匠のサウンド百景

感情を揺らすオーディオを作るため、まずは“音楽ありき” by ヤマハミュージックジャパン 小林氏

 匠のサウンド百景とは?

オーディオ/ビジュアル機器を手がけるメーカーや業界の人達も、1人の音楽ファン! そんな“中の人達”に、個人的に気に入っている音楽、試聴などで業務にも活用しているソフトを紹介してもらいます。

 ヤマハミュージックジャパン AV流通営業本部・企画室 アシスタントマネージャーの小林博文です。

シーネ・エイ/シングス・スタンダード

 セットアップやチューニングに使う音源は、情報量が多くノイズの少ない優れた録音であることが大切ですが、それ以前に音楽として良質であることが重要になります。

 カタログデータ上では優れた性能であっても、感情を揺らす音が出せなければオーディオ製品としては価値がありません。その為、設計開発の段階はともかく、最終調整においてテストディスクや録音の質だけを優先させたような音源を使用することはありません。小人数の器楽曲やフルオーケストラ、POPSやJAZZなど楽器や編成、ジャンルに拘らず試しますが、やはり順番と基準は存在します。

今回取り上げる楽曲(e-onkyo music)

・枯葉(シーネ・エイ/シングス・スタンダードから)

・テイキング・イット・スロウ(シーネ・エイ/シングス・スタンダードから)

・ラヴ(ダイアナ・クラール/ターン・アップ・ザ・クワイエットから)

シーネ・エイ「枯葉」と「テイキング・イット・スロウ」

 私の場合最初の基準としている音は「人の声」です。ヤマハという会社のイメージから「ピアノ」って思われていたかもしれませんね。

 幾つもの楽器を聴き分けるのには訓練された耳が必要ですが、雑踏の中でも友人や家族と会話を行なうのは難しいことではありません。例え電話などの狭帯域/圧縮伝送であっても相手が風邪をひいていたりすると直ぐに判りますよね。まずは耳にとって一番敏感な「人の声」を使い、定位、音色、余韻や空間の広がりが正確に出ているかどうかを見ます。

 次に大事なのは低域、音楽を支えているベースです。量が出ていてもぼやけてしまい、輪郭や音程感が曖昧になってしまってはいけません。声とベース、まずはこの2つで追い込みます。

フラッグシップスピーカー「NS-5000」

 2015年に発表したスピーカー「NS-5000」は発表から出荷開始までに1年をいただきました。この間、全国の専門店での試聴を中心に皆様から多くの意見を伺い、各パーツを徹底的に見直しました。当然これらの変更は全て音を確認しながら進めていったのですが、東京の社内スタジオで連日の試聴の際に最も使われたのがデンマークの歌姫、シーネ・エイのアルバム「シングス・スタンダード」です。

 このアルバムはボーカルとベースのデュオ・アルバムですが、プレイが素晴らしいのは勿論、録音も大変良く、また曲毎に2人の配置や録り方が異なっており、1枚で試聴基準を作ることができます。

 まずは11曲目の「枯葉」。イントロは無くボーカルだけでスタートします。音と音の間を大事にしながら歌い上げますが、その音の間で機器全体のSNが見えます。1コーラス後に始まるアコースティックベースですが、低域再生能力が悪いと音の厚みが出ず、軽い音になってしまいます。またボーカルとベースは前後配置となっているのですが、奥行解像力が弱いと同じ位置に重なって聴こえてしまいます。

 次に2曲目の「テイキング・イット・スロウ」で演者の位置関係が若干左右に別れます。ここでスピーカーの距離、角度を調整し、空間の拡がり、表現力を確認します。1曲目の「柳よ泣いておくれ」では比較的タイトにベースが録られており、低域解像度が試されます。またボディーの鳴りっぷりとピチカートアタックがどれだけ生々しく再現できるかどうかにも注視します。

 尚、11曲目の「枯葉」は日本盤にのみボーナストラックとして収録されています。ボーナストラックは他の曲とは雰囲気が異なっていたり、そもそも録音の質が今ひとつだったりするものが多い中、これは珍しい例かと思います。

ダイアナ・クラール「ラヴ」

 さて今回紹介するもう1曲は、今年の5月に発売されたダイアナ・クラールによるスタンダードソング集「ターン・アップ・ザ・クワイエット」の3曲目、ナット・キング・コールやスウィングガールズでお馴染みの「ラヴ」。我々の今夏の新製品発表会にて出席していただいた関係各社に対し試聴用として使った曲です。

ダイアナ・クラール/ターン・アップ・ザ・クワイエット

 「また女性ジャズ・ボーカル?」と言われるかもしれませんが、セッティングやチューニングに使う音源と、自分以外の人に聴いていただく為の音源では選択基準が異なってきます。相手が普段どういった音楽を好んで聴いているのか、どういった機材を使用しているのかは全く判りません。また使える時間は限られている為、使用する音源数も絞らなければなりません。こういった状況のなか、如何に訴求点を明確に伝えられるか? と選曲にはいつも苦心するのですが、この曲については1曲の中で我々が聴いていただきたい各ポイントに自然と耳が向くような曲構成となっていました。

 まずピアノだけで前奏が開始されますが、音が出たその瞬間、比較機器とのSNの差が顕わになります。単独の楽器のほうが余韻感も含めSNを確認しやすいのです。続いてベース、ボーカルが始まるとピアノの演奏は止まり、メロディー帯域を邪魔するものはありません。このため自ずとボーカルに集中することになり、高さ、前後、左右定位の確認ができます。また、次第にベースの音階が降りていき、ボディーの鳴りっぷり、太さ感で機器のグレード差が感じられます。そしてブラシで演奏されるスネアで全体の空気感や情報量を掴むことができます。この間約1分半。なかなかこういった音源には出会えないものです。

 マニア的な要素はともかく、文頭に書いたとおり、まずは“音楽ありき”です。何にせよ優れた音楽作品であることが試聴曲として選ぶ際の第一条件です。また新鮮さを出す為にも出来るだけ新しい音源で、しかも誰もが親しみやすい曲、という条件にもこの曲は合っていました。

ハイレゾ版も購入しました

 これまでの彼女の作品もそのほとんどがオーディオ屋としてはマストアイテムでしたが、このアルバムに収録された曲は全て期待値以上でした。楽しさがどの曲からも溢れてくるのが誠に心地良いのです。

 名プロデューサーであるトミー・リピューマにとっての遺作であり、伝説のエンジニア、アル・シュミットとの組合せによる作品はこれが最後となってしまいましたが、素晴らしいアルバムを残していただけたことに感謝です。

 ハイレゾによる曲単位での購入も可能ですが、できればアルバム全体でも聴いていただきたい作品ですね。

ヤマハミュージックジャパン AV流通営業本部・企画室 アシスタントマネージャーの小林博文氏

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シーネ・エイ
シングス・スタンダード
ダイアナ・クラール
ターン・アップ・ザ・クワイエット
通常盤

小林博文