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本田雅一のAVTrends

高画質エンコードを支える
パナソニックBDATのサムライたち



 前回のコラムで松下電器が米ハリウッドに設立しているパナソニックハリウッド研究所(PHL)が開発するMPEG-4 AVC/H.264 High Profileエンコーダの最新状況について、副所長の柏木氏への取材を元にレポートしたが、PHLはその名の通り研究所であり、事業体ではない。

パナソニックハリウッド研究所

 しかし、実際のハリウッド映画業界はビジネスとして映像を製作している。Blu-ray Disc対HD DVDのフォーマット戦争においては、ディズニーや20世紀フォックスといった映画会社も、自らが支持するフォーマットの正しさを証明するためPHLとの協業を行なってきたが、時は過ぎ、すでにBlu-ray Discというフォーマットを使い、どのように産業を盛り上げていくかというビジネスフェーズに入った。

 前回話を伺った柏木氏も、以前は自ら直接エンコード作業に取り組んでいたが、現在は研究職として開発の方向を決めていく立場に戻っている。しかし、それではせっかく築いてきたハリウッド映画スタジオとの信頼関係、情報交換の場は維持できない。

 そこで研究施設としてのPHLと実業を行なうハリウッド映画スタジオとの間をつなぐための組織として存在しているのが、Panasonic Hollywood Blu-ray Disc Authoring Centerである(なお、松下社内ではBlu-ray Disc Aurhoring Task-forceと言われていたため、略称としてはBDATと呼ばれている)。

 BDATはディスクのプレスサービスやフィルムをデジタル化するトランスファーサービスは行なっていないが、BD-Jを用いたオーサリングや高品位なPHLエンコーダを用いたエンコードなどのサービスを提供し、PHLで開発されたJavaの技術、オーサリングツールなどの松下内製ソフトウェア、エンコーダなどと映画スタジオとの接点として機能している。

 その中で映像圧縮に関わる5人のコンプレッショニストに話を聞いた。


■ 工場ライクに圧縮作業を行なわないことが誇り

左からJeff Floro氏、Allan Semira氏、Jim Bratkowsky氏

 BDATのコンプレッションチームは、ビデオコンプレッション部門マネージャーのJim Bratkowsky氏が全体のマネジメントを行ない、現場の作業は主にリードコンプレッショニストのJeff Floro氏がリーダシップを取っている。二人はテレビから映像業界に入り、その後、DVDのコンプレッショニストへと転じたベテランだ。

 さらに、彼らの下でコンプレッション作業を支えているのが、日本でのDVDコンプレッションの経験を活かして渡米、現地採用されたシニアコンプレッショニストの秋山真、安藤とき枝の両氏。それにシステム管理者からの転身という異色の経歴を持つコンプレッショニストのAllan Semira氏だ。取材は米国人の三人と、日本人の二人との2回に分けて行なった。

 “コンプレッショニスト”という言葉が聞き慣れないという読者も多いだろうが、DVDの登場以来、ハリウッドのポストプロダクション業界では一般的になった言葉だ。映像圧縮は音声圧縮に比べ桁違いに圧縮比が高くなる。いくら大容量化したところで、圧縮しない映像を販売可能なメディアに載せることは不可能だからだ。

 限られた容量、つまり限られた平均ビットレートの中で、シーンごとにどのように容量を割り振り、シーンの特徴ごとに映像の破綻、質感の変化が最小になるように調整しながら圧縮するエンジニアのことをコンプレッショニストという。

 シーンごとの特徴をどのように捉えるのか? また映画監督の意図を汲み取って、元映像の印象を壊さないよう調整を追い込む、映像全体を面だけでなく、時間軸方向にも感じ取って良い映像を引き出すセンスが必要な作業のため、単純にエンコーダを使いこなせればいいというだけでなく、エンコーダに対する知識と映像に対する感性の両方に長けていなければならない。

 しかし、DVD時代を振り返ってみると、確かに2003年ぐらいまでは画質が毎月のように向上していったが、それ以降は(一部の映画スタジオの場合2001年ぐらいから)むしろ画質が低下する傾向が見られた。最近はBlu-ray化を意識してマスター品質が向上していることや、エンコーダ技術の進歩もあって落ち着いているが、映像圧縮の品質という観点で見ると2003~2004年ぐらいがピークだったように思う。

 Blu-ray Discの場合、フィルムトランスファーや映像圧縮のノウハウが蓄積されているなど前提条件が異なることもあり、すでに一部では“工場のように”流れ作業でのパッケージ化が進んでしまっている。こうした背景を念頭に、DVDの時と同じようになっていくのでは? と質問すると、JimとJeffは真っ向から否定した。

「たとえばオーサリング。これは本当に退屈な仕事だ。BD-Jでアプリケーションを作っていく仕事は別だが、DVDオーサリングのようにメニューデザインを作り、チャプターを切って製品へと仕上げていく作業は単調だし、映画作品に関わっている喜びもない。しかしコンプレッションは違う。限られた容量の中で作品と向き合い、物語の起伏や注目すべきシーン、被写体、映画全体の質感に合わせて仕上げていく、とてもクリエイティブなプロセスなんだ(Jim)」

「確かにDVDでは工場化が一部で進んだ。工場ライクに“一定の品質は保証するけど、作品の内容は無視”なんて仕事なら、誰がやっても同じだろう。しかし、それでは作品本来が持つ魅力が減じてしまうんだ。だから、僕らは絶対に工場にはならない。ひとつひとつの作品に自分の気持ちを込めることができることが、この仕事の誇りだからね(Jeff)」

 ちなみにJeffが担当した作品は20世紀フォックスのインディペンデンスデイ、サンシャイン2057など。前者は制作年度の古さもあってやや甘めだが、フィルムの雰囲気を損ねていないのが長所。後者は圧倒的な精細感、透明感に溢れたヌケの良い映像が魅力の1枚だ。



■ 日本から最良のエンコーダを求めてハリウッドへ

安藤とき枝氏(左)、秋山真氏(右)

 秋山、安藤の両氏は、いずれも日本で同じオーサリングハウスに就職し、共に刺激し合いながら、より高画質なエンコードに取り組んでいたライバルだったという。二人のコダワリは業界内でもよく知られていたようだが、特に安藤氏はどんなに細かく、面倒な作業も厭わぬ徹底ぶり。筆者の知人でDVDプロデューサを務めている人物も、彼女には絶対的な信頼を寄せていた。

 そのコダワリは、たとえばテレビアニメやOVAの映像は、プログレッシブで撮影されているにも関わらず、2-3変換後にインターレス機材で編集しているものが大半で、フィールドの並びが崩れて正常なI/P変換が難しいものがほとんどだが、その画質に我慢ができず、全フレームをチェックして正しくプログレッシブ化しなおしてからエンコードするという作業ばかりしていたら、徹夜のしすぎで体を壊してしまった……などのエピソードからもわかる。

 しかし互いを“戦友”と呼び合う二人は、日本でDVDの仕事をすることに限界を感じていた。DVD製作にコストをかけられる時代は終わり、品質に問題のあるマスターを短納期で圧縮せざるを得ない状況に限界を感じていたからだ。

 そんなときに知ったのがPHLエンコーダだったという。Blu-ray Discで発売されたリーグオブレジェンドを見て驚き、パイレーツ・オブ・カリビアン(1、2)が発売されると「凄い。ここまでの映像を生み出せるなら、もう一度、この仕事を極めてみたい」と考えるようになった。

 実はそんなときに、たまたま秋山氏と知り合ったのが筆者である。PHLの記事を書いた筆者に、もっとPHLのことを教えてほしいと自ら連絡してきたのだ。アメリカで働いたことがある人ならご存知だろうが、アメリカで現地採用されて働くのは大変なことだ。ビザの問題もあるが、保険の問題、家賃の問題など経済面はもちろん、言葉の問題もある。しかし「PHLで働けるなら、何としてでもアメリカに渡りたい。何もせずにあきらめるより、やってみて後悔する方がいい」という秋山氏にほだされて、彼と実際に会って話をして、安藤氏とともにPHLと面接できるよう橋渡しを手伝った。2007年1月のことだ。

 その後、各種の手続きを経て彼らがアメリカに渡ったのが昨年10月。果たして彼らは理想の環境を得られたのだろうか? メールでは連絡を取りながらも、常に彼らのことが気になっていた。

「H.264対応エンコーダは今、ソニー製、シネマクラフト製、そしてPHL製があります。シネマクラフト製エンコーダは使いやすく、MPEG-2の知識ぐらいで使いこなせますが、一方で映像は甘い。ソニー製はあまり評価していませんが、実際に発売されているタイトルを研究してみると、自分たちの道具が一番いい。自分たちの選択は間違っていなかったという確信があります(秋山氏)」

「世界最高のエンコーダが自分たちの手元にある。しかもハリウッド映画スタジオから直接届く最良のマスター映像もやってくる。あとは自分たちが間違わなければ、絶対に世界一、高画質な映像になることは間違いありません。これほどモチベーションの上がることはありませんよ(安藤氏)」

 ちなみに両氏の担当した作品だが、秋山氏がキル・ビルVol.2、安藤氏がキル・ビル Vol.1とナイトメア・ビフォー・クリスマス。このうちナイトメア……は、10月に日本語版が発売される予定だ。キル・ビルの日本発売は、現時点では未定。なお、キル・ビルは北米版にも日本語字幕が含まれている。


■ BDATの目的はBlu-ray Discの可能性を追求すること

 もっとも、PHLエンコーダは誰にでも使えるものではないと全員が口を揃える。

「おそらくソニーやデラックス(ハリウッドの大手ポストプロダクションスタジオ)のエンジニアがBDATにやってきても、PHLエンコーダを使いこなすまでに相当の時間がかかるでしょう(Jeff)」

「あらかじめ一般的な映像に合う設定がプリセットであり、それでもかなり良い絵が出てきます。しかし、65インチのPDPをダイナミックモードにして見ると、ブロックノイズが見えてくる。うちのエンコーダは情報量を減らす原因になるフィルム粒子を緩和するフィルタを一切使わずに圧縮するので、圧倒的に多くの情報量が得られますが、その分、ノイジーにもなりやすい。そこでダイナミックモードで意図的にノイズを強調して表示した状態で、歪みやノイズがなくなるよう、10数種類のパラメータを操作してシーンごとに画質を追い込みます。これらのパラメータはH.264の仕組みを知らないと、どう動かせばいいか全く判らない(秋山氏)」

 つまり、他エンコーダはパラメータ数を制限し、一般的なパラメータでもエンコードしやすいように事前にフィルタを適用することで難しさを排除しているのに対して、PHLエンコーダではあらゆるパラメータの調整を可能にし、それを使いこなすことで画質を向上させる自由度の高さがあるわけだ。

 しかし、これは諸刃の剣。間違ったパラメータを与えると、とたんに絵の印象が変化し、画質が悪くなってしまうという。使いこなせば最高の結果が得られるが、使いこなせなければ平均レベルの結果しか出せない。そんな難しさが、むしろBDATコンプレッションチームのモチベーションになっているのだろう。

 もっとも若手のAllanが言う。「僕らはみんな映画が好きなんだよ。だから作品の魅力が失われるようなエンコードはしたくない。フィルム粒子の集まりが生み出す映像表現を大切にしたいし、フィルム本来のナチュラルな表現をデジタル化で失いたくない。良い映像を届けたい。高画質にしたいという思いがあるから、言葉の壁があってもマコト(秋山氏)やトキエ(安藤氏)とも理解し合える」

 Jimは最後に「BDATの目的はBlu-ray Discの可能性を追求することだ。BD-Jを駆使して新しい付加価値を映画スタジオと模索することもそのひとつだし、高画質を追求することもひとつ。まだBlu-ray Discによる高画質化は始まったばかり。まだまだ、もっと高画質を実現できるし、それを僕らは追求していきたい」と締めくくった。


□松下電器産業のホームページ
http://panasonic.co.jp/index3.html
□関連記事
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日本のアニメ最適化にも取り組みたい
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【2007年11月6日】映像の質を“元から”改善するPHLのクロマ処理技術
-新DIGAでBDビデオ高画質化。レコーダ世界展開も
http://av.watch.impress.co.jp/docs/20071106/bd3.htm

(2008年9月11日)


本田雅一
 (ほんだ まさかず) 
 PCハードウェアのトレンドから企業向けネットワーク製品、アプリケーションソフトウェア、Web関連サービスなど、テクノロジ関連の取材記事・コラムを執筆するほか、デジタルカメラ関連のコラムやインタビュー、経済誌への市場分析記事などを担当している。
 AV関係では次世代光ディスク関連の動向や映像圧縮技術、製品評論をインターネット、専門誌で展開。日本で発売されているテレビ、プロジェクタ、AVアンプ、レコーダなどの主要製品は、そのほとんどを試聴している。
 仕事がら映像機器やソフトを解析的に見る事が多いが、本人曰く「根っからのオーディオ機器好き」。ディスプレイは映像エンターテイメントは投写型、情報系は直視型と使い分け、SACDやDVD-Audioを愛しつつも、ポピュラー系は携帯型デジタルオーディオで楽しむなど、その場に応じて幅広くAVコンテンツを楽しんでいる。

[Reported by 本田雅一]


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AV Watch編集部

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