藤本健のDigital Audio Laboratory
第601回:オノセイゲン氏が語る「レコーディングの今」と「ハイレゾ」。東大でライブ&トーク
第601回:オノセイゲン氏が語る「レコーディングの今」と「ハイレゾ」。東大でライブ&トーク
(2014/7/28 13:58)
7月5日と6日に、東京大学駒場キャンパスにて「表象文化論学会 第9回大会」が開催され、シンポジウムやプレゼンテーションなどが行なわれた。その中の一つとして、レコーディング/マスタリングエンジニアとして知られるオノセイゲン氏らを招いた「ライブ&アーティスト・トーク SEIGEN ONO Plus 2014 featuring NAO TAKEUCHI and JYOJI SAWADA」という、ちょっと変わった2時間のメニューがあった。
使用する機材構成もユニークで、めったに聴くことができない貴重なライブであり、トークセッションでは、オノセイゲン氏が自身のレコーディングについての考えを語った。非常に面白い内容だったので、トークセッションの内容を中心に紹介してみたいと思う。
タイムドメインスピーカーを活用したライブ演奏
200人程度が入れる多目的ホールの東京大学駒場キャンパス18号館ホールで行なわれたライブとトーク。普段は大学の授業などで使われていると思われるが、教室のような場所で行なわれたとは信じられないほど、気持ちいいサウンドでのライブ演奏だった。
そこで演奏を行なったのはオノセイゲン氏。日本のレコーディングエンジニア、マスタリングエンジニアの第一人者といえるオノ氏がプレイヤーとして行なったライブであり、前半はオノ氏がソロで南米の民族楽器、チャランゴを演奏し、後半はギターに持ち替えたうえで、竹内直氏(バスクラリネット)と沢田穣治氏(ベース)との共演でのジャズセッションを行なった。筆者もオノ氏のライブ演奏を見たのは初めてだったが、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルにも4回出演して、ライブアルバムもリリースしている人物だけあって、聴きごたえのある約1時間のライブとなっていた。
ただ、ここには、ちょっと変わった仕掛けもいろいろあった。設置されているPA用スピーカーは一切使用せず、ホール内に富士通テンのEClIPSE TD712zというタイムドメインスピーカーが10本設置されており、その向きも変わっているのだ。ステージ上には、観客席正面に向かっているものが2本あるほか、客席の一番前あたりの左右には2つずつ設置されていて、そのうち1つずつが客席に向いており、1つずつが壁に向かっているのだ。同様に客席中央付近の左右にも内側と壁側を向いたスピーカーがあり、これでライブの音を出していたのだ。演奏中、そのスピーカーに近寄って、音を確認してみたところ、どうも内側に向かって出ている音と、壁に向いている音は違う。この辺が、このライブのトリックになっていたようだが、その辺の種明かしはトークセッションでも語られた。
また、それとは別にステージ上にはECLIPSEの大きなサブウーファも置かれていた。サブウーファのような低域を出すものは、しっかり固定させた形で設置するのが常識だと思うが、これは台車の上に置かれている。メーカーの担当者に確認をしたところ、これができるのがECLIPSEのサブウーファの特徴であり、筐体がまったく振動しないので問題ないのだとか。ここに置かれたのは観客席に低音を届けるのが目的というよりも、ベーシストへのモニター用途であるため、向きを斜めにしたくて、このような設置にしてあるそうだ。
そんなライブが1時間ほどで終わったのち、トークセッションへ。中部大学講師の福田貴成氏がナビゲーション役として、オノ氏に話を聞く形で進行していったので、その対話内容をお伝えする(以下、敬称略)。
なぜレコーディングをするのか
福田:オノさんは、30年近くレコーディングや、録音という世界見てこられたんですよね。確か、坂本龍一さんの戦場のメリークリスマス~Merry Christmas Mr. Lawrenceが最初だったかと。
オノ:そうですね。私は1978年からこの業界でやっていますが、80年にフリーとして独立した後、最初のころの仕事として83年に出したのです。当時は、そんなすごく重要な作品になるとは想像していなかったのですが、昨年30周年を迎え、アナログオリジナルテープから5.6MHz DSDマスタリング版として、未発表トラックも含めてリリースされました。
福田:その長い経験と実績のあるオノさんに、いろいろ伺いたいと思います。1966年、Glenn Gouldという人が雑誌に「The Prospects of Recording(レコーディングの展望)」という著名な記事を書いており、ここで編集、つまりテープをいじることへの喜びがいろいろと書かれていました。今日は「The Prospects of Recording 2014」というのをテーマに考えてみたいのですが、そもそもなぜレコーディングするのか、レコーディングとは何なのでしょうか?
オノ:レコーディングにはライブではできないことが2つあります。1つ目はタイムマシンである、つまり時間と空間を飛び越えることができるという点。例えば1949年のニューヨークのクラブの録音を聴くことで、インタラクティブではないけれど、抜け落ちるものはあるけど、そのときの社会背景、匂いとか、こういうことが起こっていたんだとが感じられます。音だけは時間と空間を飛び越えることができる。
2つ目に重要なのは編集ができること。時間軸を入れ替えたり、5つくらい違うテイクがある中で、気に入ったものだけ使ってつなぎ合わせて作品を作ることができます。例えば、私の「Seigen Ono Ensemble MONTREUX 93/94」というアルバムは、モントルー・ジャズ・フェスティバルで93年に行なわれたものと94年に行なわれたものをまとめたアルバムなのですが、1つのアルバムとしてまとまっています。93年の曲、94年の曲がいろいろ入っているだけでなく、イントロは93年、その先は94年なんてものもある。キーが同じだったら大きく変えたって、音楽としては成り立つので編集によって、ライブでは不可能なことが可能になるのです。一方で、ライブには行ってみないと分からないという面白さ、偶然がいろいろあるんですよ。
福田:今日はそのライブのために、朝早くから会場に来ていただき、スピーカーのセッティングをずいぶんと試行錯誤されていました。あっちを向けたり、こっちを向けたり、もっと前のほうだとか、後ろのほうだとか……。作業を見ていたときには、よくわかりませんでしたが、実際にソロでチャランゴを鳴らされたのを聴いて、あぁ、こんな響きを作られたんだなと驚きました。
オノ:ここは多目的ホールで、音楽ホールではないので、そのままでは教会のような響きを得ることはできないけれど、そうした空間が作れるようにアレンジしてあるんですよ。スピーカーは全部で10個あるんだけれど、そのうち壁方向に向けた4つのスピーカーは、4方向からみなさんを囲むようにリバーブだけを出しています。Sony Sampling Reverb DRE-S777という機材を使い、スペインのSt. Vincent de Cardonaという教会の響きだけを再現しているのです。一方、前の方のスピーカーからは、DPA facto IIというマイクで拾ったチャランゴなどのダイレクト音だけを出しています。このDPA facto IIは、超指向性でクローズアップされた方向からの音だけを拾うことで、ハウリングも起こりにくい特性を持っています。 いま、みなさんが聴いている僕の声はスピーカーからの音ですが、この距離ならスピーカーを通さなくても直接音が伝わります。
音って空気の中を通る信号で、粗密波なんていわれます。これは遠くに行けば減衰して聞こえなくなっていきます。例えば雷の音は近くだとドーーンと鳴るけど、遠くだと直接音だけでなく、反射音も交じってゴロゴロゴロ…。音が違ってくるのです。本来、響きのあるものは天井や後ろのスピーカーから、再現してだしてやると、人間は無意識なうちにダイレクトな音と響きを聴き分けているので、すごく明瞭度があがるし、すごく繊細なプレイとかが感じられるようになります。一方、ミュージシャンにとっても響きとか音色(ねいろ)はすごく大事。そこがいいとフィードバックされて、いい演奏ができる。今日のライブでは、この多目的ホールに、新たに異なる空間の音場を足したわけです。響きの多い部屋をデッドにするには、吸音材を大量に仕込まないといけませんが、多目的ホールのようにデッドニングされている空間には響きを付け足すことができます。いわゆる普通のPAのようにメインスピーカーにリバーブもダイレクト音もミックスして、前方向だけから返すのではなく、リバーブは本来響きがある方向から響きだけをつけているのです。
福田:タマゴ型? 流線型というのでしょうか……。不思議な形のスピーカーです。
オノ:どうして、このタイムドメイン・スピーカーかというと、このスピーカーはとても小さいけれど、明瞭度がある。ユニットが小さいこともあり、振動のとおりに動きやすいのです。大きいスピーカーだと、スピーカーの構造自体が重たく、反応が鈍くなる。2Way、3Wayといったスピーカーにはウーファー、ツイーターという異なるスピーカーから一緒に音が出るのですが、同じタイミングに信号を送ってやっても、それぞれのスピーカーが別々の動きをするから、生音と比べると非常に不自然な音になってしまう。ウーファーは重たいから、動き出すのに時間がかかるし、音が止まっても動き続けて本来ない余韻が残ってしまう。要するに音を作ってしまっているので、本来の音ではなくなってしまうのです。なるべく忠実な再生ができるということで、このスピーカーを選んでいるのです。
レコーディングにおける「デジタル」と「ハイレゾ」、「いい音」
福田:以前、オノさんのスタジオにお邪魔したとき、タイムドメイン・スピーカーだけでなく、小さいものもリファレンスに使っていました。オノさんは80年代からずっと、活動をしてこられています。80年代といえば、ヤマハのNS-10M、いわゆるテンモニが広まった時代ですよね。Bob Clearmountain(ボブ・クリアマウンテン)というエンジニアがテンモニを褒めて、それをみんなが使っていった……。モニターですから、音の標準化に関わってくるわけですよね。80年代にオノさんがはじめたころと今の違いはいかがですか?
オノ:詳しいですね(笑)。私にとって80年代は知識ゼロだし、本当に何も知らなかった。音楽の現場も知らないし、レコーディングエンジニアになるという目標があったわけでもない。単純にミュージシャンが「小野くん、ちょっとこれやってくれる?」というので、自転車でどこでもいってやってたので、どんなことが自分に向いているかも分からず、無我夢中でやっていました。そのうち、「これミックスして! 」というように音を扱う仕事が増えていったんですね。なぜ、そうなるかもわからず作業していたことも多いのですが、今だからこそ説明できることもいろいろあります。当時、80年代のスピーカーの性能は、あまりいいものではありませんでした。テンモニもあれだけ標準として使われたけど、そんなに性能はよくない。だけど、標準の物差しとしてあったので、テンモニで聴いてこんなもんだから、こういうものだろう……という経験値はついていきました。30年やってきて、ようやくいろいろなことが全部分かってきた。指をパチンと鳴らして、その反響を聴くというのを何か所かやれば、まるで光が見えるように、ダイレクト音がどう響いて、反射音がどう返ってきたかが分かる。といっても、これは訓練なんですよ。どう反射しているのかってね。エコーロケーションというのをご存じですか? 視覚障害者の方がね、舌を弾いて「タン、タン」って音を発し、物体に近づいたり遠ざかったりすると、反射音でその物体やいろんな状況が見えてくるんです。
福田:コウモリのような感じですよね?
オノ:返ってくる音で距離がどうか、素材がどうかが分かる。訓練することによって、そこに机があるとか、道の向こうに停まっているクルマがバンだ……とかね。アメリカやカナダではエコーロケーションに関するトレーニングプログラムもあり、後天性で視覚障害者になった人でも訓練を受ければ、触らなくても道を歩けるようになるし、健常者でも訓練すればわかる。僕は訓練をしているわけではないですけれど、反射音、ダイレクト音に関しては、経験値から分かり、どこにマイクを置けば、どのように録れるのか、見えるようにわかるのです。
福田:暗黙知を体に積んできて、いまレコーディングに向かうとき、80年代、90年代と比較してどんな違いがでてきているのでしょうか?
オノ:次はコンピュータとデジタルの発展ですね。80年代はCDがその当時の最先端メディアでした。いまはHDDやメモリの値段も下がり、インターネットの通信速度も飛躍的に向上し、コンピュータはCPUの処理スピードが加速しています。以前と比較すると信号処理速度・演算速度が全く違います。いまのスマートフォンは昔のスーパーコンピュータ並みの速度です。まあ、いつのスーパーコンピュータかにもよりますけどね。一番大きい違いは、今のコンピュータなら考え付く処理でできないことはない、ということでしょう。昔なら信号処理速度も遅いし、メディアも大きいものがなかったからできなかったことが可能になっているのです。昔は不可能だったハイレゾでの音声や映像の記録が誰でもできるようになりましたから。
例えばスマホのカメラの解像度も非常に上がっていますよね。ハイレゾ(高解像度)で空を撮影してみると、すぐにも雨が降り出しそうな雲なのか、別にどうということのない天気なのかがハッキリわかります。これは階調が高く、雲の様子をハッキリと記録しているからで、繊細な部分が見えてくるからです。音でもこれは同じ。16bitなのか24bitなのか、32bitなのか……。そこが音楽にとっては、天気予報よりも大事な部分でして、繊細なところが音楽の命。音色をはっきりとらえることで、音楽で何を表現するのか、その気持ち、感情面もが表現されるのえす。音も映像も、それを認識するのは脳。出しているものが正確に伝わるかどうかはすごく大事なのです。発している人の情報が正確に、本当に目の前にいるように伝わるかどうかが重要です。
福田:自分も変わってきたし、テクノロジーも変わってきた、ということですね。
オノ:映像は現在の4K、8Kでもまだダイナミックレンジで足りない面はあるけれど、音に関しては人間の耳で判別できないレベルになってきました。また、いまは機材面でプロとコンシューマの境目がなくなってきてしまった。下手すると、プロ用機材はいまだにWindows XPで動かさなくちゃいけないのに、コンシューマプロダクツのほうは、もっと先を行っていたりする。実際、プロ機材と比較して、何の不安もなく、妥協のないものが普通に使えたりしますからね。正確につたえられるもが安価に入手できるようになったのです。5分後に雷が鳴る空なのか、というのと同じように音の場合はピアニッシモとか感情とか、繊細な部分が伝わるようになったことは大きいですね。
福田:ではレゾリューションが高ければいい、スペックが高ければいい、ということなのでしょうか?
オノ:先日、フェデリコ・フェリーニ監督の「道」という60年前の映画作品のリマスターをしました。このオリジナルをハイレゾとは言えないでしょう。もともとアナログフィルムの音のところを192kHzのサンプリングレートでノイズも含めて録音し、作業を進めていきました。高域があるかというと、まったくない。ただ高域があることが大事なのではなく、正確にクローンのようにオリジナルの音を取り込んだ上で、ノイズだけを取り除き、フィルムのとおりに出せるのかどうかが重要なのです。よくスペックの話をすると、「専門家だから、スペックばかり追いかけてやっているんだろう」なんて言われますが、本当に大事なのは感情が伝わるかどうか。
福田:階調がキレイに聴こえるようなテクノロジーをデジタルが提供してくれている部分があるわけですよね。
オノ:伝える、伝わるというのには、刺激にも関連するところであり、刺激が強いほうに惹かれちゃう面もあるのが難しいところです。「商売でリマスターしました」というCDが溢れかえっています。確かに、音圧が大きくて派手だけど、失っている面もいっぱいあるのです。
福田:オノさんがリマスターされたオスカー・ピーターソンの「プリーズ・リクエスト」は配信で聴くことができると思いますが、このような60年代のいわゆる名録音とどう対峙するのでしょうか?
オノ:僕もその現場にはいなかったので、実際を見たわけではありません。そのことは先ほどの映画「道」においても同様です。でも一番大事なのは「こうであっただろう」と、なるべく正確に時代考証みたいにすること。ノイズだけを取って、いらない成分を取り除いて、テープレコーダのこの音は間違っていたんじゃないかって見抜いて元通りに正確な状態に戻すことです。逆に一番ダメなことというのは、派手にしたらいい、ミックスしたらよくなるよね……っていじることです。実際、「マスタリングしたらよくなるでしょ」、「派手にして、ドーンという音にすれば迫力あるでしょ」っていうオーダーがすごく多いんですよ。僕らの業界の仕事って。もともと迫力ある演奏じゃないものも、プラグイン使っていろいろいじる。これってプリクラで女の子がデカ目にするのと同じで、全部同じ顔になってしまう。ポップスでは、そうしたことが起こっているんだけれど、そうではなく、元の音のまま、正確にそのときの音を再現してやることが、ハイレゾによって実現できるのです。
福田:ハイレゾ=いい音、ということなのでしょうか?
オノ:「ハイレゾだからいい音でしょ」ってよく言われますが、「いい音」というのは個人個人の趣向。もちろん、「これ、いい音でしょ? 」と言われれば、仮に嫌いな音であっても仕事柄、「いい音ですね」ってうなずきますよ。でも、それは好みの問題なのです。それに対し、ハイレゾは、先ほどの雲の写真の話のように正確に伝える技術なのです。
福田:では、「いい音にしてください」って言われたらどうするのですか?
オノ:まずは、それがどういう意味なのかを聞き出します。ただ主観的な言葉でやりとりしていると、押し問答になってしまいます。だから、クライアントとかミュージシャンが何を求めているかを読み取るかが大事。ただ読み取れなくても、まずは「そのとおりですね」って肯定してトライしてみるのです。「分かりません」って言いっちゃうと、そこで止まっちゃって、セッションにならない。ダメだったら、その次から仕事来ませんからね(笑)。そうして、やりとりをしながら、感情や思いが伝わるように仕上げていくのです。
以上、普段聞くことのできない非常に興味深い内容だったと思うがいかがだっただろうか。聞き手の福田氏の知識も非常に豊富だっただけに、面白いトークセッションになったと思うが、また機会があれば、ハイレゾについて、サラウンドについてなどもオノ氏に伺ってみたい。