本田雅一のAVTrends

「GOEMON」Blu-ray版の画質を高めたパナソニックの新技術

-邦画の高画質にも取り組むワーナー



GOEMON BD 通常版

 ワーナーホームビデオジャパンが頒布権を持つ、紀里谷和明監督の最新作「GOEMON」が、10月9日に発売される。その発表の中でGOEMONのBlu-ray版がパナソニックハリウッド研究所(PHL)で映像圧縮を担当することがアナウンスされた。

 Blu-ray関連の情報に敏感な読者はこのニュースに違和感を感じたかも知れない。なぜならワーナーはこれまで、一貫してマイクロソフトのVC-1を用いて映像の圧縮を行なってきたからだ。

 そのワーナーが、なぜPHLエンコーダを用いて、そもそも国内のコンテンツをハリウッドの拠点にまで搬送してまで圧縮を行なったのか。GOEMONのBD、DVD製作を担当したワーナーホームビデオジャパンの東慎一氏に話を伺うとともに、エンコードの最終確認を行なうために来日していたパナソニックハリウッド研究所内の映像コンプレッションルームでシニアコンプレッショニストを務める安藤とき枝氏に話を聞き、最終版のGOEMON BD版とDVD版の両方を視聴した。

 


■ 自分たちの出来る範囲でベストを尽くしたかった

 実はGOEMONがPHLでエンコードされることになったきっかけは筆者自身にある。

エンコードを担当した安藤氏(左)と、ワーナー ホーム・ビデオ 東氏(右)

 今年1月にハリウッドの映画スタジオ各社を取材した折、ワーナーのホームビデオ部門副社長とざっくばらんに話をする中、「ダークナイトなどの新作はまだしも、映画ファンが好む過去の名作に、あまりにも画質が低いものが多すぎる。これでは映画ファンはBDをコレクションしたいとは思わないだろう」と本音で話をしてみたのだ。

 すると、意外にも真剣に受け止めてもらうことができ、帰国後に筆者のシアターで品質チェックを担当するエンジニアと共に問題点を洗い出すように、とのメールが回ったという。その結果、筆者のシアターにやってきたのが東氏だったのだ。


ワーナー ホーム・ビデオ オペレーションズ 製作グループ プロダクションマネージャーの東慎一氏

 話をしてみると、東氏がすでに問題点を把握していることはスグに解った。その時に取り上げたタイトルのうち1作は「ショーシャンクの空に」という作品だが、私が「BD版はクリアでノイズは少ないが質感もシャープさもない。WOWOWで過去に放送されたものの方が印象は良かった」と話すと、放送時に使われたマスターテープ(BD化されたものとは異なる)を探してきて比較し、ディテールが大幅に失われている事を確認するなど、手間を惜しまずに問題点を整理していった。

 余談だが、WOWOWの方が画質が良いというケースは、新作ではそれほど多くはない。ショーシャンクの場合は、リマスターを行なう過程でフィルムグレインを無理に潰してノイズ感を抑えようとしたために、本来存在していた被写体の持つ質感が損なわれていた。フィルムグレインの多い古いフィルムの場合に、こうした現象が起こることがある。

 その報告は東氏よりワーナーホームビデオの米国本社に送られたが、その後、バーバンクの本社でどのような議論があったかまでは、筆者はわからない。

 しかし、その場で東氏と東氏の上司に「日本でBDを製作するタイトルだけでも、もっと良いものにするよう、画質管理をキッチリやりませんか?」と提案したところ、「是非、改善に取り組みたい」となった。

 ワーナーホームビデオジャパンは、基本的に米本社の製作するタイトル(日本語版も米国で製作されている)を販売するだけだが、一部にはワーナーエンターテイメントジャパンが独自に買い付けた洋画や、日本で製作に関わったタイトルがあり、それらを独自にBD化する場合がある。

 世界各地の世界遺産でロケを敢行した「落下の王国」もそのひとつで、これも東氏がBD版を製作した。輪郭に若干の甘さはあるが、全体に質感はキープされており、歪み感も少なく、しかも映像・撮影そのものがとても美しい。筆者も気に入っているディスクの1枚である。

「元々、BDの画質には問題意識は持っていました。米国で製作したBDを日本で発売するとき、我々も内容をチェックします。意外にキレイな作品がある反面、中には高画質とは言えないものもありました。あまりにヒドイものは、日本向けマスターはあっても、日本での発売は止めていました。しかし、本社が日本でも発売すると最終方針を決めれば、それも発売しなければなりません」

「でも、いち映画ファンとして、私自身も画質の良くないディスクを買ってしまうと悲しいしガッカリしてしまう。お客さんはガッカリさせちゃいけない。見れば画質の善し悪しは誰でも解るんですから。ユーザーの視聴環境はフルHDのテレビが普及し、どんどん良くなっているのに、画質にこだわらなくていいのか?という葛藤がずっとありました。本田さんと一緒に見たショーシャンクなどは、WOWOW版はゴミが多いリマスター前のマスターでしたが、映画としての質感はきちんとキープされていましたが、BD版はまるでアニメのようにツルッとした質感です。画質に関して議論することができたせっかくの機会なので、自分たちでコントロールできる範囲内ならば、高画質化に取り組もうということになったんです」 


■ 見違えるほど高画質になった新エンコーダ

 そういった経緯があり、筆者が間を取り持ったのが、なんども取材をしたことがあるPHLだった。当初はマスター製作の部分から、画質を意識したプロセスを作っていこうと話していたのだが、GOEMONは既に公開直前でBD製作の準備も進んでいたため、まずは映像エンコードから改善しようとなったのだ。

 もっとも、紹介しておきながら……、実は上手く行くとはあまり期待していなかった。PHLエンコーダの品質が高いことは、特にハリウッドの映画業界ではよく知られているのだが、わざわざハリウッドにまで持ち込んでエンコードするならば、ワーナーのBD/DVDをコンプレッション、オーサリングしている系列のポストプロダクション「GDMX」を、使う方がコスト面でも有利だからだ。

 しかし「私も抵抗されるかと思ったんですが、意外にあっさりと通ったんですよ」と東氏。さっそくGOEMONのBDプロジェクトが始まった。

 始まってみると、どんな仕事でも同じように、思うように進まないこともある。テストエンコードを見ながら、う~ん、高画質ディスクとして通用するものになるだろうか? と心配になることもあったが、結果から言うと実写の日本映画では、もっとも高画質なBDになったと思う。

エンコードを担当した安藤とき枝氏

 エンコードを担当した安藤氏は「PHLで開発が続けられていた、最新のH.264エンコーダがGOEMON制作中に間に合い、それを使うことで劇的に良くなったんですよ」と話す。「1週間ぐらい、コンプレッションルームに篭もりながら、試行錯誤をして画質的な問題があるシーンの改善を続けていました。ところが、エンコード時に新エンコーダのオプションをチェックして圧縮すると、ものすごく鮮度が上がって原画そっくりの印象になる。チェックボックスひとつクリックだけですよ! あんまり良くなるので、コンプレッションルームで他のエンジニアを呼んで、みんなとハイタッチしちゃいました」

 と、この話をする前に、筆者は最終の品質チェックのために映像を見ていたのだが、確かに以前、テストエンコードで見たものとまるで印象が違う。以前は映像を構成する要素が、カクカクと四角い粒子で作られているようで、とても固い絵だったのが、解像感、シャープさ、ディテールを失わないまま、余分な刺激だけが適度に取り除かれているが、主人公のアップを写したカットに見られる、独特のギラギラとしたコントラスト感は失われていない。

 後にハリウッドにいるPHL所次長の柏木吉一郎氏(PHLエンコーダの生みの親でもある)と電話で話したところ「それはエンコーダの設定でしょう。PHLでは基本的に画質が落ちるプリフィルタは絶対にかけない。しかしエンコードの設定で固さ感は調整できます」と話していた。

 では新オプションの効果は? というと、動きの中で被写体の映像情報が全く失われないことだ。たとえばGOEMONのクライマックス、関ヶ原のシーン。激しく舞う砂は、映画館で観た時も、テストエンコード時も煙が舞っているようにしか見えなかった。ところが最終的に出てきた映像では、しっかりと砂の粒が見え、それがスムースに動いているのがわかる。

 同様にフィルムグレインの見え方も変化した。MPEG-2やVC-1では、パラパラと2~3枚のパターンが切り替わるようなグレインの見え方になるところ、従来のPHLエンコーダはコマ送りのようにぎこちないものの、グレインの流れが追えていた。ところが新エンコーダを用いると、グレインがスムースに流れるように見える。

 他にも役者が着ている衣装の質感が、驚くほど明確になり、使われている布の質感の違いが映像を通してハッキリと見えてくる。ストップモーションではなく、動いている映画の映像の中で、被写体の素材感が崩れずに見通せる。

 これを見てしまうと、それまでのPHLエンコードも霞むぐらい……というと、言い過ぎだろうか?

 そんな感想を電話で柏木氏に話したところ「その印象は間違いなく新エンコーダの効果です。詳しくはまだ言えないのですが、従来のMPEGエンコーダは、どんなものでもIピクチャとPピクチャで絵の骨格を作り、その間にあるBピクチャは単なる“つなぎ”という位置付けでした。しかし、新エンコーダはBピクチャの品質を画期的に向上させ、1枚のフレームとして充分に通用する質に高めるんです」とコメントしてくれた。

 たとえばグレインが連続した動きに見えるようになったのは、これまでIとPしかハッキリと目立たず、間のBでのグレインパターンが描かれていなかったのに対し、間のBの再現性が高くなったので、動きが繋がるようになった、というわけだ。安藤氏は「時間軸が変化する中で、映像の中身がしっかりと詰まったまま、動いていく感じ」と話す。

 もっとも、その代償もある。PHLエンコーダには最も高性能なFPGAを9個も使った動き補償検出アクセラレータを個々に搭載するエンコードサーバーを複数(以前に見た時は9台が一組だったが、現在は変わっているかもしれない)使い、「2時間の映画を圧縮するのに3日もかかる」(安藤氏)という。 


■ “監督が創り出したマスターとほぼ同じ”という映像を堪能して欲しい

 これまでに何人ものコンプレッショニストと話をしてきたが、大きく分けると二種類のエンジニアがある。感性が鋭く、感覚的に良い絵を導き出す手法を模索するタイプ。もう一方は理詰めで最良の選択を探していき、最後は自分の目で良否を判断するタイプ。安藤氏は典型的な前者のタイプだ。

 安藤氏の話は感覚的に映像を捉えないとわかりづらいところがあるが、ハマルととんでも無く良い圧縮をしてくれる。昨年、彼女は北米で高画質な映像圧縮を行なったエンジニアが受ける賞を受賞した。タイトルは「キル・ビルVol.1(北米版)」だが、所有している人なら、その高画質はよくご存知のことだろう。今年、日本でブルーレイ大賞のアニメーション部門で表彰された「ナイトメア・ビフォー・クリスマス」や、素晴らしい修復が話題になった「ピノキオ」の圧縮も、同じく安藤氏である。

 その安藤氏、実はマスターが到着するまでは不安だったと話す。「他のスタッフに日本から買ってきてもらった邦画は、どれもすごく輪郭がソフトでディテールも浅くてコントラストも低い。DVDよりは高画質なものの、このぐらいの情報量だとウチでエンコードする機会もないのかな?と思っていました。でも日本人ですから、邦画もやってみたい。GOEMONのマスターが届いた時、ちゃんとシャープな輪郭があってコントラストも高かったので、ホッとしました」

 その安藤氏がオススメするGOEMONのシーンは、ベテラン俳優が見せる表情だとか。

「奥田瑛二さんや伊武雅刀さんぐらいの年代の男性は、薄いシワが顔に拡がり、皮脂のテカリ感も一体になって独特の深い表情を出します。その表情をきちんと表現できるように気を配りました。また、どの衣装もすごく良くできているんですが、素材の質感がものすごくたくさんマスターに入っているんです。鮮やかな色彩と素材の質感を大切にエンコードしました。あとは関ヶ原の砂の動きですね。自然に砂が舞うところを見てください」

 一方の東氏は「エンコードが難しいという意味では関ヶ原でしょう。しかし、色使いの派手さや衣装の質感などが見事に再現できていることに感心しました。GOEMONは前半と後半で色のトーンが違い、前半はとにかくど派手で、意図的に現実感のない色使いをしています。一方で後半は男っぽく、色彩感の薄い世界が展開する。監督が意図したファンタジーの世界感を感じて欲しい。劇場で見た映像よりもキレイと思うぐらいで、シーン毎の雰囲気の違いをどのような意図で使い分けているのかを感じて欲しいと思います」と話した。

 さて、最後にDVD版についても、少しだけ話しておきたい。DVD版は安藤氏の同僚の秋山真氏が担当したのだが、これが驚くほど良い状態だった。DVD版GOEMONは付加機能が多いため、映像ビットレートの最大値が6Mbpsしか取れないという厳しい条件なのだが、圧縮歪みやモスキートノイズによる汚さをあまり感じさせない。もちろん、BD版の方が画質は圧倒的に良いのだが、解像度が低い分、シーン毎の微妙な質感の違いが揃い、劇場上映に近い雰囲気がある。

 もちろん、あくまで雰囲気で、BD版に比べれば情報量は格段に落ちるのはしかたのないところ。シーン毎……というよりも、同じシーンでもカットごとに質感が変化するのが見えてしまうほどマスターに忠実なBD版と見比べてみると面白いかもしれない。

(2009年 8月 28日)


本田雅一
 (ほんだ まさかず) 
 PCハードウェアのトレンドから企業向けネットワーク製品、アプリケーションソフトウェア、Web関連サービスなど、テクノロジ関連の取材記事・コラムを執筆するほか、デジタルカメラ関連のコラムやインタビュー、経済誌への市場分析記事などを担当している。
 AV関係では次世代光ディスク関連の動向や映像圧縮技術、製品評論をインターネット、専門誌で展開。日本で発売されているテレビ、プロジェクタ、AVアンプ、レコーダなどの主要製品は、そのほとんどを試聴している。
 仕事がら映像機器やソフトを解析的に見る事が多いが、本人曰く「根っからのオーディオ機器好き」。ディスプレイは映像エンターテイメントは投写型、情報系は直視型と使い分け、SACDやDVD-Audioを愛しつつも、ポピュラー系は携帯型デジタルオーディオで楽しむなど、その場に応じて幅広くAVコンテンツを楽しんでいる。

[Reported by 本田雅一]