藤本健のDigital Audio Laboratory
第655回:グラスハープの高周波音響解析など、音の研究発表
第655回:グラスハープの高周波音響解析など、音の研究発表
コンピュータとピアノの協演も
(2015/11/2 13:23)
10月15日に、東京のカワイ表参道のコンサートサロンにおいて、カワイサウンド技術・音楽振興財団が主催する研究発表会が行なわれた。これは同財団から助成を受けた研究者や音楽家が、音楽に関する研究内容について発表をするもの。
筆者も初めて見に行ったところ、なかなかユニークで面白い内容だった。これまで時々レポートしていた情報処理学会での発表などとは、かなり趣の異なるもので、一般の人でも楽しめるものだったので、その内容について簡単に紹介してみたい。
取材に行ったのはカワイサウンド技術・音楽振興財団による「第28回 研究助成講演会」というもの。これは、同財団の前身であるサウンド技術振興財団が河合楽器によって1983年に設立されて以来「サウンド技術の振興」という目的で行なってきた研究助成事業における助成受賞者の研究発表会で、近年は年に2回ずつ講演会が行なわれているとのこと。後援は経済産業省。1回は浜松で行なう、かなり技術寄りの内容のもので、もう1回は東京で行なう音楽寄りのもの。毎年、この助成事業へのエントリーを募っており、多数ある応募の中から審査して決めるのだそうだ。
記事初出時の内容から、一部を削除しました(11月2日19時30分)
高周波音が人に与える影響を、グラスハープ演奏で検証
田村治美氏は国際基督教大学、東邦音楽大学、日本大学理工学部大学院の講師で、生態工学会理事。田村氏の発表は「グラスハープに関する研究-音色の伝説の謎に迫る~工学的・歴史学的試み-」という、またちょっと変わった研究発表だ。グラスハープとは、グラスに水を入れて状態で、グラスの淵を少し濡れた指で擦ると、何とも言えない幻想的なサウンドを奏でるもの。水の量を変えることで音階を作り、これで演奏をしようというものだ。まずは、どんな音なのかを紹介する目的で、田村氏が用意したグラスハープで何曲か演奏した。いろいろな演奏をしていたが、最後の少しだけをビデオに撮ることができたので、参考までに聴いていただきたい。
さて、そのグラスハープは18世紀に入ったころから楽器として広く使われるようになり、さまざまな演奏家も現れるようになった。また、1761年にはベンジャミン・フランクリンがグラスハープを改良したアルモニカという楽器を発明し、瞬く間に大流行となった。しかし、1830年ごろになると、音楽の流行の変化や楽器の維持や運搬の難しさから衰退すると同時に、心身への悪影響が指摘されるようになり、ついには禁止され、消えていく運命になったのだ。そのため、現存するアルモニカは非常に少なく、国内にも4台程度あるのが確認されている程度とのことだが、その心身への悪影響とは何で、本当に悪影響などあるのだろうか? というのが田村氏の今回の研究テーマだ。
グラスハープの演奏が盛んになるよりも以前の17世紀から、グラスの中の液体と音の関係に関する実験が行なわれていたそうだ。まずはグラス中の液体量の変化による音程の比較を実験する一方、液体の種類による音質の比較も行なわれた。さらには液体の種類と音質は「体液と人格の関係」とアナロジーがあるという考えが広まり、病気に対する音楽の効果があるという考えも生まれてきたのだという。
ところが19世紀の禁止にあたっては、まず「鉛が指から体に入るため害である」と言われた。グラスハープやアルモニカに用いられるのはクリスタルガラスと呼ばれる鉛入りのガラスだったためだ。さらに「高周波音が神経によくない」とされると同時に「指先にけいれんを与え神経を侵す」とも言われて、禁止となったのだ。まあ、鉛が指から入るという話や指先から神経を侵すというのは、現代の常識から考えても、あまり科学的な根拠がなさそうであるため、田村氏は「高周波音が神経によくない」が本当なのか、という視点で実験を行なっていったのだ。
グラスの擦音はガラスの素材によって、ずいぶん音色が異なるため、まずはクリスタルグラスのほか、カリクリスタルグラス、ソーダグラスのそれぞれでの音を周波数分析。その結果、いずれも可聴範囲といわれる20kHzを超える高周波が非常に多く含まれている。では、ほかの弦楽器の周波数成分がどうなっているのかを見てみると、グラスハープと比較して、高域は多く含まれていないことが分かった。ただし、尺八や三味線など日本の伝統楽器では超音波成分がかなり含まれてという。こうした状況を踏まえ、田村氏は2つの実験を行なっている。
1つは成分の異なる2種のグラス(鉛入りのクリスタルグラスと、鉛の入らないカリクリスタルグラス)による超音波の人間への影響比較。もう一つは再生機器を通した楽曲についてグラスの擦音を含めた楽器編成と含めない編成での演奏による人間への影響の比較だ。この人間への影響については指標として生理反応と心理反応のそれぞれをとることにした。生理反応とは脳のα波(中枢神経)、精神性発汗(自律神経)。心理反応とは、SD法によるプロフィールと因子解析というものだ。もう少し具体的にいうと、脳波や精神性発汗を測定するための装置を取り付けた上で被験者に音を聴かせたり、聴いた音に関する感想としてアンケート用紙に点数を記載してもらうという実験だ。この際、グラスの音をそのまま聴かせたり、高周波成分をフィルタリングして可聴域の音のみを聴かせるなど、いろいろなテストを行なっている。
その結果、面白いデータが得られたという。グラスの擦音の超音波まで入っているとα波がより多く出たり、精神性発汗が抑えられるという現象が起こった。これはグラスの素材によって効果に違いはあるものの、明らかに体にいい影響を及ぼしていることを示している。ところがアンケート結果を見ると、「不快」、「不安」、「イライラする」といった答えが出てきたという。また、楽器にグラス音をまぜた場合でも、やはり似たような結果が得られた。
ここから考察すると、18~19世紀の神経生理学の動向の中で、印象評価(心理反応)がアルモニカのネガティブな神経刺激説の1根拠となり、伝説を生んで、楽器の工房を後押ししたことが考えられるという。ただし、実際の生理反応を考えれば、人間への悪影響は考えにくく、現在において、心配が必要なものではないというのが結論のようだ。
田村氏のこうした実験結果は、昨年の電通サイエンスジャムと長岡技術科学大学による「ハイレゾの脳に及ぼす研究発表」のことを思い起こさせたが、こんな研究が昔から行なわれていたのは意外だったし、まだまだ研究の余地がありそうだと感じた。
ピアノとコンピュータの協演システム
作曲家の莱孝之(らいたかゆき)氏による発表は、「ピアノとライブ・コンピュータ・システムのための作品創作及びその初演」というもの。莱氏の発表は前の2人とはだいぶ異なり、コンピュータを用いた音楽作品を作り、それを演奏する手段に関する内容だった。といっても、シーケンサやDAWを使って音楽を作るという話ではなく、莱氏独自の手法を用いたインタラクティブな音楽演奏手段についてである。
この発表においては、主にコンピュータと音楽の関係についての歴史を紹介したり、そこで莱氏がどのような経験をしてきたかを述べる内容だった。それを見ると、1980年代後半からMaxに関わるようになり、現在はMax/MSPを用いて作品作りをしているようだが、今回の助成を受けて行なったのは、Max/MSPでリアルタイムな信号処理を行なう現代音楽のコンサートだ。ここではピアニストがピアノを弾くと、それをすぐにADCでコンピュータに取り込み、それをMax/MSPで信号処理したうえでミキサーへ返し、PAを通して鳴らすというピアノとコンピュータの協演。
その協演用にピアノ・パートを作曲し、それを鳴らしながらMaxのパッチ=プログラムを組み、実演するという流れ。莱氏によると、1回でプログラムが完成するのではななく、コンサートを繰り返しながら、パッチを修正して完成度を上げていくという終わりのない作業なのだとか…。発表の中で、実際に収録した音の一部も披露されたが、せっかくなら、実演も見てみたかったところだ。
以上、カワイサウンド技術・音楽振興財団による第28回研究助成講演会を簡単にレポートしてみたがいかがだっただろうか? 個人的にはなかなか楽しかったし、浜松でのもっと技術的な講演会というのがどんなものなのかも気になった。機会があれば、またレポートしたい。