■ 今年はラジオで勝負
2003年から始めた夏休みの工作シリーズの時期が、今年もやってきた。思い起こせば最初は趣味でエレキットの真空管アンプを作ってみたわけだが、最近はエレキットさんからプレスリリースが届くようになった。デジタルAV系ライターとして微妙に方向性が間違っている気がしないでもない。 とは言え、いくらデジタル全盛の時代とは言っても、基本的にはアナログ技術の記録・伝送部分を置き換えたデジタル機器がAVデバイスの大半を占める。結局人間が持つI/Oがアナログしかないわけで、アナログ技術を体験することは無駄ではないのだと思う。 さて、今年の工作は「ラジオ」である。放送と言えばデジタル放送やワンセグが今の旬だが、AMラジオ放送はある意味放送の原点とも言える。これを自作キットで受信してみようというわけである。 使用するキットは、学研が販売している「大人の科学」シリーズの「真空管ラジオ」。このシリーズでは以前にも鉱石ラジオのキットがあったが、今回は中国で発見された30年前の真空管を使った、限定1万台のキットとなっている。価格も8,800円と手頃だ。すでに学研のサイトでは完売となっているが、Amazonなどのネットショップや模型店などではまだ在庫はあるようだ。 ハンダ付け不要で約2時間で制作可能という真空管ラジオ、さっそく作ってみよう。
■ 基盤はほぼ完成品が付属
写真を見た限りでは、完成品は結構大きいように見えたのだが、パッケージは意外に小型のA6サイズで奥行きが12.5cm程度。各パーツはビニール袋に小分けして梱包されており、プラスドライバまで付属している。自分で用意する物は、乾電池やセロハンテープ、油性ペン、定規など。ラジオペンチは必要があれば使うという程度で、使う工具と言えばドライバぐらいである。
まずは本体にプリント基板を取り付ける。プリント基板はすでに部品やリード線がハンダ付けしてあり、自分でやるところはない。部品点数が非常に少なく、シンプルな回路であることがわかる。
裏面の工作は配線を残して、あとはスピーカーの取り付け程度である。ただこのスピーカーを固定するパーツをはじめ、樹脂製の細かいパーツが一つの袋の中にごっちゃりと入っており、探すのに苦労する。この点では、ステップごとに使う部品をまとめて梱包してあったエレキットのほうが親切だ。
またネジも普通のネジとツバ付きネジの2種類があるが、ほとんど見分けが付かない上に同じ袋の中に入っている。組み立て前に、ネジの仕分けをしておいたほうがいいだろう。 ラジオそのものの歴史については余り詳しくないが、放送機器という見方をすれば、日本では軍用受信機として1906年(明治39)年に鉱石検波式のものが作られはじめた。いわゆる鉱石ラジオの元祖である。のちの1916年(大正5年)頃になって、一般にもようやく検波器が部品として入手できるようになる。 とは言ってもまだこの頃は、普通の人が受信できるような「放送」が始まっていない。一般向けのラジオ放送が始まるのは、1925年(大正14年)に東京放送局(JOAK)の本放送開始以降の話である。 翌年には東京放送局、大阪放送局(JOBK)、名古屋放送局(JOCK)の業務を統合して引き継いだのが、日本放送協会すなわちNHKだ。未だにNHK隠語で渋谷NHK放送センターのことを「AK」、大阪放送局を「BK」と呼ぶのは、この名残である。ちなみにJOAKがあったのは、今の愛宕山NHK博物館がある場所である。 表面にひっくり返して、電池ボックスの接点やボリュームノブ、スイッチなどをはめ込んでいく。ほとんどネジ止めであるが、樹脂の穴をねじ切りしながら回していくので、付属のドライバではかなり力がいる。無理に付属のものを使うより、もっと握りの太いドライバを用意した方が楽だろう。 次のステップは、バリコンの組み立てである。バリコンと言ってももはやわかる読者は少ないと思うが、バリアブルコンデンサ、つまり容量が変化するコンデンサのことである。昔のラジオに組み込んであったバリコンは、細い放熱板のような金属羽が互い違いに組み合わさったもので、エアバリコンという。 今回のキットで使用するのは、2枚のアルミ板を本に挟むような恰好で綴じてあるタイプで、ブック型という。この開き具合によって、コンデンサの静電容量を変化させるわけである。なお注意点として、アルミ板の保護膜は両方はがしてはいけない。片方はそのまま残した状態で使用する。
コンデンサとは、金属板に絶縁体を挟んだ構造のものである。このアルミ保護膜に絶縁体の代わりをさせるわけである。
■ 実験には欠かせない地道な苦労
続いては、ホーン部の組み立てであるが、これはほとんど言及すべき部分はない。小型スピーカーの小さな音を増幅しながら、周波数特性を整えて聞きやすくしてくれる。 外部にホーンを使用したものと言えば蓄音機が思い当たる。過去のラジオの文献をいろいろ探してみたが、このラジオのようにアンテナもホーンも外部にむきだしで使用したラジオというのは、意外に種類は多くなかったようだ。 というのも、ホーンを使用しながらも全部箱の中に内蔵して、外装を綺麗にしたラジオが多かったようなのである。1930年代後期に入って口径の大きなダイナミックスピーカーを内蔵するようになったが、それ以前からラジオは、おしゃれに気を使った設計だったのかもしれない。 続いての制作は、このキットのメインとも言えるループアンテナである。まずフレームを組み立てたあと、付属のリッツ線を櫛形の溝に沿って19回巻いていく。 溝一つずつに線を通していくだけとはいえ、その単調さはもはや電気工作ではなく、巨大リリアンかと思わせるような「手芸」の領域である。「40過ぎてなんでこんなことを」、「ラジオ買って来た方が全然安いし」などとネガティブなことを考えはじめ、もっとも気力の萎えるパートだ。
しかも見栄えよくピンと張ったつもりが、樹脂製フレームがゆがむせいか、途中でちょっとゆるんできたりする。自分の何かが試されているような気がしてならない。 ちなみにループアンテナに複数の線を1本にねじったリッツ線を使っているのは、電波も含め電気というのは、金属の表面を走るものだからだ。従って表面積が稼げるリッツ線のほうが、より効率がいいのだそうである。もしリッツ線じゃなかったら一体何回巻くのかということは考えないようにしながら、前向きな姿勢で臨むことが肝心だ。 ループアンテナの巻きが終わったら、今度はもう一回再生検波用のリッツ線をアンテナ部に巻く。こちらは2回転なので、大したことはない。再生検波とは、真空管で検波した信号を少しアンテナに戻してやることで、より検波しやすくするという方法で、一種の正帰還回路である。 本体にあるボリュームツマミは、このフィードバック量を決めるためのもので、これもチューニングに使うのである。厳密には、音量調整つまみとは言えない。 あとは配線である。プリント基板から出ているリード線をアンテナからの線に巻き付け、セロハンテープで絶縁する。すべての配線が、巻き付けるだけだ。念入りにやりたいと思ったら、ハンダ付けしてもいいだろう。
次はいよいよ真空管の取り付けである。付属の真空管は3種類で、すべて電源入れるとすぐに動作する、「直熱型」というタイプである。完成状態でも真空管はムキだしだが、触っても熱くない。現在多くの真空管は、交流でも加熱できるものの、電源を入れてもすぐに動作が始まらない「傍熱型」というタイプだ。 また本キットには、真空管の足がまっすぐかどうかをチェックするための、「ピンストレーナー」という工具も入っている。この工具ももはや入手不可能で、学研がオリジナルで作成したものである。
裏ブタを閉めれば、一応の完成となる。ただ裏ブタとは言ってもただの厚紙をはめ込むだけなので、ふとした拍子に落っこちてしまう。紙でも構わないのだが、何か固定する工夫が欲しかったところだ。
■ 意外に高感度 ではいよいよ受信なのだが、その前にまず電池を用意しなければならない。これがまた9Vの角形電池が5本も必要という、大メシ食らいである。そのほか単2のアルカリ電池が1本。 だが今どき9V電池というのは、なかなか売っているものではない。コンビニなどで置いてあるところも少ないだろう。ちなみにコンビニでは、2週間で7割が売れない商品は次の週から棚がないと言われるほど品揃えがシビアなのである。このラジオのおかげで全国のコンビニで一斉に9V電池が売れ出したら、一体何の買い付け騒ぎかとPOSデータ大混乱だ。 説明書には、電池は100円ショップで買うと安く上がると書いてあるあたり、さすが学研だ。大手100円ショップのダイソーでは、2個100円でオリジナルブランドの9V電池を売っている。 値段の話をすれば、ラジオ黎明期当時の国産真空管ラジオは、価格にして70~300円。海外製の高級品では、2,000円のものもあったという。当時の教員初任給が25円だったというから、そうとう裕福な家でなければ買えなかったはずだ。家一軒が400円で買えた時代の話である。 ちなみに真空管に電池を使うというのは、今の感覚で行けば意外な組み合わせかもしれないが、ラジオの歴史的にはポータブルという意味ではなく、電池を使っていた時代があった。というのもラジオ放送が始まった1920年代には、まだ一般家庭に電灯線が普及していなかったのである。消耗の激しいヒーター(フィラメント)用の電池には自動車用のバッテリが使われ、電器屋さんがご用聞きに回って、交換していたそうである。
受信方法は、まずバリコンを一番綴じた状態にしておいて、ボリュームを発振しない程度に上げる。徐々にバリコンを開いていくと、「チュイーン」という音の山がある部分がある。そこにバリコンを合わせ、ボリュームを徐々に下げていくと、音声が聞こえてくる。 関東地方では、NHK第一、第二、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送の5局が受信できる。実は筆者宅からは目視で確認できる距離にTBSラジオの電波塔があり、そこの出力がかなり被ってくる。正帰還の量を最小にしても、バリコンを開きぎみにすればどこでも受信できてしまうほどである。 それ以外の局を拾うには、バリコンとボリューム、アンテナの角度などの組み合わせで、意外にコツが必要だ。だがそれも一つの楽しみで、うまく受信できた時には素朴な喜びがある。音質はそれほど良くはないが、ホーンの奥から聞こえてくる深く柔らかい音は明瞭感も十分あり、なかなか趣きがある。 このラジオが受信できるのは、530~1,600kHz程度の範囲だ。従って国内のAMラジオ局なら、ほとんどの地域で受信できるだろう。
■ 総論 筆者が小さい頃は、父親手作りの真空管ラジオがタンスの上に置いてあった。こう言うとものすごいジジイのように思われがちだが、単に筆者の父も自作マニアなので、テレビやステレオなど身の回りのAV機器がなんでも自作だったのである。 おそらく記事をご覧の皆さんも、ほとんどの方は真空管ラジオなるものの現物を見たことがない年代であろうと思われる。なにせソニーがトランジスタラジオの市販第一号「TR-55」を発売したのが1955年で、それから10年ほどで、真空管ラジオの時代は終わったのである。 今回の「真空管ラジオ」は、電波の不思議や受信の面白さを気軽に体験できる、いいキットだ。本体は樹脂製で高級感はないが、デザイン的に綺麗にまとまっており、ノスタルジックを通り越して、逆にシンプルで新しい。中学生の娘も、完成品の姿を見てもそれがなんだか全く理解できなかったが、これから音が鳴ることにものすごく興味を引かれている。 真空管云々ではなく、ラジオとは何か、どういう技術なのかといったことへの興味をそそられる。作って楽しく、使って楽しい真空管ラジオ、さらにこの秋には別の真空管を使ったVer.2の発売も予定されているという。 暑さの中にも朝夕には多少の涼風も舞い込むようになってきた昨今、ベランダでビール片手に柔らかいAMラジオの音を聞きながら、ラジオが高級品だった時代に思いを馳せるのもまた一興ではないだろうか。
(参考資料:NHK放送博物館発行 「テレビ放送開始50年 収蔵機器555」、NHK放送博物館発行 「図録 時代を語る放送機器」)
□学研のホームページ (2006年8月30日)
[Reported by 小寺信良]
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