【バックナンバーインデックス】



大河原克行のデジタル家電 -最前線-
~ 隠れた流行語大賞!? 「垂直立ち上げ」の生みの親 ~



■ 「垂直立ち上げ」の意味

 今年も流行語大賞が発表される時期になってきた。 

 IT業界には、ホリエモンことライブドアの堀江貴文社長、そして、楽天の三木谷浩史社長と、話題づくりに長けた人材も多いため、ここ数年の流行語大賞のノミネート候補には、必ずといっていいほど、IT業界からは、なにかしらの言葉がエントリーされている。気持ちは早いが、来年もIT業界から流行語が登場することを願いたい。

 ところで、最近、IT業界や、デジタル家電の分野でよく使われている言葉がある。

 それは、「垂直立ち上げ」という言葉である。

ソニーも、新ブランド「BRAVIA」の製品説明で垂直立ち上げの言葉を使用

 デジタル家電メーカーのマーケティング担当者をはじめ、IT関連の生産工場、事務機器の販売会社、そして、リレーショナルデータベースやサーバーといったエンタープライズ製品を取り扱うシステムベンダーやシステムインテグレーターからも、この言葉を聞くようになっている。さらに、最近では、経営者からも「垂直立ち上げ」の言葉がよく聞かれるようになった。まさに隠れた流行語大賞だといっていい。

 だが、その意味が、使う人や、使われる分野において、微妙に違っていることに気がつく。

 生産現場では、一気に生産数量を増大させることを垂直立ち上げといっているし、販売会社では一気に売り上げを倍増させることを指している。そして、サーバー製品分野では、発売時点で、製品を取り扱うパートナー会社を一気に増加させたり、先行導入事例を発売時点である程度取り揃えることを、垂直立ち上げと称した。

松下電器産業パナソニックマーケティング本部長の牛丸俊三常務役員

 新製品発売時点に、垂直に立ち上がることのすべての事象や取り組みを捉えて「垂直立ち上げ」と表現されているのだ。もともと垂直立ち上げという言葉は生産現場などではよく使われていた。だが、いまではそれが幅広い意味で使われている。

 垂直立ち上げを広い意味で使われるようになったのは、どうも松下電器が、V字回復の際に、取り組んだマーケティング手法に、この言葉を用いたことが発端となっているようだ。同社で「垂直立ち上げ」という言葉を最初に使ったのは、パナソニックマーケティング本部長である牛丸俊三常務役員である。


今年9月のLUMIXによる垂直立ち上げ

 2001年10月に発売したデジタルカメラLUMIXで実現したマーケティング手法が、その発端となっている。この時の垂直立ち上げのゴールは、「発売7週間でトップシェアをとる」というものだった。

 松下電器は、この実現に向けてマーケティングの手法を大きく変え、その象徴的な表現として、「垂直立ち上げ」という言葉を用いたのである。



■ 「製品に最も魅力があるのは発売日」

 実は、それまでの松下電器のマーケティングは、垂直立ち上げという言葉とはほど遠いものだった。その仕組みに留まっていたのは、松下電器が従来敷いていた事業部制の弊害だったといっていい。

 製品開発部門から、広報や宣伝、販促部門へと情報が伝わるのは、新製品発売のわずか数か月前。そこから準備を進めるわけだから、発売時に万全の体制が整っているとは限らなかった。年末商戦であれば、その商戦のピーク時にあわせて、販促材料が整えばいい、あるいは広告が打てればいいという考え方もベースにあったのだろう。発売日というのはあまり重視されなかったといってよかった。

 だが、この仕組みは決してプラスには働かない。牛丸本部長は、「製品に最も魅力があるのは、発売日だ」という表現をする。

 製品が発売されたあとは、それが人気製品であれば、必ず対抗製品が出てくる。結果として、発売日から数週間、数か月経つと、技術的に先行した魅力や、的を射た先進的なアイデアも薄れる。そして、最終的には、他の製品のなかに埋もれていってしまう。製品発売日こそが、その製品が、最も先進的な技術を持つ製品、的を射た製品と認知され、ほとんど値引きをすることなく販売できるのである。

 だが、従来の仕組みでは、発売数週間後にようやく認知度が高まり、それを知ってお客が店頭に出向くと、対抗メーカーから製品が出されて性能や価格面で比較されたり、他の製品になかに埋もれてしまうということが起こる。結果として、認知度を高めた時には、製品的な魅力が薄れ、売れ残った製品を作りやすい。そして、最悪のケースは、その処分のために販促支援金を支払って、処分価格で売りさばくという負のスパイラルに入ることになる。

 この手法を是正したのが、「垂直立ち上げ」のそもそもの発端なのである。松下電器の垂直立ち上げとは、発売日に認知度のピークを最高点に持っていき、そこで、一気に販売数量を増加して、短期間にトップシェアを獲得するというものだ。

 つまり、製品が最も魅力的な時期にユーザーに対する認知度を高めておき、同時に、販売店に製品を展示し、潤沢な供給量によって、販売数量を増やし、そしてトップシェアを獲得する。これこそが、本来の「垂直立ち上げ」なのである。

 そして、値引きもしない、あるいは値引き幅が少ない形で製品を販売でき、販促支援金の投資も少なくて済むことから、収益性でも大きなメリットが出るというわけだ。

 この数年の間に、松下電器が収益性を大幅に改善したのは、この垂直立ち上げの効果抜きには考えられないといえよう。今や、松下電器社内では、この垂直立ち上げを進化させた、「超・垂直立ち上げ」という言葉が使われ、発売後3週間でのトップシェア獲得を目指すプロジェクトも頻繁に行われているのである。

 だが、この垂直立ち上げを実現するためには、企業体質の転換が必要であった。まず、バラバラだった製品開発や生産部門、調達部門と、広報、宣伝、展博(イベント担当)、販売促進などが一体化して動く必要がある。それを実現したのは、中村邦夫社長が、「破壊と創造」によって取り組んだ、事業部制の解体が前提となっている。

 この事業部制解体を背景に誕生したマーケティング本部の存在によって、製品開発の段階から、広報、宣伝、販売促進など、主要な部門が会議に参加し、議論することで、情報の共有化とともに、最適なタイミングと、最適なターゲットを捉えた施策を、早期から企画立案できるというわけだ。

 もちろん、裏を返せば、発売日に向けて一糸乱れぬ形で、すべての部門が連携することが前提となる。ひとつでもこれが崩れれば、発売日からの垂直立ち上げは不可能となるのだ。

 その仕組みづくりと、意識の徹底、緊張感を持った一糸乱れぬ部門間の連携が、垂直立ち上げを実現しているのだ。



■ 本来の垂直立ち上げとは?

 松下電器は、この発売日以外に、もうひとつ、一糸乱れぬ仕掛けが必要とされる施策を用意している。

 それは、社内で「一夜城」と呼ばれるものだ。

トリノオリンピックをテーマにした店頭展示

 豊臣秀吉の一夜城になぞらえたこの呼称からも想像できるように、一夜城作戦は、製品発売前に、販売店に新製品を一気に展示する施策のことを指す。年末商戦向けにも、10月末に、店頭展示をトリノオリンピックを題材としたものに一新したが、これも全国の家電量販店および専門店の8,500店舗において、一斉に店頭展示の変更が行なわれたのである。

 松下電器は、この一夜城作戦の決行を前に、販売店への情報提供や製品説明といった教育施策のほか、販促資料などを配布するなどの準備を万端に進め、さらに作戦決行にあわせて、テレビや雑誌、新聞、インターネットなどへの広告を一気に掲載。同時に、各種情報提供も積極的に展開する。


一夜城作戦の様子

 これによって、テレビや雑誌で松下電器の広告を見たユーザーが、店頭に来店しても、その場で実際の展示品を見ることができるとともに、店員がしっかりと製品説明ができ、パンフレットやカタログなどを配布できる環境を作っておくのだ。

 これが、垂直立ち上げにつながる、仕込みのひとつとなっているのである。

 IT業界やAV機器メーカーの間で流行語となりつつある「垂直立ち上げ」という言葉は、いろいろな場面で使われ始めているが、松下電器がいう「垂直立ち上げ」とは、こうした綿密なマーケティング戦略がベースとなっていることを知っておくべきだろう。


□松下電器のホームページ
http://panasonic.co.jp/
□関連記事
【10月28日】松下、第2四半期はAVC/家電が過去最高の利益率
-中村社長「‘08年には、1インチ5,000円のPDPを」
http://av.watch.impress.co.jp/docs/20051028/pana2.htm
【8月1日】明暗を分けた、ソニーと松下のテレビ事業の実態
-ソニーの復活を最も期待しているのは誰か?
http://av.watch.impress.co.jp/docs/20050801/ps.htm

(2005年11月29日)


= 大河原克行 =
 (おおかわら かつゆき) 
'65年、東京都出身。IT業界の専門紙である「週刊BCN(ビジネスコンピュータニュース)」の編集長を勤め、2001年10月からフリーランスジャーナリストとして独立。BCN記者、編集長時代を通じて、15年以上に渡り、IT産業を中心に幅広く取材、執筆活動を続ける。

現在、ビジネス誌、パソコン誌、ウェブ媒体などで活躍中。PC Watchの「パソコン業界東奔西走」をはじめ、Enterprise Watch、ケータイWatch(以上、インプレス)、nikkeibp.jp(日経BP社)、PCfan(以上、毎日コミュニケーションズ)、月刊宝島、ウルトラONE(以上、宝島社)、月刊アスキー(アスキー)などで定期的に記事を執筆。著書に、「ソニースピリットはよみがえるか」(日経BP社)、「松下電器 変革への挑戦」(宝島社)、「パソコンウォーズ最前線」(オーム社)など。

[Reported by 大河原克行]


00
00  AV Watchホームページ  00
00

AV Watch編集部av-watch@impress.co.jp
Copyright (c)2005 Impress Watch Corporation, an Impress Group company. All rights reserved.