~ 音に隙間を作れば、圧縮音楽の音はよくなる ~ |
iTunes Music Store |
ついに、日本でもサービスがスタートした「iTunes Music Store」。AV Watchを含め、さまざまなサイトや、新聞、テレビにいたるまで、多くのメディアが報道しているので、その概要はここで触れるまでもないが、Digital Audio Laboratoryとしてチェックしたいのが、その音質。
iPodに最適なMP3の作り方については、いま連載を進めているところだが、iTunes Music Store上では当然AACが用いられている。100万曲用意されているという曲のほとんどは単純にCDからAACへエンコードしているだけだが、中にはAAC専用にマスタリングし、よりよい音を追求している楽曲もある。今回は、まさにiTunes Music Store Japanのオープンに合わせ、専用のマスタリングをしたというエンジニアに、その手法について伺った。
■ AAC専用のマスタリングでデビュー
すでにiTMSへアクセスした、iTMSで曲を購入したという人も多いだろう。また、購入はしていないが、フリーの曲をダウンロードしてみたという人も結構いるのではないだろうか? iTMSの中央付近にある「フリーダウンロード~今週のシングル」というコーナーだ。ここにアクセスすると、HIFANAというアーティストの「WAMONO ~和モノ~」という曲をフル楽曲無料でダウンロードできる。まだの方は、とりあえずタダなので、ダウンロードしても損はないはずだ。この曲をiTMSへ送り込んだ仕掛け人ともいえる会社が、株式会社ライツスケール。日本の小さな会社で、これまでもアメリカのiTMS向けに国内のいろいろな楽曲を持って行った実績がある。
アップルは大手のレコード会社とは直接取引きしているが、インディーズなどとはライツスケールのようなアグリゲーターと呼ばれる会社を通して取引するのが一般的で、日本のiTMSのアグリゲーターとしては現在のところ数社があるという。ライツスケールはそのひとつだ。
株式会社ライツスケール取締役の河原裕人氏 |
同社の取締役の河原裕人氏は「当社はアメリカでの実績があったこともあり、早い時期から日本のiTMSのアグリゲーターとして動くことができました。アグリゲーターというのはiTMSにおける楽曲販売と使用料の管理、分配を行なう業務なのですが、iTMS Japanのオープン前には約1,000曲を送り込むことができました。そうした業務をしている中、今週のシングルへのエントリーという機会を得ることができたため、アップルに対し、いくつかの曲のプレゼンテーションを行なったのです」と、経緯を語る。
そのうちのひとつがHIFANAの「WAMONO ~和モノ~」であったというわけだ。しかし、ライツスケールではそれ以外にも何曲かをプレゼンテーションしており、その目玉が、8月10日~17日に今週のシングルとして無料ダウンロードが可能になるROCK 'A' TRENCH(ロッカトレンチ)というアーティストの「South Wind」という曲。
「当社はアグリゲーターというビジネスを行なっていますが、せっかくのチャンスなので、アーティストをかかえてデビューさせてみようということになったのです。また、インパクトを出すためにもCDではなく、iTMSでのデビューをということで動いたのです。それが結果として今週のシングルに選ばれたというのは、我々にとって本当にラッキーでした」と河原氏は語った。
確かに、インディーズレーベルでのデビューのプロモーションということで考えれば、これほど効果的なものはないかもしれない。iTMSのトップサイトのど真ん中に大きく表示され、膨大な人がダウンロードして聞いてくれるはずなのだから。
「せっかく、iTMSデビューさせるのであれば、マスタリングも専用のマスタリングができないかと以前いっしょに仕事をしたことがあった、オーディオシティーの北村秀治氏にお願いしてみたのです。北村氏は小野リサのマスタリングなどでも知られる著名なマスタリングエンジニアで、圧縮オーディオのマスタリングに対しても豊富な知識を持っておられることから、お願いした結果、快くひきうけていただけました。結果的にAACでもここまで出るのかというほど非常にいい音で仕上がりました。ぜひ、多くの人にそのサウンドを聞いていただけたらと思っています」と河原氏。
ちなみに、この無償ダウンロード期間終了後には有償での販売となる予定だ。ここで興味が出てくるのが、AAC専用のマスタリングとはどんなことをするのか、についてである。そのマスタリングを担当した、北村氏に直接、話を聞くことができた。
■ 圧縮前の音に隙間を作る
藤本:iTunes Music Storeデビューに向けて、専用のマスタリングを行なったということですが、実際の手法についてお話をいろいろ教えてください。
オーディオシティーの北村秀治氏 |
北村:それは企業秘密なんだけどね(笑)。そもそもは、インターネットのラジオ番組というのをやっていて、これをMP3に圧縮したらあまりにも音が悪かったので、これを何とかしようと思ったのがキッカケなんです。いろいろ試してみてわかったのですが、カツカツのレベルのままエンコードした結果と、-3dBに下げてエンコードした結果、さらに-6dBまで絞ってエンコードした結果で、どれもほとんど音量が違わないんです。その辺からも見えてくるのは、リミッターやコンプレッサを使って音をあらかじめつぶすというのは、オーディオ圧縮にとってはよくない、ということですね。
藤本:とはいえ、最近のCDは音圧重視で、かなりコンプレッサをかけたりしていますよね。
北村:もともと、そんな音作りをはじめたのも僕だったんだけど、最近の若いエンジニアがやっているのは、まさにクリップ直前、ギリギリという感じ。こうしたクリップ感のある音は、圧縮すると非常に汚い音になるんですよ。AACにせよMP3にせよ、普通はCDから直接エンコードするため、いい音にならないんです。別の言い方をすると、元の情報量が多ければ多いほど、圧縮しても音が悪くならないということです。
藤本:情報量というのは、どう捉えたらいいのでしょう?
北村:要するに、いかにダイナミックレンジを広く利用するかということです。CDの規格である16bitでも、かなり広いダイナミックレンジを持っています。しかし、最近の作品の多くは音圧ばかりにこだわって、有効活用できていない。だから、少し隙間を作ってやればいいんですよ。そうすることによって、情報量が多くなります。そして情報量が多ければ多いほど、圧縮しても音が悪くならないということなんです。
藤本:でも、そうした隙間を作った結果CDで聞いたときの迫力に欠けるということはないですか?
北村:そこが技術というものです。隙間を作るとはいえ、小さい音量にしてもショボくならないようにするんです。ただし、CD用にマスタリングすることで、若干音をよくすることは可能でしょう。もう少し音の抜けをよくするというか……。今回のROCK 'A' TRENCHのケースでは、そもそもCDにしなくていいということだったので、隙間を作るマスタリングをしました。
実際に聞いてみるとわかりますが、圧縮オーディオ特有の妙な音ではなく、CDのような音になっているのは、このためなんです。最近若いレコーディングエンジニアの間では、「結局みんなMP3にしてしまっているから、いい音に作っても意味ないよね」といったことを言っていますが、これは間違っている。みんながそうするなら、それでいい音になるように作ればいいんです。
藤本:そうした考え方は、やはり現時点では一般的ではないんですか?
北村:残念ながらそうですね。ただ、圧縮オーディオに関する問題は何も最近、急に登場したものというわけではありません。MDが登場したときに、似たことがあったのです。やはり、そのままMDにダビングすると音が悪くなるという現象は、多くの人が経験したと思います。でも、これもうまく作ることで、音質劣化をほとんど感じさせずに作ることができる。当時そんなマスタリングをしたことがありましたが、メーカーの担当者が怒るんですよね。「MDにダビングしたら音が悪くならないと困る」って(笑)。
■ マスタリングで圧縮向けに音を整理
藤本:いわゆるローファイサウンドの作品などは、結構劣化が目立ちます。北村:そう、ローファイというのは上も下もない音とといわれていて、そういうのはダイナミックレンジを広く使っておらず、情報量が少ないからMDにすると音が悪くなる。'60年代、'70年代にレコーディングされた音も、確かに音質的には悪く、同じローファイとみなされているけれど、実はこれらは結構なダイナミックレンジを持っている。単に古い性能の悪い機材だったから音が悪いだけで、故意に上と下を切っているわけではないんです。だから、これをデジタル化した上で圧縮したとき、意外といい音だったりするんです。
藤本:先ほど何度か出てきている隙間というもの、もう少し説明していただけませんか?
北村:要するに、すべてが音で埋まってしまうと、どの音も目立たなくなります。たとえばソロ演奏ならば、ソロを際立たせるように、その周りに隙間を作るのです。ただし、複数の楽器、ボーカルの音が出てきたときに、どうバランスをとるかは経験がないとなかなか難しい。
実際、各楽器がどこにくるべきかを考えてミキシング、マスタリングする人は少なくなっていますが、やはりマスタリングではなくミキシングの段階から音を整理することができると、隙間のあるいい作品を作ることができます。位相や電気的特性などいろいろ考慮する必要がありますが、一番大切なのは音楽としていいものになるか、キッチリ整理することです。
藤本:ミキシングから携われるのであれば、そうした工夫もできるでしょうが、マスタリングからとなると、制約も増えますよね。
北村:まあ、そうした場合でも、いろいろな手段はあるんですよ。たとえば、マルチバンドコンプなどはよく使います。周波数的に4分割し、いらないところのレベルを下げ、全体を調整してなじませる。ミキシングで行なう作業とは違うけれど、比較的それに近いことが可能なんです。もちろん、なんでもかんでもマルチバンドコンプというわけではなく、EQだけで行なうこともありますが。
藤本:実際こうしたマスタリングの作業はオールデジタルで行なっているのですか?
北村:通常、ミックスダウンしたデータがデジタルで持ち込まれますが、これをスペシャルコンバータを使っていったんアナログを経由させます。うちは、そうした機材そのものの開発、設計もしているんで、いいマスタリングができるんです。
今回の件では、真空管のコンバーターでも使ってやろうかと思いましたが、結局FETのものを使ったんですが。うちではOPアンプもトランジスタも使いませんよ。やはりゲインのないFETを使うことで音にゆとりもでてきますから。
藤本:今回はAAC用のマスタリングということだけで行なわれたわけですが、今後CD用とAAC用の両方のマスタリングの依頼が来るという可能性もありますよね。そうした場合、コスト的にはどうなるんでしょう?
北村:まあ、ケース・バイ・ケースではありますが、倍になるというようなことはありません。確かに別の手間がかかるわけですが、大した手間ではない。最終出口が2種類あったとしても、マスタリング作業というのは基本は1回なので、コスト的にはそれほど変わりません。まあ1/3くらいのコストを追加する程度じゃないですか。
■ AACもMP3も大きな差はない
藤本:もうひとつ伺いたいのは、AACとMP3、WMA、ATRAC3など圧縮オーディオにはいろいろなものがありますが、それによってマスタリングは違うのでしょうか? また先ほどお話されていたMDについてはどうでしょうか?
北村:MDも確かに圧縮オーディオではあるけれど、これだけはちょっと別。基本的にはCDと同じマスタリングで大丈夫です。それに対し、AACやMP3などの圧縮はどれも似たようなものであり、個別に異なるマスタリングをする必要はないと思います。ただ、MP3のジョイントステレオだけは嫌だね。あれをやると位相がおかしくなるから。
もちろん、ジョイントステレオの発想はよくわかる。また、きっちりしたマスタリングができていれば、基本は問題ないはずだけど、ジョイントステレオを利用することを前提に音作りをしないといけない面があるので、要注意ですね。
藤本:今後、圧縮オーディオ向けのマスタリングという仕事は増えていきそうですか?
北村:まだ、具体的にはそれほどありませんが、圧縮用の仕事は増えていきそうですね。まあ、面倒くさい割りに金にならないのが問題なんだけど……でも面白い。それこそ、今後CDを作る意味自体が薄れていくんじゃないかな。在庫がいらないし、すぐにリスナーへ届けることもできる。どんどん面白い世の中になっていくのではないでしょうか。
□ライツスケールのホームページ
http://www.rightsscale.co.jp/index.html
□オーディオシティーのホームページ
http://www.audiocity.tv/
□iTunes Music Store
http://www.apple.com/jp/itunes/store/
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(2005年8月8日)
= 藤本健 = | リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。 最近の著書に「ザ・ベスト・リファレンスブック Cubase SX/SL 2.X」(リットーミュージック)、「音楽・映像デジタル化Professionalテクニック 」(インプレス)、「サウンド圧縮テクニカルガイド 」(BNN新社)などがある。また、All About JapanのDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも勤めている。 |
[Text by 藤本健]
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