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第322回:鈴木慶一×曽我部恵一のサラウンドSACD誕生まで【後編】
~ 2chのマスターをベースに5.1ch音場を構築 ~



 前回の記事では、鈴木慶一氏ご自身に先日発売されたサラウンドを含むアルバム「ヘイト船長とラヴ航海士」(品番:MHCL-10089、3,000円)の制作に関して伺った。

 今回は実際にミックスを担当したレコーディング・エンジニアの原口宏氏、そしてマスタリングを担当したソニー・ミュージックコミュニケーションズのマスタリングエンジニア、茅根裕司氏の2名に今回のアルバム作りに関して、使用した機材や手法なども交えて伺った。

鈴木慶一氏 ヘイト船長とラヴ航海士



■ 2chのマスターに様々なエフェクトをかけて5.1ch音場を構築

藤本:まずは、原口さんにお話しを伺います。原口さんは、もともとどのような経緯で、今回のアルバム制作に参加されたのですか?

レコーディング・エンジニアの原口宏氏

原口:鈴木慶一さんから、SACDのマルチを頼む、という話をいただいたのがスタートです。ご存知の通り、今回はプロデューサーとして曽我部恵一さんが入っていて、アナログ盤的なサイズ、つまり46分にしようという話になっていたのです。それをSACDのハイブリッドで出したいといったら、ソニーミュージックのSACD担当から、それなら5.1chも入るよという話がきて、それならトライしてみようということになったのです。もともと慶一さんは5.1chにとっても興味を持っていましたからね。

藤本:一方で、モノラルのアナログLPも出すなど、最終的なバリエーションもかなり豊富になっていますよね。

原口:そうですね。CDのステレオ、SACDのステレオ、SACDのマルチ、そしてモノラルのLPと4種類ありますが、それぞれ出しているソースが違っているし、ソースごとにミックスが違うんです。そしてLPとCDは曽我部さんが主に担当し、マルチが慶一さんという役割分担となっていて、マルチの現場も慶一さんだけが立ち会う形になっていました。

藤本:実際、どのように作業を進めていったのですか?

原口:最初に慶一さんから話があって、すぐにデモテープを聴きました。ただ、5.1chの作業をしてくれというだけで、そんなに細かい指示もなかったんです。音響的な処理を中心にして、多少リミックスっぽくすることも考えられるかな、という程度の指示です。音を聴いてみると、曽我部さんがもうかなり音作りをやっていて、完成度の高い状態になっていました。エフェクトがすでにかかっているトラックが7割程度あり、一旦カセットテープを通したアナログ的な曽我部さん流の味付けがされているんです。

藤本:曽我部さんはProToolsを使っているんですよね

原口:そうですね。私のほうはDigital Performerで作業するため、ProToolsのトラックを1本ずつAIFFで取り込んでいきました。もっともトラック数的には1曲平均20本程度であり、それほど膨大なものではありませんでした。編集も進んでいました。2chのほうは曽我部さん側でミックスが終わっていて、私の手元に来た時点では最終形が確立されていました。サラウンド作りはいろいろな方法があるけれど、今回はすでに音が作られていて、いい状態の2ミックスがあるので、この2ミックスを崩さないように作業していきました。

藤本:それは普通とはかなり違うのですか?

原口:普通のリミックスは再構築のため、一旦すべてを崩すことが多いけれど、今回は崩すというよりも元の2ミックスに足していこうと思って、5.1chの音場を作っていきました。また普通は素材の音だけを使って、定位とかを変えて作っていきますが、そうするにはもったいない。そこで今回は音響、つまりエレクトロニカという切り口があったので、20トラックにエフェクトをかけていったんです。それこそさまざまなエフェクトを試してみました。

藤本:たとえばどんなエフェクトなのですか?

原口:基本的に全部プラグインを使っていますが、DigitalPerformerの標準のものからフリーウェアのプラグイン、さらにCyclling '74のPluggoとか……。プログラミングまではしないから、MAX/MSPなどまではやらないけれど、いろいろと試しましたね。

原口氏がミキシング作業を行なった、ソニー・ミュージックのサラウンド対応スタジオ

藤本:普段からこうした仕事は多いのですか?

原口:いいえ、普段の仕事とはまったく違いますね。映画用のサラウンドはやりますが、それは、そんなに5.1chの音場を意識しないし、リアスピーカーを積極的に使うことはあまり考えません。これまで、こんなアプローチの仕事をしたことはないですよ。

藤本:今回の作品、聴いてみると、確かにリアからの音はいろいろ出ていますが、メインの音はあくまでもフロントからという構成になっていますよね。

原口:単純にリズムの定位やベースの定位を変えると音楽として崩れちゃうんです。聴く人の環境で情報が変わるので、ビート感やスピード感が崩れてしまう可能性が大きいのです。だから定位自体を変えることは、録りの段階から考えないといけないから、ポップスではつらいですね。前の音場が重要で、そこから動かすと芯がなくなる。だから映画のダビングエンジニアのようにSEを足すという手法をとったわけです。

 このエフェクト処理に関してはフルに5.1chの音場を活用するため、効果的なプラグインを厳選しています。あらかじめ慶一さんから単純にリバーブで広げるような処理は避けたいという指示もあったので、プラグインの選択は非常に難しいものでした。ディレイをはじめ、ハーモニクス、フィルタ、グラニュラー、オートパンなどをさまざま組み合わせて効果を作っています。

藤本:ボーカルはセンターに定位していますが、聴いてみるとフロントの左右とセンターのスピーカーからも音が出ていますよね。センターの出し方としては、この3つを使う方法とセンターを使わず左右を使う方法などがありますが、3つのスピーカーを使った理由というのはどこにあるのでしょうか?

原口:比較的安いサラウンドシステムを使って聴く人が多いだろうという想定からこのようにしています。ご存知の通り、市販の多くのサラウンドシステムでは、小さなサテライトスピーカーを使っているため、これで音楽を聴くのはキツイ。だからセンターが重要で、センターなしにはしっかりした音を出すことができません。LとRを均一にセンターに送ること、そしてセンターとサブウーファーだけで成り立つかということを念頭にミックスしているんです。

藤本:そのサブウーファーに対してはどのようにしているのですか?

原口:実は、サブウーファー用のトラックも特に低音用のトラックとして構成したわけではないんです。つまり、高い音まで含めた普通のトラックとして構成しています。結果的には低音が出るわけですが、その出方はリスナーのシステムによってかなり大きく異なります。なので、どんな音が出るかはそれぞれの再生側のシステムに任せようという考え方なのです。


■ マスタリングでは低音を強めに

ソニー・ミュージックコミュニケーションズのマスタリングエンジニア、茅根裕司氏

藤本:こうしてミックスした音を茅根さんのほうで、マスタリングしていくわけですよね。茅根さんの作業はどのような流れになっていたのですか?

茅根:順番としては5.1chマルチの前にSACDのステレオのほうから取り掛かっています。すでにCD用のマスタリングをM'sディスクマスタリングの滝瀬真代さんが行なっていたので、そちらは少し聴かせて頂きました。CDは1/4"のアナログテープで行なっていたのに対し、こちらは通称“銀箱”と呼ばれるSONY K-1326のA/D、D/AをTASCAM DV-RA1000に繋ぎ、DSDで録ったDVD+RWが素材です。マスタリングでは、SONY K-1326のD/Aを使って音を出し、アナログのコンプ、EQを通して再びSONY K-1326のA/Dを使用しSONOMAに録るという形でマスタリングを行なっています。

通称“銀箱”ことSONYの「K-1326」

 曲間はCDとピッタリ合わせているのですが、CDのほうが全体で1秒くらい遅くなっているんです。これはテープのスピードの問題でしょうね。ただ慶一さんが、CDと合わせたいというので、結構大変な作業でしたが、うまく合わせこみました。

 この2chのSACDとCDでは音量レベルが結構違います。CDはかなりレベルが高く入っていましたが、SACDはそんなに入れていません。DSDではピークを3dB高く取れますが、PCMの0dBにあわせる程度にしています。一方、EQは曲によっては結構かけています。慶一さんとは、これまでも何度か一緒にやっていますが、低音はやや多めが好きなので、特にその辺をいじっています。

藤本:その2chの作業が終わってからマルチに取り掛かったわけですね。

茅根:そうです。マルチのほうはEQはそれほど使っていません。特に低音に関しては各チャンネルのEQをいじるよりサブウーファーで強めればいいだろう、ということで、いただいた素材をわりとそのまま使っています。一部、慶一さんの要望で上を持ち上げたものもありますが……

 ただ、サブウーファーのレベルは、3dBから4dB、曲によっては6dB上げたものもありますね。ドルビーデジタルのDVDビデオは再生時にサブウーファーを10dB持ち上げますが、SACDの場合はそうならないこともあって、少し強めているんです。

藤本:マルチのほうは、原口さんのDigital Performerで作業していたということでしたが、その後データ的にはどうコンバートされているんですか?

茅根:こちらの手元にはSD2のオーディオファイルが6chで来ていたので、ProTools HDで再生し、Lavry Engineeringの4496というDAで音を出しています。これをSONYのDSDX-202という8chのADを使ってSONOMAに入れています。

Sonoma

 ちなみにEQはProTools側でWAVESのRenaissance Equalizerを使いましたが、位相のずれを防ぐために全チャンネルに同じEQをかけています。2chの感覚で上げ下げをすると、2~3倍の変化があるので、ほとんどが0.2dBなどのわずかなEQでしたね。

藤本:編集作業はSONOMAを使うのですか?

茅根:SONOMAでのマルチチャンネルの編集はしづらいので、素材がPCMだったこともあり、ProTools側でカットアウトやクロスフェード処理、またサブウーファーのレベルアップなども行ないました。サブウーファーのトラックに普通にボーカルがいたのは、ちょっと面白かったですけどね。

藤本:ありがとうございました。


■ mora winで収録曲のうち4曲を有料配信。試聴も可能

 2回にわたるインタビュー記事で、「ヘイト船長とラヴ航海士」というアルバムのサラウンドについて興味を持った方も多いと思うが、実は4月9日から「ヘイト船長とラヴ航海士」のうちの4曲が5.1chサラウンドで配信されはじめたのだ。有料でのサラウンド配信は、おそらく国内初ではないだろうか?

 具体的にはmora winでの配信で「おー、阿呆船よ、何処へ」、「夢のSpiral」、「偽お化け煙突」、「Love & Hate」の4曲。いずれも210円とステレオのデータと同じ価格での配信となっている。mora winなので、フォーマットはWindows Media Audioなのだが、サラウンドであるためWMA Professionalとなっている。正確にいうとWindows Media Audio 10 Professionalの256kbps、24bit/48kHzの5.1chでエンコードされている。

 またポータブルデバイスへの転送や2chの通常CDの作成についてはWindows Vista(32bit版)のWindows Media Player11を使った場合のみ可能になるとのことだ。

 なお、この5.1chサラウンドのデータは試聴も可能なので、環境が整うのであれば、ぜひ一度試してみることをお勧めしたい。



□鈴木慶一氏のホームページ
http://www.keiichisuzuki.com/top.html
□製品情報
http://www.sonymusicshop.jp/detail.asp?goods=MHCL-10089
□関連記事
【4月7日】【DAL】鈴木慶一×曽我部恵一のサラウンドSACD誕生まで【前編】
~ 鈴木氏「画を想像させる音を大量に入れ込んだ」 ~
http://av.watch.impress.co.jp/docs/20080407/dal321.htm

(2008年4月14日)


= 藤本健 = リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。
著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。また、アサヒコムでオーディオステーションの連載。All Aboutでは、DTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。

[Text by 藤本健]


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