藤本健のDigital Audio Laboratory

第658回

ボーカルを完璧に消す“魔法のソフト”、1U 64chレコーダなど音楽制作の最新動向

 千葉県の幕張メッセで11月18日〜20日に行なわれた国際放送機器展「Inter BEE 2015」。映像・放送関連の展示が中心のイベントだが、例年、一番奥のHall 1に「プロオーディオ部門」というスペースが設けられ、レコーディングや音楽制作系の製品展示が行なわれている。面積的には全体の1/6程度だが、ここには大小合わせて計96社が出展。ソフト/ハードともに音楽制作に関する最新動向をチェックできるイベントとなっていた。

 今回は、その中から特に注目した「既存のオーディオを編集して大きく生まれ変わらせる」というコンセプトの不思議なソフトウェアを2種類、「ハードウェア単体でのマルチトラックレコーディング」というコンセプトの製品2種類の計4つを紹介しよう。

音楽制作系の出展は一番奥のHall 1で行なわれていた

ボーカルを手軽に素早く分離できる“魔法のソフト”とは

 最初に取り上げるのは「音楽のボーカルと伴奏を分離する魔法のソフトウェアツール」として、クリプトン・フューチャー・メディアが扱う「TRAX PRO」というソフトウェア。

TRAX PROの展示

 これはフランスのAudionamixが開発したもので、確かに魔法のソフトウェアというだけのことはある不思議なツール。簡単にいうと、CDなどから抜き出したボーカル入りの楽曲をこのTRAX PROに読み込ませると、それをボーカルと伴奏に分離してしまうというものだ。そういうと「そんなもの昔からあるだろう」、「センターキャンセラーのことか? 」などと思う方もいるかもしれないが、そうした原始的なものではまったくなく、デジタル解析技術を用いた最新鋭のもの。そのプレゼンテーションの様子を撮影した以下のビデオをご覧いただきたい。

TRAX PROのデモ動画

 iPhoneで撮影したものなので、細かなニュアンスまでは伝わらないかもしれないが、かなりキレイに分離できているのがわかるだろう。これを見て、だいたいのことは分かったと思うが、まずはボーカル入りの音楽を読み込ませて再生させ、そこからボーカルだけ抽出したもの、さらにはボーカルだけを消したバックトラックだけにしたものを再生している。

TRAX PRO

 ここでポイントとなるのは、ファイルを読み込むと、すぐにボーカルのピッチを抽出してくれるという点。単にセンターキャンセルをするというのとは全く違い、ボーカルをボーカルとして認識し、それの旋律までを見たうえでキレイに分離。コーラスなどの声にも対応するという。ただし、全自動では完璧にならないところもある。

 事実、上のビデオでも一部ボーカルが切れてしまっているところがある。そんなときはペンツールを用いて、ボーカルの旋律を手で書き足したり、修正することでリファインすることができる。

ファイルを読み込むと、すぐにボーカルのピッチを抽出

 ここまででも十分に思えるが、全自動での処理では、子音やリバーブ成分の処理がしっかりできなかったり、ドラムなどのパーカッシブなノイズがうまく分離できないことがあるので、そうした処理を行なうための機能も用意されている。さらにスペクトログラムを使って修正していくことで、より完璧な分離を可能にするのだ。なお、処理は全て非破壊で、いつでもオリジナルのトラックに戻れるという。

 この分離技術は「ADXテクノロジー」というのだそうだが、最大で192kHz/32bitFLOATのデータ処理までが可能であり、ステレオデータだけでなくモノラルデータに対しても適応することが可能。現在においてはMac OSXのみで動作するようでWindowsは非対応とのことだった。「TRAX PRO」の価格は税込み59,778円だがこのTRAX PROから一部機能を除いた廉価版「TRAX」も35,823円で発売されるとのことだ(価格は為替により毎日変動する)。

 ちなみに、TRAX PROもTRAXも使う際にはインターネット接続が必要になる。というのも、秘密の技術であるADXテクノロジーの一部はクラウドで処理する形になっているからだ。Audionamixの開発担当者によると、高速な処理を必要とするからだと言ってはいたが、実際には機密情報の流出のストップやコピープロテクトといったニュアンスが大きいようだった。ただし、クラウドを使うとはいっても、この処理自体で課金されることはなく、パッケージを買うだけでOKだ。またクラウドには、オーディオデータそのものがアップロードされるようなことはなく、手元のMacで前処理を行なったインデックスデータのようなものを送るだけだから、著作権などを含めた機密は守られるし、通信時間もあまりかからないとのことだった。

2ch音声を簡単に5.1chなどへアップミックスする技術

 次に紹介するのは、イギリスのNUGEN Audioという会社が開発し、国内ではメディア・インテグレーションが扱う、Halo Upmix(64,692円)という、これまた不思議なオーディオ処理ソフト。

Halo Upmix

 こちらも、既存のステレオのオーディオデータを読み込ませるのだが、Halo Upmixを通すことにより、5.1chや7.1chのサラウンドに仕立て上げてくれるというものなのだ。先ほどのTRAX PROがスタンドアロンのソフトウェアだったのに対し、こちらはプラグイン型でDAWに組み込んで使うというもの。環境的にはWindowsでもMacでも使うことができ、AudioUnits、VST、AAX、RTASと一通りのフォーマットに対応している。

 「ステレオをサラウンドに……」というのを聞いて、「あ〜、音が広がるバーチャル3Dね」なんて思ったら、まったく違った。やはり最新技術はかなり進化してきており、例えばコンサートサウンドで試してみたところ、歓声などはリアから、演奏するサウンドはしっかりフロントから聴こえてきて、ステレオサウンドとはまったく違う臨場感を作り出してくれるのだ。

 使い方は至って簡単で、画面に表示されるサラウンド・パンナーで調整するだけ。もっとも、どんなステレオソースであるかを指定するプリセットが多数用意されているので、この中から選べば基本的にOK。調整の必要があれば、サラウンド・パンナーを少し動かすといった程度なのだ。

ステレオソースの種類に合わせてプリセットから選択

 ここでユニークなのは、この分離処理において、リバーブなどは一切使っていないし、コーラスやディレイといったものも使っていないという点。それで、どうやってサラウンド化しているのか、その仕組みはよくわからないが、ここで大きなポイントとなっているのは、アップミックス(サラウンド化するという意味)データと元のステレオミックスの互換性だ。つまり、勝手に新たなデータを作り出すというわけではなく、あくまでも元のデータからアップミックスしているので、例えば、いったん5.1chにしたものを、再度ステレオにダウンミックスした場合は、完全に元のステレオファイルに戻る仕様になっているという。

新たなデータを作り出すのではなく、元のデータからアップミックス

 なお、作り出せるのは5.1ch、7.1chに限らず、LCR、3.1、4.0、4.1、5.0、5.1、6.0、6.1、7.0、7.1とさまざまなチャンネル数に対応しており、いろいろな用途で使うことができそうだ。音楽のアーカイブ以外に、長編映画など映像の音声制作にも利用できるとのこと。

1Uラックマウントサイズで64chマルチトラック対応のレコーダがTASCAMから

 ここで話は大きく変わり、ハードウェアのレコーダについてみていくことにしよう。まずはTASCAMが発表したDA-6400シリーズという機材から。これは64chのマルチトラックレコーダで、標準モデルのDA-6400(オープンプライス/実売432,000円前後)と電源を二重化したモデルのDA-6400dp(オープンプライス/実売486,000円前後)の2種類がある。

DA-6400シリーズ

 すごいのは、これが1Uのラックマウントモデルであり、たったこれだけで48kHz/24bitのデータを64ch同時にレコーディングできてしまうという点だ(96kHz/24bitなら32ch)。記録するメディアは、さすがにSDカードとはいかないようで、転送レートや記憶容量という点から、TASCAMがオプションとして用意しているSSDのドライブを利用する形となっている。また、保証はしないもののの、一般のSSDでも動作しそうだ。ちなみに240GBのSSDに48kHz/24bitの信号を64ch同時に録音していった場合、約7時間分を収録できる計算だ。

背面
オプションの240GB SSD

 ここで気になるのは、64chに対するA/DやD/Aがどうなっているのか、という点だが、DA-6400本体のみではヘッドフォン出力があるくらいで、ライン入力もマイク入力も、メイン出力もなにもない。では、どうやってレコーディングするのかというと、オプションで用意されているMADIのカードもしくは、Danteのカードをリアに2つ用意されているスロットに挿入した上で、ここを通じて信号の入出力を行なうのだ。MADIのカード、IF-MA64/BNは実売54,000円程度、DanteのカードIF-DA64は130,000円程度なのでトータルとしては、かなりの値段にはなってしまうし、MADIやDanteを使うという点で、あくまでも業務用だとは思うが、これがこのサイズの機材1つでできるようになったという意義は大きいと思う。使い方としては、これ単体での運用はもちろんだが、ProToolsなどと直列に接続し、WordClock同期させることで、完全なバックアップ体制を整えることが可能となる。

オプションのMADIインターフェイスカード
Dante対応のカードも
空きスロットにインターフェイスカードを装着

 操作は本体のボタンなどでも行なえるが、iPadと連携できるようになっているため、専用アプリを動かすことで、iPadからのリモートコントロールができるのも大きな魅力。

iPadアプリからコントロール

 でもTASCAMだから……と期待してしまうのがDSDへの対応だ。残念ながら現時点ではPCMのみであってDSDには対応していない。ただ、TASCAMによるとこのDA-6400シリーズは短期で終わらせる製品ではなく、かなり長い年月販売していく予定だという。そのためにファームウェアのアップデートもできる体制にしており、これから先、さまざまな機能が追加される可能性がある。その可能性のひとつとしてDSD対応というのも検討材料にはなっているようなので、今後に期待したいところだ。

ズームの8chフィールドレコーダはADC/DACやマイクプリ搭載でiPad操作も

 最後はズームが展示していたのがフィールドレコーダのF8。こちらはTASCAMのDA-6400のように64chもレコーディングできるというわけではなく8chと規模は小さいけれど、A/DもD/Aもマイクプリアンプも電源もすべて入って145,800円という機材。

ズーム「F8」
2つのSDカードスロットを装備

 メディアとしてはSDカードを2枚用いて録音し、44.1kHz/16bitから最高で192kHz/24bitまで8chで録ることができる。例えば48kHz/24bitなら、8chを1枚のSDカードへ録音していくことができるが、192kHz/24bitの場合は、4chずつに分けてSDカード1、SDカード2に同時に録音していく形式だ。

 この際トラック数としては8chがそのまま入ってくる8トラック分のほかに、それをミックスしたステレオトラックの計10トラックでのレコーディングが可能となっているのも特徴。ただし、192kHzのサンプリングレートの場合のみはミックスしたステレオトラックをサポートしていないので8トラックとなる。

 入力ポートは左右のサイドパネルに用意されており、いずれもXLR/TRSに対応したコンボジャックで、ファンタム電源も利用できるようになっている。

 操作は本体のみでもできるが、こちらもDA-6400同様に専用のiPadアプリが用意されており、それを使ってのリモコン操作が可能になっている。

 ここで気になるのが電源。もちろん、ACアダプタを使って使うことができる一方、フィールドレコーダであるため、バッテリを使っての運用も可能になっている。まずは付属の電池ボックスを使うことで、単3電池8本で動作させることができほか、標準的な外部DC電源にも対応しているため、外に大型のバッテリを接続して長時間使うといったことも可能になっている。

入力はXLR/TRSに対応したコンボジャックを用意
大型の外部バッテリ装着で長時間動作可能

 なお、USB端子も用意されており、これでPCと接続した場合マスストレージクラスでの動作とオーディオインターフェイス動作を選択できるようになっている。マスストレージクラスで接続した場合は、2つのSDカードの中身を読み書きできるようになっているのに対し、オーディオインターフェイス動作の場合は、最高で96kHz/24bitで8入力/4出力のオーディオインターフェイスとして使えるようになるとのことだ。

 以上、膨大に展示されていたInter BEEの会場から気になった4製品をピックアップしてみたが、いかがだっただろうか? 不思議な2つのソフトウェアなども含め、今度実際に使ってレポートできればと思っている。

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto