デジタル家電にとって、「家電用LSI」は生命線ともいえる存在だ。だが、その中核技術を自社内で開発・生産しているメーカーは非常に少ない。多くのメーカーがNECエレクトロニクスやルネサステクノロジといった、組み込み用LSIメーカーのチップを利用しているのが実情だ。ソニーがCellに対する戦略を転換し、東芝がなかなかCell応用家電を出せないといったあたりからも、開発戦略の難しさが垣間見える。
だが一方で、家電用LSIの完全内製化に成功し、開発環境のスリム化と製品の差別化という難題に成功したメーカーがある。それが松下だ。同社の開発した家電用統合開発環境「UniPhier」(ユニフィエ)は、DIGAやVIERAをはじめとする同社のAV家電のほぼすべてに採用され、同社の重要な「差異化技術」となっている。もちろん本連載でも、その名は何度も採り上げている。 だが、その内容と狙いは意外と知られていない。今回は、UniPhierの生みの親である、松下電器産業・戦略半導体開発センター所長の藤川悟氏に、「UniPhierの秘密」を聞いた。なお、本インタビューは、8月末のDIGA/VIERA新製品の発表前に行なったため、特に言及しない限り、1つ前のモデルに関するものとなっている。ただし、新モデルで追加された「いくつかの新機能」については、ヒントとなる情報が含まれているので、参考にしていただきたい。
□関連記事 ■ LSI+開発環境が「UniPhier」。狙いは「車輪の再発明」防止 最初に解説しておきたいが、「UniPhier」はLSIの名前を指すものではない。松下が自社開発したLSIを中核とした、「家電開発プラットフォーム整備計画」を指す。 「UniPhier開発の目的というのは、元々、開発の現場で起きる“ソフトウエア爆発”を抑える目的がありました」。藤川氏はそう説明する。デジタル化に伴い、製品開発における、ソフト開発の比重はどんどん増していた。特に問題だったのが、製品毎にソフトを開発せねばならない、という「車輪の再発明」問題だ。 例えば、「動画の再生」という機能は、AV家電にとって必須である、基本的な機能だ。だが、「携帯電話」「テレビ」「ビデオレコーダ」「カムコーダ」でそれぞれ開発プラットフォームが異なると、同じ機能を実現するためのソフトを、それぞれのプラットフォームで別々に開発する必要が出てくる。必須の機能を、製品開発のたびに再開発するというジレンマを、俗に「車輪の再発明」と呼ぶ。 ソフトを書くだけならまだいい。できあがったソフトには動作検証がつきもの。ソフト制作から動作検証までを含めれば、それにかかる手間と時間ははるかに大きなものになる。 そこで出てくるのが、開発プラットフォームを統一する、という考え方。LSIなどのハードウエア、そして、OSや開発環境といったソフトウエアを統一し、ソフトウエアを「パーツ」として再利用することで、ソフトの再開発とそれに伴う動作検証の手間を減らそう、というものである。 この考え方そのものは、決して珍しいものではない。例えば、ソニーやシャープもデジタル家電向けのOSをLinuxに統一、自社製品で利用するライブラリを整備して、開発効率を上げている。また、元々「Cell」の開発も、同じ高性能LSIを様々な家電で使うことで、ソフトの開発効率を上げ、機能面でも向上を狙おう、ということがあった。 元々は、藤川氏がリーダーを勤め開発した、スカパー!向けなどのSTB用のLSIが起源である。メディアプロセッサ「MCP」を搭載し、柔軟なメディア処理に対応した。その後よりプラットフォーム性を高め、その開発効率の良さが評価され、当時の経営陣からの強い後押しを受け、'99年以降、UniPhierにつながる技術の検討が続けられてきた。現在同社では、各事業部門を、本社技術部門と半導体部門が「横串」として貫き、ノウハウの流通が行なえる社内体制を確立している。
現在は、消費電力や性能の効率化を考え、携帯電話向け、カムコーダなどのパーソナルAV向け、テレビ/レコーダなどのホームAV向けの、3種類のLSIプラットフォームを開発、さらに、その上に乗るソフトウエア開発基盤を統一した上で、「開発プラットフォーム・UniPhier」として利用している。 実際の製品には、さらに細かなカスタマイズを行なった上で、コストや機能にあわせ、様々なLSIを作り、製品に生かしている。 取材を行った8月頭の段階では、41シリーズ、127機種が、UniPhierを使っている。LSIの改善も積極的に行なっており、7月には、テレビ向け低コストLSI「MN2WS0052」、ワンセグ搭載携帯電話向けに、ベースバンドチップまで混載した新LSI「UniPhier 4MBB+(MN2CS0038)」を次々に発表してる。また、8月末に発表されたDIGA/VIERAの新製品も、もちろんすべてUniPhier採用製品である。 □関連記事 【7月17日】松下、ワンセグ高画質/小型化を実現する携帯向けLSI -45nmプロセスの「UniPhier」。長時間再生も http://av.watch.impress.co.jp/docs/20080717/pana.htm 【7月3日】松下、実装面積/消費電力を半減したTV向け「UniPhier」LSI -デコード/高画質化LSIを1チップ化。世界の98%のTVに対応 http://av.watch.impress.co.jp/docs/20080703/pana.htm ■ まずは「部門の壁」を壊せ! 「餅は餅屋」でノウハウの共有を図る とはいうものの、プラットフォーム統一はなかなか進まない企業の方が多い。各部門には、長く培ったノウハウが存在しており、日々の製品開発を支える基盤となっている。プラットフォームを統一し、開発基盤を再構築するということは、それらのノウハウを一部捨て、新たにノウハウを構築し直す、ということに他ならない。大枠で見た「コスト低減」以上のメリットがなければ、各部門の協力を得るのは難しい。 藤川氏は、「松下というのは、よく“中小企業の集まり”と言われる」と笑う。白物からAV家電、インフラ事業まで、松下はきわめて広い事業範囲を持つ。他方で、それぞれの分野の独立性が高く、横の連携がない、と言われてきた。 「UniPhierでやろうとしたことというのは、“企業マネジメント”そのものなんです。開発プラットフォームを統一するということは、中小企業の集まり、と言われるそれぞれの事業部門のベクトルを合わせること。それぞれの事業部門には、消費電力低減や高画質化といった、独自のノウハウや強みがあります。そういう、“餅は餅屋”の良さを、事業分野を超えて共有しよう、というのが狙いです」。藤川氏はそう説明する。
その強みが発揮され、各部門にUniPhierの力を知らしめることとなったのが、ワンセグ対応携帯電話の開発である。 「携帯電話にテレビを入れることになると、もう横浜(携帯電話の開発を行なう、パナソニック モバイルコミュニケーションズの開発部門)だけではできない、ということで、テレビの部隊も一緒にやることになりました。ですから、UniPhierを使うことになったんです。導入した2004年当時というのは、FOMAを年に2機種しか製品化することができませんでした。しかし今は8機種が開発できるまでになっています」(藤川氏) 最近の携帯電話では、テレビ部隊と協力して開発し、ブランドにテレビの名を冠するものが多い。松下の「VIERAケータイ」もその一つである。ただ、多くの場合、テレビの名は冠していても、開発協力よりも「マーケティング協力」といった趣が強く、実際の技術協力は色合いの調整くらい、といった話も耳にする。だがVIERAケータイの場合、開発プラットフォームそのものが共通であるため、ノウハウの共有化が強く図られている。1チップでワンセグの倍速駆動「Wスピード」を実現したのも、テレビ部門のノウハウを生かしてのことだ。 またカムコーダーも、特に「開発効率向上」の恩恵を受けている分野である。 「極端に言うと、テープの頃はOSなんてなくて、極端に言えばメディアが違うとプラットフォームが違う、というくらいで、モデル数を増やすことができませんでした。しかし、メモリーカードの採用を期にUniPhierを採用して開発効率を上げ、現在は4カ月毎に新製品を出せるまでになりました。実は、最初にUniPhierを認めてくれたのはカムコーダの部隊なんですよ」 藤川氏はそう言って笑う。
■ 実は超強力LSI、DIGA向けUniPhier。ほとんどの機能を1チップで実現 ただ、開発効率の向上というのは、あくまで企業側の話であり、ユーザーには直接関わってこない。新製品が多く登場する、という点はうれしいことだが、それだけでは足りない。ユーザーを喜ばせるのは、あくまで「機能」を中心とした商品価値である。各社が家電プラットフォームに力を入れる理由は、高性能な半導体による、高機能な家電を開発しやすくする、という意味合いも強い。おそらく、「UniPhier」の名を目にする時は、その機能の面に伴う話題が中心であるはずだ。 家電向けのパワフルなLSI、というと、ソニー・東芝の「Cell」系LSIを思い浮かべる人が多そうだが、UniPhierもまた、別のベクトルでパワフルなLSIとなっている。 「例えば、2007年秋に発売したDIGAには、MPEG-4 AVC/H.264 High Profileによるエンコード機能が搭載されています。これは、MPEG-2に比べ10倍の能力を必要とします。また、Blu-ray Discのフォーマットは、ロスレスのマルチチャンネルを扱うため、特に音声フォーマットの負荷が大きい。そのため、メディアプロセッサを4つ並列で搭載しているんです」と藤川氏は語る。 松下が2006年に発売した「DMR-BW200」の場合、LSIはレコーディング系、BD-ROM再生系、高画質化、IEEE 1394処理系の4つが使われていた。私の知る限りでは、これでもかなり少ない方である。多くのメーカーは、音声系LSIを別途搭載しており、コスト面で負担となっていた。 翌年、2007年のDIGAに採用されていたLSI「PH1-ProII」は、これらの要件を、ほぼ1チップで満たすものとなっている。そのため、DIGAの内部は非常にシンプルで、マザーボードも手のひら大で収まるほど小さい。
「基板が小さくて済むということは、ドライブと基板を積み重ねなくて済む、ということ。ですから、あれだけ薄型に済ませることもできたんです」 藤川氏はそう説明する。2008年前半までのBDレコーダの中で、DIGAは他社製品に比べ比較的薄型である。その理由は、こういったところにあったわけだ。パーツ点数が少ないということは、もちろんそれだけ利益率が高まるということであり、松下にとっても大きな利点となる。 また、あまり知られていないが、Javaの実行パフォーマンスも高く、「フルHDで3Dグラフィックスを処理し、十分高速に動かせるほど」(藤川氏)のポテンシャルを秘めている。このあたりのノウハウは、「携帯電話向けのJava実行環境のノウハウを生かしたもの」なのだとか。技術共用が容易なUniPhierの面目躍如、といったところだろうか。 ■ DIGA向けUniPhierの力は「2008年末新モデル」で花開く? それだけの処理をしながらも、2007年末世代のDIGAでは、「まだまだ製品レベルでは、PH1-ProIIの能力を出し切れていない」と藤川氏は話す。 例えば、ユーザーインターフェイスにしてもさらなる高速化が可能であり、より高度な機能の実装も考えられていた、という。だが、製品化のスケジュールを考え、ある程度の最適化と機能実装にとどめた、というのが実情であるようだ。
先日発表された新DIGAでは、「Wオートチャプタ」などの新機能が搭載されている。現時点では、どのようなLSIが使われているか、詳細は不明だが、UniPhierのロードマップから考えると、「PH1-ProII」をベースにしたものが搭載されている、と考えるのが自然だ。2007年10月、PH1-ProIIベースのプラットフォームを採用したDIGAが発表された際、同社のDIGA開発陣は、「今後の基盤となるプラットフォームができあがった」と話していた。 製品計画にあわせてプラットフォームを改良し、新たなソフト追加もあわせて「新機能」を実現していくのが、UniPhierの強みといっていい。このようなポリシーを、藤川氏は住宅になぞらえ、「住みながら建て替え」と称する。 「レガシーを引きずっていては、なかなか新機能を開発して共有する、というのが難しい。かといって、いきなり全部を新しくするのも、いきなり更地から家を建てるようなものですから大変です。新しい仕組みを必要とする部分から改善していく、というのが必要になります」(藤川氏)
■ 「YouTube再生」もサクサク実現。LSIの「適切な余裕」が強みの元
その最たるものが、「ネットワーク」への対応だ。今後、家電機器でIPネットワークを使うのは当たり前のことになる。DLNAや「アクトビラ」のような映像配信はもちろんだが、「YouTube」に代表される、PC向けサービスの取り込みも、より広がっていくことだろう。 松下は、今年1月のCESにて、米国向けのVIERA「PZ850シリーズ」にて、YouTubeなどの再生を実現する「VIERA CAST」を発表している。同様の機能は、今秋の新VIERA「VIERA PZR900」に「テレビでネット」として搭載された。 これらの機能は、単純な「YouTube再生機能」として実装されているわけではない。ウェブアプリケーションで使われる「Ajax」の解釈を行なうエンジンを、テレビ向けのUniPhier LSI「PEAKS Pro」に実装、ウェブアプリケーションに似た「アプレット」を実装していくことで実現している。日本向けにはYouTube再生機能が発表されているが、米国向けの「VIREA CAST」の場合、Googleの写真共有サービス「Picasa Web Album」との連携も行なえるようになっている。すなわち、「一般的なウェブサービスと連携、テレビ向けに見やすく加工して表示するAjaxアプレット」こそが、VIERA CAST/テレビでネットの正体なのである。これは、単なるウェブブラウザ実装よりも、一段進んだ技術である。 しかも驚くことに、これらの技術は「最新の高性能UniPhier LSI」で動いているわけではないのだ。 「米国向けの製品の場合、実は一世代前のPH1-Pro(VIERA向けUniPhier LSI)に実装しているんです。でもそれでも、サクサク動いている。けっこうすごいことだと思うんですけどね」と藤川氏は笑う。 現在はニーズの問題もあってか、国内では最高級モデルにのみ搭載されているが、実は低価格モデルにも展開が容易な、ポテンシャルの高い技術といえるだろう。 UniPhierをLSIとしてみた場合、それぞれのチップは高性能ではあるものの、Cellのように「図抜けた性能」というわけではない。あえていうなら、「余裕をもったLSI」といった印象だ。これら、UniPhierの持つ「余裕」は、松下の製品戦略を、より柔軟にするために使われていくことになる。 藤川氏は、そういった製品開発をする上での「適切な余裕」が、UniPhierというLSIを自社開発・自社製造する強みでもあると話す。 「確かに、自社で半導体事業を抱えるのは、コスト的にも大変なことです。しかし、それだけのメリットはあると思っているんです。私たちのセット(製品)部門は、『これだけの画質・性能を、これだけのコストと消費電力で』といった、明確な商品イメージをもっています。逆にいえば、それが実現できればいいんです。 一般的な半導体メーカーは逆です。半導体ができて、『これだとこのくらいのことができます』という風に、家電メーカーに提案する形になる。そうすると、確かに動くのですが、機能が輻輳するユースケースで、どうしてもバスなどで性能が追いつかず、機能に制限が生まれやすいんです。我々はそうではないです。セット部門の要求がよくわかっていますから、要求通り動きやすく、制限が少ない」 半導体投資の大規模化に伴い、家電メーカーの多くは、「自社向け中核半導体の自社製造」から手をひきつつある。松下が自社開発・自社製造で成功した理由は、「徹底した全面採用」を続けた結果といえるだろう。 2007年のモデルまで、UniPhierの効果は、「コスト低減」という「内向き」の効果が大きかった。2008年末のモデルではそれがいよいよ、「多彩な機能」に広がり、多くの人にわかりやすい形で見えてきた、といえるのではないだろうか。 □松下電器産業のホームページ (2008年9月4日)
[Reported by 西田宗千佳]
AV Watch編集部 |
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