藤本健のDigital Audio Laboratory
第616回:最新アナログレコードの制作現場にDSDが活用
第616回:最新アナログレコードの制作現場にDSDが活用
加工せず「マスターに忠実な音作り」。1ビット研究会
(2014/12/15 13:18)
「第10回1ビット研究会」が、12月10日に早稲田大学の西早稲田キャンパス内の大会議室で行なわれた。今回、過去最多の180人以上が出席したとのことで、学術的な成果発表から、メーカーの新製品・新技術の紹介、さらには1bitオーディオとΔΣ偏重の基本原理解説など、多岐に渡る発表が行なわれた。大学での研究会だけに学会的な要素も強く、かなり難しい内容も多かった中、DSDを用いた応用例の紹介もあり、興味深い内容になっていた。そこで、その応用例として紹介された2つの事例を今回と次回の2回で紹介してみたい。
ここ数年、ほぼ毎回出席している1ビット研究会。会場には、早稲田大学をはじめとする1ビットオーディオの研究をしている人たちはもちろんのこと、1bitオーディオの機器を開発しているメーカーの方々、レコードレーベルの方、オーディオ評論家、レコーディングエンジニアやマスタリングエンジニア、そしてオーディオマニアの人まで、さまざまな人がいる。個人的には、難しくてなかなか頭が追い付いていかない部分も多いが、情報の少ない1bitオーディオ、DSDの最新情報が得られるという理由から参加していて、最近少し顔見知りの方も増えてきた感じだ。
第10回目の今回も、早稲田大学や企業がそれぞれのテーマで発表を行なっており、全体のプログラムは下の写真の通り。
このプログラムの中から、今回は「1bit Digital Audio Workstation (DAW) Sonomaを活用したLPレコードの製作」を、次回は「日本で最初にDSD配信を始めたOTOTOY(オトトイ)がDSDでやって来たこと」を取り上げていく。
人気復活のアナログレコード制作現場にDSDが活用
発表を行なったのはスーパーオーディオラボの照井和彦氏。以前にも1bit研究会で登壇されていたことがあったが、今回の発表は、ちょうど同日12月10日にユニバーサルミュージックから発売された5枚のLPレコードの制作工程について。最近、アメリカやイギリスでLPレコードの販売数が急速に伸びているというニュースが先日も流れていたが、LPレコードが今、どのようにして作られているかという情報はなかなか出てこない中、貴重な話だったので、紹介していこう。
今回発売されたLPレコードは、ユニバーサルミュージックが「100% Pure LP」というタイトルでシリーズ化しているもので、ブルーノートからの下記5タイトルだ。
- ブルー・トレイン/ジョン・コルトレーン
- サムシン・エルス/キャノンボール・アダレイ&マイルス・デイヴィス
- クール・ストラッティン/ソニー・クラーク
- モーニン/アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ
- ザ・シーン・チェンジズ/バド・パウエル
これらは、すべて日本国内だけの発売の生産限定盤。価格はいずれも税込5,940円と高価なアルバムだ。この100% Pure LPは、ユニバーサルミュージックが「超高音質LPレコード」として2012年から発売しているもの。黒い通常のLPと異なり、材料に新配合の無着色ヴァージン・ビニールを使用した半透明のレコードとなっているのが特徴だ。これまで発売されてきたものも、SACDやDSDファイルをマスターに作られている。そして今回の作品は1950年代にレコーディングされたブルーノートでのライブアルバム。いわゆる名盤として知られれるものばかりだが、これをオリジナルマスターテープから1bitのDSDフォーマットでデジタル化した上でに日本のカッティングスタジオに持ち込んだというもの。照井氏によると、「音源の貴重なマテリアルは海を渡ることはできない、というのが大手レコード会社の不文律となっています。そのため、今回のものも、デュープ(複製)した上で日本にもってきているわけです」のことだ。
また「元のマスターテープについては詳しく教えてもらうことができませんでした。ただ、聞くところによれば、現在レコード会社が管理しているブルーノート作品の中で、一番いいコンディションのアナログテープにアクセスしているという情報は得ています」と照井氏。おそらく西海岸のスタジオでDSDワークステーションのSonomaを用いてDSD化しているはずだという。
そのDSDのマスターデータを入れたSonomaを持ち込んだ先は、現在、日本で唯一アナログレコードのカッティングとプレスを行なっている東洋化成の横浜工場。Sonomaから俗称“銀箱”と呼ばれるソニー製のDAコンバータ「K-1326」のアナログ出力を通してダイレクトにカッティング・コンソールに入力している。
照井氏が撮影した写真、ここにはSonomaの画面が映し出されているが、よく見ると、ここには4つのトラックが表示されている。これは信号用のステレオトラックと、先行ヘッド用のトラック。レコードを作る上では、この4トラックが必要となるのだが、先行ヘッド用のトラックは、信号用のものと内容はまったく同じだが0.9秒の時間差があるという。これを、K-1326でアナログにしてカッティングマシンへと送っているわけだ。
カッティングマシンとして使っているのは、独ノイマン製のもの。ここに搭載されているテーブルにラッカー盤を乗せ、カッティングしていくのだ。ただしターンテーブルはノイマン社製のオリジナルではなく、DENONのダイレクトドライブタイプ。「非常にフラッターが重たくて、始動時にはエンジニアが手で回してあげるんです。ダイレクトドライブを手で回すのも、いかがなものかとは思いましたが、それだけフラッターが重たいということなんですよ」と照井氏は笑う。
さて、この写真の右下部分にある、「溝間隔の調整と表示メーター」というものがちょっと面白い。これは1mmの間に何本の溝を切るかを指示するためのもので、通常は8~12本程度を指定する。そうした中、今回はバランスをとって10本程度にしているのだとか。
マスターに忠実な音づくりを追求
その後、調整卓を通じて信号が流れていくわけだが、この際、イコライザ、リミッタ、コンプレッサ、カットフィルタ、低域位相補正等の電気処理は一切行なっていないという。「マスターテープからDSDに落とした際に、何をしているのかについては情報がなく分かりませんが、日本では何も調整していません。このシンプルな回路構成によってカッティング・レベルを競うのではなく、音の鮮度とダイナミックレンジを重視したマスターに忠実な音作りを目指しているのです」と照井氏は語る。
「私自身は、お会いしたことはありませんが、ブルーノート・サウンドといえば、ルディー・バン・ゲルダーさん。バン・ゲルダーさんはモダンジャズの初期時代から第一線のレコーディングエンジニアとして活躍してきた伝説的な人。そのバン・ゲルダーさんが立会いのもと、カッティングしたオリジナル版にこそ価値があると一般的に言われていますし、それはもっともだと思います。録音するエンジニアは、どんなメディアで再生するかを想定した上で録っており、ゆくゆく高域が落ちてしまうようなメディアであれば、高域を上げ気味に録っていたりするからです。しかし、今回はバン・ゲルダーさんが立ち会うわけではなく、ひたすらマスターテープを直に切ったものです。いいか、悪いかの判断は客さんの判断に任せるとして、なるべく何も加工しないでお届けする。そういうコンセプトの作品なんです」(照井氏)
こうした話をしながら、5つのアルバムからいろいろな曲を再生していたが、1ビット研究会において、1bitデータの再生ではなく、アナログレコードを再生するというのも、なかなか珍しいシチュエーションであり、興味深いものだった。
最後に質問を受け付けたところ、会場からは「これは33回転なのか、45回転なのかを伺いたい。あえて高音質にするために45回転をとっているものがあるが、これはどうなっているのでしょうか? またレコードの場合、内周と外周で音質に違いが出ることが指摘されていますが、その点はどう考慮したのですか? 」という声が上がった。
これに対して照井氏は「これは33回転のものとなっています。時間的にも長いので、45回転では入りきらないという点もあったかと思います。また内周、外周についての問題については、いろいろと検討しています。これは1mmの間隔に何本切れるかの設定とも大きく関係してきます。間隔が広くなると、その分より深く溝が掘れるようになり、その分音質も向上します。ただし、そうなると外周だけで留めることができず、内周までいってしまいます。そこで今回は、ある程度間隔を狭くした上で、なるべく外周だけで音が終了するようにしているのです」と回答していた。この辺もやはりバランスということなのだろう。
筆者からもSonomaの4トラックの構成がどうなっているのかを質問したところ、照井氏からは以下のような回答が得られた。
「レコードのカッティングを行なうには、必ず時間差のある音が必要となるため、従来のアナログ時代ではテープを読みだすのにメインのヘッドのほか、先読み用のヘッドをもう一つ装備して行なっていました。しかし、今回のSonomaでは1回録音したものを0.9秒ズラしてコピーする手法をとっているようです」とのことだった。
筆者もアナログレコードのカッティング現場というのはあまり見たことがなく、取材として見学したのは2009年頃。この内容は当時記事にしている。アナログレコードといえば、アナログテープを元に生成するものとばかり思い込んでいたが、DSDという最新のデジタル技術でレコードを作るというのは、なかなか斬新にも感じた。せっかくDSDのデータなのだから、そのままDSDで出せばいいのでは……とも思うものの、最近のレコードの復興事情を見ると、中身はDSDでありながら、音の出口をレコードに頼るとうのも、ありだなとも思った。
もっとも、こうしたものが登場する背景には、DSDの再生環境が、現在も一般にあまり普及していない、ということが大きいのだろう。SACDがほとんど一般に認知されないままに15年が経ち、DSDの配信がスタートしたとはいえ、まだとてもニッチ市場であるのが実情。最近では2.8MHz、5.6MHzに加え、さらに上位の11.2MHzといったフォーマットの配信なども登場してきているが、再生するのがますます難しくなってきているという課題も出てきている。今回のレコードの登場を見て、せっかくの高音質技術なのだから、もっと手軽に楽しめるようにする必要性を改めて感じた。