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本田雅一のAVTrends

最高品質を求めたBD版「パイレーツ」制作の裏側【後編】
~ ディズニーがDIマスターを初蔵出し ~
 H.264エンコーダもパイレーツに最適化




 前編に続き、Panasonic Hollywood Laboratory取材後編では、PHLで業務用H.264High-Profileエンコーダのアルゴリズム開発を行ないながら、実際の映像圧縮も研究の一環として行なっているPHL副所長、柏木吉一郎氏のコメントを交えながら、パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズBD版の画質について迫っていきたい。

PHL副所長 柏木吉一郎

 と、その前に本題に入る前に柏木氏がどのような人物かを簡単に紹介しておきたい。

 同氏はもともとMPEG-2エンコーダの高画質化について、映画スタジオ側と具体的にどのような画質を求めているのかを聞き取りながら、アルゴリズム改善を行う研究員として松下電器からPHLへと派遣された人物だ。

 その後、高解像度のHDコンテンツとH.264 Main Profileの組み合わせで、なぜ高画質にならないかを研究し、その原因を突き止めて動き予測のマクロブロックサイズ拡張や量子化マトリックスの追加といった高解像度映像向けに改良を施したHigh-Profileの提案を行なった。現在、PHLで使われているH.264 High-Profileエンコーダは、こうした高解像度コンテンツの高画質圧縮研究から生まれたものを発展させ業務用に転用している。

 このように高画質化というテーマで研究・開発を行なう立場で、現在も若手の研究員を指揮しながらエンコーダの改良を続けている同氏だが、同時にAA級タイトルの圧縮作業も柏木氏自身が行なっている。実際に最新の映像マスターに適した高画質化を、エンコーダのアルゴリズムにフィードバックしながら、時にはエンコーダのソースコードを修正しながら高画質化を行なうことで、さらにエンコーダを洗練させるためだ。

 そんな柏木氏のパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズにおけるエピソードとは?



■ 初めてオリジナルデータのDIマスターを蔵出し

 パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズに限らず、どんな映像ソフトも元の画質が良くなければ、高画質なディスクとはなり得ない。どんなに丁寧に圧縮したとしても、オリジナルの情報からは多少なりとも情報は失われるからだ。

パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト
(c)Disney.

 つまり、より良いマスターをいかに受け取るかも、高画質ディスクを作るための条件と言える。もしくはフィルムからマスターを作るトランスファー(変換)作業を請け負っているならば、より鮮度の高いオリジナルに近い世代のフィルムを入手できるかどうか、トランスファーをどこまでチューンするかといった要素も関わる。

 しかし、PHLにはフィルムトランスファーを行なう設備、技術者はいない(以前、DVCCという組織には存在していた)ため、映画スタジオ自身がどんなマスターを持ち込むかで、基本となる画質が決まってくるわけだ。

 通常、下請けで圧縮作業を行なう業者ならば、受け取ったマスターはそのまま使わざるを得ないことがほとんどだが、PHLに持ち込まれるタイトルは、そもそも高画質化を求めている場合が多いため、作業スケジュールと突き合わせながら、映画スタジオ側に改善を求めることもあるようだ。

 パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズのマスターに関しても、同様にマスターの画質評価を経てから、作業が開始されている。

 「“2”のマスターを受け取ったのが2月末、“1”はその半月後でしたが、いきなり圧縮作業を行なったのではなく、最初にどのレベルのデータをマスターとして使うのか、実際にエンコーダを通して画質を評価する実証試験から始めました」(柏木氏)。

 通常、ポストプロダクションスタジオに渡されるマスターは、D5あるいはHDCAM-SRのいずれかのフォーマットが使われる。いろいろなスタジオの機材を見て回っていると、4:2:2ピクセルフォーマットで1/5にデータ圧縮を行なっているD5マスターを用いることがもっとも多いようだ。

 しかし、最近はDI(Digital Intermediate)という編集プロセスが主流になってきており、映画スタジオはDIマスターという特別なマスターも所有している。DIはオリジナルの撮影ネガ/ポジをコマごとにスキャンし、中間の複製フィルムを一切作らず、デジタル領域で編集を行なう手法だ。パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズは1、2ともにDIで制作されている。DIは光学的なフィルムのコピーを行なわないため、フィルムグレインが成長せず、非常に細かなファイングレインのフィルム粒子がそのまま残るほか、精細感が編集過程で落ちないなど画質の面でも良いとされている。DIマスターならば、劇場公開用に映画スタジオがありったけの技術を注ぎ込んで制作したままの画質を得られるわけだ。

 その一方で、DIマスターは映画スタジオによって厳重に管理されている。全く劣化していないオリジナルの絵、そのままが入った生データなのだから当然だろう。特にディズニーは作品の保管倉庫のセキュリティが厳しいことで知られている。

 上記のように、D5とDIマスターのどちらが良いかを評価するまでもなく、DIマスターを蔵出しすることは議題にさえ上がらない。しかし、この点に関しては「ディズニー側の評価担当者がこだわり、社内にあった反対意見を抑え込んでくれた」と柏木氏は振り返る。

 今や超一流のプロデューサー、ヒットメーカーとして大御所になったジェリー・ブラッカイマー氏が、代表作として高画質な作品に仕上げることに拘っていたからだという。ジェリー・ブラッカイマー氏の作品は、契約上、氏の許可がなくてはパッケージ化できない。

 「共同での評価の結果、D5に変換するとほんの少し甘くなり、HDCAM-SRはシャープさはキープするもののマスター自体にブロックノイズが含まれており、圧縮によりさらにノイズが増えることが分かりました。それに対して、DIマスターから圧縮した方がクセがない。最終的にブラッカイマー氏がDIマスターで行くことを決定し、初めてオリジナルの映像資産を蔵出しすることが決まったのです」(柏木氏)。

 実際のDIマスターは2Kフォーマットの4:4:4、16bit階調だが、エンコーダに入れるフォーマットは4:2:2の8bit階調であるため、カラーフォーマットだけを変換したDIマスターがPHLへと搬入され、それをそのまま圧縮した。



■ 従来にない高精細マスターに合わせてエンコーダをチューニング

 かくしてPHLにやってきたパイレーツ2のDIマスターは「画面全体でシャープさを演出しているのではなく、ひとつひとつの画素に情報が宿る、すさまじいまでの精細さ」(柏木氏)だった。実はその半月後に届いたパイレーツ1のDIマスターは、一般的なレベルで言う“シャープで情報量の多い”マスターだったそうだが、2は常識外れに細かく「そのまま圧縮すれば、間違いなくブロック歪みだらけになる」と柏木氏は直感したという。

 しかも、パイレーツ・オブ・カリビアンは音声データも、マスターそのままの24bit/48kHzサラウンドトラックを非圧縮で収録することが決まっていた。BDは映像と音声のストリームをTS(トランスポートストリーム)で収録するため、全音声トラックとサブピクチャの転送レートを、ディスクの転送レートから引いた数字しか映像に使えない。

 今回の場合で言うと、54Mbpsのメディア転送レートのうち、映像で利用できるのは34Mbps。加えて特典映像やゲームなどに容量を費やす予定があったため、平均ビットレートも20Mbpsと1層BD並の容量しか使えない。

 ではどう対処したのか?

 「これまでも高画質なマスターに合わせて、様々な改良を施してきましたが、今回は画質を決定づける“キモ”となるパラメータである量子化マトリックスのテーブルを、超精細感な素材専用に、約1週間を費やして作り直しました。空間の周波数が高くなるとブロック歪みが出やすくなりますが、精細感とブロック歪み出現のバランスを最適化しています」。

 そう柏木氏は“サラッ”と話しているが、量子化マトリックスを作成する作業は、言うほどに簡単ではない。輝度分布や彩度分布、映像内を構成する被写体の並びなどのパターンを把握した上で、シーンごとに適したマトリックスを作らなければならない。

 柏木氏によると、これまではマスター内に高周波成分が少なかったため(フィルムソースのマスターでは、我々の目では高精細と見えても、近くでピクセルの並びを見るとさほど高周波ではないことが多い)、低域から中域を安定させるマトリックスを使っていたという。これはおそらく、時間軸方向での絵の安定感を狙ったものだろう。PHLのエンコードは他のエンコードに比べ、うねるような輝度や色の不安定さがなく、落ち着いたいかにもフィルムっぽい映像になる。

 しかし、この設定をさらに追求し、中高域までの特性がきれいに出るよう調整した上で、低域にバサバサとした“うねり”が出ないギリギリのバランスを取ったマトリックスを設計した。多くのH.264エンコーダが、ISOリファレンスのエンコーダが持っている量子化マトリックスをそのまま使っているというから、今回のチューニングはH.264エンコーダ開発者である柏木氏ならではの手法だ。

 さらに「詳細は秘密」とのことだが、エンコーダのソースコード自身にも手が入っている。ISOリファレンスのエンコーダに必要精度が出ていない部分を発見し、その部分の演算精度を向上させたという。この改良が重要なのは、エンコード処理パイプの最初の方にある演算を改良したことだ。後段のすべての演算で誤差が積み重なるため、最終的なエンコード結果に大きな差が生まれるという。これにより、従来よりも精細感や色の再現性が向上し、見た目にもハッキリとわかる画質向上を引き出した。

 「これまで、なぜ画質が変化するのか。理屈に合わない現象があり、不思議に思っていた部分が、これで解決されています」(柏木氏)。

 もっとも、エンコーダの改良だけでできる範囲は限られている。ピーク34Mbps、平均20Mbpsという条件の下では、ひたすらにシーンごとのチューニングを根気よく行なわなければ画質を維持できない。

 今回は特に入念に……たとえば、引きのシーンと発言する俳優のアップが交互に繰り返され得るシーンなど……、細かく、ひたすら細かくシーンを切り分け、それぞれにパラメータの最適値を与えたと柏木氏。

 そうした作業ができるのも、柏木氏がH.264 High-Profileのパラメータ変更による振る舞いを、実際のエンコーダ内部の動作にまで立ち返りながら予測できるからだ。絵の特徴を見ただけで、最適なパラメータを思いつけるようでなければ、そんな細かなチューニングなど施しようがない。

 では、その成果を見てみようということで、PHLの評価シアター(クリスティデジタルの業務用2Kデジタルプロジェクタで380インチ相当の投影)を用い、ディズニーの許可を得た上でDIマスター、D5映像、それにH.264圧縮後の映像を評価させていただいた。



■ DIマスターに近似した印象の映像を見事獲得

 さて、まずDIマスターとD5の比較から。

 おそらく「D5は、非圧縮のDIマスター比で画質が劣化している」と書くと、目がおかしいんじゃないか? と声を挙げる映像制作関係者がいるかもしれない。しかし、あえて言うが、D5とDIマスターの違いは比較的ハッキリと認識できる。

 D5は全体にやや輪郭が甘くなり、フィルムグレインのパターンがオリジナルとは異なって見えるのだ。果たして“画質劣化”と言うべきかどうか迷う程度の差だが、違いはある。特にグレインのパターンが変化しているのは小さな驚きだった。

 そしてH.264による圧縮後の映像。DIマスターに比べると、ほんの少しだけ甘くなり、ソフトな質感と感じたが、特筆すべきはフィルムグレインのパターンがオリジナルと酷似していることで、“この点だけ”で言えばD5よりもオリジナルに近い。加えてMPEG-2にはありがちな、GOP単位ではためくような繰り返しパターンも見えない。さらさらと粒子が淀みなく流れるような感じだ。

 さて、次にパイレーツ1と2のマスターの違い。

 両作品は制作年度が異なるため、DIと言えどもマスターの品質や特徴は全く違って見えた。“1”はハリウッドでも最初期のDI制作コンテンツであり、また“1”のヒットによって“2”に多くの予算を配分できたこともあってか、情報量は圧倒的に“2”の方が上だ。

 “1”のDIマスターは輪郭がやや太く見え、よく見ると軽くリンギングが出ているのがわかる。寄りのシーンでは気にならないが、引きのシーン、たとえばジャック・スパロウの船が沈みながらドックに到着するところなど、ジャックの周囲に縁取りが見えるはず。またフィルムグレインの粒度も“1”の方が粗く、グレインの再現性もやや低い。

 これに対して“2”のマスターは、見たことがないほど“カリカリ”だ。グレインの粒度が細かく点描画のように見え、部分的にエイリアシング(ジャギー)が出ているように感じるほど。確かに、このままでは平均20Mbpsにはエンコードできなかっただろう。

 ではそれぞれのエンコード映像についてだが、“1”はディテールが深く、DIマスターが持つ深い陰影、細かな凹凸が見事に再現されている。DIマスターに乗っているノイズはやや落としているようだが、精細感や絵の特徴(ノイズパターンや雰囲気)はそのまま。

 “2”はDIマスターに比べるとややソフトになっているが、グレインの出現パターンはオリジナルに近似。ディテールの深さは若干落ちており、たとえば肌の再現はややヌルリと舐めたように見える。DIマスターとの差という意味では“1”の方が再現性は高い。ただし、元のDIマスターにある情報量は“2”の方が遙かに多いため、双方のエンコード映像を比較すると“2”の方がキレイだと感じる人が多いはずだ。

 なにより“2”のDIマスターは、輪郭描写がスッキリと細く仕上がっており、“1”のような縁取りは微塵も存在しない。エンコードではリンギングは発生しないため、マスターの良さはエンコード後の画像にもストレートに反映されている。

 また、太陽に照らされてギラギラと光る水面や降り注ぐ雨のシーン、それに煙や霧といった、MPEG系の圧縮ではブロック歪みが目立ちやすいシーンでも、ほとんどブロック感を感じさせない。静止画として見た時の歪みやノイズだけでなく、動画として時間軸を持った映像として見た時にも安定した質感が維持されている点も見事だ。

 HD DVDも含め、現時点でもっとも高画質なソフトに仕上がっていることは間違いない。ただ、平均20Mbpsという数値がもう少し高ければ、もっと高画質になっただろうという気持ちもある。これはおそらく柏木氏自身も感じていることだろう。

 もし平均であと5Mbpsほど与えることができていたなら、“2”のDIマスターが持っている200万画素としてはギリギリとも言える精細感も実現できていたはずだ。

 現時点において、“2”の画質はマスター、圧縮トータルで100点満点で95~98点を付けられるデキだが、あるいは“3”にもDIマスターが搬出されるのであれば、そして今回の反省から映像に25Mbps程度を与えられるなら、その時こそは本当の意味で“マスタークオリティ”に近い映像を入手できるだろう。

 シリーズ最終作も、年内にBD版が発売される予定。その“3”も、おそらくはPHLと 柏木氏が圧縮を担当することだろう。そのときには、当然、“2”よりも上を期待で きるはずだ。


□Buena Vista Home Entertainmentのホームページ(英文)
http://www.bvhe.com/
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(2007年5月24日)


= 本田雅一 =
 (ほんだ まさかず) 
 PCハードウェアのトレンドから企業向けネットワーク製品、アプリケーションソフトウェア、Web関連サービスなど、テクノロジ関連の取材記事・コラムを執筆するほか、デジタルカメラ関連のコラムやインタビュー、経済誌への市場分析記事などを担当している。
 AV関係では次世代光ディスク関連の動向や映像圧縮技術、製品評論をインターネット、専門誌で展開。日本で発売されているテレビ、プロジェクタ、AVアンプ、レコーダなどの主要製品は、そのほとんどを試聴している。
 仕事がら映像機器やソフトを解析的に見る事が多いが、本人曰く「根っからのオーディオ機器好き」。ディスプレイは映像エンターテイメントは投写型、情報系は直視型と使い分け、SACDやDVD-Audioを愛しつつも、ポピュラー系は携帯型デジタルオーディオで楽しむなど、その場に応じて幅広くAVコンテンツを楽しんでいる。

[Reported by 本田雅一]


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AV Watch編集部

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