小寺・西田の「金曜ランチビュッフェ」

本稿はメールマガジン「小寺・西田の『金曜ランチビュッフェ』」からの転載です。金曜ランチビュッフェの購読はこちら(協力:夜間飛行)

「学びとコンピュータ」問題の根本はなにか

前号で、小寺さんが「学びの過程でPCを使う意味」について触れた。詳しくはそちらを再度お読みいただきたいが、筆者も基本的には同意する。

一方で、非常に悩ましい気持ちであるのも事実である。

「タブレットは教育に向かず、PCの方がいい」という論説があるが、それには必ずしも同意できないからだ。「正直そんなのどうでもいいし、どうも議論にズレがある」と感じる。

PCの最大の利点は自由度にあり、道具には自由度が必要である。だが、それがタブレット、特にiPadのような機器にないか……というと、それは違う、と思う。かといって、現状のiPadがすべての面でPCに勝っており、PCを覚えなくていい……というわけではない。このジレンマがあるからこそ、難しい。

学びにコンピュータを使う、とはどういうことだろう? 多くの人は、ネット検索の活用やプログラミング学習を思い浮かべるが、実際にはそれはごく一部でしかない。

筆者が考える「学びの道具としてのコンピュータ」とは、コンピュータが持つ「デバイスを統合する力」を文房具として使うことに他ならない。

たとえば、自分の朗読を録音し、聞き直して問題点を調べること。体育の授業で、自分のフォームを録画し、改善点を見つけること。レポート製作にプレゼンテーションソフトを使って、わかりやすいものに仕立てること。美術の授業で画材として使うこと。板書のメモをテキストやペン入力で残すこと。

これらは皆「学びにコンピュータを使う」ことだ。過去にはレコーダーやノート、カメラなど様々な機器を必要としたものが、今はひとつのコンピュータでこなせるようになった。我々が仕事をする上で、そうした特性は非常に有用なものだ。同じように、学びにとっても有用なものでないはずがない。こういう話をすると「紙と鉛筆で」という話が出てくるが、もちろんそれはそれでいい。でも、ここでコンピュータを使っていけないはずがない。

問題は、そういう使い方をするコンピュータとして、既存のPC、特にクラムシェル型のノートPCが適切なのか、ということだ。多くのものにはアウトカメラがなく、マイクの位置も適切でなく、なにより「持って動きながら使う」ことを想定していない。文書をタイプすること、座ってなにかを考えることには向いているが、それ以外のシーンには適切ではない。

では、Surfaceのような2-in-1ならいいのかというと……微妙なところがある。問題はソフトだ。いや、もちろんPCにたくさんのソフトがあり、「録音したり撮影したり、それを活用したり」できるのはよくわかっている。だが、タブレットの形態を活かした使い方のアプリとなると、意外なほど増えていない。これはAndroidも同様で、スマートフォンとしてのAndroidアプリはもはやiOSと大きな差がないと思うが、こと「タブレットのサイズと使い勝手」を活かしたアプリ、ということになると、まだまだiPadの独壇場である。

理由は簡単だ。タブレット向けアプリ市場の中で、「有料のアプリが売れる」のがiPadに集中してしまっているからだ。

「タブレット」という形態は閲覧に強いものだが、決して閲覧専用ではない。写真加工にしろ学習にしろ、タブレットの形態を活かしたアプリは多くない。そして、そうした使い方はiPadが先行している。これらがテンプレート的で創造性がない、と筆者は思わない。

もちろん、iPadにも欠点が山ほどある。データの扱いがPCと違って面倒であることや、セキュリティモデル・アプリケーション動作モデル的に制約があり、アプリがPCほど安定していない。だからこそ「本格的に使うならPC」という話になる。また、アプリを見つけて使うための方法論も出来上がっていない。本来は、PCがタブレット的な要素を備え、どちらの用途にも使える存在になるべきだ。iOSはPC用OS的な要素に欠けており、まだまだ進化が必要だ。

一方Windowsは、本来2-in-1の立ち上げ(Windows 8の登場)と同時に、アプリストアであるWindows Storeを活性化させる計画だった。だが、それは叶わず、アプリ市場は定番寡占で安定し、ウェブアプリ以外は伸びない。結果、2-in-1の価値は最大化されず、クラムシェルが効率的な使い方にとどまっている。マイクロソフトは、Windows Storeによるアプリ市場の再構築を、もっと加速する必要がある。アプリ開発者にとってビジネスの魅力がある市場になることが、PCを脱皮させるために必要だ。

他方、こう考えることもできる。

複数のインプットデバイスを集め、アプリ市場もある「スマートフォン」という機器は、もう手元にあるではないか。それを学習に使う話が出ないのはなぜか。PCとスマホ、という当たり前の組み合わせが、普通の文房具と捉えられ、学習に使えるようになるべきだ。

特に日本の場合には、PCを「清書の道具」と考える人がまだいる。「スマホがあればPCがなくてもいい」という発想は、まさにそこからきている。いわゆる「神エクセル」も同じ発想だ。思考の過程、作業の過程のための道具だと考えれば、当然話は違って来る、と筆者は考えているし、そういう「コンピュータの本当の使い方」を教えることが、コンピュータを使った教育であるべきだ。

どうにも、この辺の議論がそうした軸を乖離し、「導入」という産業の議論になってしまっていることが、諸悪の根源なのではないか。「導入」議論を30年続けてきたことが、日本におけるITリテラシーとプロダクティビティ問題の根本的な問題ではないか、と考えてしまう。

小寺・西田の「金曜ランチビュッフェ」

本稿はメールマガジン「小寺・西田の『金曜ランチビュッフェ』」からの転載です。

コラムニスト小寺信良と、ジャーナリスト西田宗千佳がお送りする、業界俯瞰型メールマガジン。

家電、ガジェット、通信、放送、映像、オーディオ、IT教育など、2人が興味関心のおもむくまま縦横無尽に駆け巡り、「普通そんなこと知らないよね」という情報をお届けします。毎週金曜日12時丁度にお届け。1週ごとにメインパーソナリティを交代。

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2017年3月31日 Vol.121 <僕らの「セカイノオワリ」号> 目次

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01 論壇【小寺】
誰も経験したことのない高齢化社会に備える
02 余談【西田】
「学びとコンピュータ」問題の根本はなにか
03 対談【小寺】
ドワンゴ・岩城進之介さんに聞く「リアルとデジタル」のぼかし方(5)
04 過去記事【小寺】
ホントにいるの? Ultra HD Blu-ray
05 ニュースクリップ
06 今週のおたより
07 今週のおしごと

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
 メールマガジン「小寺・西田の『金曜ランチビュッフェ』」を小寺信良氏と共同で配信中。 Twitterは@mnishi41