本田雅一のAVTrends
イマーシブ対応で加速するAVアンプの「コンピュータ化」
トリノフ「Altitude 32」体験とサウンドの未来
(2015/4/17 10:00)
ブルーレイディスクが登場し始める前後、ハイエンドの国産AVアンプが数多く投入された。圧縮音源だけしか存在し得なかったコンシューマ向け映像パッケージ作品のサラウンドオーディオが、ブルーレイによってハイレゾ対応になっていったためだ。
最近になって、主要なサウンドオブジェクトを分離し、再生時にオブジェクトの位置を計算しながら各チャンネルの音声をレンダリングするイマーシブ・オーディオ(代表例はDolby Atmosシステム)が家庭向けシステムにも導入、話題となっている。しかし、当時の“サラウンドオーディオのハイレゾ化”は、イマーシブ・オーディオ導入時よりも遙かに大きなインパクトがあった。
高級AVアンプをメーカーがこぞって開発した背景には、もちろん現在よりもホームシアター市場の環境が良好だったこともあるが、より高品位な音源を得てAVアンプが機能指向から音質指向へと向かう転換点として、ブルーレイが存在したからだったと思う。
しかし、その後は度重なるHDMIのアップデート(純粋に音を送り出すだけならば、当時から変化はほとんどないのだが)などもあって、新技術を盛り込んだフラッグシップと言えるようなAVアンプを、各メーカーとも打ち出せずにいる。筆者も試聴室としているシアターのAVアンプ(パイオニアSC-LX90)を、何度も最新のものに更新しようと検討したが、そのたびに踏み切ることが出来ずにいた。
同じようなことは、これまでホームシアターに投資してきたAVファンも感じているようだ。AV機器販売店のAVアンプ発売イベントなどで話を聞いてみると、かつて購入した最上位のAVアンプから買い換える、あるいはステップアップする製品がないと嘆くひとが少なくなかった。
しかし、トリノフ・オーディオが開発した「Altitude 32」は、そんな悩めるハイエンドAVシステムユーザーにとって、未来を照らす道しるべになるかもしれない。現在は455万円~575万円という、スーパー・ハイエンドの価格帯にあるトリノフのAVプロセッサーだが、その機能や実力は”近未来のホームシアターサウンド”を感じさせるものだった。
こうしたトリノフが取り組んでいる技術的アプローチの先に、AVアンプ製品が進む未来が垣間見えるように感じた。
プロ向けのデジタル音響補正技術をコンシューマに応用
“トリノフ・オーディオ”というブランドを知ったのは昨年のこと。2003年にフランスで設立され、現在はイタリアに本拠を置くメーカーだが、高級オーディオ製品の代理店を長年営むステラが展示会で注目するまで、同社のコンシューマ向けオーディオ製品は日本に導入されていなかった。
それもそのはずで、同社はもともとプロフェッショナル向けのオーディオ機器を中心に手がけていたからだ。視点をプロフェッショナル向けに移すと、トリノフの製品はNHK、東宝、イマジカなどへの音響機器納入実績があるという。
そのトリノフがプロフェッショナル向け製品で磨いた技術をコンシューマ向けに応用した製品を開発・販売し始めたのは比較的最近のこと。日本のオーディオ業界で、その名前が知られていなかったのも当然といったところだろうか。
そんな彼らの核となる技術は、音響データを補正するデジタル信号処理や3Dマイクを活用した音響測定技術などだ。単純にターゲットとする周波数特性に合わせる補正だけでなく、群遅延や位相の補償(いわゆる時間補償)も行なう。
代表作であるST2 HiFiはIntel製の1.8GHzデュアルコアプロセッサを搭載し、独自開発のソフトウェア(おそらくLinuxベース。操作はVNCを通じたリモート画面からタブレットで行なう)で動作している。演算は64bit浮動小数点で行なわれる。ただし、これは2チャンネルのオーディオ向けソリューションだ。
同様の補正機能を搭載し、ネットワークオーディオ再生機能やプリアンプ機能、ルーム音響補正などを搭載したAMETHYSTという新製品も180万円で先日受注を開始したばかりだ。
これに対して、最新のイマーシブ・オーディオすべてに対応するホームシアター向けのスーパーハイエンド・AVプロセッサーとしてラインナップされたのが「Altitude 32」というわけだ。
HDMI入力端子は8系統あり、音声出力は16、24、32チャンネルの3モデルがある。対応フォーマットは通常の、ホームシアター向けオーディオフォーマットにすべて対応しているのはもちろん、イマーシブ・オーディオはDolby Atmos、DTS:X、Auro 3Dの3規格すべてに対応している。
いや、“中身はコンピュータ”ということからも解るとおり、コンピュータを使って再生制御できるソースは、積極的に対応していく方針のようだ。ネットワークオーディオプレーヤ機能も当然のように機能を内包している。
他の製品と同様、特定のDSPチップなどに機能を依存せず、完全にインテルプロセッサ上で走るソフトウェアで機能実装されているため、機能の向上や不具合の修正、オーディオ処理最適化による音質改善などはインターネットからのダウンロードで行なわれる。
また、出力チャンネル数も装備する拡張カードで追加できる模様で、後からのアップグレードも可能だ(もっともシアタールームの設計とともにチャンネル数を決めていると思われるので、アップグレードは希だろうが)。
さらには本製品のチャンネルを複数束ねることで、デジタルチャンネルディバイダとして利用することもできる。クロスオーバー周波数とフィルタ係数を設定した上で、スピーカーユニットごとにマルチアンプで鳴らせるということだ。この際、各チャンネルごとの位相補正や周波数特性の補正を、後述する3Dマイクを用いたマルチ測定をベースに行えるよう設計されている。
また、“AVプロセッサー”と商品カテゴリを定義しているだけあって、増幅用のアンプは内蔵されていない。すなわちスピーカーを駆動するためには、別途、パワーアンプ(あるいはアクティブスピーカー)を用意することになる点は留意しておくべきだろう。
また、16チャンネル分のアナログ出力(バランス型)は端子を備えるが、それを越える分に関してはプロオーディオの世界で使われているDB25という、D-Sub端子を用いたマルチチャンネルデジタルインターフェイスが用いられる。すなわち16チャンネルを超えるスピーカーを扱う場合は、別途、チャンネル数に応じたD/Aコンバータを用意せねばならない。
このように、コンシューマ機とは名乗っているが、プロフェッショナル向けの製品をコンシューマ向けにもアレンジした製品で、使い方、設定などの幅もたいへんに広い。基本的には専門知識を有するシアターインストーラー向けの製品と言えよう。一方で、自分自身の経験や知識を用いて、部屋を追い込みたい人にはこれ以上ないマニアックな製品とも言える。
だが、筆者は少し異なる部分に着目した。
自由なスピーカーレイアウトが可能。音響特性に合わせて音声チャネルをリマップ
本機は3つの代表的なイマーシブ・オーディオに対応し、最大32チャンネルものスピーカー出力に対応する、という部分にばかり注目が集まりがちだ。しかし、それだけならば、32もの出力は必要ではない。
もっとも特徴的なのは、最大32のスピーカーに対して演算で求められた“出てくるべき音”を再マッピングすることだ。たとえば5.1チャンネルのサラウンド音声は、理想的なスピーカー配置と音響特性の部屋で聞いた時、完璧に音場が再現される。その理想的な音に近付くよう、現実に部屋に設置されている各スピーカーからの音を計算する。
現実の部屋には固有の音響特性があり、また配置されている位置も理想的ではない場合がある。また、より緻密な音場を作るにはスピーカー数も増やしたい。劇場向けのDolby Atmosは、スピーカー数や配置場所などに柔軟性があり、それぞれカスタム設計で設定を追い込むが、コンシューマ向けは配置される位置や数に制限がある。Altitude 32のアプローチは、プロ向けのイマーシブ・オーディオの考え方に近い。
まず、スピーカー数、配置場所ともに天井、壁、スクリーン裏など、インストールするシアタールームの大きさや施工条件などに合わせて最適に配置する。一般的には16チャンネルで充分だろう。筆者がデモしていただいたステラ(トリノフの代理店)の試聴室は、もともとゴールドムンドのMedia Roomという技術を披露するために作られたものだが、ここに4つの天井スピーカーを配置した15チャンネルシステムだった。
内訳はフロントが5チャンネル(LRとセンターの間に1本づつスピーカーが入る)、天井4チャンネル、左右サラウンドがそれぞれ2チャンネル(両サイドで4チャンネル)、それにサラウンドバックが2チャンネルだ。これにLFE(低域効果音チャンネル)が加わる。
サラウンド音声の多くは5.1か7.1チャンネルだが、前述したように一度演算でサラウンド音場を展開した後、個々のチャンネルに”再マッピング”するわけだ。スピーカーの配置位置や高さ、部屋の形状や壁や天井の材料、成功方法などは、あらかじめAltitude 32に入力を行なう。
その上で、2ch用のサウンドオプティマイザーと同じく、個々のチャンネルごとに位相、群遅延の補正処理、周波数補正、反射・残響特性などの補正を行なう。部屋の寸法やスピーカー配置から推測される理論上の特性だけでなく、高精度の3Dマイクを使った測定結果も加味しながら、好みの音へと追い込んでいけるわけだ。
イメージとしては、部屋全体をサラウンド音場を再現するひとつのスピーカーシステムのように定義し、システム全体が備えるスピーカーを中央司令室であるAltitude 32が各スピーカーに役割を割り振り、リスナーに対して音を届けるようなイメージだ。
イマーシブ・オーディオはもちろん、通常のサラウンド音場が素晴らしく良い
では実際の効果は? というと、もっとも良さを実感できるのは、一般的な5.1あるいは7.1チャンネルのサラウンド音声だ。映画はもちろんだが、自然にホールの音場を捉えたライブ録音の音楽ブルーレイが極めて自然に再生される。
64bit浮動小数点での演算とは言え、かなり複雑な処理を行なっているため、演算処理の中で情報量が落ちないかと心配したが、むしろ情報量は増える方向で、音場に散らばっている細かな音が聞こえてくる。隙間なく埋め尽くされた音のパーティクルの間には、ふんわりとした空気感も感じられた。
贅沢を言うならば左右フロント、天井側のコーナーあたりに音の薄い領域を感じたが、スピーカー配置を見直した上で、Altitude 32側のセッティングを煮詰めれば、そこも気にならなくなるだろう。ともかく、音場のつながりの良さ、また多少視聴位置がズレても音場が崩れず、リラックスして聴ける点は特筆できる。
ややスピーカー配置を見直せば……と感じたのは、おそらく試聴で使われたステラの試聴室が(前述したように)別の技術を聴かせるために設計されたものだからだろう。言い換えれば、まったく違った目的のために設計・配置されたスピーカーでも、Altitude 32は違和感なく緻密で正確なサラウンド音場を生み出せる音を意味している。
Altitude 32にVNCでアクセスした際の画面をいくつか掲載しておくが、これらを見れば、ここで解説したサラウンドチャンネルの”再マッピング”の意味も見えてくるのではないだろうか。もちろん、イマーシブ・オーディオを採用したソフトが多数出てくれば、それは嬉しいことなのだが、それ以前にたくさんある通常のサラウンド音場を素晴らしいものにしてくれる点が、本機最大の美点だと思う。
次世代のAVアンプ上位モデルに向けた洗練に期待を
本機の持つ機能やセッティングの自由度、高精度の音響計測システムなどには目を見張るものがある。既存のAVアンプ上位モデルから前に進む方向を見失っているハイエンドのAVシステムファンは、Altitude 32の今後について注目するといい。
そうした“次を見つけられずにいる”ハイエンドユーザーは、9~11チャンネルぐらいのサラウンドシステムをすでに持っている方が多いと思う。16チャンネル版であれば、これらのシステムに4つの天井スピーカーを追加するだけで、高い効果を得られるはずだ。もちろん、これからシアタールームを設計する方にも検討に値する技術だ。
しかし、本機は誰にでも導入できるシステムではない。本機が持つ、スピーカー設置の自由度と、補正機能の豊富さ、正確さを活かしながら、もう少しカジュアルな製品に搭載できるものへと洗練できれば、AVアンプという商品の可能性を広げることができるかもしれない。
たとえば、再マッピングといった考え方はAuro 3Dにもあり、最大13.1チャンネルにまでチャンネル数を拡大できる。Altitude 32の柔軟性を残したまま、それらを実現出来たならば、このところ長足の進歩が見られなくなっていたAVアンプの世界にも、新たな光が差し込むように思う。