本田雅一のAVTrends

本当に快適で楽しめる3D映像のために

-ディズニー作品の3D監督ニューマン氏が語るノウハウ




 過日行なわれたデジタルコンテンツ・エキスポ併催の3Dユニバーシティ。国際3D協会の主催による、“より良い3D映像制作”のためのセミナーイベントである。

 2008年ごろからハリウッドで盛り上がり始め、アバターでブレイクした3D映画だが、“本当に楽しめる3D映画”は残念ながら、まだ多いとは言えない。特に日本国内となると、現状では総務省の方針もあって、地上波放送での3D放送が(部分的であっても)原則禁止されているという背景もあり、クリエイター側が挑戦したくとも、予算など諸々の事情で経験値を積むことができない閉塞した状況にあることも、米中韓に3D映像制作ノウハウ蓄積への取り組みにおいて差を付けられている原因になっている。

 ところが「二つの視点からの映像をステレオで制作すればいい」という、比較的単純な仕組みであるが故に、3D映像制作に関するノウハウで、“日本が遅れを取っている”という意識が映像制作者たちにはあまりないようだった。日本の場合、音楽ライブやスポーツ中継などで、見えている風景を3Dでそのまま伝える、いわば“職人技”の面では優れているが、映画やドラマなど撮影後の後処理で映像を整えるためのノウハウ、技術は、数年前から比べてもほとんど発展していない。

 見やすい3D、疲れない3D。そんな快適性を備えながら、楽しめる3D。海外での3D映像制作のノウハウは、ライブ映像を3Dで捉える“職人技”が得意な日本の想像を越えて多様化している。そんな現状を日本にも伝え、ノウハウを第一人者から伝えてもらおうと企画されたのが、3Dユニバーシティだ。

 ディズニーのトップアニメーターで、ディズニー制作(除くピクサー制作作品)の3D設計を一貫して担当。先日から公開されている“ライオンキング”の3D化や、3Dアニメ作品としてはもっとも優れた3D設計と評価されている“塔の上のラプンツェル”の3D演出を手がけたステレオグラフィック・スーパーバイザー(3D監督)のロバート・ニューマン氏に、より優れた3D設計を行なうための秘訣を伺った。


■ 3Dは“物語”を表現する手段

 現在の3D映画はディズニーが実験的に3D公開を行なったチキンリトルが起源になっている。実はチキンリトルもニューマン氏が担当した作品だが、一貫して取り組んできたのが、単に立体感を付けて現実感を演出するのではなく、演出効果の一つとして考え、映画全体での“ストーリーテリング”に活用するという考え方だ。

3Dの深度をストーリーテリングに活用

 つまり映画として、映像表現として3Dをツールとして活用するべきということだ。これはライブ映像をそのまま3Dで捉える、日本の3D映像の主流とはかなり異なるものだと思う。その“場”をプリザーブ(保存)するのではなく、被写界深度や構図、カメラワークなどのコントロール、ライティングなどで行なう視覚効果の一つとして、いかに効果的に使うかが、映画として捉えた場合の3Dの価値ということだ。

 チキンリトルからさまざまな経験を積み、ニューマン氏は“ボルト”で、本格的な3Dストーリーテリングの手法を盛り込んだ。シーンごとの絵コンテに、背景やそれぞれの被写体が、どの程度スクリーンに対して凹凸があり、どのような形状に見えるべきかを指定していく。

 一場面ごとに3D設計を行なうだけでなく、全シーンをつなぎ合わせ、全体の3D空間がどのように変化していくかをチェック、整合性を合わせ、強弱を付けていくツールを自社で開発した。

「このアプローチを私はスコアリングと呼んでます。映画音楽もシーンごとに曲のタイプや音量を変えますよね。クラシック音楽は、全体を通して強弱やスピードを変えて情感に訴えかけようとする。クレッシェンドで音を上げ続けるのではなく、抑揚を付けなければ、強さは表現できない」

「2D映画は、過去100年をかけて感情に訴えるための“文法”を作り上げてきました。ある場面を表現するために、どう表現するべきか、視覚的な比喩が定着している。同じように3Dというツールを使い、被写体の形状、あるいは深度を制御し、観る人の感情に訴えかける。これを一時的に手前に出っ張らせたり、奥に引っ込んだりといったことではなく、1時間半から2時間という尺の中で演出を決めていくんです」(ニューマン氏)

「スコアリング」の概念ニューマン氏は、全体を通しての3Dによるストーリーテリングを完成させるため、コンテに対して被写体や背景などの空間設計を手書きの数字で指示していく。ライオンキングの場合は、実際の映像をプリントし、その上に書き込んだ
3D Filmの文法としてのスコアリング

 ニューマン氏は、この3Dスコアリングについて、日本の聴講者に対して舞台演劇の演出を例に説明していた。普段は舞台に作られたセットの中で静かに物語が進むが、場面によっては脇役がセットの奥に立ち、主役が袖近く観客に近いところでセリフを喋る。そしてここぞと言うときには、エプロン(張り出し舞台)にまで出てきて観客に語りかける。

ここぞという時にはエプロンまで出てきて、語りかけるように3Dで表現

■ 重要なことは“出っ張っていること”ではない

 ニューマン氏が強調するのは、3D感を強く出せばいいわけではない、ということだ。あまりに激しい3D表現は、観る者に負担をかける。たとえば日本での一般的な規定では、視差角が1度以上にならないよう、3D映像を作るのが一般的だ。しかし、ニューマン氏は1度という数字には、あまり意味がないという。視聴位置や画面サイズに依存するからという理由もあるが、一番の理由は「ごく短時間ならば、大きな視差も充分に許容できる。問題は出っ張ることではなく、どのように見せるか」だと話した。

 たとえば、ラプンツェルの最後のシーンでは夜、ランタンが舞うシーンが出てくる。このとき、ランタンが一番手前に動いてくるところは、かなり大きな視差(一時的には1度を超える)がついているものの、あまり負担には感じない。

デプス・バジェットの制御

 なぜならスクリーン位置近くに配置されたランタンが、徐々に動きながら手前に流れ、瞬間的に大きな視差を作ったあと、奥に流れていくからだ。徐々に視差を誘導し、瞬間的に効果を出したら、あとはスクリーン位置に戻っていく。こうした演出を意識してやっている。

「我々は制作するとき“デプス・バジェット(奥行きの許容総量)”という考え方で、3D演出の幅を考えています。中程度の3D効果を繰り返し使っていると、単位時間あたりのバジェットが減ってきますので、あまり強い3D効果は近傍では使えない。しかし奥行き表現を抑制したシーンを続けてバジェットを貯めておき、ここぞという時にそのバジェットを瞬間的に使う(ニューマン氏)」

 このようにストーリーテリングとデプス・バジェットという考え方に基づいて、3Dの設計をしていくが、さらにカメラワークに関しても3Dを効果的に使えるような工夫を行ない、監督とともに場面の切り取り方を検討している。

 たとえば小舟の上に登場人物が二人、向かい合って座っているとしよう。3Dの映画なら、これを側面から捉えて見せることが多いが、3Dならば斜め上からのショットで登場人物の振るまいを決めていくといった具合に、常に3Dでの見え方を意識した映画の作り方をしているそうだ。


■ “CGアニメならでは”の問題解決方法「マルチリグ」とは?

マルチリグのカメラ撮影

 ニューマン氏の話は、実に専門的で多様。3D映像が抱える問題について、惜しげもなくあらゆることを話してくれた。たとえばウィンドウバイオレーション(出っ張りのある被写体は画面の端に配置できない)などに対する対処方法や、被写界深度をどこまで深く取るべきかといったノウハウについても、自身の意見を披露してくれたが、中でも特徴的かつ斬新だったのが「マルチリグ」という考え方だ。

 3D映像は被写体に対し、広角レンズで近くに寄って撮影する方が、被写体が立体的に見える。たとえば円柱を撮影した時、間近で撮影すれば真円の円柱に見える。ところが望遠レンズで捉えると左右視差は少なくなり、側面のテクスチャ情報も減ってしまうため、前後が潰れた楕円に見える。

 これを楕円効果といい、楕円化が進むと“書き割り”になる。3D映像が書き割りを並べたように見えてしまう原因だ。英語では“カードボード”というそうだ。

 では主被写体に合わせ、それがきちんと奥行きが出るように調整すればいいだけでは? と思うかもしれないが、すると今度は背景の視差が大きくなりすぎる可能性がある。広角レンズで被写体を大きく捉え、充分な丸みを持たせるカメラ設定にすると、背景の視差が大きくなりすぎて、眼が左右の外側に向かないと見えない不自然な視差になる。

マルチリグのカメラ撮影例深度を最適にすると書き割りになり、奥行きがでるようにすると背景視差が大きくなる可能性(実際のスライドでは、左右映像を切り替えながら見せることで、良い例、悪い例の視差表現について解説していた)

 そこでディズニーでは、主被写体、そのほかの被写体(助演キャラやテーブル、花などの小物)、それに背景など、奥行きのゾーンを分け、それぞれに適した3Dカメラのパラメータで撮影。どのぐらいの丸み(立体感)を出すか、それぞれの深度で検討した上で、合成する独自のツールを開発した。

 この3D演出には試行錯誤が必要で、場面ごとに子細にリグ(3Dカメラを取り付ける治具のこと。CGアニメの場合は仮想カメラの設定ということになる)のパラメータを検討し、合成して違和感がないかを確認しながらの作業だ。「手間がかかるため、ボルトでは一部の重要なシーンでしか使えなかった。しかし、塔の上のラプンツェルでは、全場面をマルチリグで設計しています」とニューマン氏。

 実際に塔の上のラプンツェルを3Dで観ると、どの場面でも被写体が自然な丸みを帯びて描かれた上で奥行き表現も行なわれ、なおかつ画面のどの位置を(どの深度)を観ても違和感を感じない、優れた3D空間の設計になっている。

 深度をレイヤ分割し、それぞれにカメラリグの設定を変えるとなると、観る側に違和感を持たせるのでは? と思うかもしれない。しかし、奥を観ている時は手前がよく見えておらず、手前のレイヤを観ている時の背景の認知は曖昧だ。このため、独立した別々のレイヤが異なる3Dパラメータであっても混乱することはない。

 さらに、“マルチリグ”をさらに発展させているシーンもある。

 ラプンツェルと継母が会話しているシーン。両者ともにカードボードにならないよう、ワイドレンズでふくらみのある表現としているが、継母はこの後、ラプンツェルの脇を通り、手前に消えていくため、画面から消えていく瞬間には視差がとても大きくなってしまう。視差を付けすぎないためには、継母を“カードボード”にしてしまわなければならないが、二つのキャラクターが異なる凹凸感を持って並ぶことは演出上、許されない。

 そこで継母が手前に動くのに合わせ、3Dカメラの設定を連続的に変化させている。つまり、手間に歩いてくる経路で継母は徐々に平らになっていくのだが、動きの中での変化であるため、観ている側がそれを認識することはない。

ラプンツェルの一シーンを例に説明このシーンにおける課題視差が深くなりすぎる例
書割を避けるためにふくらみをつける3Dカメラ設定を連続的に変化させて解決

■ 本当に快適で楽しめる3D映像のために

 ところで、劇場用映画として制作されている3D映像を、そのまま家庭用テレビで観ると、視差が小さくなりすぎて、ニューマン氏が言うところの3Dストーリーテリングの効果演出も小さくなる。

「劇場で60%ぐらいの厚みが出るよう、丸みを出した3D設定で作っていても家庭用テレビだと30%ぐらいの丸みしか感じないでしょう。(視野角が狭くなるため。大スクリーンの家庭用プロジェクタで観る場合は劇場と同等になる)被写体となるキャラクタが平面に近く見えてしまうだけでなく、前後の動きの演出も浅くなります。丸み付けはやり直せないのですが、家庭向けのBlu-ray 3Dでは前後の動きが大きくなるよう調整しています(ニューマン氏)」とのことだ。

 このほかにも、質問すればほとんどの疑問に、自分が蓄積してきた経験と知識をもって答えてくれるニューマン氏は、日本のあと国際3D協会のセミナー開催のため、韓国、中国と回り、持てる限りのノウハウを教えて回った。

 来年、長編劇場用3Dアニメ制作に携わるスタッフなどからは、日本でのセミナーを見て、さっそく制作中の映像に反映させると息巻く声が多数聞かれた。ニューマン氏のやり方は、来年後半に公開される日本の3D映画にも、決定的な変化をもたらすだろう。3Dコンテンツ制作ノウハウの蓄積と制作請負を狙い、国の支援で積極的に行なっている韓国では、さらに熱狂的なセミナーになったようだ。

 筆者はこのセミナーのあと、別の仕事で中国に赴いたのだが、同じタイミングで、同じセミナーが北京電影学院で開催されていた。飛び入りで会議の円卓に並んだのだが、中国中央電視台や中国映画集団などの代表は自国の3D映像制作ノウハウ蓄積や関連機材開発ノウハウを溜める目的で積極的に3D映像の制作や放送を行なっていくという。中国中央電視台は近く、3D映像専門チャンネルをスタートさせる。

 その場にいたニューマン氏に、なぜこれほどまでに協力し、何年もかけて溜めてきたノウハウを公開するのかと尋ねてみた。

「まだ始まったばかりですよ。3Dには表現者にとっての大きな可能性がある。ところが、快適ではない常識から外れてしまっている3D映像がたくさんあります。まずは、悪い3Dを減らすこと。みんなが快適に楽しめるようにならなければ、映像表現としての3Dは発展しませんから、我々としても積極的に協力しています(ニューマン氏)」

(2011年 11月 7日)


本田雅一
 (ほんだ まさかず) 
 PCハードウェアのトレンドから企業向けネットワーク製品、アプリケーションソフトウェア、Web関連サービスなど、テクノロジ関連の取材記事・コラムを執筆するほか、デジタルカメラ関連のコラムやインタビュー、経済誌への市場分析記事などを担当している。
 AV関係では次世代光ディスク関連の動向や映像圧縮技術、製品評論をインターネット、専門誌で展開。日本で発売されているテレビ、プロジェクタ、AVアンプ、レコーダなどの主要製品は、そのほとんどを試聴している。
 仕事がら映像機器やソフトを解析的に見る事が多いが、本人曰く「根っからのオーディオ機器好き」。ディスプレイは映像エンターテイメントは投写型、情報系は直視型と使い分け、SACDやDVD-Audioを愛しつつも、ポピュラー系は携帯型デジタルオーディオで楽しむなど、その場に応じて幅広くAVコンテンツを楽しんでいる。

[Reported by 本田雅一]