東芝がHD DVDから撤退することで、「次世代光メディア戦争」は終結を向かえた。 そこで気になるのは、「これからなにが始まるのか」である。第二次大戦が終わったら冷戦が始まり、冷戦が終わったらテロとの戦争が始まったように、光メディアの戦争の後には、やはりなにか「争い」が待っているのだろうか? そのあたりを予測してみよう。
■ ソフト戦略で早めに「詰んだ」HD DVD なぜ次世代光ディスクが分裂したのか? そのあたりは、本田氏の原稿に詳しいので、ここでは割愛する。 今回の「戦争」の経緯に関し、「消費者無視」との報道が多い。確かに、分裂したことは消費者無視だっただろう。だが、私は、「最後のキャスティングボードを握ったのが、消費者ではなくハリウッドだった」点を消費者不在、と指弾するのは間違いだと考える。なぜならそれも、「消費者を引きつけるための一手」であったためだ。 VHS対ベータのときも、最後の決め手は、現在と同じく、「市販ソフトの量」だった。ただし、今回と違うのは、テープの時代は、映画会社側が「映像ソフトが商売になる」と認識するまでに時間がかかっていた、ということだ。テープ時代は、まずタイムシフト用のビデオレコーダから始まり、「付加的なビジネス」として、映像ソフトの販売がスタートした。結果、まず消費者が「長時間録画」に惹かれてVHSに傾き、次に「ソフトの数」でダメ押しされる、という構造が生まれた。 だが、今回は違う。映画会社にとって、映像ソフトの販売はもはや「本業」だ。そして消費者側も、ディスクフォーマットを選ぶ基準として「ソフトの数」を指針にするのは当然のこととなっていた。 BD陣営とHD DVD陣営は、それをわかった上で、「消費者に選んでもらうため」に映画会社を取りに行なったわけである。消費者からすれば、「選ぶ前にハリウッドが選んだ」ように見えるが、実際は「消費者の判断が下ってしまう前に投了した」というところだろう。 もっとも、昨年後半以降の状況を見れば、消費者の選択としてもBDであったのは揺るがないと思うが。
□関連記事 ■ BDは「最後の光ディスク」 次はネット配信との戦い? BD陣営・HD DVD陣営ともに、この戦争にかけたリソースは大変なものだ。そこまでの総力戦になった理由は、双方とも、この戦争が「最後の光メディア戦争」と強く認識していたことにある。 当面、4K×2Kやスーパーハイビジョンといった「ハイビジョンを超える映像ソース」は、映画館やコンテンツ・クリエーションレベルのものであり、一般家庭にはやってこない、と予想されるためだ。それは、一般家庭に配置できるディスプレイのサイズと、その視聴距離から算出できる「必要な精細さ」のレベルにおいて、現在の1080pレベルがリーズナブルである、ということでもある。このあたりは、プリンタの「印刷解像度」が近年進化していないのと、同じような事情と思えばわかりやすいだろうか。 しかも、未来には「ネット」との戦いが待っている。光ディスクを「録画媒体」ではなく「映像の流通媒体」と見れば、ネットの流通革命とぶつかるのは当然だ。そして、光ディスクに関わるだれもが、「究極的にはネットにかなわない」ことを知っている。 だから、今顧客に問えるもの、として、「HDクオリティ」、「ロスレスマルチチャンネル音声」、「インタラクティビティ」といった要素を持つディスク規格が提案された。その中で、技術やビジネスモデルの相違が埋められなかったことが、今回の不幸につながっている。
■ 高度ネット配信の実現性は「?」 戦争が終わると話題は、「次の戦争」に移りがちである。今回もすでに、様々な報道や記事などで、「ネット配信との競争」が語られ始めている。 音楽では、すでにネット配信が一定の地位を得ている。そして、iTunes StoreではHDクオリティの映像配信が始まった。とするならば、これだけコストをかけた次世代光ディスクの整備も、オンラインに飲まれて終わってしまうのでは…… そんな観測をする人も少なくない。先ほど述べたように、光ディスク事業を推進する家電業界側も、「究極がネット」であることに異論はないようだ。 「ほら、だから、こんな戦争に意味はないんですよ」。そういいたくなる気持ちもわからないではない。だが、違うのだ。問題なのは、いつ「究極的にネットが勝つ」時代がやってくるか、ということである。 技術的にいえば、現時点で、「マスに向けた商業ベースの、オンデマンド形式での高画質映像配信」は不可能である。理由は、回線ではない。むしろ、一番の問題は「サーバー」と「ルーター」だ。 ネット配信最大のボトルネックは、配信のためのサーバー負荷であり、バックボーンを流れる大量のデータを、遅延なくさばき続けるルーティングの負荷である。 ヒット映画の場合、DVDの初回プレス数は数万枚以上。ジブリ作品やメガヒット映画ともなれば、数十万枚がプレスされる。それだけ一度に大量の需要がある、ということでもある。 残念ながら現時点では、それだけのトランザクションを保証できるサーバーもルーターもない。回線やサーバーを多重化して事にあたることは可能だが、そうすると膨大な設備投資が発生し、元をとるのが難しくなる。 音楽はそうではない。映像に比べデータ量は少なく、ネットワーク負荷は低い。逆にいえば、現状の映像ネット配信は、「ユーザーが少ないニッチな存在」であるか、「クオリティを落とし、リーズナブルな設備投資でできるものか」に限定されている、ということになる。 コンピュータの性能が上がっていけば、これらの問題はいつか解決されるだろう。だが、少なくとも、今のサーバーの能力が1桁上がる程度では、カバーは難しい。真にマス向けの高画質映像配信ができる環境が整うのは、早くて5年後、長ければ10年くらい先の話だろうと予想される。 ここで家電メーカーに話を戻す。10年後にネット配信が十分なクオリティを持ち、そこに軸足を乗せられるようになるとしても、それまでの間、DVDでビジネスをやるわけにはいかない。だからこそ、「最後の現実解」として、BDやHD DVDといった光ディスクが必要となるのである。 ■ 「楽さ」を求めて「画質」が失われる? 戦わず協業、があるべき姿 だが他方、家電メーカーや映画会社が、別の意味で「ネット配信」を恐れているのも事実である。それは、「悪貨が良貨を駆逐する」ことだ。 人は、なにより「楽であること」を求める。自宅から出ずに映像を、その場で見られれば確かに楽だし、お金を出さなくていいならもっといい。 海賊版やネットへの違法アップロードは論外として、有料配信であっても、「画質は二の次でとりあえず見られるものを」という指向でビジネスモデルが組み立てられる可能性は高い。韓国でテレビ番組のネット配信が流行したのは、画質よりも「楽さ」が優先されたためであろう。 iTunes Storeのような存在は、「楽さ」の追求にとって理想的な存在だ。ネット配信に期待する人々は、そういった部分に期待しているのではないだろうか。 「別に、そういった用途を否定するつもりはないんです。私も、移動中にはiPodやパソコンで映画を見ますし、その便利さはよくわかっています。ですが、“便利だから”ということで、画質・音質への追求を止めてしまうのは間違いだと思っています。よく、“私は映画の中身が好きなのであって、画質にはこだわらない”という人がいますが、それは本当の映画好きではないと思う。“買う映像”としては、やはり一番美しいソースを手に入れたいじゃないですか」 あるBD関係者もこのように語り、ネット配信自体を否定していない。薄型テレビやBDプレーヤーなどの「高画質デバイス」を売る立場としてのコメントでもあるだろうが、私は彼の意見に賛成だ。 画質や音質に注目が集まりがちだが、BDとHD DVDのフォーマットでは、ネットサービスやインタラクティビティに関する機能の追求も行なわれている。AACSで規定された「マネージドコピー」がその代表例だ。 ネットの代表であるiTunes Storeでも、ディスクの強みとネットの強みを生かしたサービスが用意されている。1月に発表された「iTunes Digital Copy」がそれだ。20世紀FOXの市販DVDビデオ内にiTunesにコピーできる映像を収納、ネット経由で認証し、ポータブルデバイスで利用できるようにするものだ。 また、ソニーはBDビデオ内にPSP向けの映像コンテンツを収録、PS3からPSPへコピーして視聴するという仕組みを作り上げ、CESで技術デモを公開している。 これらのようなサービスが立ち上がり、画質はディスクで、「楽さ」はネットで追求する形となり、双方がメリットのある状況を構築するのが、もっとも理想的な姿ではないだろうか。 戦いが続くようでは、BDもネットもダメになってしまうだろう。 また、「楽さ」を追求する流れは市販ソフトだけのものではない。録画に関しては、ダビング10で多少楽になるものの、アナログ時代に比べ遙かに厳しいのは間違いない。ネット配信に期待するのは、そのあたりの「息苦しさ」ゆえかも知れない。BDが最後の光ディスクとして完全な成功を収めるには、ネットの活用やルールの緩和も含めた施策が必要ではないだろうか。
□関連記事 (2008年2月19日)
[Reported by 西田宗千佳]
AV Watch編集部 |
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