■ 今度の新海アニメはちょっと違う?
新海作品の魅力は、なんといっても映像の美しさ。飽和したような夕日の光や、様々なグラデーションを描く空など、光と影の美しい表現を得意とする監督だ。当初はアニメファンにしか知られていなかったが、誰が見ても驚く映像美で、一般への知名度もかなり高くなってきた。「秒速5センチメートル」の公開にあたっては、ヤフーが運営している公式サイトでトレーラーや過去作品の無料配信なども行なわれたため、これまでの作品を鑑賞してみた人も多いだろう。 「雲のむこう~」までの作品は、映像そのものよりも「個人製作」という点がフィーチャーされ、「1人でアニメを作るなんて凄い」という取り上げ方をされていた。しかし、劇場用デビュー作「雲のむこう~」でチームによる製作体制になってからは、作り出される映像のクオリティや内容そのものに注目が集まるようになった。「インディーズ」や「個人制作」といった前提が取り払われたことで、純粋に「作品で勝負」する段階に入ったと言えるだろう。監督の真価が問われるのはここからだ。 新作で特徴的なのは形式。連作短編というカタチになっており、具体的には「桜花抄」、「コスモナウト」、「秒速5センチメートル」の3作品で成り立っている。とは言え、オムニバスのようなまったく違う作品ではなく、貴樹という1人の主人公を軸に、その中学生時代、高校、社会人と、描かれる時代が異なるだけ。各作品の終わりに短いスタッフクレジットが表示される程度で、鑑賞中に特異な形式に違和感を感じることはないだろう。 内容的な特徴は、これまでの同氏の作品の特徴でもあったSF要素が一切省かれていること。徹底したロケハンを行ない、実在の街を新海監督の絵として再構成。あくまで現実の日本を舞台にしたアニメーションにチャレンジしているところに注目だ。 DVDは通常版(CWF-0101/3,990円)とDVD-BOX(CWF-0102/6,990円)の2タイプを用意。本編ディスクは共通だが、BOXには特典ディスクとサントラCD、20ページのブックレット、フィルムカットを同梱している。価格差は3,000円と大きいが、サントラCDがまるまる入っているのでお得感が高い。 発売日は7月19日の木曜日。ネットの通販サイトではDVD-BOXの在庫が残っていたので、「そんなに急いで買わなくても大丈夫かな?」と考え、20日(金曜日)の午前中に新宿のヨドバシカメラに出かけた。しかし、ここではBOXが売り切れ。そのままビッグカメラに向かったところ、BOXの残りは5個だった。
■ ドラマの少ない恋愛ドラマ 親の都合で転校することが多い遠野貴樹(たかき)は、転校先の小学校で篠原明里(あかり)という少女と出会う。体が弱かったことから図書室で2人で過ごす事が多く、話も合ったことから、互いを大切な存在と感じていく2人。だが、中学進学を機に、明里は東京から栃木へ引っ越してしまう。 中学生にとっては遠い東京と栃木の距離。しかし、2人は中学に入ってからも手紙のやりとりを続け、貴樹は電車を乗り継いで明里に会いに行こうと試みる。しかし、今度は貴樹の転校が決定。行き先は鹿児島の種子島。2人の距離は絶望的なまでに広がってしまう。新しい環境に順応しようとするも、何処か遠くを見るようになってしまう貴樹。一方、種子島の学校に通う澄田花苗(かなえ)は、他の男子と雰囲気の違う貴樹に一目惚れしてしまう……。 確かに、これまでの新海作品とは違う。日本が戦争で分割統治されていたり、国連宇宙軍所属でロボットパイロットの少女が登場したりもしない。たった3、4作目で「斬新」も何もないが、ロボットも謎の飛行機も登場しない新海作品には真新しさを感じる。というのも、新海監督のSF設定はかなりマニアックなため、アニメファンにとってはなんでもないが、一般の視線で見ると「アニメ臭さ」というか、独特の入り込みづらさがあった。今回の作品ではそれが消えているため、実写の恋愛ドラマのような感覚で観賞できる。 物語そのものは、拍子抜けするほど起伏が無い。ぶっちゃけて言うと、「小学校時代の初恋の女の子をいつまでも忘れられず、ウジウジ引きずる男の日常」だ。身も蓋もない説明だが、内容的にはそれ以上でもそれ以下でもない。主人公がクールな二枚目なので映画として成立しているが、これが小太りのブサイク男だったら目も当てられない話だ。 普通、恋愛ドラマには物語を盛り上げるために身分や立場の違い、親の反対、恋敵など、様々な障害が用意される。この作品の場合は「距離」と「時間」だろう。会えない時間が圧倒的に長い中で、互いの心が変化していく物語だ。こうした「変化」は、恋人でも友人でも、進学や就職、引っ越しなど、距離や時間の経過により、誰しもの心に起こることだ。このアニメはそれのみを描いているため、恐ろしくドラマ的な展開に乏しい。 それゆえ、登場するキャラクターに強く感情移入して観ないと、「男がウジウジして終了」だけになってしまう。しかし、そこで観客をグッと作品へ引きつけるのが「美麗な絵」と「モノローグ的なセリフ」、そして「静かな音楽」で構成される、お馴染みの「新海節」だ。 例えば女の子が待つ栃木の駅へ向かうシーン。閑散とした駅のホームや車窓から見える風景、車内に落ちる夕日などが、「映画として無駄なんじゃないか」と思えるほど時間を割いて、呆然とするほど美しく絵で描かれる。目を細めてそれを眺めていると、頭の中で響くようなセリフと合わさり、自分がその電車の中にいるような気分になってくる。画面をキャラクターが走りまわる普通のアニメとは真逆の、キャラクターの目から見た映像だけで構成される、バーチャルリアリティ的な演出だ。 次第に、自分が中学時代に戻り、小学校で好きだった女の子に、久しぶりに会いに行くような気持ちになる。「どんな顔して話しかけたらいいんだ」という不安半分、期待半分という感覚。そんな気持ちに支配されたら、ラストまで大いに映画を楽しめるだろう。「誰しもが経験する普通の出来事」を描くことで、映画を通して「誰しもが思い当たるリアルな疑似体験を提供すること」。それが監督の狙いに違いない。 ただ、こうした「動画という挿絵がついた小説の朗読」とも言える「新海節」は、これまでの作品のほぼ全てで使われてきた。それゆえ、“SFを廃した日常”という新しいテーマにチャレンジしていても、映画全体として新鮮味に乏しい。また、独白を主体としているため、キャラクターの心情が言葉で明示され、観客の推察が入り込む余地が少ない。一昔前に流行った「セカイ系」の作品同様、観る人によっては耐えられない青臭さや、正体不明の閉塞感を感じるかもしれない。良くも悪くも、感情移入できるか否かで評価の分かれる作品だ。 それにしても、「雲のむこう~」から一段と洗練された映像の美しさが素晴らしい。アニメ表現としては究極に近いのではないかと思わせる。今回は特に宇宙から地表までの空気の層を感じさせるような空の表現が秀逸。種子島のロケット打ち上げシーンなどは、「オネアミスの翼」以来の名打ち上げシーンと言っても過言ではないだろう。個人的に、新海監督の“凄さ”は、素直に感情移入できない、どこか斜に構えて映画を観てしまう観客をも引き込む、この圧倒的な映像表現に尽きると考えている。 また、主な舞台が東京近郊なのも面白い。新宿駅や小田急線など、個人的に毎日のように見ている場所が舞台なので、「あの景色が新海アートだとこうなるのか」とニヤリとさせられるシーンが多い。もちろん、実際の新宿駅はこんなに美しくない。ホームにガムの1つも落ちておらず、写真と見比べるとまるで違うのに、アニメを観ている時は「リアルだ」と感じるのが不思議だ。 「雲のむこう~」のレビュー時に、勝手に「記憶色アニメ」と命名したが、美化を含んだ記憶の景色をリアルに描くことが、観る人をリアルな嘘の中に引き込む手法なのだろう。そういった意味でこの作品は、実写向きのストーリーながら、アニメでしか作れない作品なのかもしれない。
■ 次世代ディスク版を出してください 映像美が命の作品だけに、DVDの画質は重要。これまで紹介した作品では「ほしのこえ」が平均ビットレート9.41Mbpsで、「DVD Bit Rate Viewer Ver.1.4」のグラフがほぼ横一直線。「雲のむこう~」も8.26Mbpsと高く、どちらの作品も次世代DVDと錯覚するほどの、超クリアな映像に驚いた。 ただ、今回の「秒速」では、特に第1話にMPEG-2イジメのようなシーンが多い。桜の花びらが散ったり、雪が舞い落ちたりと、画面に小さいものが不規則に舞う。目を凝らすと花びらや雪の周囲にモスキートノイズがチラつく。また、後半の吹雪のシーンではノイズをともなう雪に埋もれ、画面全体の解像感が低下してしまう。だが、シーンの厳しさから考えると、画質の低下は最小限に抑えられており、逆に驚かされた。 動きのゆっくりとしたシーンではもちろんノイズは絶無で、フルデジタルアニメならではの、視力が良くなったようなクリアな画質が楽しめる。PS3でのアップコンバート再生も効果は大きく、線のクッキリ感を保ったままHDにコンバートされる。次世代ディスクで鑑賞しているような錯覚に陥った。 さぞや今回も平均ビットレートは高いだろうと考えていたが、計測すると7.41Mbpsと意外に低め。だが、グラフは激しく上下しており、シーン毎に細かくビットレート配分が行なわれたのだろうと思われる。どちらにしろ、DVDとしてはトップクラスの画質だ。ただ、欲を言えば次世代ディスクでこの画質を味わいたい。コミックス・ウェーブでは現在のところ次世代ディスク化は予定していないとのこと。通常版でしのぎつつ、次世代ディスク版を待つのも手だろう。 音声はドルビーデジタルステレオとドルビーデジタル4.0chの2種類。ビットレートはステレオが192kbps、4.0chが448kbpsだ。サウンドデザインは低音が少なく、中高音域がメイン。振動を感じるような低音は吹雪の風鳴りと、ロケットの打ち上げくらいのもので、全体として清涼感のある、広々とした音場が印象的。電車の車体に雪が叩きつけられる「プツ、プツ」という音も聞こえるほど解像感が高い。天門氏のピアノの音や、「カナカナ」というヒグラシの声が波紋のように広がるのが心地良かった。
また、「日常を描く」というテーマについては「インディーズの時は会社に行くのが日常で、そこで蓄積された想いをアニメに叩きつけるように作っていた。その時のアニメ制作は非日常の、お祭りのようなものだった。でも今はアニメ制作が日常になってしまい、それを一生続けていくのか? 作品をどこから生み出せばいいのか? 迷った時期があった」という。今後作品をどのように作っていくのか? と言う意味でも、「日常をテーマにした作品を作れて良かった」と語る監督。実に奥深い話であり、鑑賞後にぜひ観て欲しいコンテンツだ。 制作体制の説明では、スタッフの構成から使用しているツールまで、結構細かく説明してくれる。「背景とキャラクターを分離させないために、同じソフト(Adobe Photoshop)で描き、塗り方も背景美術と同じようにした」など、実例を交えて紹介。ちょっと難しい部分もあるが、PCを使って創作活動をしている人には刺激になる内容だろう。「記憶の中の映像」を描くコツも披露してくれる。 BOXのみ付属する特典ディスクは、キャストインタビューが中心。主人公の貴樹を演じた水橋健二さんが、初挑戦のアフレコに四苦八苦した話が面白い。32歳の彼が1人で小学生から社会人までを演じなければならず、確かに初挑戦としてはハードルが高い。「監督からOKはもらえたけれど、試写会でも“本当に大丈夫か?”と、ドキドキしながら鑑賞しました。初めてのデビュー作品を見るような感覚だった」と笑う。 特典ディスクにはほかにも、動画絵コンテや「軌跡フォトムービー」と題された、ロケハン時の写真と、アニメの映像を交互に紹介する映像が収められている。ロケハンの写真は同梱のブックレットでも紹介されており、アニメのロケ地を訪ねる「聖地巡礼」には役立つ資料と言えそうだ。 本編ディスクに収録される監督インタビューの密度が濃いため、特典ディスクのボリュームが若干少なく感じてしまう。BOXと通常版の価格差は3,000円なので、そのままでは若干高いと感じるが、サントラCDが付属していることを忘れてはならない。新海作品もう1つの魅力とも言える、天門氏によるリリカルなBGMが収録されており、これだけでも普通のCDとして3,000円の価値はあるだろう。なお、山崎まさよしの「One more time,One more chance」はピアノバージョンのみで、原曲は入っていない。
■ 今後の新海アニメ 新しいテーマへのチャレンジは、監督・新海誠の今後にとっては必要不可欠な挑戦であり、その姿勢は高く評価したい。その結果として、従来のアニメファン以外にも抵抗無く観られるような作品に仕上がっているのが素晴らしい。 新海作品に初めて触れるという人に、まずお勧めしたいタイトルになった。初恋の頃を忘れられない男性にぜひ観て欲しいと同時に、いつまでも昔の女を引きずる男性の姿に、女性からの感想を聞きたくなる作品だ。 反面、これまでの新海節は根強く残っており、従来のファンからすると新鮮味に欠けるのも事実。「これが監督の魅力なんだから変わらなくていいんだ」と言われるとそれまでだが、やはり同じようなトーン/手法の作品が連続すると、飽きてしまうものだ。 今後どのような方向(作風)に進んでいくのか、それは新海監督自身が決めることだが、彼の技能を使ってキャラクターが飛び跳ねるような、思いっきり普通のアニメを作っても面白いだろう。また、今の手法を突き詰めて、まったく違う世界に突入しても良いだろう。作品形式も、映画ばかりでなくてもいいはず。1ファンとしては、次回作では新海作品らしくない新海作品を見せて欲しいと期待している。
□コミックス・ウェーブ・フィルムのホームページ
(2007年7月24日) [AV Watch編集部/yamaza-k@impress.co.jp]
AV Watch編集部 av-watch@impress.co.jp Copyright (c)2007 Impress Watch Corporation, an Impress Group company. All rights reserved. |
|