樋口真嗣の地獄の怪光線

スコア愛好者感涙の夏。映画音楽をオーケストラが演奏するという夢のような時代

 iPhoneに何入れて聞いてるんですか、と聞かれると、そのほとんどが映画音楽、しかもスコアだったりします。

 オツムの構造に少々問題があるのか、洋楽邦楽問わず歌モノの歌詞を聞き取ることがすごく苦手で、大概の曲は何を歌っているのかわかりません。

 わからないなりになんとかしようと脳みそフル回転で楽曲から歌詞を分離させます。

 脳のリソースのほとんどがボーカルトラックのフィルタリングと歌詞の解析に費やされるので歌モノを聞くと仕事が手につかなくなるのです。いわゆる”ながら聞き”が出来ない体質の私が唯一オッケーな音楽の種類が映画音楽、それも劇中に使われるスコアと呼ばれる種類の楽曲なのです。

 ところが多くの映画音楽のレコードは主題歌や挿入歌と行った歌物、ひどい場合は使われてない楽曲をイメージソングと称して埋めてスコアはテーマ曲と愛のテーマのみといったことがザラでした。スコアミュージック冬の時代です。

 それでもNHKのFMで毎週土曜の夜からやっていた「関光夫の夜のスクリーンミュージック」が映画音楽を毎週流すという冬の時代に刺す一筋の光明と言い切れる素晴らしい番組で、欠かさずエアチェックしてましたし、この番組で知る映画も数知れずでした。

 まだ家庭用ビデオが普及していない時代にお気に入りの映画やテレビ番組を反芻し追体験する唯一の方法である映画音楽だけのレコード、サントラ盤をすり減るほど聴き倒しながら脳内ベータマックスまたは脳内マックロードの精度を高めてきたのでスコアを聞くだけで映画を観るのと同等、作品によっては脳内補正が加わってオリジナルを上回る体験ができるのですが、残念なことに自分でしか楽しめないという致命的欠点を擁していて40年近く経ち、21世紀になっても改善されることはありません。

 それでも昔はレコードの収録時間の限界(物理的な問題だけでなく演奏者との契約上の問題もあった)があって全曲収録はまず無理なのでダイジェスト的に限られた曲が収録されるんですけど、決まってこっちが聴きたい曲が入っていなかったり、アカデミー賞まで取っているにもかかわらず、なぜかサントラ盤が発売されず、違うオーケストラによる違う演奏で、ないよりゃマシだけどコレジャナイ感満載のカバーアルバムでお茶を濁したり、必ずしも 満足のいく環境とはいえないかったのが、いつしか待望の音源リリースとか幻の音源が発掘とか、長らく首を縦に振らなかった権利者の首がついに動いた!とか原因はいろいろですが規制緩和のビッグウエーブが我々の元にも。

 その代わり、手に入らない音源はほとんどない、というか海賊版や賞レース前に審査関係者にばら撒かれるプロモ盤、果てはどうして流出したのかレコーディング・セッションという録音段階での生音素材とか別テイクとかが完成した映画以上の長さで収録された音源が、完成した映画のブルーレイよりも高い値段で売られていたりといった、底なし沼が待っています。

 不思議なもので完成した映画以上の魅力がスコアある場合が少なくないのです。

 誤解を恐れずにいえば単体として聞いても充分、というかもしかしたら完成した映画以上にいい場合すらあるのです。

 そんな特殊な人間は私だけではなかったようです。

 近年映画音楽をオーケストラが演奏するコンサートが増えてきています。

 この夏なんか毎週のように開催されるので夢のような時代がきたものです。

佐藤勝先生が好きすぎて……

 日本の作曲家にフォーカスした演奏活動を続けてきた オーケストラ・トリプティーク。芥川也寸志、黛敏郎、伊福部昭といった歴史的な楽曲を限りなく原曲に近い形で再現する…当時の譜面が現存していない場合も多いのだけれど、聞き込んで採譜するという気の遠くなる作業をその作品に対する愛情を支えに成し遂げてきました。

 そんな彼らの次なる標的こそ佐藤勝の楽曲群でした。黒澤明、岡本喜八、山田洋次という日本を代表する巨匠と組んで数々の名曲を送り出しながら、伊福部昭に次いでゴジラシリーズの音楽も担当するその守備範囲の広さ、クラッシックの枠を超えてオーケストラでジャズのようにアプローチする独特のサウンドの響き。リリカルなメロディとぶつかり合うパワフルなビート。土俗と洗練がないまぜになったその楽曲がコンサートホールで演奏される機会が訪れるとは生きて本当に良かった! と主催者の皆さんに包み隠さず喜びと感謝をぶちまけたら、そんなに好きなら、ということなのか曲の合間に登壇してトークをするなどという大役を仰せつかりまして、七月三十日、渋谷は大和田小学校跡地に建つ渋谷区総合文化センター大和田・さくらホールで開演です。

2017年7月30日佐藤勝音楽祭 -オーケストラ・トリプティーク

 自分が作品作りに参加しているならいざ知らず、一観客として単に好きなだけだったという小僧が何を語ればいいのでしょうか? 客席の皆さんと立場が同じにもかかわらず、高いところから何を語ればいいのでしょうか?

 一つだけ言えるのは誰にも負けないぐらい好きだ、ということです。

 どのぐらい好きかというと、今この場をお借りして懺悔混じりの告白を致しますと、実は二回ほど佐藤勝先生の楽曲を参考に音楽を発注しました。

 別の作曲家の方に佐藤勝さんの曲を渡してこれとソックリにしてくださいとお願いしたのです。

 冷静に考えなくても随分と失礼な、あらゆる方面に対して失礼千万なお願いですが、その頃は若気の至りというか欲しいものは手段を選ばず手に入れるという姿勢で突っ走っていました。

 まだ佐藤さんがご存命の時にもかかわらず、そのくらい大好きなんですよ俺は、と無理を通せば道理が引っ込むかどうかはわかりませんがそっくりの楽曲が出来上がり、劇中でも充分な効果を発揮しました。ただ、そのうちの1回は参考に渡した音源…… 当時はまだカセットテープでしたが、そのA面の三曲めとメモを添えておいたにもかかわらず、レコーディングの当日にスタジオ入りしたミュージシャンが個別に音出しをしていたそのリズムが明らかにB面の三曲めだったのです。

 ああっ! ちがう! それは別の映画の主題曲だ!リズム隊の音出しを聞いただけ特定できるぐらいの見事な再現度でしたが、お願いしたのはその曲ではなかったのです。その段階で替えるなんとことはもはや時すでに遅し、そのまま演奏は録音されましたが、瓢箪から駒、転んでもただでは起きなかったというか、最高のグルーブ感の名曲が誕生し、本来使われる予定ではなかったクライマックスの一番盛り上がる場面で大活躍することになったのです。

 なんて話を用意していたのですが、コンサート会場の舞台上、前方には満席のオーディエンス、背後には数十人のオーケストラに挟まれたわずかな舞台縁の立ち位置で先生の楽曲を元に作らせていただきましたなんてわざわざその場でするお話ではありません。

ので、『佐藤さん大好きです』、という毒にも薬にもならない浅い話に終始してしまいました。

 その後の演奏、「ゴジラの息子」の組曲、叙情的で壮大な終曲のスケール感は光学録音でドロップオフされた帯域の差を超えて生オケの豊かな音場が影響したのか尋常ならざる感動に包まれ、別の曲ではないか? と疑い家に帰ってから確認したら確かに同じ曲。でも単体で聞くと画に邪魔されることなく(!)純粋にメロディーが刺さり音圧に感情をぐわんぐわん揺さぶられます。これが純粋映画音楽鑑賞の楽しみでもあるのです。

 引き続いて「ゴジラ対メカゴジラ」のブラスファンクな金管の唸り、野蛮なリズムセクションのビート感。文字通り血液が沸騰して体温と血圧が上昇します。

 終演後にコンサートの興奮を追体験しようとサントラを聞いても演奏を浴びた時の興奮には及ばないのです。なんということでしょうか。体験としてオリジナルを超えてしまったのです。

 映画以上に興奮するなんて事が起こりえるのです。

「砂の器」フィルムコンサート。同時多発のスコア愛が……

 そしてその数週間後、同じく渋谷のオーチャードホールでは「砂の器」のフィルムコンサートが開催されました。

 主催はPROMAX。すでにゲーム音楽を始めとして「ハリーポッター」や「ゴッドファーザー」「スターウォーズ」という海外の映画を上映しながらそのスクリーンの前で演奏するスタイルを、日本映画でやろうという試みです。いわゆる昔の映画のように映画の絵を上映しながらその絵のタイミングを見ながら指揮者がタクトを振りタイミングを合わせていく、フィルムスコアリングの音楽製作作業をそのままコンサートとしてステージ上で上演するのです。

 おそらく日本の映画で初めて音楽を映画の中心に意図的に据えた映画である「砂の器」がフィルムコンサートとして選ばれたのは当然のこと。しかも二部構成二時間二十三分の後半のほとんどが費やされる、ピアノと管弦楽のための組曲『宿命』がとにもかくにも見るもの聞くものを圧倒させ、満場の観客は滂沱の涙を流し、劇中の初演コンサートと現実に演奏されているホールとがないまぜになっていく異常な体験を味わいました。

 ここで上映される映画について触れておきたいのですが、通常の映画は大きく分けて台詞、音楽、効果音の三つの要素が適正なバランスでモノラル、もしくはステレオ、それ以上のマルチチャンネルで生成される音場にミキシングされて完成となります。

 フィルムコンサートで使用される音源は、音楽は実際に生で演奏するので必要がありませんから台詞と効果音だけを流せば良いのですが、残念ながら多くの日本映画はそういうミックスができるようなマルチチャンネルのマスターを保存していません。輸出用にセリフを入れ替えられるように音楽と効果音だけをミックスしておく、ME(ミュージック・エフェクト)トラックは必ず作りますが、音楽抜きを作る需要はそうそうあるものではなく、故にそんなものは知らねえ!(by 加藤嘉)となるのです。

 ではどうするか、現存するマスター音声をデジタルで加工して音楽部分を消していくのです。

 場面によっては台詞や音楽と同時に出ている場面も多々あるので容易な作業ではないはずです。

 確かにセリフの音の帯域が異常に狭くなって聞き取りにくい場所もあり、苦労が偲ばれます。

 それを上回るの音楽の力が補って余りあるのですけれども。

 佐藤勝コンサートで一緒に壇上に上がり、砂の器コンサートにご招待いただいただけでなく、主人公和賀英良の子供時代を演じた春田和秀さんをご紹介いただいた樋口尚文監督には感謝です。

 樋口さん(←ややこしい)が上梓した最新刊『 「昭和」の子役:もう一つの日本映画史』では春田さんのロングインタビューが載っています。必読です。

 そう考えるとこの夏はご招待ばっかり受けて本当に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、そのさらに一週間後に世界をまたにかけて活躍している若き映画監督…落合賢監督にお呼ばれして初台のオペラシティで行われるジョン・ウィリアムスの生誕85年記念コンサートに行ってまいりました。

 もちろんご本人が来日することはないのですが、演奏するのはできて間もないフィルムスコアフィルハーモニックオーケストラという、フィルムスコア専門のオーケストラです。(フィルムスコアフィルハーモニックオーケストラ)

 作曲家の戸田信子さんが中心となってフィルムスコアの素晴らしさを伝えるために結成したというなんとも嬉しい、40年前の自分に教えてあげたい世の中の変化です。同時多発でこんなにみんなスコアを愛してくれるようになるなんて!

 イヤなことも少なからずありますが、決してそれだけではないということなのです。

映画の秋、スコアの秋

 そしてそれで夏はおしまいってわけではございません。九月三日にはオーケストラ・トリプティークによる渡辺岳夫音楽祭。ガンダムバカボン巨人の星に白い巨塔ですよ。こりゃヤバいです。(オーケストラ・トリプティーク)

2017年9月3渡辺岳夫音楽祭 -オーケストラ・トリプティーク

 そして私事で大変恐縮なのですが東京国際映画祭の関連企画で行なわれる最初のゴジラのフィルムコンサートにゲストで登壇します。(ゴジラ シネマ・コンサート)

ゴジラ シネマ・コンサート

 本来なら初代ゴジラからゴジラ対ガイガンまで18年間ゴジラを演じ続けて来られた中島春雄さんと平成ゴジラシリーズの立役者、富山省吾プロデューサーと三人でお話しできるはずでしたが、中島さんは去る8月7日に肺炎で逝去されました。88歳でした。本当に残念です。

 ゴジラのフィルムコンサート自体はすでに二回上演されたものですが、本当に大変素晴らしいので、ぜひ。

樋口真嗣

1965年生まれ、東京都出身。特技監督・映画監督。'84年「ゴジラ」で映画界入り。平成ガメラシリーズでは特技監督を務める。監督作品は「ローレライ」、「日本沈没」、「のぼうの城」、実写版「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」など。2016年公開の「シン・ゴジラ」では監督と特技監督を務め、第40回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。