本田雅一のAVTrends

ユニークで、好奇心を刺激するソニーへ

PSNをもたらした平井新社長が描く“One Sony"




4月から社長兼CEOに就任する平井一夫副社長と、3月末でCEO職を退く、ハワード・ストリンガー氏

 既報の通り、ソニーの経営トップがハワード・ストリンガー氏から、平井一夫氏へと4月1日より交代する。ご存知の通り、平井氏はソニー・ミュージックからソニーグループ内でのキャリアをスタートさせ、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の北米におけるビジネス基盤の開拓に力を発揮。久夛良木健氏の後を引き継いでSCE社長に就任した後、ソニー本社の執行役員に名を連ねていた。

 ソニーのトップ交代劇についてコラムを書くのは、2005年、ハワード・ストリンガー氏がCEOに着任した直後以来だ。あれから7年の時間が経過した。本誌はAV誌であって、ビジネス誌ではないが、その当時を振り返りつつも、現在のソニー、これからのソニーについて、エレクトロニクス製品の専門メディアとしての視点で筆を進めていくことにしたい。


 



■“優れた製品を作る力”を100%発揮できる環境を作れなかった10年

 '90年代に社長へと就任した出井伸之氏は、アナログ信号処理とメカトロニクスに強みを持つコンシューマエレクトロニクス企業を、デジタル信号処理と半導体技術、ソフトウェアの組み合わせで差異化された製品を生み出す企業へと変えようとした。

 色々な評価があるものの、他社に先駆けてデジタル時代に舵を取り、メカトロ依存による製品の差異化から脱しようとしたことは間違っていなかったと思う。しかし、ソニーがデジタル技術の会社へと変化していく中で、同時に合理化を果たしていくプロセスで、大切な何かを失っていったとの印象が強い。

出井伸之氏(2004年撮影)

 かつてのソニーは技術の会社だった。それも“コレだ”と思う要素技術に集中して、夢を実現する一点突破の技術企業だった。生産の合理化や歩留まり向上といった面で多少、他社に遅れを取る部分があったとしても、まずは夢を実現することに力を注ぎ、消費者はそんなソニーに熱狂した。

 しかし、出井氏、およびその後の安藤国威社長の時代は、ソニーの持つ技術力とブランド力を消費する時代だったと思う。例えば、ソニーが作る製品のサブブランドは、そのカテゴリを代表する名前として定着していたが、'96年のVAIO、'97年のWEGAが大ヒットによりブランドを定着させた後、ビジネスブランドとして独り立ちを果たせるものを生み出せていないことからも、ソニーが繰り出す製品の変化を感じられる。

 では良い製品を生み出す力、ユニークな製品を思いつく発想力などが著しく下がっているかと言えば、開発の現場を取材している限りは、大きくは変わっていないとも感じる。もちろん、この15年で失われた研究開発テーマや人材は計り知れないが、それでもなおエレクトロニクスメーカーとしての力はある。

 しかし、組織としてうまく機能しているかと言えば、そうはなっていない。AV機器の本質は音の良さと映像の良さだ。その本質部分で、優れたエンジニアが今でもソニーで製品を作っている。しかし、一方で彼らが力を発揮できる場は、確実に小さくなってきた。

 もう5年も前の話になる、オーディオ機器のエンジニアが「このLSIとソフトウェアを使いこなし、自分のノウハウを埋め込むことができれば、世界最高の製品を作れる自信がある。他社は絶対にまねできない。やらせて欲しい」と訴える場面に出くわしたことがあるが、答えは決まっていた。

 「”SONY”の冠を付け、高品質な製品を出せば、それが正しく評価される時代は終わった。その製品の質がどれほど高いかで経営判断をする会社ではなくなってる。これは私だけの判断でどうにかなる話ではない」

安藤国威氏(2004年撮影)

 10年前のソニーは自信に満ちあふれていた。安藤国威社長に話を聞いた時、同氏は「我々はエレクトロニクス製品を提供しているだけで、十分に利益を出していける。それはブランド力であり、製品を生み出すノウハウと技術力だ」と話した。

 安藤氏の言う通り、ソニーは優れた企業であった。今でもブランド力は決して弱くはない。しかしこの10年、自社が抱えるエンジニアが、自由に、自分が欲しくなる製品を作れてきたかと言えば、流れは逆だ。合理化の元に行なわれた“選択と集中”の“選択”を誤り、エンジニアたちは自由な発想を活かせる場を失い、一歩間違えれば変人と思えるほどの新しい発想をする人たちとは出会わなくなっている。

 ユニークな製品を生み出す環境を、自ら少しずつ捨ててきたことが、ソニーがソニーでなくなってきた理由ではないだろうか。

 しかし、こうした批判さえも、今では虚しいものになりつつある。今のソニーは、その設立趣意書にあった“自由闊達なる理想工場”を標榜してはいられない厳しい状況にある。ライバルの台頭や世界的な景気低迷、自然災害や超円高といった要因だけでなく、“ソニーが他のエレクトロニクス企業とは違っていた理由”が、ほとんど失われてしまっていると思うからだ。


 



■平井体制での“体質改善”の成果が問われる

 4月1日からの新役員人事に関する記者会見において、会長 兼 社長 兼 CEOのハワード・ストリンガー氏は「過去の7年のうち、最初の3年で社内リソースの再構築を行ない、利益率を5%まで回復させた」と話した。繰り返し取材をしてきた身として、様々な予算カットやプロジェクトの中止、それよりなにより“自由度が少なくなった”という雰囲気が、ソニー社内の活気を落としていたようには感じる。とはいえ、短期的な収益体質の改善に役だったことは確かかもしれない。

 それらはビジネス誌による論評にまかせることにしよう。

 AV誌である本誌の立場から最初に考えたいのは、“ソニーはかつてと同じような収益性の高い事業を開拓できるのか?”ということだ。現在のエレクトロニクス事業の柱はデジタルイメージングとゲームである。“この悪経営環境で二つの柱があれば良い”と言えば聞こえはいいが、子会社であったSCEのゲーム事業を除くと、伝統的なソニーのエレクトロニクス事業で収益性が高いのはデジタルイメージングだけ、と言い換えることもできる。

 ソニーはアナログからデジタルへの、メディアの変節期をうまく乗り切ることができた。しかし、アナログからデジタルへの移行が進んでくるにつれて、製品や技術が成熟する速度を高め、新たな製品分野を生み出しても、あっという間に低廉に同様の製品を提供できる別の事業者に主役が移ってしまうケースが増加した。

シャープとアイキューブド研究所が共同開発した「ICC 4K 液晶テレビ」の試作機

 下がった収益性を合理化で乗り切ろうとすれば、次世代で戦うための持ち駒は減る。代表としては、ソニー出身の近藤哲二郎氏がシャープの支援を受けて開発したアイキューブド研究所の4K2Kアップコンバータ「ICC」などがあるが、実際には顕在化していないケースの方が圧倒的に多い。自分たちだけのユニークな持ち駒が減れば、製品の競争力に影響することは言うまでもないが、ブランドに対するイメージも変化していく。特別なブランドだったはずが、特別なものではなくなってきていることは、ソニー自身も感じているのではないだろうか。

 結論から言えば、ソニーはデジタル製品のハードウェア単体を改善することに力を注ぎ過ぎ、サービスとハードウェア、ソフトウェアを一体化するための投資を怠った。この三つを密接に関連付け、ひとつに見せることができなければ、製品に“魅力”という息吹を吹き込むことはできない。

 デザイン、機能、質感、操作性といった面でのノウハウはあっても、ソフトウェアやサービスとの統合ではサッパリ。これはウォークマンなどで顕著だと思うが、必ずしもそれだけではない。やっとうまく回るかもしれない兆しが出始めたのは、2009年に平井氏がソニー副社長として登用されるようになってからだ。

 伝統的なハードウェアメーカーとしてではなく、クラウドコンピューティングで安価にネットワークサービスを提供可能な時代に、いかにサービスとハードウェア、ソフトウェアを融合するのか。新たな体制において、製品そのものの考え方を改革、体質改善しなければならない。これがなくては、いくら財務体質を改善しようとしたところで、うまくはいかない。製品が魅力的でなければ、いくらバランスシートを改善したとしても、いずれは沈んでいく運命だからだ。

 2009年の兆しは、そろそろ実を結ぼうとしているが、まだ道は半ばまでも達していない。平井氏は「我々に残された時間はない」と、自ら危機的状況にあると告白し、それに対処していく覚悟について話した。


 



■“ユニークさ”を引き出すための“One Sony"

 おそらく新聞やビジネス誌には、前途多難なソニーの新経営体制に対して、懐疑的な声が多く出されることだろう。自然災害の影響が大きかったとはいえ、今のソニーが抱える荷はあまりに大きく、体質改善は遠いと思えるからだ。

 しかし、平井氏はひとつの可能性を見ていると思う。

 ソニーが本格的にハードウェア、ソフトウェア、サービスの三つを統合した、新たな製品コンセプトの絵を描き始めたのは、前述したように2009年である。ストリンガー氏が「平井氏は、離れ小島だったSCEのソニーとの一体化に尽力した上、プレイステーションネットワーク(PSN)をソニーにもたらした」と話したように、PSNで行なっていたメディアサービスが、ソニーが提供するソニー・エンターテインメント・ネットワーク(SEN)の基礎になっている。

 元々は各種プレイステーションとそのユーザーを結びつけ、それぞれにゲーム、映像、音楽といったコンテンツを配信するプラットフォームとして開発してきたものを、ソニー製品全体をカバーする汎用性のサービスとして発展させたのがSENである。

 昔ならば、SCEの技術が親会社であるソニーの基盤を支えるサービスを提供するなどあり得なかったかもしれないが、それが可能になってきたのは、ストリンガー氏が掲げた“Sony United”の成果と言えるかも知れない。だが、“Sony United”と、わざわざ銘打たねばならないところに、これまでのソニーの苦しさがあった。

平井氏が掲げた重点施策

 平井氏はこの3年間、ソニーとSCEを一体化することに腐心してきた。ゲームの世界ではハードウェアとソフトウェア(コンテンツ)をネットワークサービスと統合するのは当たり前のことだ。昨今よく言われる“クラウド時代への適応性”という意味では、ソニー本体よりもSCEの方が4~5年は進んでいる。

 しかし、一方で“ソニーを一つにしなければならない”と目標にしなければならないほど、SCEは離れ小島のように独立した存在でもあった。いや、今でも完全にソニーと一体化と言えるかどうかはわからないが、平井氏は「ソニーらしい製品というだけでなく、ソニーらしい“体験”をもたらすために、何をするか。ソニー製品を使って体験し、その上で愉しいと思ってもらえるためには、ハードウェア、ソフトウェア、ネットワークを融合することに徹底的に投資し、利用者の生活様式を変えてしまえるようなことをしなければならない」と記者会見で話した。

 平井氏はバランスシートを改善するための施策に関しても訴求したが、もっとも熱が入ったのが、単に製品を良くするだけでなく、他社製品とは異なる体験を引き出すためのクラウド活用に力を入れることである。

 その先に見ているのは、モバイルデバイスで独自の世界を作ることだ。ソニーはソニーエリクソンを取得し、モバイル分野で自社製品あるいは社内にある技術を統合し、モバイル機器とシームレスにつなぐチャンスを得る。そこへの集中した投資を行なう。


平井氏が会見で発表した、新しいステートメント「A Company that Inspires and fulfills your curiosity(ユーザーの皆様に感動を与えたい 人々の好奇心を刺激する会社でありたい)」

 



■独自OSでの展開を示唆した平井氏

 平井氏は「ソニーを根本的に変えていく際には、大きな痛みを伴うだろう。しかし待っている時間はない。競合は我々の改革を待ってはくれない。このことはハッキリと自覚はしており、それ故に強い意志と覚悟を持ってやり遂げる」と続けた。

 覚悟はもちろん必要だろうが、本当にやり遂げられるのか? という疑問はある。例えば鳴り物入りで開始したSENは、シングルIDでのサービス利用がきちんとできていない。北米では各種サービスの統合や新サービスの追加などで道具は揃ってきているが、日本の対応は遅れている。

 またAndroidを使っている限り、モバイル分野での独自性は展開できない。機能を独自に実装し、また他のエレクトロニクス製品とシームレスにつなげていくには、きちんと基本ソフトの中身やユーザーインターフェイスを自分たちでコントロールせねばならない。

 私は平井氏への質問で、PlayStation Vitaに採用した基本ソフトの存在を念頭に、Andoridへの集中投資で良いのか? 収益性を高めることはできるのか? と尋ねてみた。すると、期待通りに「モバイル戦略といっても、Androidスマートフォンだけではない。Vita用の基本ソフトは、他の用途にも応用が可能だ」(平井氏)との回答を得た。

 もちろん、Androidスマートフォン/タブレットをやめるわけではない。

 「ソニーが従来から持っている技術資産、デジタルカメラのノウハウ、SENへの対応などで差異化できる。また、Xperia arcやacroでも明らかなように、使い勝手やデザイン、質感といったところでソニーを選んでくれたユーザーが多い」(平井氏)

 すなわち、将来的に独自OSの発展を考えつつ、Androidスマートフォンの世界で確固たる地位を確保し、Playstation Suiteと呼ばれるAndroidとVitaの両方で動くゲーム開発プラットフォームを育て、独自OSの世界とのブリッジに使おうとしている。

 では、そんなことを本当に考えているのか? 現場では想定して開発を行なってきた(いる)のか? 実はソニーの独自OSへの展開は、昨年12月から継続して追いかけてきた話題である。SCE幹部、およびソニー幹部に、同じテーマでインタビューを行なっていた。

 これについては、次回のコラムで紹介することにしたい。

 


記者会見で語る平井氏

 今回の記者会見で、平井氏に対する懐疑的な見方は和らいだようにも見えた。平井氏はありきたりの返答をしたり、余裕の表情で煙に巻くといったことをせず、ソニーの状況に関して難しい局面であることを認めつつも、自分の言葉で将来について話をしたからである。

 過去10年は、ソニー全体が同じ方向を向いて仕事ができていなかった。ソニー、SCE、旧ソニーエリクソンをどこまで一体化し、新たなチャレンジを社内に促していくのか。

 「CEOと社長を兼ねるワントップとし、迅速な経営判断を行なってくことで、企業としてのスピードを高めていく」と平井氏は話す。社内をどうまとめていくのか。そして、時代へと追随していくスピードを実現できるのか。まずは、その成果が現れるのを見守りたい。


(2012年 2月 3日)


本田雅一
 (ほんだ まさかず) 
 PCハードウェアのトレンドから企業向けネットワーク製品、アプリケーションソフトウェア、Web関連サービスなど、テクノロジ関連の取材記事・コラムを執筆するほか、デジタルカメラ関連のコラムやインタビュー、経済誌への市場分析記事などを担当している。
 AV関係では次世代光ディスク関連の動向や映像圧縮技術、製品評論をインターネット、専門誌で展開。日本で発売されているテレビ、プロジェクタ、AVアンプ、レコーダなどの主要製品は、そのほとんどを試聴している。
 仕事がら映像機器やソフトを解析的に見る事が多いが、本人曰く「根っからのオーディオ機器好き」。ディスプレイは映像エンターテイメントは投写型、情報系は直視型と使い分け、SACDやDVD-Audioを愛しつつも、ポピュラー系は携帯型デジタルオーディオで楽しむなど、その場に応じて幅広くAVコンテンツを楽しんでいる。

[Reported by 本田雅一]