補償金制度拡大案への多くの疑問 文化庁によるハードディスク搭載機器への私的録音録画補償金制度に関する案が示された。MDなどの消費が減ったことに伴い、現在主流のハードディスクを搭載する機器からも私的録音補償金を取るべきであるという主張に対する文化庁の案である。しかし、消費者サイドの視点といわず、第三者的に俯瞰したとしても、この制度にはあまりにも多くの疑問点がある。ここで議論されている内容は、大きく分けて音楽用機器と映像機器があるが、それぞれについて、“ごくごく基本的”な疑問を挙げてみたい。 これらの疑問に対する答えが出されずに、私的録音補償金制度を拡大しても(文化庁としては縮小する意向のようだが、文化庁案を見る限り、むしろ拡大している)、決して一般の消費者には理解を得ることはできないだろう。 筆者は著作物で利益を得て仕事をしており、著作者の権利を守り、そこから適正な利益を得て還元する仕組みを作ることに関しては、基本的に賛成の立場にある。音楽や映像という形で価値を提供する側が、それを享受する側から対価を得ようとするのは当然のことだ。しかし、今回の問題に関して言えば、全く理解できないことが、あまりにもたくさんある。 ■ 補償金拡大の前提への疑問 まず録音機器に関してだが、“おかしい”というよりも、素朴に“理解できない”ことがある。まずはそれらを列記してから、コラムを進めることにしたい。
さて、この話題を聞くたびに違和感を感じていることがある。“録音”という言葉の概念だ。この原稿の中でも“録音”という言葉は使っているが、従来のメディアとiPodに類する携帯プレーヤーでは、録音の概念が異なる。 たとえば音楽用CD-RやMDであれば、CDに収められた楽曲をまるごと複製し、CDと等価なものとして利用する(MDでは圧縮音源のため劣化しており、複製ではないが)。しかし、iPodに代表される機器の場合、CDの楽曲を録音するのはパソコンだ。パソコンを通じ、より携帯しやすいデータとして暗号化された楽曲をプレーヤーにコピーし、従来とは異なる場所で楽曲を楽しむことを可能にする。 パソコンに楽曲が録音されていることは間違いないが、携帯プレーヤーに対しては録音という概念が通用するのだろうか? 機器によって異なるが、iPodに収められた楽曲は、複製元のコンピュータとペアでしか楽しめないようにコントロールされている。iPodを媒介に別のコンピュータに複製されることはなく、元のコンピュータ上で削除されるとiPod上の音楽データも消去される。 加えてフラッシュメモリもHDDも、一般のユーザーは意識せずに使っているだろうが、長期保存を保証できるほど安定した記憶メディアではない。HDDはいつ壊れるかわからないし、NAND型フラッシュメモリはセル破壊や、長期的にはデータ喪失の危険がある。暗所保存なら比較的長期の保存ができるCD-Rや、比較的長期に安定した保存が行える光磁気ディスク方式のMDとは、同じ録音でも全く意味が異なる。このことを、権利者団体は知っていて主張しているのだろうか? ところで、iPodなどが音楽の流通量が減る原因になっているというのは、どのような研究から導かれた話なのだろうか?「MDの売り上げ減少に伴い、私的録音補償金が減った」ために、それを補填するために、新しい機器からの徴収を訴えたのが今回の大本の話だ。 しかし、私的録音補償金制度の根拠をたどると、CD売り上げ減少の原因がCD-RやMDへのコピーによるものであり、音楽を記録するメディアから補償金を徴収する必要があるという論旨で、権利者側の主張が認められたからだ。実際にMDなどへのコピーでCD売り上げが下がっているかどうかは、疑問(音楽が幅広く知られやすい環境をMDが生み出したことで、プロモーションに貢献していたという面も無視できない)ではあるが、一応はスジが通っている。 しかし、新たに税金のようにユーザーからお金を取るのであれば、MDの売り上げが減ったから、そのままスライドでiPodに適用するというのではなく、iPodによってCD売り上げが減る社会的なメカニズムについて説明する必要があろう。 MDの場合とiPodでは、利用者側の運用形態が全く異なるのだから、私的録音補償金という名前は同じでも、その仕組みは全く違うと思うのは筆者だけだろうか。 ■ 私論:音楽ビジネスへの不満 さて、ここからは私論になる。具体的なデータは持ち合わせていないが、根拠を示していないのはお互い様というこで、書き進めていきたい。 個人的にはiPodなどが存在することで、むしろ音楽の流通量は増えていると考えている。最近はCDを購入しなくなったという人でも、楽曲のダウンロードは経験したことがあるという人は多いのではないか。 最近のポピュラー系楽曲は、アルバム単位でのメッセージ性やストーリー性は薄く、特に邦楽に関しては、単なる寄せ集めの印象が強いアルバムが多い。これらをアルバムと呼ぶべきかも迷うが、アルバムで購入する気はなくとも、単なる流行だからとか、好きなドラマの主題歌だからと、1曲単位でなら買いたいとは思うかもしれない。 個人的には月に5~10枚ぐらいのCDを購入しているが、ポピュラー系の邦楽アルバムは年にせいぜい2~3枚しか買わない。楽曲の好みの問題もあるが、一過性の流行を作ろうとするばかりで、長い期間、楽しめるアルバムを提供しようという意図を、特にポピュラー系の邦楽アルバムからは感じられないからだ。 仕事がら、年に6~8回ほどの海外出張をしているが、西洋圏では比較的幅広い年齢層が音楽コンテンツを日常的に楽しんでいるのに対して、日本ではある年齢層以上になると急にCDを買わなくなる傾向が強いと感じている。幅広い年齢層の開拓や、一時的な流行ではなく、普遍的な価値を作ろうとする意図が無ければ、CDの売り上げが下がるのは当然だろう。 携帯プレーヤーは、音楽を楽しむ場を拡げることで、音楽産業の発展に寄与している。その携帯プレーヤーから税金のようにお金を取る仕組みを適用しようという提案は、きちんとコンテンツにお金を払ってくれる優良な顧客に対する裏切り行為だ。本来ならば、コンテンツにお金を支払ってくれる音楽ファンを大切にし、アーティストとともに業界を育てていくという姿勢で、(お金を払う音楽ファンからの“税金”を増やすのではなく)音楽ファンの絶対数を増やすことで収入を最大化するのがスジだろう。そうした努力、取り組みの議論なしに間接的に消費者への負担を求めているようでは 、権利者団体がいくら正論を吐いても霞んでしまう。 そもそも、彼らはこれだけコピーが問題だと主張しておきながら、容易にコピーができるCDを販売しているだけでなく、1枚あたり200~400円程度で借りることができるCDレンタル業者へのリースを積極的に行なっている。レンタル業者に対してリースを行なうことが、コピーを助長しているとは思わないのだろうか? もちろん、大手レンタル業者にリースを行なわなければ売り上げを出せないからなのだろう。そうした自己矛盾を含め、コンテンツを提供する側が現在の業界事情に合わせたビジネスモデルを再考すべき時期ではないだろうか。 北米に比べ、2倍ものCD単価を付けて、なお利益が出せないという構造的な問題について自問すべきだ。適正な価格と流通手段なら、我々は欲しいと思えるコンテンツと、その著作権・著作隣接権者に喜んでライセンスフィーを支払いたい。 ■ 権利団体はダビング10を取引材料にするべきじゃない 一方、HDD搭載のレコーダにも私的録画補償金を科するという案も、まさかとは思ったが文化庁案に入ってきた。“まさか”と思った理由は、長期保存が目的ではない一時的な録画に対して、補償金が必要になるとは夢にも思わなかったからだ。 長期の保存を目的とした録画用DVDやBlu-ray Discに対して、私的録画補償金が必要である、というならば、これは致し方がないとは思う。消費者が自ら放送コンテンツを長期保存したいというのであれば、メディアごとに料金を支払うべきだという考え方には抵抗感はない。本音を言えば、録画してDVDなどに焼くという多くの人にとって面倒な作業が意味をなくすほど、安価にDVD化、BD化して利益を挙げることも考えろと言いたいが、これはまた別の話題だ(日本のテレビ番組のDVDは、あまりに価格が高すぎる)。 従って、録画メディアからの私的録画補償金徴収に関しては賛成だ。しかし現時点において、すでに私的録画補償金は録画メディアから徴収されている。その上でさらに機器からも取ることが正しい運用だとする文化庁の見解は、まったく理解不能だ。レコーダのHDDは、時間をズラして視聴するタイムシフトのための一時記憶でしかない。時間をズラしてでも、時間を割いて番組を見ようという視聴者に対して、時間をズラすならば補償金を支払えということなのだろうか? それとも、ビデオ用メディアを購入せず、ハードディスクに蓄積したまま長期保存でコレクションする人が“多数派”だと言うのだろうか? しかも、話をややこしくしているのが、権利者団体が私的録音録画補償金制度をハードウェアメーカーが受け入れないのであれば、ダビング10について合意しないと話していることだ。 権利者団体は、ダビング10を受け入れる代わりに、レコーダへの補償金課金の検討をするとの約束をハードウェアメーカーとしたと繰り返し発言しているが、ダビング10の導入とレコーダからの補償金徴収に、どんな因果関係があるというのか。ダビング10が導入され、より多くの録画メディアが消費されれば、補償金は増えるのではないか? ダビング10導入によって潤うのは、メディアの消費が伸びて補償金が増える権利者団体だろう。 加えて言うなら、私的録画補償金を支払うのは間接的であるにせよ消費者である。導入されれば、一時的にはメーカーが補償金分の差額を補填することになるだろうが、中長期的には製品価格に反映される。こうした問題に対して、ハードウェアメーカーに対する脅しで挑むというのは、権利者団体が最終的にコスト負担をすることになる消費者と向き合わず、取りやすいところから徴収しようとしていると宣伝しているようなものだろう。これでは消費者からの反発を受けるのは当たり前だ。 そもそも、彼らが補償金を勝ち取るための“取引材料”としているダビング10は、ヘビーな録画ファンにも、ライトユースのユーザーにも、あまり大きな恩恵を及ぼさない上、組織的にコンテンツをコピーしてアジア方面で流通させたり、複製を販売しようとしている違法業者とも、全く無関係の運用形態だ。以前にも、ダビング10についてはコラムを書いているので、そちらを参照していただきたいが、まとめると……
他にも書きたいことはあるが、著作権利者団体が言うほど、ダビング10に大きな価値はない。ダビング10を材料に私的録画補償金制度の拡大を阻止できるなら、いっそのことダビング10など無かったことにしてもいいとさえ思う。 音楽コンテンツのパートでも述べたが、正しい運用をしているユーザーに対して、負担増を促す方策も、コンテンツの流通量が減るような方策も取るべきではない。コンテンツ流通を最大化し、市場を活性化させなければ、そもそもコンテンツでビジネスを行なうことなどできないのだ。 移ろい行くビジネス環境の変化に対して、現時点での利権にしがみついても、せっかくの市場を潰すだけだ。
□文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会(第2回)の開催について (2008年5月13日)
[Reported by 本田雅一]
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