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第342回:もう一歩進んだSACDマルチの音作り【前編】
~ 藤田恵美さんのニューアルバム制作の舞台裏~



ニューアルバムを発表した藤田恵美さん

 昨年10月から11月にかけて、「『かないまるルーム』で生まれる究極のSACDとは?」というタイトルで4回の連載記事を掲載した。ここでは、2007年11月21日に発売されたLe Couple(ル・クプル)のボーカル、藤田恵美さんのベスト盤「camomile Best Audio」がどのように制作されたのかを多角的に検証していったが、その藤田恵美さんのニューアルバムが発売された。

 前作が5万枚の大ヒットを収めたこともあり、ほぼ同じスタッフで、まったく新たにレコーディングが行なわれ、9月17日、「ココロの食卓~おかえり愛しき詩(うた)たち~」というタイトルで発売されたのだ。このアルバムも「camomile Best Audio」と同様にハイブリッドSACDで、SACD層は2chおよびマルチに対応したという、国内ではまだ数少ない超高音質のポップス作品。盤面に緑の特殊インクを施した「音匠仕様」となっているのも前作と同様である。

 このニューアルバムのレコーディングに立ち合わせていただいたり、マスタリング完成後にいろいろと話を伺うことができたので、今回と次回の2回にわたって、制作の裏舞台をインタビュー形式で紹介していこう。

 インタビューとしてお話を伺ったのは藤田恵美さん、レコーディングエンジニアでSTRIP inc所属の阿部哲也氏、ポニーキャニオンのプロデューサー、溜知篤氏、そしてマネージャーで田辺音楽出版の関本毅久氏の4名。かないまること、金井隆氏にも現場でいろいろとお話も伺っているのだが、金井氏の話はまた別の機会に紹介したい。

9月17日発売のニューアルバム「ココロの食卓~おかえり愛しき詩(うた)たち~」 一口坂スタジオでのレコーディング風景。手前 藤田氏。中央 音楽プロデューサー長岡和弘氏。左奥 金井隆氏



■ 録音の段階からSACDのマルチを意識

藤本:ニューアルバム完成、おめでとうございます。

関本毅久氏(以下敬称略):ありがとうございます。前回の「camomile Best Audio」は、日本のオーディオファンの方々に聴いていただきたいと思って作りましたが、予想以上の多くの方々に聴いていただきました。こんなにたくさん、CDの音を大切に聴いてくださる方がいることに、心から嬉しくなりました。その結果、早い時期に次のアルバムを制作しようという話になったのです。予定より時間がかかってしまいましたが……。

藤田恵美さん(以下敬称略):私のソロアルバムとしてはcamomileシリーズとして3枚、それにベスト盤である前作と、すべて英語のカバーで作ってきましたが、日本語のアルバムを出して欲しいという要望がファンの方々からあったため、藤田恵美名義としては初の日本語アルバムを作りました。

関本:レコーディングについては、ミックス時に培ったノウハウをベースに、さらに音にこだわったアルバムをというコンセプトで制作してきました。また前回は金井さんとの出会いが大きなキッカケで、金井さんから多くの事を学ばせていただきましたので、今回も金井さんの力をお借りして、みんなで制作してきました。前回との最大の違いは、録音の段階からSACDのマルチを意識した形で、阿部哲也さんに制作プログラムを組んでいただきました。

溜知篤氏(以下敬称略):もう1点前回と違うのは、音楽プロデューサーに長岡和弘さんを迎え入れたことですね。最近、日本でもカバー曲がかなり増えてきていますが、長岡さんは日本のカバー黎明期を支えてきたキーパーソン。恵美さんから、長岡さんと作りたいという声があがったことから、お願いしました。

レコーディングに関するミーティング中。右が関本毅久氏 モニター中の風景。左から関本氏、溜知篤氏、長岡氏

藤本:実際、今回のアルバム制作はいつごろスタートされたのですか?

藤田:最初にデモを録ったのが2月19日でした。個人的には昭和初期、大正時代の曲をやりたかったのですが、スタッフ側がイメージが沸かないというので、まずデモを作ったのです。ただ、実際には、その一週間前にスタッフの懇親会を兼ねてカラオケ屋に行なったのがスタートです。その時点では、まだ長岡さんはいらっしゃらなかったのですが、とにかく選曲のため、19時から23時くらいまで約60曲を歌い続けました(笑)。実際、今回の1曲目、「酒と泪と男と女」は、このカラオケで決まりました。

関本:昭和、大正とはいえ、もうちょっとみんなが知っている曲も歌いませんか? っていろいろ曲の候補を挙げていきました。実際レコード会社のスタッフからも、香港など海外からもリクエストはいっぱい来ていたので、まずカラオケで試してみたのです。その後、プロデューサーの長岡さんを迎え、長岡さんの選曲なども含め30曲程度をリストアップして、デモを録っていったのです。

藤田:ちょうど昨年あたりからカバーブームになっていたので、曲ありきではなく一番のコンセプトとして自分の内面から出てくるもの、意味のある曲を選んで歌おうと思ったのです。それぞれの曲のエピソードに関してはライナーノーツにも入れていますが、家族との想い出が詰まったものを中心に選び始めました。

藤本:ちなみに、そのデモの録音というのは、どうやっているんですか?

藤田:これはポニーキャニオンの中にある小さなスタジオで録音しています。30曲のうちの半分がギター、半分がピアノで2日間で録音しています。

ミキシングコンソールを操作する阿部氏

阿部哲也氏(以下敬称略):ギターのほうは、私が立ち会っています。自前のDigitalPerformerのセット一式とマイク、スタンドなどすべて持ち込んで、録音しています。一方、ピアノのほうには立ち会っていませんが、こちらはProToolsで録っています。

藤本:デモってもっとラフなものをイメージしていましたが、阿部さんが実際に録るんですね。その30曲から絞り込んでいったわけですね。

関本:ええ、コンセプトが固まったら、割と早く進んでいき、5月16日に曲も確定し、アレンジャーと打ち合わせをし、6月9日から本番のレコーディングに入っています。結局7月2日に12曲を録り終えて、終了となったのですが、そこからどんでん返しがあったんです。


■ 更に2曲の追加が決定

溜知:社内で役員も入る会議にかけ、ラフミックスを聴かせたところ、大好評となりました。が、やはり関わる人が増えると、意見をいう人も増えてくるわけで、さらに2曲追加するということが決定してしまったんです。

関本:その2曲を選曲するために、みんなでまたカラオケに行なったんですよ。やはり夜中2時ごろまでやっていましたね。

藤田:いろいろと歌いましたが、やはり人に言われて歌うより、自分で馴染みのある曲、思い入れのある曲であるということははずせません。そんな中、「卒業写真」に決めました。卒業写真は私自身10年近くライブで歌わせていただいていたことと、どの世代の方からも愛されている曲でもあったために決めました。もう1つの追加曲は「木蘭の涙」。リクエストもあった曲なのですが、メロディー的にもすごく素敵でアジアの方々にも聴いていただきたいと思いました。

藤本:曲が決まって、即レコーディングとなったわけですか?

藤田:すでにライブの予定が入っていたり、みんなも忙しくて、なかなか時間がとれませんでした。私自身、やっとライブに専念できるとホッとしたところで、ブログにも「レコーディングが終わりました」って書いたばかりだったんですけれどね(笑)。

阿部:そうそう! もともと7月末までにあげて欲しいとオーダーされていたので、7月2日にレコーディングを終えれば、それからじっくりミックスしていけば大丈夫だろうと踏んでミックス作業をしていたのです。そこにいきなり溜さんから、「2曲追加になります。できますか?」って。「(笑)できないって言ったらもちろん延期になりますよね?」、「(笑)はい」、「あはは、分かりました! やります! 」

 2曲追加が決定した後にミックスも仕上がっていた曲なのですが、アレンジャーの佐藤準さんから、「新録をするのであれば、弦を録り直したいんだけど」と、あれやこれやでその曲は弦とアコースティックギターを録り直す事になりました。こうなればとにかく1日も早くレコーディングしましょうとお願いしたのですが、アレンジャーの佐藤さんもその日しか空いていないということで、結局8月2日に録ることになりました。しかし、8月6日がデータ吸い上げの日。そこまでにCD、SACDの2ch、SACDのマルチという3種類のミキシングからマスタリングまで行なわなくてはならないんですから非常事態宣言です(笑)。

2曲追加で「非常事態宣言」! 「卒業写真」と「木蘭の涙」を追加曲に

藤本:そういうこと、ときどきあるんですか?

阿部:ここまでの非常事態は初めてでしたね(笑)。もちろん、最終的にいい作品に仕上げることができたので、本当に安心しましたが……。


 結局、9月17日、無事予定通りに藤田恵美さんのニューアルバム「ココロの食卓~おかえり愛しき詩(うた)たち~」はSACDのハイブリッド版として発売された。CD層で聴いても、非常にHiFiで澄みとおったサウンドであるが、SACDの2chで聴くとさらに、その空気感をよりリアルに感じられる。

 しかし、とにかくサウンドとしてすごいのはSACDのマルチだ。前作の「camomile Best Audio」も、なぜこんな風に、違和感ない自然な感じで、立体的・空間的に音が聴こえるのだろう、と感激したが、今回はさらにもう一歩進んだ感じだ。リバーブで音場空間を作ったのとは明らかに違う、気持ちいい音の広がりを感じられるのだ。次回は、このマルチの音作りをどのように行なったのかについて、より具体的な話を伺っていく。

原宿のアコスタジオでの「家族の食卓」のレコーディング風景 次回、詳細をお伝えするホール「秩父ミューズパーク音楽堂」でのレコーディング風景



□藤田恵美さんの公式ホームページ「cafe Camomile」
http://emifujita.jp/
□「ココロの食卓 ~おかえり愛しき詩たち~」タイトル情報
http://hp.ponycanyon.co.jp/pchp/cgi-bin/PCHPM.pl?TRGID=PCHP_SKH_1010&CMD=DSP&DSP_SKHBNG=200800001765&DSP_SKHKETSEQ=001
□Eng 阿部哲也氏 所属 STRIP incのホームページ
http://web.mac.com/strip_01/
□「かないまるのホームページ」
http://homepage3.nifty.com/kanaimaru/
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【AV製品発売日一覧】
http://av.watch.impress.co.jp/docs/hardship/
【2007年11月26日】【DAL】「かないまるルーム」で生まれる究極のSACDとは?
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(2008年9月22日)


= 藤本健 = リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。
著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。また、アサヒコムでオーディオステーションの連載。All Aboutでは、DTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。

[Text by 藤本健]


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