■ どうしても高画質で鑑賞したい作品
次世代ディスクの市場が立ち上がると「これだけはいち早く次世代ディスク化して欲しい作品」というのが、AVファンなら誰しもあるだろう。洋画では「スターウォーズ」や「マトリックス」などが挙がりそうだ。いきなり個人的な話で恐縮だが、アニメ好きの筆者としてはジブリ作品や、押井作品などの超メジャータイトルよりも先に、「新海監督の作品を次世代ディスクで鑑賞したい!」という願いがあった。 説明は不要かもしれないが、個人で制作したアニメ「ほしのこえ -The voices of a distant star-」がインディーズDVDとしては異例の6万8,000枚を超えるセールスを記録し、一躍注目を集めた新海誠氏は、夕暮れの陰影や空のグラデーションなど、背景美術の独特の美しさを追求している監督だ。“記憶色アニメ”とでも表現したくなるような色合いを得意とし、手掛ける作品には映像の力で観客を画面内に引き込むようなパワーが感じられる。 いずれの作品のDVD版も所有しており、クオリティの高いディスクばかりだ。しかし、今回取り上げる最新作「秒速5センチメートル」の映画公開前に、Webでハイビジョン解像度(1,280×720ドット/8Mbps)の予告編が配信されると、解像度の違いから来る映像の精密さに大きな違いがあり、同氏が作り出す映像の美しさにあらためて関心させられた。それと同時に、「新海アニメの美しさを堪能するためには、次世代ディスクの解像度が必要だ」と感じるようになった。 もちろん、高画質で楽しみたい作品はアニメでも洋画でも無数に存在する。しかし、“映像美が最大の魅力”と言っていい新海作品の場合、次世代ディスクで高画質化することが作品の評価にも直結すると考えている。「この作品をもっと高画質で観たい」というレベルではなく、「この作品は高画質で鑑賞しないとダメなんだ!」と強く思わせてくれる作品は、それほど多くはない。 そんなことを考えるアニメファンは多かったようで、「かねてから、その映像美の高さを次世代ディスクで楽しみたいというファンの声が多かった2作品」(コミックス・ウェーブ・フィルム)として、「秒速5センチメートル」と、「雲のむこう、約束の場所」の2タイトルが4月18日にBD/HD DVDでリリースされる。HD DVD版は東芝の終息宣言で発売が危ぶまれたが、既報の通り、初回限定という形でリリースされることが決定。HD DVDユーザーも一安心といったところだ。 今回は編集スタッフが自腹を切るいつもの「買っとけ」と趣向が異なり、発売前に「秒速5センチ」の製品版と同じ内容という、BD版デモディスクをお借りすることができたため、特別先行レビューとしてお届けしたい。
また、ストーリー解説や個人的な感想については、DVD版をレビューした際の記事を参照して欲しい。今回はDVDビデオ版との比較をメインに、クオリティ面をチェックしてみよう。
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■ 画質をDVD版と比較 まずは映像をDVD版と比較してみよう。以前、バンダイビジュアルの「パトレイバー」や「オネアミス」のBD/HD DVDを比較した時と同様、違いのわかりやすいシーンを選び、その一部分(下図の黄色い枠の部分)を切り出して比較を行なっている。なお、同作品は初回限定でHD DVD版も用意されているが、入手できたのがBDビデオ版のため、BDとDVDのみの比較となることをお断りしておく。 再生機器はPLAYSTATION 3(PS3)を使用。DVD再生もアップスケール処理が高品質に行なえるPS3を選択している。ファームウェアは3月25日に公開されたバージョン2.20。なお、DVDのスケーリングモードはアスペクト比を維持しながらパネル解像度(ここでは1,920×1,080ドット)まで引き上げる「ノーマル」と、単純に元ソース解像度の2倍にする「2倍」モードで検証している。スケーリング品質は「2倍」が最も高画質になると言われているが、スケーリング後の解像度が低くなってしまうため、BDとの画質比較では「ノーマル」を参考にすると違和感が少ないだろう。 なお、PS3のファームウェア「2.20」からは、BDAVや市販のDVDビデオ向けにモスキートノイズリダクション機能が搭載されている。今回はこの機能のテストも兼ねて、DVDの比較画像にはモスキートNR機能の「切る」と、最高の「3」も加えている。「秒速5センチ」を含め、市販のBDビデオソフト(BD-ROM)や、BDMV形式のディスクでは適用できない。もっとも、BD-ROMではモスキートノイズは皆無なので、適用する必要が無いとも言える。
まずは、BDビデオとDVDの解像度/情報量の違いがわかるカットとして、貴樹と花苗が立ち寄るコンビニのシーンから、多数の商品が並ぶ棚を抜き出してみた。DVD版はアニメDVDの中でも非常に高画質なディスクだが、アップコンバートしても「これが紙パック、これがビン」という形状の違いくらいしか判別できない。BDビデオでは棚の一番奥にあるものが「味の素の“ほんだし”かな?」と、想像できる。手前のポッキーとおぼしきパッケージも、描かれているポッキーの本数が判別でき、感動的だ。 人物の遠景でも違いは大きく、BDビデオでは花苗の口元が一本線で描かれているのに対し、DVDでは線が完全に顔の肌色に溶けてしまい、“ぼんやりとした黒っぽい影”になってしまっている。モスキートノイズリダクションの効果は花苗の鞄のあたりや、飲み物の冷蔵ガラスケースの上部にあるラインなどで確認できるが、ノイズの低減効果というよりも、全体的に映像が甘くなっていることがわかる。
次は送電線に雪が降るシーン。サムネイルは暗めなのでPCで見ている場合は輝度を上げると違いがわかりやすいだろう。このシーンはコントラストの低い夜のシーンで、手前と奥で落下する速度の異なる雪が無数に降る中、送電線が中央に描かれるという、MPEG圧縮泣かせな場面だ。 DVDの解像度では、暗部の中で送電線の鉄骨を解像するのでも難しいが、そこに雪まで降っているため、鉄骨と重なる部分では雪の動きにデータが割かれ、背後の鉄骨がボケてしまう。雪の量が増える画面上部に行くに従ってのその傾向は顕著だ。雪の数が増えると輪郭が曖昧になり、画面上部では背景の闇と解け合ってしまい、雪というよりも“色が薄くなった部分がモゾモゾ動いている”だけに見えてしまう。 BDビデオ版は圧巻で、これだけランダムに移動するオブジェクトが多いにもかかわらず、ブロック/モスキートノイズはほとんど見えず、重なる部分でも送電線の鉄骨がキッチリ描写されている。遠くの雪も形状は明確で、文字通り無数の雪が音もなく降り積もる様が堪能できる。実写ではここまで雪の1つ1つを解像できないので、アニメならではの表現と言っても良いだろう。描写が曖昧にならないことで、DVD版とは比べものにならないほど奥行きを感じ、圧倒的な雪の量に言葉を無くして画面に見入ってしまった。 下2つは、駅名表示の看板と、その背後の民家を抜き出したもの。これらのシーンでも傾向は同じで、画面全体に雪が降っているため解像度が低下するDVDに対し、BDビデオは民家の窓枠や、周囲の木々の枝まで解像している。背景の片隅も、ここまで描き込まれているということが確認でき、アニメファンにとっては恩恵の多い高画質化と言えるだろう。ただ、輪郭線など、絵のタッチそのものは柔らかく、“デジタルアニメ”という言葉から連想するカリカリとしたシャープさを強調する絵作りとは違う。この作品にはこのシットリとした絵調がマッチしている。
最後はホームに到着した電車を横から見ているシーン。ここでは、サラリーマンとおぼしき男性のロングコートや、背後の電車内などの描写で、モスキートノイズリダクションの効果が確認できる。ただ、雪のシーン以外はもともとノイズの少ない作品なので、DVD再生時にはモスキートノイズリダクションの恩恵を強く感じさせるシーンは少ない。リダクションを「3」まで強くすると、わずかながら解像感が低下するため、普段は1~2を適用するのが良さそうだ。BDビデオ版の画質はご覧の通り。文句の付けようが無い。 BDビデオ版を再生しながらビットレートを表示すると、38Mbpsあたりを中心に、上は45Mbps程度まで跳ね上がる。1層ディスクの作品だが、本編が約63分と短めで、特典も8分しか入っていないため、ビットレートは贅沢に使っているようだ。どちらかというと静止した画面の多い作品であることも画質には好影響だろう。ラスト付近の雪降るネオン満載の東京の街を、2羽のカラスが飛ぶ様をアクロバティックなカメラワークで捕らえるシーンでもブロックノイズやモスキートノイズは皆無。鑑賞中に“アラ”が目に付くところはほとんど無いだろう。 BDビデオ版をあらためて鑑賞して感じるのは、絵の持つ“柔らかさ”。総てデジタルで作られたアニメなのでクリアで鋭角な線を勝手に連想してしまいがちだが、新海監督による美しい背景には暖かみがあり、寒々しい雪の景色であってもどこかに人のぬくもりを感じさせる。情感豊かな物語とマッチしているとと同時に、そうした絵の“タッチ”まで再認識させるほど、BD版の画質は良い。大画面で鑑賞していると、なんというか、アニメ映画を買ってきたというよりも、美しい絵画を束で買ってきて、目の前に次々と表示しているかのような気になってしまう。思わず、他の作業中に音を消してBGV的にループ再生してしまうなど、映像の持つ威力を再確認させてくれるようなソフトだ。
■ 音質も確実に向上 DVDビデオ版はドルビーデジタルで4.0chのサラウンドと、2chステレオを収録していたが、BDビデオ版はリニアPCMとなり、同じく4/2chを収録。DVDのビットレートは、4chが448kbps、2chが192kbps。BDビデオ版では2/4chのどちらもサンプリングレートは48kHz(4ch 3.1Mbps/2ch 1.5Mbps)だ。 サラウンドをバリバリ使った作品ではないので「それほど違いはないだろう」と思っていたが、空間の表現に違いが感じられる。全体として音の少ない、静かな作品なのだが、電車のドアが閉まる音、電車内に響くエンジン音や振動、椅子にバッグを置く音、荒野を吹き抜ける風、雪を踏みしめる足音など、細かな音の1つ1つの輪郭がBD版では強くなっており、付随してそれが響く周囲の空間がDVD版よりも広く感じられる。寒々しい雪のシーンも、音場が広々とすると、よけいに寒く感じられるから不思議だ。 鳥の音や蝉の声がハッとさせられるほど生々しい。独白が多い作品でもあるので、センターのセリフにも若干違いが感じられる。花苗の声はDVD版ではサ行がキツく感じられたが、BD版では声の中低域の音圧が上がっているからなのか、それほど高域のキツさが気にならなかった。 ちなみに、特典映像として収録されている山崎まさよし氏の「One more time, One more chance」のプロモーションビデオもPCM 2ch 48kHz 1.5Mbpsの高音質で録音されているのでお得な気分だ。
■ 特典はシンプルだが、アニメファンなら押さえたい1枚 特典はそのほかに、45秒の特報と、90秒の予告編のみが収録されている。DVDの通常版に収録された監督インタビューや、DVD-BOXに入っている動画絵コンテ、キャストインタビュー、サントラCDなどは付属しない。BD/HD DVD版を購入する人は、既にDVD-BOXも持っている可能性が高いかもしれないが、できれば片面2層化して、監督インタビューくらいは欲しかったところだろう。 DVD版も非常にクオリティが高く、PS3のような高機能なプレーヤーでアップコンバート出力すると、一見次世代ディスクを観ているような錯覚に陥る。そのため、「これで十分」と考えているファンも多いだろうし、今回の比較のハードルも高くなっていると言えるだろう。しかし、やはりBDビデオ版を観てしまうと「格が違う画質」と言える。 静止画面はDVDでもかなり優秀だが、サクラの花や雪が舞い散り、画面が動き出すと歴然とした差が生まれる。AVファンとしては圧縮ノイズに気をとらわれず、作品に没頭できるだけでもBD/HD DVD版を購入する価値はある。個人的にはBDビデオ版を鑑賞して、改めて新海監督が作り出す映像の美しさを再確認することができた。同時発売の「雲のむこう、約束の場所」のクオリティにも期待したいところだ。 フルHD解像度で描かれる車窓の風景、鹿児島の夕暮れなどは、実写とも、従来のアニメとも違う、“新しい刺激”を与えてくれる。新海ファンはそこに魅力を感じているので、BDビデオ版はファンならば確実に押さえたい1枚だ。また、新海作品に触れたことが無い、アニメにあまり興味が無いという人にもお勧めしたい。BDレコーダを購入した、大画面テレビを買った、PC用ディスプレイをHDCP対応の大型のものにしたなど、ハイビジョン関連機器を揃えたなら、その能力を使った「新しい映像体験」を提供してくれる1枚になるだろう。
http://www.cwfilms.jp/ □タイトル情報 http://www.cwfilms.jp/5cm/index.htm □関連記事 【Blu-ray/HD DVD発売日一覧】 http://av.watch.impress.co.jp/docs/bdhdship/ 【2月22日】コミックス・ウェーブ、新海アニメのHD DVD版を初回限定に -発売日は4月18日で変更無し http://av.watch.impress.co.jp/docs/20080222/comixw.htm 【2月6日】新海監督の「秒速5センチ」と「雲のむこう」がBD/HD DVD化 -4月18日発売で各5,775円。MPEG-4 AVC収録 http://av.watch.impress.co.jp/docs/20080206/comixw.htm 【2月19日】東芝、HD DVD事業撤退を正式発表 -3月末を持って終息。DVDレコーダは継続 http://av.watch.impress.co.jp/docs/20080219/toshiba2.htm 【2月19日掲載開始】東芝のHD DVD撤退に伴う、メディア/ソフトメーカーの動向 -ユニバーサル/パラマウントは「コメントできない」 http://av.watch.impress.co.jp/docs/20080219/hddvd.htm
(2008年4月8日) [AV Watch編集部/yamaza-k@impress.co.jp]
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