思うネタはいろいろありそうです。すぐに何かに取り掛かるわけではないけれど、ぜひまたサラウンドには取り組んでいきたいですね。

藤本:ありがとうございました。



□鈴木慶一氏のホームページ
http://www.keiichisuzuki.com/top.html
□製品情報
http://www.sonymusicshop.jp/detail.asp?goods=MHCL-10089
□関連記事
【2007年10月9日】【DAL】「かないまるルーム」で生まれる究極のSACDとは?
~ その1:Le Couple藤田さん「CDで削ぎ落ちていたもの」 ~
http://av.watch.impress.co.jp/docs/20071009/dal298.htm

(2008年4月7日)


= 藤本健 = リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。
著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。また、アサヒコムでオーディオステーションの連載。All Aboutでは、DTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。

[Text by 藤本健]


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