匠のサウンド百景

音楽に“のれる”Hi-Fi機器を生み出すために by ラックスマン 長妻氏

 匠のサウンド百景とは?

オーディオ/ビジュアル機器を手がけるメーカーや業界の人達も、1人の音楽ファン! そんな“中の人達”に、個人的に気に入っている音楽、試聴などで業務にも活用しているソフトを紹介してもらいます。

ラックスマン 開発本部 本部長の長妻雅一です。弊社製品の開発において参考としているソフトの中から、お気に入りのCD/SACD、最近購入して音が良かったハイレゾファイルの計3作品を、聴きどころを中心にご紹介いたします。

左からDido/Safe Trip Home、

今回取り上げる楽曲(e-onkyo music)

・Don’t Believe in Love(Dido/Safe Trip Homeから)

・Schubert Sei mir gegrusst D741「私の挨拶を」
(Elly Ameling,Dalton Baldwin/An Die Musik:Schubert Songs Liederから)

・「道」「俺の彼女」(宇多田ヒカル/Fantomeから)

Dido/Don’t Believe in Love

 オーディオ評論家の傅信幸先生に教えていただいたディスクです。

 フォークではない、Dido(ダイド) Armstrongとしては異色の作品です。初めて聴いたときは、曲調から威勢よく歌う女性と捉えていました。他の曲にも魅力を感じ、CDとDVDの全作品を購入、YouTube上のライブ映像も見ました。そうすると第一印象と異なり、熱唱するのではなく話すような歌い方で、声量もない人(失礼!でも、大好き)でした。

 日本では無名かもしれませんが、数千万単位でアルバムの売り上げを記録する超有名ミュージシャンでした。

 「Don’t Believe in Love」はバックの力強い演奏と一歩引いたボーカルの両立が難しいディスクです。音を詰まらせて力感を作っていると、バックとDidoが共に力強くなってしまいます。

 音がほぐれ自然に力感が噴き出してくれば、バックは力強く、ボーカルは一歩引いて定位し表情豊かになります。パーカッションのリズム感も大切です。また、曲のラスト15秒に渡るシンセサイザーのラ(55Hz)の伸びも圧巻です。

Elly Ameling,Dalton Baldwin/Schubert Sei mir gegrusst, D741「私の挨拶を」

 エリー・アーメリング(ソプラノ)、ダルトン・ボールドウィン(ピアノ)、Sei mir gegrusst, OP.20 No.1 D741「私の挨拶を」。ピアノ伴奏とソプラノというシンプルな構成の曲です。一見すると易しい譜面ですが、ステレオ機器にとっては難曲です。この曲を違和感なく音楽らしく再生できていると、他のジャンルのソースも破綻しません。イントロの8小節だけでも聴きどころが満載です。

 この曲はピアノの左手と右手を交互に使い、リズミカルに演奏します。曲中、両手で引き始めるのはわずか3小節のみで、それ以外の90小節余りは全て左手から始まり、右手は半拍おいて入ります。基本的には左手が先で、交互に入れ替わりながらリズムとメロディを形作っていきます。左右のタイミングが合わないと音楽になりません。

 冒頭の2小節、右手はスタッカートを含むスラーです。音をわずかに弾ませながら滑らかに繋ぎます。2小節と4小節の3音目にアクセントをおき、5小節目の後半はクレッシェンドで徐々に強く刻み、イントロ終盤は小節ごとにデクレシェンドで次第に弱くさせます。7,8小節がオクターブになり、やがてアーメリングが歌い始めます。

 36小節までの左手は抑え目のピアニシモでベースラインを弾き続けます。このようなピアノのアーティキュレーションが正確に表現できるかがチェックポイントです。詰まった、あるいは力んだ音や緩い音では表現できません。

 それとピアノとアーメリングの呼吸、テンポの取り方とゆれが大切になります。力まず緩まずの程良い加減ができないと、音楽表現が破綻します。再生も演奏と同じです。譜面上はありませんが、小節ごとに右側のダンパー・ペダルを踏みかえます。このペダル使いが、音色として曲中に表現できるかも重要です。

 Hi-Fi機器では、力強さを注視するあまりアタックを強調する傾向にあります。それだけでは音楽の流れや繊細な表現が失われがちです。また、余韻の長さが適切でないと次に来る音との間が取れなかったり、間が空き過ぎたりします。つまり、テンポが取れなくなります。

 この辺りが、録音現場でHi-Fi機器が好まれない理由かもしれません。

 抑揚と間が取れて、はじめてテンポと揺れが表現でき、音楽にのることができるようになります。

 このような表現について評価されることは少ないのですが、私達としては重要だと思う内容です。

宇多田ヒカル「道」と「俺の彼女」(96kHz/24bitハイレゾファイル)

 友人からのプレゼントとして受け取ったCDが好印象で、ハイレゾ音源を購入しました。小編成でシンプルにまとめた曲の多いアルバムで、素直な録音です。

 「道」は、イントロでエレクトリック・ピアノの5連打が続きます。同じ音程が繰り返されていても、一つ一つの音は微妙に弾き方が違います。単調に聴こえてしまってはいけません。この差が聴き分けやすいことが大切です。

 「俺の彼女」では、ウッドベースと宇多田ヒカルの声が低重心で静寂感と実在感をともなっており、叙情的な色合いが表現できているかがポイントです。

ラックスマン 開発本部 本部長の長妻雅一氏(撮影:2015年12月)

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長妻雅一