第430回:DSD楽曲配信を始めた「OTOTOY」が目指すもの

~ミュージシャンを“ドキュメントとしてDSDで録る” ~


 既報の通り音楽配信サービスの「OTOTOY」では、8月12日よりDSD形式でのダウンロード販売を開始している。これはリットーミュージックの音楽専門誌「サウンド & レコーディング・マガジン」(以下サンレコ)と共同で展開しているサンレコレーベルの第1弾となるもので、清水靖晃+渋谷慶一郎の「FELT」全8曲。2010年3月1日に東京芸術劇場中ホールで行なわれた二人のコンサートを収録したもので、DSDと256kbpsのMP3のセットとなっている。さらに、24bit/48kHzのWAV形式のものもあり、いずれも1,000円と同価格で販売されている。

 どういう経緯でDSD配信をスタートさせたのか?  DRMフリーで問題がないのか?  今後の展開も含めてインタビューを行なった。話を伺ったのはサンレコの編集長である國崎晋氏とOTOTOYのプロデューサーであり、文筆家・音楽制作者としても著名な高橋健太郎氏のお二人だ(以下敬称略)。

「OTOTOY」

「FELT」の配信ページ。DSDと256kbpsのMP3がセットとなっているほか、24bit/48kHzのWAV形式のものもあり、いずれも1,000円國崎晋氏(左)と高橋健太郎氏(右)


■ メジャーアーティストがDRMフリー/高音質配信に意欲

藤本:今回のDSD配信については、スタートした翌日にTwitterでの國崎さん(@kunisakie)のつぶやきを見て驚きました。どんな経緯で始めたのですか?

サウンド&レコーディング・マガジン編集長の國崎晋氏


國崎:本当にいろいろなことが重なりあって、このタイミングでスタートしたのですが、直接のキッカケは文化庁主催の「東京インターナショナル・ショーケース2010」です。海外に向けて日本の文化を発信していく中、3月1日が音楽の日なので、何かやってくださいという漠然とした依頼があったのです。これに対してサンレコとしてコンサートのディレクションを行なったのですが、ひょっとしたら今後何かに使えるのではないかと録音をしておいたのです。

 もちろん、ミュージシャンのみなさんには「録っておきますよ」と伝えてOKをいただいていましたが、できる限りいい音で録っておきたいと考えました。そして、現時点一番いいのはDSDだろうというのが私の思いだったので、DSDでのレコーディングを行ないました。この際、健太郎さんも見に来てくださっていて、反応もとてもよかったので、これは音源にできそうだなと感じたのです。

「東京インターナショナル・ショーケース2010」の様子

Photo:Takashi Yashima
東京芸術劇場において、さまざまなアプローチで高音質を追求したライブが展開された

Photo:Kenshu Shintsubo

藤本:サンレコで「Premium Studio Live」というライブイベントを企画し、その模様をDSD配信していくと記事で読みましたが、清水靖晃さんと渋谷慶一郎さんのライブはその企画とは別なんですね?

國崎:「東京インターナショナル・ショーケース2010」でライブイベントを企画する面白さを実感しました。ただサンレコでディレクションをしたとはいえ、すべてを仕切ったわけではありません。そのため、次にやるなら会場を借りて、ミュージシャンを呼んで、人を集めて……と全部をやりたいと思うようになったのです。しかし、ホールやライブハウスを借りたとき、満員にできるアーティストをブッキングできるのか、その集客をどうするのかと考えるとリスクが非常に大きい。やはり片手間にやるべきものじゃないなと半分諦めていたのです。

 そんな中、うちの編集部のスタッフが「レコーディングスタジオでやったら? 」というアイディアを出したんです。なるほど、と思いました。それが8月27日に行なう「Premium Studio Live」の第一弾となります。この企画が決まった段階で、健太郎さんにこういうイベントを企画しているのですが、OTOTOYで配信するというのはどうだろうか、と相談をもちかけたのです。

8月27日、東京・一口坂スタジオで行なわれたPremium Studio Liveの第1弾。大友良英さんと高田漣さんによるライブで、収録された音は9月15日よりOTOTOYから配信される

Photo:Takashi Yashima
高橋健太郎氏

高橋:その前からときどき話はしていたし、3月1日のライブでDSDレコーディングしていたのは知っていたので、何らかの形でできないかとは考えていました。そもそもOTOTOYは昨年の8月1日からHQD(High Quality Distribution)ということで、24bit/48kHzでの配信をスタートさせています。スタートはクラムボンの新曲「Now!!」からでした。メジャーレーベルのアーティストの曲をDRMなしでの配信なんて、従来はありえなかった。でもここ2年で状況が大きく変わってきたんですよ。アーティスト自らが原版権を持つようになり、発言力も強くなってきたことが大きいですね。またアーティスト側からも高音質で出したい、という意見が聞かれるようになりました。

藤本:そんな話はなんとなくは聞いていたものの、本当にドラスティックに世の中が動きだしているんですね。


高橋:HQDも昨年のはじめにはシステム的にはほぼ完成していました。そんな中、僕がクラムボンのミト君に話をしたら、「一番最初にやりたい」と言ってくれて、8月にシングルを出すからそこでスタートしようと決まったんですね。当時は、まだ第二弾をどうするなんてことはまったく決めずに、とりあえず手探りで始めたというのが実際のところでした。が、始まるとものすごい反響が大きくて、ムーンライダーズやゴンチチなど、他にもやりたいと言ってくれるミュージシャンが出てくるし、ディストリビューターからも「1曲OTOTOYさんでやらしてくれないか」というオファーが来るなど……。

國崎:OTOTOYでの24bit/48kHz配信は僕ら的にもショックでしたね。e-onkyo musicはもっと以前から高音質配信をしていましたが、やはりジャンル的にも少し違う。それに対しOTOTOYはその前身であった音楽配信SNSとしての「レコミュニ」を2004年に設立したころから付き合いもありました。ただ、最近は関心も薄くなっていたのですが、1年前のこのHQDを契機に再度注目するようになりました。



■ ミュージシャンをドキュメントとして切り取り、そのまま届ける

藤本:とはいえ、一般リスナーにとって、24bit/48kHzでの再生というのはハードルが高くはないですか?

PDX-Z10

高橋:確かに混乱があったことも事実です。「ダウンロードしたけどiPodで聴けない、どうしたらいいのか? 」、「PCで聴いているけど音質がよくない」……など。その後24bit/96kHzでのHQDもはじめていますが、未だに再生環境などでの問い合わせは数多くあります。

 その一方で、パイオニアから24bit/48kHz再生可能なプレイヤー、「PDX-Z10」が発売されたのは大きかったです。従来であればPCとオーディオインターフェイスを組み合わせて高音質再生できる環境を構築するか、LINNのDSシリーズのような高価な機材を導入しないと本来の音で再生することができなかった。でもPDX-Z10ならLAN経由でNASに入ったデータを再生することもできるし、USBメモリも使える。HQD用という意味では画期的でしたね。それでパイオニアとはタイアップして、HQD普及のためにクラムボンや曽我部恵一君などのアーティストにも協力を呼びかけて、高音質のフリーダウンロードをする企画も行なってきました。

藤本:なるほど、そうした背景があった上で、今回のDSD配信に繋がるわけですね。

國崎:先ほどの話の通り「Premium Studio Live」をDSDで配信することを健太郎さんに相談したわけですが、せっかくDSD配信をするのなら、清水さんと渋谷さんの3月1日のライブもDSDで録ってあるから、これも出そうということになったのです。もっとも、実はいろいろな問題もあったんですよ……。

藤本:問題というのは?

國崎:3月のレコーディングでは、KORGのMR-1000を2台持ち込んで行ないました。MR-1000は同期機能がないので、本当ならMR-2000Sを持って行きたかったのですが、用意できなくて……。ちなみに4トラックというのは、ピアノ2本、サックス1本、アンビエント1本の計4本のマイクをそれぞれ独立に録音させたものです。ところが、このデータを持って帰った渋谷さんから「全然うまく合いませんよ~」との連絡があって……。

 渋谷さんはDSDをKORGのバンドルソフト、AudioGateを用いて24bit/96kHzに変換したものを持ち帰り、SteinbergのNUENDOに読み込ませて作業をしようとしたのだけど、簡単には合わせられなかった。それでも波形を見ながら散々苦労して、なんとか1曲は仕上げたけれど、かなり大変なことが判明したのです。サンレコの9月号にも書きましたが、結局、PAをやってくれたエンジニアの金森祥之さんに頼んで、AudioGateで24bit/192kHzに変換してNUENDOに読み込ませてタイミングを合わせる作業をお願いしました。

KORGのMR-1000MR-1000のバンドルソフトAudioGate
MR-2000S

藤本:その意味ではフルDSDではない、と。

國崎:そうなんです。その後、NUENDOに入れたものをどうするといいかを検証しました。1つはそのままD/Aしてアナログ卓に出して、そこでアナログミックスするという方法、もうひとつは同期させたデータをAudioGateでDSDに戻してMR-2000Sに入れて、MR-2000Sでミックスさせるという方法。両方を試してどちらがいいかミュージシャンと話し合ったのですが、戻さないで24bit/192kHzで出したほうがいいという結論になりました。

藤本:せっかくPCM化したのなら、NUENDOのミキサーでミックスするというのは検討しなかったのですか?

國崎:デジタルでのプロセッシングはしないというのがトータルのコンセプトとしてあったので、NUENDOは変換されたPCMデータを再生するためにしか使っていません。これはPremium Studio Liveも同様で、僕らが素晴らしいというミュージシャンをドキュメントとしてDSDで録る。編集的なことはなるべくしない。ある日のある時間を切り取って、そのまま届けるという考え方ですね。

藤本:ドキュメントとしてのDSDというのは分かりやすいコンセプトですね。そういえば、今回の配信はDSDデータだけでなく、MP3データもセットになっていますよね?

國崎:これは健太郎さんからのアイディアでした。


高橋:海外では、現在でもアナログレコードがかなり販売されているのですが、最近のアナログレコードにはコード番号が入っていて、これを使うとMP3データをダウンロードすることができるのです。これなら、レコードプレイヤーがなくても、すぐに聴けるじゃないですか。それをDSDにも適用させたらいいのでは、と思ったのです。またOTOTOYのシステム的にもセットにするのはとてもやりやすかった。

藤本:DSDとは別にWAVの24bit/48kHzもありますよね? やはり両方を買う人が多いのですか?


高橋:クラムボンのときは、両方買って聴き比べる人がいっぱいいましたが、今回は両方買う人はほとんどいませんね。24bit/96kHzも出そうかという話もあったのですが、結局やめました。というのは16bit/44.1kHzと24bit/48kHzではトンでもないほど音が違うけれど、48kHzと96kHzでは容量が倍になる割に、そこまでのアドバンテージを感じません。レコーディング現場でも未だに24bit/48kHzを使っている人が多いのはそのためでしょう。96kHzではプラグイン・エフェクトのノウハウが同じように使えないというような問題もあるのでしょうが……。そのため、OTOTOYとしてもあまり96kHzや192kHzにこだわらなくてもいいかな、と。最高音質はDSDで、一方でWAVの24bit/48kHzはCDよりも高音質だけれど、もっとカジュアルな、当たり前のフォーマットとして展開していきたいと思っています。

國崎:両方を買う人が少ないというのは、そもそも聴き比べられるのはKORGのMRシリーズを持っている人が中心。となると付属のAudioGateで24bit/48kHz化は簡単にできてしまうため不要なんでしょう。我々としてもとにかくいいマスターとしてDSDを作っているので、こちらを聴いてもらいたいですね。



■ スタジオで普及しつつあるDSDマスターが配信できる時代に

藤本:ところで、いまだにSACDはあまり普及しているとは言い難い状況です。そんな状況下でもDSDの可能性はあるのでしょうか?

SCD-XE800

高橋:アナログレコードからCDへと発展してきたけれど、CDのまま30年間止まっている状況です。それでもオーディオマニアは何とか音をよくしようと高品質なCDプレイヤーを試すなど、力を注いできていますが、限界はあります。でもDSDならそれを根底から覆すことが可能です。MR-1000なら10万円以下で入手でき、100万円のCDプレイヤーと同等かそれ以上の音質が見込めるわけです。

 普通に考えれば、これが流行らない理由がないじゃないですか。ただ、SACDはソフトもハードも価格の設定など展開方法がうまくなかったとは思いますね。一方でDSDディスクならPlayStation 3でも再生可能というのは大きいでしょう。SACDは初代機でしか使えませんが、DSDディスクなら現行機種でも再生可能です。さらに、ソニーからは37,800円というSACDプレーヤーのエントリーモデル「SCD-XE800」が発売されましたが、これでもDSDディスクの再生が可能です。もっとも、DSD配信が始まる直前にVAIOがDSDから完全撤退してしまうなど、皮肉な状況もありますけれど……。

藤本:制作現場におけるDSDの普及というのはいかがですか?

國崎:いま、スタジオではKORGのMR-2000Sの普及が急速に進んでいます。典型的な例でいえば、ニューヨークにSterling Soundという有名なマスタリングスタジオがありますが、ついにここにもMR-2000Sが導入されました。理由は簡単、あまりにもみんながMR-2000Sを持ち込むからで、入れざるを得なくなったのでしょう。最終的なマスターをDSDにするというのは、今の流れですから、その点ではやりやすくなっていますね。もちろん、ちょっと前だったら、マスターをそのまま配信するなんて大反対にあって実現できませんでした。とくにDSDなんてマスターの中のマスターですからね。でも確実に時代は変わってきています。

藤本:これからスタートするPremium Studio LiveでのDSD配信、さらにはその後続くであろう他のアーティストのDSD配信も楽しみにしています。ありがとうございました。


(2010年 8月 30日)

= 藤本健 = リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。
 著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto

[Text by藤本健]