PHLにおけるMPEG-4 AVC/H.264エンコーダ開発の今 日本のアニメ最適化にも取り組みたい 筆者が米ハリウッドにあるPanasonic Hollywood Laboratory(PHL)を初めて訪問したのは2003年1月のことだった。当時、松下電器は高画質タイトルの製作ノウハウを地積するため、ポストプロダクションスタジオのDigital Video Compression Center(DVCC)を保有するとともに、映画スタジオの意見を取り入れながら高画質化やデジタルコンテンツのインタラクティビティを高める研究を行なうため、PHLが活躍していたのである。 その後、PHLにはかれこれ7回ほど訪問しているが、今回の訪問はその最新状況を探るためのもの。映画会社を訪問し、フォーマット戦争後の映画パッケージソフト製作についても取材した。 数回にわたってこの連載の中で様々な話を書いていきたいと考えているが、初回はハリウッド界隈でも知らぬものがいないという、高画質映像圧縮技術の世界的なエンジニアであるPHL副所長・柏木吉一郎氏に、超高画質エンコーダとして知られ、日々進化を続けているPHLのMPEG-4 AVC/H.264 High-Profileエンコーダの最新状況、それに日本で増え始めているアニメコンテンツの圧縮などについて話を伺った。 ■ 超高画質のPHLエンコーダとは?
柏木氏へのインタビューの前に、筆者がなぜPHLエンコーダにこだわって取材しいるかについて話をしておきたい。 DVD時代からAVファンだった方なら、前記のDVCCという略字に憶えがある人もいるはずだ。DVCCが製作したDVDソフトは高画質であることが広く知られており、最後のスタッフロールの後にはDVCCのロゴが挿入されていた。 代表的な作品としては北米版の「恋に落ちたシェークスピア」や「ムーランルージュ」、それに旧スターウォーズ三部作などがある。残念ながら日本語版は同じものではないようだが、いずれもDVD時代を代表する高画質ソフトだ。 実はこのDVCCエンコーダを開発したのも柏木氏で、PHLに主任研究員として配属後も、細かな改良を施していた。 その柏木氏がMPEG-4 AVC/H.264 Main Profileで圧縮したフルHD映像を見て「MEPG-2より10年以上新しい最新コーデックなのに、MPEG-2よりも低画質なのはおかしい」と考え、1年間の期間限定プロジェクトとし、その後、正式にH.264 High Profileとして規格化される技術を開発したという話は、業界内では特に有名な話である。 今では「H.264なら高画質」というイメージが、ハリウッド界隈だけでなく、日本を含むエンドユーザーにも定着しているが、元々のH.264は携帯電話向けなどに低解像度、低ビットレートを主眼に開発されたもので、フルHD映像の画質は全く考慮されていなかったのである。 幸いなことに、柏木氏がH.264のハイビジョン映像向け画質改善技術の開発・検証を行なった2003年は、H.264 Main Profileこそ正式な仕様がITU-Rから発行されていたが、H.264全体としてはFidelity-Range Extensionという、ピクセルフォーマットをプロ用の4:2:2や4:4:4、あるいは8ビットを超える色深度にまで拡張する仕様の検討が作業として残っていた。 その仕様検討の場に松下電器は柏木氏の提案を持ち込み、実際に映像を比較・検討。すでに民生用の主力エンコード規格として決まっていたMain Profileとは別に、High Profileとして認められることになった。 これは極めて異例なことだった。何しろMain Profileはすでに正式に発行されていたので、いくつかの会社はMain Profileを元に業務用エンコーダやデコーダを搭載した家電向けシステムLSIなどの開発に着手していたからだ。High Profileが高画質なことは、誰の目にも明らかだった、これは大金を投資して開発されるLSIを、誰も買ってくれなくなることを意味している。 標準規格は一度決めてしまうと、次に大きな進歩を遂げた規格を策定するまでは、国際標準の中に盛り込むことが難しくなる。もし、High Profileがギリギリのタイミングで滑り込まなければ、Blu-rayの画質は現在ほど高まることはなかった。 もうひとつ背景を紹介しておくと、実はH.264 High Profileの開発は、Blu-ray対HD DVDというフォーマット戦争の中での自己矛盾を孕む可能性があった。前述したようにMain ProfileはMPEG-2よりも高画質にはならない。筆者自身も比較したことがあるが、高ビットレートならば、むしろMPEG-2の方が情報量や精細感が上回る。そこで松下電器としては、HD DVDよりも60%以上も大容量となるBDの特徴を活かし、MPEG-2での訴求を行なうことにしていた。 ところがMPEG-2よりも低ビットレートで画質が良く、同等のレートならばさらに良くなるHigh Profileを自分たち自身で開発したことで、大容量という特徴を生かせなくなる可能性があった。結果的には高品位なオーディオトラックを複数採用したり、ボーナスマテリアルまでフルHD化するなどのトレンドを経たことで、結果的に大容量+H.264 High Profileという組み合わせが有利に働いたが、開発された当時にPHL所長だった、現・松下電器理事の小塚雅之氏は「圧倒的に高画質になるという事実とフォーマット戦略への矛盾という狭間で悩んだ」と振り返る。 結果的に戦略的な不利を考慮しても高画質化すべきとして、High Profile提案に至ったことは、松下電器の"技術に対して率直"という側面を投影している。 ■ ここ数年で2割以上の符号化効率向上を達成
前置きが長くなったが、こうした高画質化への取り組みは徐々にハリウッド界隈、そして業界全体へと伝搬し、PHLの評価へとつながっているようだ。通常は映画スタジオやその関連会社しか受賞しない、ハリウッド映画業界向けの業界誌で「Blu-ray Discの高画質化への貢献」を現所長である露崎英介氏が表彰されたり、ディズニー・スタジオズ・ホームエンターテイメント社長のボブ・チェイペック氏が、新作BD発表時にPHLへの謝辞を贈るなど、業界内での評価はすっかり定着してきた。 加えて今年は放送業界の発展に寄与した人物や技術に対して与えられるエミー賞を、H.264 High Profileが受賞した。受賞対象はMPEG委員会内のJoint Video Team(JVT)になっているが、対象となる技術の開発がPHLと柏木氏が率いた開発チームによって行なわれたことは、関係者の誰もが認めるところ。 ディズニーのパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズ、発売こそ最近だったもののエンコード自体はかなり前に終えていたアイ・ロボット、昨年のBest Picture Quality Disc賞を取ったファンタスティック4・銀河の危機など、一連の高画質ソフトを生み出したPHLエンコーダは、その後、どのような進化を続けているのだろうか。 「我々のエンコーダが大きく進化したのは、ボーナス満載で本編のビットレートが低かったパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズや、1層ディスクながらシャープなマスターでフィルムグレインが多いX-MENファイナルディシジョンといっったディスクのため、符号化効率を向上させる新しいアプローチを導入していったからです」と柏木氏。 たとえばX-MENなどは、画面に近づいてみると驚くほど細かい粒がランダムに流れるような映像になっていることがわかる。こうした粒子の固まりは、映像圧縮時に多くの情報を必要とし、圧縮率を高めていくと情報の不足がブロックノイズとなって画面を著しく汚す。 このため、ほとんどエンコーダでは、こうした粒子をフィルタで潰してからエンコードする。シネマクラフト製エンコーダなどは、あらかじめフィルタを通すのがデフォルトになっているほどだ。その方が圧縮は圧倒的に楽になり、ブロックノイズも少なくなる。しかし、同時に細やかなディテールや立体感は失われ、素材の描き分けは浅く、全体にノッペリとして精細感のない絵になってしまう。 「我々のエンコーダはプリフィルタを一切使わず、それでいてブロック歪みの少ない映像になるよう開発している。マスター映像の雰囲気を損なわずに家庭に届けるのが目的と考えるからだ。フィルタをかけた映像は、一見、特に小さい画面では"見やすい"映像になるが、しかし、明らかに情報は減ってしまう。せっかくフルHDの時代になり、DVDの6倍もの画素を獲得しているのに情報を減らすのでは、フルHDの意味がない(柏木氏)」 そう考える柏木氏は、今年に入ってからも、いくつもの改善をPHLエンコーダに加えている。たとえば、PHLエンコーダが使っているアクセラレータ(独自に開発したハードウェア)には、まだ使っていない機能がいくつかあるという。それらを使えば、コンピュータ製作のアニメ映像で、ノイズが劇的に少なくなる効果があるという。 「現状でも、最初期に使っていたPHLエンコーダに比べ、2割以上も符号化効率は上がっていますが、ここからさらに10%ぐらいは上げられると見込んでいます。新バージョンのアクセラレータボードも導入予定で、これを導入した時点で一段、上の画質へとステップアップできます。もっとも、符号化効率の数値が重要なわけではありません。より精細な映像を元イメージが持つ雰囲気崩さずに再現できるようになった、つまり感覚的にパッと見た印象で元映像に対する劣化がわかりにくくなったという面の方が進化点としては大きい。さらにビットレートに余裕がある際に、余分にビットレートを上げるとどんどん絵が良くなる、スケーラビリティの高さも意識した開発をここしばらくは行ないました」 PHLは名前の通り、ハリウッド映画スタジオとのコラボレーションが多いが、日本独自のコンテンツによる評価は行なっているのだろうか? もちろん、自然画ならばハリウッドでも日本でも違いはないはずだが、日本ではアニメ……いわゆるジャパニメーションのコンテンツが急増し始めている。これらはエンコーダにとって、通常の映画とは異質なものなのだろうか? 「エンコーダ開発の観点から言えば、あきらかに異質な映像です。特に黒い縁取り線で構成するセルアニメ(あるいはそれに類似した画調)は、黒線の周辺にブロック歪みやモスキートノイズが出やすい。また、べた塗りの領域が広いので、バンディングノイズが出やすく、ベタの部分でブロックが出ると、それが擬似輪郭に見えてしまうといった問題もあります。日本のアニメ向けに最適化すれば、ずっといい絵が出るでしょう(柏木氏)」 では、JVTにおけるH.264の開発において、日本のアニメのような画像を圧縮することを、ある程度は想定していたのだろうか? 「全く想定していませんから、日本のアニメ素材を使った技術の検証も行なっていません。しかし、H.264 High Profileの範囲内で日本のアニメ素材を、今よりも高画質に圧縮できる余地はあります。今後、日本のアニメを高画質化したいというニーズが出てくるならば、それに応じる開発はできると思います」 具体的には日本のアニメ向けに、専用のエンコードモードを作るといったことを考えているという。量子化マトリックスをアニメ向けに最適化すれば、黒い縁取りをバシッとキレよく再現すると同時に、その周囲にノイズや歪みが発生しないようエンコーダを作り込めるそうだ。 筆者はアニメファンではないが、いくつかの作品を見ると、意外にも輪郭がソフトなものが多いように思う。裁ち落としたようにキレのある輪郭ではなく、ややボケたような映像だ。あるいは、ジャギーが目立たないよう意図的にエッジをソフトに仕上げているのかも知れないが、もっとシャープに仕上げた上で、さらにノイズがでないのであれば、それがベストだろう。 「我々はハリウッドに拠点を置いて活動している研究所ですが、しかし、日本の映像製作会社との協業を拒むことはありません。日本にはアニメファンのためのアニメといった分野もありますが、世界的に認められているアニメの名作もあります。日本のアニメ向けにバッチリ最適化したエンコーダの開発にも取り組みたいですね。チャンスがあれば、間違いなく最高のエンコードに仕上げる自信があります。期待してください」 □松下電器産業のホームページ (2008年9月2日)
[Reported by 本田雅一]
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