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第305回:「かないまるルーム」で生まれる究極のSACDとは?
〜 その4: SACDの能力をフル活用したアルバムの完成まで 〜


【その1】  【その2】  【その3】  【その4】 
     


 これまで3回に渡って、藤田恵美さんのSACDのアルバム「camomile Best Audio」(品番:PCCA.60019、3,200円)の制作について紹介してきたが先週の21日に、ついに発売になった。さっそく入手して聴いてみたが、CDとしても、SACDで再生しても、非常に高音質であるのを実感できた。また盤を取り出して、「おぅ」と思ったのはアルバムの色。全面、緑になっているのだ。これはまさにソニーの高音質DVD-R「音匠」で使われている特殊インクによるコーティングと同じ色だ。

camomile Best Audio ディスク全面が緑色

 先日、このアルバム制作のキーパーソンである「かないまる」こと金井隆氏が、この緑を採用しようと話をしていたが、それが実現したようだ。盤面の色まで音質にこだわるというのが、このアルバム制作なのだ。

 過去3回では、レコーディングエンジニアである阿部哲也氏、オーディオ設計のプロである金井氏がタッグを組んで藤田恵美さんのアルバム作りをどう行なってきたか紹介してきた。最終回となる今回は、そうして作られた音をDSDに変換し、SACD化するという作業を行なったソニーの井上滋氏に話を伺った。

 今回のSACDの制作はどんなツールを使い、どのように行なったのか、PCMと何がどう違うのかなど、SACD制作の一般論も含め、アルバム制作の流れについて聞いた。



■ SonomaとVAIO、音匠でDSD Discを作成、プレス前に確認

藤本:井上さんの名刺を見ると、「スーパーオーディオCDプロジェクト、DSDエンジニア」とありますが、これはどんな部署で、どんな仕事をするのですか?

井上滋氏

井上:スーパーオーディオCDプロジェクトというのは、SACDというフォーマットを普及させるための部署です。私はその中でフィールドサポートという業務を行なってきました。SACDはパッケージメディアですのでいかに良いソフトがどれだけの数揃っているかが普及のキーとなりますが、レーベルに行ってただ「SACDをリリースしてください」と言っても、DSDを採用した全く新しいフォーマットであるため簡単に制作できるものではありません。

 それをクリアするために現場(フィールド)をサポートするのがフィールドサポートという仕事です。私自身は元々カセットデッキやMDデッキ、そしてCDプレーヤーやSACDプレーヤーといったホームオーディオ製品の機構系の設計を行なっていましたが、そもそもの入社の動機がプロオーディオに携わりたいというものだったため、志願して2001年からこの業務を続けています。

藤本:フィールドサポートというのはもう少し具体的にいうと、どんなことなのでしょうか?

井上:大きく分けると3つあります。1つ目はSACD制作のサポート。社内で開発したSonomaというDSD機材をスタジオに持ち込んでレコーディングやマスタリングのサポートをするなど、SACDをリリースするに至るまでのいろいろ面でのお手伝いです。2つ目はDSDの音の良さの啓蒙活動。プロのレコーディングエンジニア、マスタリングエンジニアなどに音の良さを体験してもらうために、あらゆるスタジオを回りました。この1つ目と2つ目は、連携していることも多く、スタジオ・キャラバンと称して音を聴いてもらいつつ、「いいね」ということになったら、すぐにレコーディングをしてみたり……。

 日本だけでも、最終的にSACDにならなかったものも含め400以上のプロジェクトに携わりました。そして3つ目はSACDの自発的・継続的なリリースの為にDSD/SACD制作を業界に定着させるための活動です。現在ではフィールドサポートのための専門会社も日欧米にできていますので1つ目の活動は終え、この3つ目の活動に軸足を置いています。ここ2〜3数年でかなりの数のスタジオや制作会社がDSD機材を導入していますので、DSD/SACD制作も随分と浸透してきたと思います。

藤本:Sonomaという名前が出ましたが、Sonomaは米国からの輸入機材としてスタート・ラボが販売していますよね、これはソニーの機材なんですか?

井上:やや混乱を与えるところではありますが、元々Sonomaはソニーのアメリカの部隊が開発したものです。プロトタイプが2000年に完成し、SACDフォーマットを立ち上げる為のフィールドサポート用ツールという位置づけで使用してきました。

 しかしその後にアメリカでSonomaを開発・導入してきたメンバーがスピンアウトしてSuper Audio Center, LLCを設立しSonomaの技術を継承して製品化することになったのです。スタート・ラボが販売しているのは、そのSuper Audio Center, LLCのSonoma Systemsという製品になります。

 このSonomaという名前には2つの意味が込められていまして、Super Audio CDの発表時に会長であった出井が「ワインのようなもので、分かる人には分かる」と評していたことにインスパイアされたワイン好きのエンジニアが、この編集システムが「SONy One-bit Multi Audio」 systemであり、その開発がカリフォルニアワインの名産地に近いサンフランシスコで行なわれたことを示すことが出来るということから、サンフランシスコ北部のワインの名産地「Sonoma」にちなんで命名したものです。

 なお、プロトタイプの時代は8chのマルチトラックとなっており、SonyOxford(現在はOxford Digital Ltd.として独立)のEQを入れた内部ミキサーを搭載していましたが、Super Audio Centerから製品化されたSonoma Systemはミキサー機能などを廃してマルチトラック性をさらに強化して32トラックまで拡張可能なレコーダーとなっています。ちなみに、プロトタイプ時代のミキサー機能はイギリスSADiEのDSD8というDAWへと継承されているんですよ。

Sonoma

藤本:なるほど、それぞれそんな関係になっていたんですね。ちなみに、ここにおいてあるSonomaを見ると、まさにPCという形をしていますが……。

井上:ええ、SonomaはWindowsベースのアプリケーションで、中に専用のPCIカードが入っています。専用のPCIカードは信号処理を行なう他、ADおよびDAをST-Linkで接続するためのインターフェイスにもなっています。今回はプロトタイプの変換Boxを使用してST-LinkからBNC接続に変換してソニーのプロトタイプのAD「DSDX-202」とDA「DSDX-201」を使用しています。

藤本:今回のプロジェクトについてお話を伺いたいのですが、藤田恵美さんのアルバム制作において、井上さんはどういう立場で参加されているのですか?

井上:今回は金井がこのプロジェクトの全工程を監修するということがオーソライズされましたので、金井から声を掛けられ私はマスター制作工程全般をサポートすることになりました。

藤本:具体的にはどんな作業になるのですか?

井上:まずはマスターを仕上げるに至る全ての制作プロセスの検討です。そしてポニーキャニオンのマスタリングエンジニアの方と最終的なマスター制作を行ないました。

 金井から求められたのはミックスしているときの音とまったく変わらない音でDSDのマスターを作るということでしたが、実際その手法はいくつかあります。阿部さんは24bit/96kHzのPCMでミックス作業をしているわけですから、PCMの形でデジタルのデータを持っているわけです。そのためPCMからDSDへファイル変換やDD変換することも考えましたが、経験的に今回のプロジェクトには向いていないと思いました。案の定、ファイル変換では金井のOKも出ない状況でした。

 一方で、金井がチューンナップした阿部さんの機材や、かつてのSACDの開発メンバーががんばって開発・調整してきた機材を組み合わせ、アナログ出し、アナログ吸い上げを行なった結果、一発でアナログ吸い上げでいこうとなりました。実際聴いても、全く違いが分からないほど。やはりケーブル1本、1本吟味しているだけのことはあります。

藤本:そのDSDの吸い上げを行なった機材はSonomaなのですか?

井上:そうです。もっとも、これは現在スタート・ラボが売っているSonoma Systemではなくて、社内で開発されたプロトタイプのほうです。先ほどお話しした通り、こちらはSony OxfordのEQなども搭載していますが、今回はSonomaの中では音を変えませんから当然まったくいじっていません。Sonomaで吸い上げた結果をSonomaで再生させて、音に変化が無い事を皆で確認しました。さらに今回はひとつ制作プロセス上、画期的なことをしました。本来、最終的なSACDの音はSACDをプレスしてからでないと聴けなかったわけですが、例のDSDディスクを使ってみたんです。Sonomaで吸い上げたDSDのデータをVAIOを使って音匠のDVD-RでDSDディスクを作りました。そして金井がチューニングしたPLAYSTATION 3とTA-DA3200ESの組み合わせで再生することで、プレス前に出来るだけ最終製品に近い環境で音を確認しているんです。

 DSDディスクを焼けば直ぐにディスクから音を確認できるので、試聴の結果をその場でフィードバックし再度機材の微調整を行なうことで実際にマスターのクオリティ向上に役立てる事ができました。

藤本:SACDはその構造上、ライトワンスで焼くといったことはできませんが、DSDディスクはSACDのライトワンス版と捕らえて問題ないのですか?

井上:プロテクトの仕組みやデータの配列などに根本的な違いはありますが、音質に関わる基本的な部分はDSDで全く同じですから、SACDに対するDSDディスクはCD-DAに対するCD-Rと捉えて頂いて構いません。この音の確認手法は、今後様々なプロの制作現場で使えそうです。


■ SACD/CD音質の違いを楽しめる仕上がりに

藤本:金井さんによると、実際のプレスまで行なって音質を確認したそうですが

井上:そうなんです。金井の希望でDSDの吸い上げからプレス、レーベル印刷まで行ない最終製品と同様のプロセスを経て音質の検討をしました。その際、音質が良い事で知られる「音匠」シリーズのDVD-Rで使っている緑色の特殊インクをコーティングする仕様が非常に原音に忠実で、最終的な製品の仕様となりました。なのでDSDディスクでの音質検討と、このプロモーション盤の音質検討で通常の制作よりも2回音質を見直す機会が得られました。

藤本:ところで、今回のアルバムはSACDの2ch、SACDマルチ、そしてCDのハイブリッドとなっていますが、CD層の音もSonomaで吸い上げたものを使っているのですか?

井上:いいえ、CD層の音質検討も行なった結果Sonomaで吸上げたものは使っていません。選択肢は大きく分けて3通りありました。ひとつは阿部さんのDigitalPerformerで直接デジタルデータを内部バウンスで書き出すという方法。2つ目はSonomaで吸い上げたDSDをSBMダイレクトを用いてPCMにDD変換する方法、3つ目はSonic StudioのnexStage AFC(Audio Format Converter)を用いてDSDをPCMにファイル変換するというものです。AFCにおいては組み合わせによって変換プロセスが8通りもあったので、1つのソースに対して計10個のWAVデータを生成し、CDDAに焼いた上で、PS3で聴き比べました。金井、阿部さん、私の3人で聴いた結果、意見は割れることなく今回は内部バウンスで行こうということになりました。

藤本:そのCDとSACD 2chはどのように切り分けているのですか?

井上:CDはDigitalPerformerの内部バウンスで、16bit/44.1kHzステレオのWAVファイルを生成している一方、SACD 2chは同じものをDACでアナログ出力してからSonomaに吸い上げているだけです。ただ、CDのほうは3dBの突っ込みが必要なために、最終段に3dBのコンプレッサを入れています。

藤本:3dBのコンプレッサの話は、阿部さんからも金井さんからも出ていましたが、SACDというかDSDとCDの規格の違いについて、少し教えてもらえますか?

井上:確かに、ここは結構分かりにくいところですね。現場でも良く質問されます(笑)。まずCDはPCMですからご存知の通り、マックスレベルが0dBであり、それを越えるとクリップしてしまいます。それに対し、DSDのほうはやや異なるのです。まったく歪みが起こらない最大のレベルを0dBと定義しているのですが、実はそれを超える音でも収録可能なのです。そのリミットは+6dBで、それを越えると確実にクリップするというか歪んでしまいますが、+3dBまではほぼ問題なく使うことができます。正確に計測するとサイン波では歪みがでますが、普通の音楽をサイン波で作ることはありませんから通常+3dBまでは問題ありません。さらにそれを越えて+6dBまで持っていっても、音としては収録可能ですが音質と出力レベルのバランスを考えてSACDでは記録可能な信号を+3dBまでとするようフォーマットで規定しました。そんな関係で、CDよりも+3dB大きな音を収録することができるというわけです。

藤本:ということは、同じ曲をCDとSACDで聴くと一般的にSACDのほうが大きい音に聴こえるのですか?

井上:最大ピークレベルという意味では確かにそうです。しかしジャンルにもよりますが、SACDの制作ではできるかぎりコンプをかけない音作りをする方が多いため、実際の音圧はCDのほうが高い傾向にあります。そのため、同じ曲を聴き比べるとCDのほうが大きい音に聴こえるケースが多いようです。今回はその辺りも完全に金井がコントロールしているので、音量感は同じで、音質の違いを楽しんでいただけるようになっています。

藤本:最後にもう1点。DSDマルチも同時に収録するとなると、容量的にもきつくなりますよね。これについてはどのように解決しているのですか?

井上:SACDはシングルレイヤーの場合、2chのDSDを109分収録できます。しかし、マルチをそのまま入れると5.1chであれば実際は6ch分あるので、2chのものと合わせて8ch分、4倍の容量が必要になるので、27分程度しか入らないという計算になります。今回の恵美さんのアルバムでは5.1chと5.0chのものがありますが、いずれにしても入りきりませんし、SACDプレーヤーの読み取りビットレートを考えても、このままでは限界を超えてしまいます。

 そこで、DST(Direct Stream Transfer)という圧縮を用います。これはロスレス圧縮で、Sonomaで録音したDSDデータを圧縮してデータ量を小さくしてディスクに記録します、再生時にプレーヤーの中で100%元のDSDデータに戻るので音質劣化はありません。圧縮率は曲によって違ってきますが、通常は圧縮後の容量が4割強といったところでしょう。これを使うことにより、アルバム1枚分を1つのレイヤーに収録しているのです。クラシックなどは圧縮率が高い事が多いのでSACDの2chと5.1chで74分以上収録されたアルバムもありますが、ポピュラーやロックは圧縮率がクラシックに比べると低い事が多く、70分収録できない事も多々あります。今回のベスト盤は約72分でしたが何とかギリギリ収まりホッとしています(笑)。容量をオーサリングの画面で確認したらなんと100%。驚いて詳細な計算をしてみたら99.4%でした。

 SACDの音が2チャンネルとマルチチャンネルにそれぞれ約72分、合計で約144分。CDトラックと合わせると約216分。これだけ長時間記録したポピュラーのハイブリッドSACDソフトは珍しいのではないかと思います。そういう意味でもこのアルバムはSACDの能力をフルに出し切ったアルバムですね(笑)。

藤本:なるほどよく分かりました。ありがとうございました。

井上:今回お話したDSD/SACD制作に関する技術的な情報や機材・スタジオなどの情報は、スーパーオーディオCD公式サイト内の「For Professional」というページに詳細があります。詳しく知りたい方は是非こちらのページをご覧頂ければと思います。


 以上、4回にわたって、藤田恵美さんのベスト版制作に関してお伝えしたが、いかがだっただろうか? 実際にその音を聴いてみないと分からないと思うが、「サラウンドの音楽って、こんなことができるのか」と驚くことは間違いない。日本以外のアジアで先に火がついたが藤田恵美さんだが、「camomile Best Audio」で日本のオーディオマニアに飛び火することになるだろう。


□藤田恵美さんの公式ホームページ「cafe Camomile」
http://www.solcielo.co.jp/emi/
□「かないまるのホームページ」
http://homepage3.nifty.com/kanaimaru/
□製品情報
http://hp.ponycanyon.co.jp/pchp/cgi-bin/PCHPM.pl?TRGID=PCHP_SKH_1010&CMD=DSP&DSP_SKHBNG=200700001781&DSP_SKHKETSEQ=001
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(2007年11月26日)


= 藤本健 = リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。
最近の著書に「ザ・ベスト・リファレンスブック Cubase SX/SL 2.X」(リットーミュージック)、「音楽・映像デジタル化Professionalテクニック 」(インプレス)、「サウンド圧縮テクニカルガイド 」(BNN新社)などがある。また、All About JapanのDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも勤めている。

[Text by 藤本健]


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