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第248回:圧縮オーディオのための音作りについて考える
~ 圧縮オーディオに携わってきたプロに聞く、音作りの秘訣 ~



メガアルファのスタジオエンジニア、桑原和男氏

 何年か前までレコーディング業界では邪道扱いされていた圧縮オーディオだが、iPodなどの爆発的な普及、そしてネット配信での販売が本格化したことで、見方は大きく変わってきた。そして、ようやく圧縮オーディオのための音作りに本腰を入れて取り組む人たちも出てきた。

 まだまだ手探り状態といった感じではあるが、そんな中、18年も前から圧縮オーディオに携わってきたという珍しいレコーディングエンジニア兼マスタリングエンジニアがいる。今回は株式会社メガアルファのスタジオエンジニアである桑原和男氏に、圧縮オーディオの音作りの秘訣などを伺った。



■ 圧縮オーディオとの出会いはスーパーファミコン

R-09の発表会で、桑原氏はレコーディングエンジニアの視点からR-09について語った

 桑原氏に最初にあったのは、ローランドのR-09の発表会の会場だった。桑原氏はこの発表会で、レコーディングエンジニアの立場からR-09について語っていた。発表会終了後、名刺交換し、立ち話をさせてもらうと、技術的にしっかりしたスタンスを持っている方だという印象を持った。

 聞いてみると音作りに関して、いろいろとマニアックな技術的実験を行なっているとのことで、ありがたいことにDigital Audio Laboratoryの愛読者でもあるという。ちなみに桑原氏は、ミキシングとマスタリングの両方をこなす一方で、キーボードプレイヤーでもあり、作・編曲家としても活躍している。

 早速、桑原氏の所属しているスタジオ「メガアルファ」にお邪魔し、話を聞いてみると、CD-Rのライティング手法やプレス工程についても科学的に分析している一方、圧縮オーディオについては、かなりいろいろと取り組んでいるという。そこで、日を改めて圧縮オーディオについてインタビューさせてもらった。(以下、敬称略)

藤本:桑原さんは、圧縮オーディオについていろいろ取り組んでいらっしゃるようですが、一番最初に圧縮オーディオに携わったのは、いつごろですか?

桑原:振り返ると、ずいぶん長いこと見てきましたが、圧縮オーディオに最初に触れたのは任天堂のスーパーファミコンに搭載された音源チップ、「APU」(Audio Processor Unit)ですね。このAPU、8音ポリのPCMシンセで、その音色データにADPCMのような圧縮が利用されていたんです。そのAPUに入れる音色作りというのを仕事でしたのが、圧縮オーディオの最初の体験です。4bitという低階調のオーディオサウンドだったこともあり、今のMP3などに比較すれば、非常に貧弱なものでしたが、それだけに音色作りには苦労しました。

藤本:PCMの音源ということは、リアルの楽器音をデジタル録音して、APU用に圧縮した、ということですか?

桑原:その通りです。作業自体は比較的単純なんですが、実際に、APUで再生させるととんでもない音になってしまう。高音が入っていると、それがノイズになってしまったり、シンバルのシーンて音がジャリってなったり……。何なんだこれは、って思いましたよ。でも、開発に時間がないということもあって、まさにトライ&エラーを繰り返しながら、短期間でそれなりのものへと仕上げましたよ。

藤本:具体的にはどんなことをしたのでしょうか?

桑原:たとえば、高音を出すためには、高音を上げるのではなく、逆に低音を切ることで、それっぽく聴こえるようになります。また音量レベルを下げることでも、音の破綻をある程度防げることを発見しました。圧縮のアルゴリズムというか、圧縮プログラムが想定している範囲外データがあると、エラーが起きて音が破綻してしまうのです。突然の音量変化なども苦手のようで、こうしたことが起こらないよう、前処理するというのが重要でした。

藤本:そうしたことは、現在の圧縮オーディオにも通じるものがかなりありそうですね。桑原さんは、その後も圧縮オーディオには携わってらっしゃったんですか?

桑原:その後は直接絡む仕事はしばらくなかったですね。当時はキーボードプレイヤーとして演奏したり、マニュピュレータとしてシーケンスプログラムを作る仕事が主でしたから。その次に触れたのはMDかDCCか、という動きがあったころですね。当時、某メーカーでアドバイザー的な仕事をしており、MDのATRACと、DCCのPASC(Precision Adaptive Subband Coding)の音を聴き比べたりはしましたよ。便利さは圧倒的にMDだけど、音はPASCのほうがいいな、と思った覚えがありますね。

 その後は、プレイステーション用にいろいろなアーティストの全曲集を出すという仕事をいっぱいやりました。18.9kHzで4bitという圧縮で、レコード会社から2ミックスのデータをもらって圧縮エンコードした結果を渡すというものでした。単純にそのまま圧縮すると、やはりどうしても音がおかしくなってしまうので、専用のマスタリングみたいな仕事をしていました。

藤本:その専用のマスタリングというのは、どんな処理をするんですか?

桑原:プレステで再生するということは、つまりテレビのスピーカーで聴くということです。テレビで聴いていい音になるように、いろいろと調整をします。使うツールとしてはEQとコンプ、それにエキスパンダーです。そうそう、似た仕事としては、ソニーミュージックで以前プレステをベースにしたレコード店での店頭試聴システムを開発したことがあり、ここで使う試聴ソフトを3枚目から最後のものまで私が担当しました。この試聴システムは、どこの店頭でもまったく同じアンプ、スピーカーで再生するため、かなりシビアに音作りをすることができました。そのため、スーパーウーファがあるわけではないのに、かなりの重低音を出すことができました。


■ 圧縮オーディオ共通の特性、ビットレートと容量のバランス

藤本:本当にいろいろとやってきているんですね。その当時の圧縮オーディオと最近のMP3、ATRAC3、AAC、OggVorbis……といったものには、共通点、相違点いろいろあると思いますが、その点はいかがでしょう?

桑原:基本的にはどれも似た考え方で圧縮していますから、共通点は多いですよ。だから、音の破綻の仕方などは、どれも似ています。たとえば、深いウッドベースの音と大きい音量でのハイハットが合わさった音などはどのコーデックでも得意ではないですね。さらに薄いパッドにコーラスを掛けて位相をズラした音が加わったりすると、破綻しやすいですよ。もっとも、私は圧縮の弱点を指摘したいのではなく、そうした特性を知った上でうまく活用したいという発想なんですが……。

藤本:なるほど、どれも傾向は似ているわけですね。

iTunesで作成したAACは、128kbps時の音質が優れているという

桑原:とはいえ、それぞれには違いもあるので、マスタリングはコーデックに合わせて方法を変えます。実際、エンコーダと曲の組み合わせで向き、不向きがありますよ。ただいろいろ見てきた中では、MP3はいちばん汎用性があっていいですね。ビットレートが細かく選べるし、使うパラメータによって、音が変わるのも面白い。また、エンコーダのアルゴリズムが何種類かあるので、曲によってエンコーダを変えたりもします。エンコーダとデコーダの組み合わせによっても多少音が変わってくるのも面白いところです。

 一方で、iTunesのAACはよくできていますね。128kbps同士で各コーデックを比較すると、AACが音楽的にはいちばん優れたまとめ方をしています。真剣に聞き耳を立てなければ128kbpsで十分な音質といえるんじゃないでしょうか? 一方、ATRAC3plusに関しては低ビットレート48kbpsですごい音質をもっているなという印象です。ソニーっぽい音作りですが、よくできています。

藤本:いま128kbpsというビットレートを例に出されましたが、たとえばMP3の場合、ビットレートはどう設定するのがいいと思いますか?

桑原:やはりビットレートは高くなればなるほどいいですよ。つまり320kbpsがベストであることは確かでしょう。金モノをマイクで録ったシンバル類のとき、複雑なブラスセクションをいいコンデンサマイクで録ったときなど、いくらビットレートがあってもいいなと思いますね。ただし、バランスという問題がありますね。

藤本:つまり音質と、ファイル容量のバランスということですね。

桑原:そうです。実際に聴いてみると分かりますが、64kbpsから128kbpsに変えていくとMP3の音質は劇的に変化します。でも、それ以上上げてもそれほど大きくは変わりません。正確な表現ではありませんが、64kbpsから128kbpsへの変化が1から10としたら、128kbpsから192kbpsの変化は1上がるかどうかレベル。さらに192kbpsから320kbpsに変えても0.3も上がらないでしょう。だから320kbpsが一番いいけれど、その分ファイル容量は大きくなるので、それをどう考えるかです。

藤本:そうですね。でも、320kbpsにしても、非圧縮の原音からはだいぶ離れていますよね。だから、商用のものなどは、バランスのいい128kbpsを選んでいるわけですよね。


■ 圧縮オーディオ作成時に行なう事前処理のコツ

藤本:もう少し、事前処理のコツなどを教えてもらいたいのですが、具体的にどんなことをすることで、圧縮時の音質を上げることができるのでしょうか?

ハイパスフィルタを備える「Sonitus Equalizer」

桑原:まずはハイパスでしょう。エンコーダの中にはあらかじめハイパスフィルタをかけるものもありますが、これはどのコーデックであっても必須な処理ですね。

藤本:具体的にはどのくらいの周波数で設定すればいいのですか?

桑原:曲や、レコーディングした状況にもよりますが、5Hz以下は確実に切っておくといいでしょう。これくらい低い音が混じっていると破綻を起こしやすいんです。もちろん、切れないで済むのであれば、そのほうがいいので、トライ&エラーで試してみるといいでしょう。問題があったら、そこで切る、と。最初は分からなくても100曲、200曲やっていると、勘所は見えてきますよ。

藤本:ハイパスのほかは?

桑原:ローパスも有効ですよ。これもエンコーダがデフォルトで組み込んでいるものもありますね。たとえばMP3の場合16kHz以上を切ってしまうようなものです。高域成分がなくなるのはオーディオ的にいいことではありませんが、こうすることで破綻がなくなって、きれいな音になるケースも多々あるのです。

藤本:EQについてはどうですか?

桑原:昔の圧縮コーデックではEQを積極的に使ったこともありますが、MP3以降は44.1kHzのサンプリングレートが維持できることもあって、EQは本当に味付け程度。あまり大幅にいじることは少ないですね。それよりもエキスパンダーを利用するケースは多いですよ。

藤本:エキスパンダーはどのような効果を持つのでしょう?

桑原:ご存知の通り、最近の曲はコンプをかなりかけて、音圧を稼いでいます。しかし、オーディオコーデックにとって、こうした音はあまり得意でないのです。なので、コンプ効果を元に戻すためにエキスパンダーを利用して伸ばしてやるのです。こうすることで、かなり音はよくなりますよ。ミックス前の素材を持ち込まれた場合は、コンプをあまり掛けない形でミックスしてからエンコードしますが、CDをそのまま持ち込まれるケースも少なくありませんから、エキスパンダーは重宝します。

藤本:ところで、すでにCD用にマスタリングされているものだと16bit/44.1kHzになっていますが、マスタリング前、またはミックス前の24bit/96kHzなどの素材の場合、ここから直接エンコードするといい音に仕上げることはできますか?

桑原:私はエンコーダには極力自分の仕事以外をしてもらわないように心がけています。そういう意味では、24bit/96kHzから直接エンコードするということはしていません。もちろん、エンコーダにもよるでしょうが、96kHzなどのハイサンプリングには直接対応していないものも多くありますし……。もちろん、24bit/96kHzなどの素材があれば、そこから圧縮オーディオ用にキレイに丸めていくことができますから、そういうものがあるのに越したことはありませんが、基本的には44.1kHzに落としてからエンコードをかけています。


■ 音量レベルを下げるだけで、音質が向上

藤本:そのほか、一般ユーザーが簡単にできる音質向上テクニックは、何かありますか?

桑原:そうですね、レベルを下げるのは有効ですよ。いまのCDは音量を目一杯使っていますが、エンコーダ的には、大音量は苦手なんです。逆にすべてのコーデックに共通していえるのは小さい音量の時は、再現性が非常にいい。

藤本:どのくらい下げればいいのですか?

桑原:6dBくらい下げてみてください。それが手っ取り早い方法ですね。中には6dBも下げるとDACがもったいない、なんて思う方もいるでしょう。確かに6dB下げれば1ビット分ですから、16bitの音が15bit化してしまいます。でも、これをエンコードした後にデコードしてみてください。たいてい、ピーク部分が持ち上がり、音量があがり、結果として16bitのデータに戻るんです。エキスパンダーのような効果というかメリハリもしっかりしてくるんです。一番ベストなのは、エンコーダが17bit目とか18bit目もしっかりとってくれること。調べるとわかりますが、18bitとか20bit、さらには24bitに対応したエンコーダもあり、それならば6dB落としてもまったく問題になりません。

藤本:どうやって調べるんですか?

桑原:それは地道に実験するだけですよ(笑)。つまり24bit/44.1kHzなどで、17bit目以下にのみに信号を入れたデータを用意し、それをエンコード/デコードするんです。そのときにしっかり音が再現されていれば、対応している、と。

藤本:なるほど、それはチェックしておいて損はないですね。今度は是非CDのマスタリングやプレス、またCD-Rドライブ活用などについて、マスタリングエンジニアの立場からの意見を聞かせてください。ありがとうございました。


□メガアルファのホームページ
http://www.mega-alpha.com/index.html
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(2006年8月28日)


= 藤本健 = リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。
最近の著書に「ザ・ベスト・リファレンスブック Cubase SX/SL 2.X」(リットーミュージック)、「音楽・映像デジタル化Professionalテクニック 」(インプレス)、「サウンド圧縮テクニカルガイド 」(BNN新社)などがある。また、All About JapanのDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも勤めている。

[Text by 藤本健]


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