西田宗千佳のRandomTracking
スマートフォンの次の戦いに臨むApple、未来を担うARとスピーカー。WWDC2017詳報
2017年6月7日 10:05
WWDC2017基調講演の詳報をお伝えする。AV Watchでは、すでにハンズオンのレポートと本田氏によるHomePodの予想記事が出ているが、ここではそれらをお読みいただいた上で、アップルの全体戦略を解説したい。
アップルはiPhoneにおいてスマートフォンで圧倒的な勝者となった。一方で、AIやクラウドで先進的なビジョンを次々と発表するGoogleやマイクロソフト、Amazonなどに比べると、良く言えば地に足のついた、悪くいえば保守的な展開が続いており、「この先どうするのか」が見えづらいところがあった。ティム・クックCEOの戦略がどうなるか、今回のWWDCが試金石になる、と指摘する業界関係者は多かった。
デベロッパーを引きつけることがアップルの成功を支えており、それは今年も変わらない。基調講演の冒頭では、わざわざこのために作った大がかりなショートムービーを流し、「あなたがたなしでは世界はなりたたない」と語ったほどだ。一方で、デベロッパーに魅力を感じてもらうには、ビジネス的な旨味に加え、技術的な魅力、ビジョン的な先進性も必要となる。アップルに今求められているのは後者2つである。
結論から言えば、アップルは「突飛な策はないが、ライバルに着実に追いつく策を出し、先を見据えた布石も打った」と筆者は考える。それがなにかを探っていこう。
VRムーブメントにキャッチアップするmacOS
アップルには主要なOSが4つある。macOSにiOS、WatchOSにtvOSだ。このうち、製品として順当な進化を待てばいいのは後者2つだ。WWDCでも細かな発表(とはいえ、Apple TVにAmazon Videoがやってくることは大きなトピックだ)はあったものの、さほど驚くような話ではない。
主要OSはすべて秋に無料アップデートされるが、特にアップルの戦略としては、なにより重要なのは「iOS」「macOS」という、主軸製品を支える2つのOSについて、どのようなビジョンをもって臨むかが大切なところである。
まずはmacOSから行こう。
次期macOSの名称は「High Sierra」。現在がSierraだから、そのさらに高みに……というところか。ただ、名称的にはマイナーチェンジにも思える。実際、UIのテイスト変更を伴った以前のアップデートに比べると地味に見えるし、派手な機能追加が行なわれるわけではない。アップデートの中心は「基盤整備」であり、ある意味でこれからのための準備とも言えるものだ。
例えば、ファイルシステムは正式に、新しい技術である「Apple File System」がデフォルトになる。ファイル転送速度やセキュリティが向上し、フラッシュメモリーベースのストレージへの最適化も進んでいる。写真アプリにはより詳細な編集機能が付き、GPUを使った機械学習処理をカバーするフレームワークも準備される。個人は使うだけだが、ソフト開発のシーンでは機械学習への対応が重要になっているため、重要な要素ではある。
一方で、「基盤整備」という面でもっとも大きな変化は「VRへの対応」とそのためのフレームワーク整備だ。ここ数年、VRはコンテンツ製作のフロンティアとして価値を高めてきたが、その中心はWindowsのゲーミングPCであり、Macは蚊帳の外だった。アップルがハイエンドGPUを搭載した製品を出さず、外付けGPUへの対応にも積極的でなかったからだ。だが、High Sierraでは、iMacのリニューアルや、MacBook ProでのThunderbolt3経由による外付けGPU対応など、ハイパワーなGPUへの対応を一気に強化し、OS側でのVRに向けた最適化も行った。基調講演ではILM開発によるスターウォーズをテーマにしたデモが行われ、筆者もハンズオンイベントでそれを体験したが、品質は十分だ。
MacにおけるVRは、Steamが推進する「SteamVR」をターゲットとする。具体的には、SteamVR対応機器の中でも、HTC Viveを中心に置き、HTC ViveでVRができるようにしていく。HMDはもちろん、Vive用のハンドコントローラーも使える。Unity・Unreal Engineが開発環境として整備されており、Windows上からの移行も非常に容易だ。また、映像編集ソフトの「Final Cut Pro」が360度動画に対応し、そのプレビュー用としても、HTC Viveが使える。要は、Viveを軸にWindows上とあまり変わらない環境を整備しよう……という狙いなのだ。
MacはゲーミングPCのトレンドからは離れた位置にいるので、VRをコンシューマ向けにガンガン押す……という立ち位置ではない。むしろ彼らが狙うのはコンテンツクリエーションだ。Macを使う開発者は多いが、これまではVR開発となるとWindowsへ行かざるを得なかった。アップルとしては、彼らをMacに引き留めておければ十分であり、その準備は十分に整ったといえる。Oculusなど別プラットフォームに対するコメントは得られなかったが、実際問題、コンシューマ向けでないならそれでも……という判断はあるのだろう。
そして、ハイパワー路線の最後の一押しとなるのが、ハイエンドiMacである「iMac Pro」の登場だ。iMac Proは完全なコンテンツクリエーション向け製品であり、ゲームにはオーバースペックだ。しかし、機械学習開発やVR開発には適している。ディスプレイとしてiMac向け以上のものを別途用意するのは難しく、ならばいっそ一体型で……という判断はアップルらしいと言える。
iOSの強みは「ハイエンド特化の市場性」にあり
今のアップルにとって、macOS以上に重要なのがiOSである。アップルの利益の大半はiPhoneから生まれており、iPadを個人向けコンピュータの主軸とも位置付けている。iOS機器とそのOSの進化こそ、アップルの次世代戦略を担うものだ。
iOSについて、ティム・クックCEOは興味深いデータを示した。Androidでは最新のバージョン(Android 7 Nougat)を使っている人が7%しかいないのに対し、iOSでは86%の人が最新版(iOS10)を使っている、と言う指摘だ。いつもの「Androidは断片化している」という主張なのだが、この点は、アップルと他社のビジネス環境の違いを探る上で、非常に重要な要素と言える。
新しいOSを使っている人が少ない=最新のOSを軸にした最新のアプリやサービスでビジネスがしづらい……ということなのだが、これは、iPhoneとAndroid総体では、もはやビジネスの領域が異なっている、ということを示している。
Androidで最新バージョンの利用者が少ないのは、アップデートに掛かるコストなどもあるが、なにより「全体で見れば、最新のハイエンド製品を使っているのは少数派である」ということだ。スマートフォンの拡散に伴い、低価格かつローエンドな製品が増え、Androidはそこで使われる率が高い。日本にいるとどうしてもハイエンド端末に注目が集まりがちだし、特にガジェット系メディアではそうした製品ばかりが紹介される。しかし、Android全体を見回すとハイエンドで最新の製品は少ない。
一方でiPhoneは、アップルがソフト・ハード一体のビジネスをしており、ずっとハイエンドだけに注力している。iPhone SEのようなお手軽なモデルも出ているが、それでも、ハイエンドよりの製品展開といっていい。そうした端末を買う人々は、総じて最新技術に興味があり、新しいアプリやサービスにもコストを払いやすい。それだけ肥沃で質の揃った市場である……というアピールを、アップルはデベロッパーに対して行ないたいのである。
そして言うまでもなく、これから出てくる「iOS11」もこの基盤の上にある。
個人間決済からAIまで、機能アップ多彩なiOS11
iOS11に追加される機能は数多い。例えば、Siriに音声認識による翻訳機能が搭載されたり、動画がHEVCに、静止画記録にはHEVC由来の「HEIF」に対応したりと、順当なアップデートが多い印象だ。
中でも筆者が特に注目しているのは主に4つの要素になる。
一つ目が、Apple Payによる個人間送金機能だ。個人間送金はキャッシュレス決済の中でも特別な分野で、「市場規模はそこまででもないが利用者の利便性は高い」ものだ。アメリカでは古くからPayPalによる個人間送金による売買やワリカンが行われているし、中国でもWeChatPayなどが普及しはじめている。Apple Payで安全な個人間決済を、というのは論理的な流れである。
Apple Payでの個人間決済は、アップルが専用のキャッシュカード「Apple Pay Cash」を作り、そこを介して送金し合うような形を採る。アップル標準のメッセージングサービスである「iMessage」に添付して、簡単に送金決済ができる。ただし、現状はアメリカでのドル送金のみだ。金融の仕組みは各国で異なるため、日本などで対応できるかは未知数。現地ではその辺の情報が不足している。おそらく、すぐにはできないの……と予想できるし、やるとすれば、アメリカとは違う形になるのではないだろうか。
二つ目として、画像認識などのAI系機能を開発者が利用可能になる点を挙げたい。
機械学習を軸にした画像・音声・テキストの処理技術は、間違いなくこれからを支える基盤となるものだ。だから、Googleもマイクロソフトもその能力を開発者に解放し、活用してもらうことを戦略の基盤に置いている。アップルもそこは変わらない。iO11にAI処理系の技術が入り、デベロッパーが使いやすくなるのは必然だ。一方で、アップルは他社と違い、そこで処理の主体を「端末」に置こうとしている。クラウドでの集約処理が基本なのだが、そうすると多数のプライバシー情報を集めることにもなり、利用者に不安を与える可能性もある。だからアップルは、サーバーで機械学習した結果を機器に送り、個人のデータとの照合は端末で行なう……というアプローチを基本にするのだ。このことは、隠れた戦略の違いとして覚えておきたい。
「ARKit」で生まれる巨大な「ARアプリ」市場
そして3つめは、大きな未来への布石である「AR(Augmented Reality)」だ。iOS11には「ARKit」というフレームワークが用意され、iPhone 6以降のiPhoneとiPadが、皆そのまま「高精度なAR端末」になる。そのクオリティはなかなか。動画を見ていただければ、納得してもらえるだろう。
ARKitの特徴は、iPhoneのカメラとモーションセンサーなどだけを使って、比較的シンプルだが高精度なARを実現する点にある。HoloLens(マイクロソフト)やProject Tango(Google)のように物体の複雑な形状を認識したり、遠くの空間形状まで把握したりはできない。周囲にある平面と環境光の強さや色、現在位置などを利用する程度だ。だがそれでも、数年前からあるシンプルなARよりはずっとレベルが高いし、位置ズレも少ない。AR用のミドルウエアには似た事をするものもあるが、そうしたミドルウエアのライセンスを取得しなくても、iOS開発者であれば簡単に安価に使えるのは、きわめて大きなことだ。
開発環境としては、ここもVRと同じくUnityとUnreal Engineがサポートされており、すでに開発用のドキュメントや開発ツールも整備されている。開発のハードルはきわめて低い(ARKitの開発ドキュメント。英語かつ開発者向けなので、興味のある方に)。
現状、ARKitは「空間OS」のような特別な機能をもっているわけではなく、比較的シンプルなARを実現するものだ。だから、Windows Mixed Realityのような野心的なものに比べると踏みだしは小さい。しかし重要なのは、「ほとんどのiPhoneで使える」という市場の大きさだ。しかも先ほど述べたように、iOS機器の市場は均質性が高く、ハイエンドに寄っており、新しいアプリやサービスへの意欲が高い。
ARを一気に身近にし、実際にビジネスとして回してコンテンツを増やす、という意味では、アップルの施策はきわめて意義が深い。
「ファイル操作」に向き合うiPad、道具としての完成度を高める
そして最後が「iPad向け」である。
今回のWWDCに合わせ、iPad Proはリニューアルした。詳細は別記事に譲るが、最大120Hzのリフレッシュレートによる描画は本当になめらかで快適だったし、リフレッシュレートの向上により、Apple Pencilでの描画にかかる遅延が20msに短くなった。要は道具として進化したわけだ。ちなみに、Apple Pencilでの描画遅延である「20ms」は、先日マイクロソフトが発表した2017年版Surface Proでのペン描画遅延「21ms」よりほんのわずかに速い。Surface Proは特別なハードウエアを搭載することで、従来(50msクラス)の半分にまで遅延を縮めてきたが、Apple Pencilも同様にぐっと縮めた。両者は間違いなく、お互いの存在を意識しあって進歩しており、非常に良いサイクルが出来上がっていると感じる。
iPad Proのプロセッサーは順当に進化を続けており、既存モデルよりさらに40%速くなった。カメラもiPhone 7と同じものになり、性能は十分だ。道具としての完成度はかなりのレベルになってきた。
一方で、こうした進化を冷ややかに見ている人もいるのではないだろうか。
「しょせんタブレットはタブレット。コンテンツを見ることが中心なのに、そこまでの性能はいらない」
こうした声は、近年のタブレット市場減速の原因とも言える。タブレット、特にiOSを使ったiPadは、PCと異なり、ファイルの処理が非常に苦手だった。出来なくはないのだが、サードパーティー製のアプリを組み合わせ、PCとはかなり異なる操作方法が必要だったため、わかりづらいし面倒くさかった。「なにかを作る道具のように使うならPCが良く、結局iPadでは仕事はできない」という評価はなかなか覆せていない。
一方で、アップルは低価格で個人向けのコンピュータとしてiPadを主軸に置いており、低価格PCとの競合もiPadに担わせていた。この戦略は、iOSの構造の問題から、ある種の矛盾をはらんでいた、とも言える。
だが今回、iOS11では、そうした部分に大胆なメスが入る。iOS11が「ファイル操作」を全面的に認め、ドラッグ&ドロップを含め新しい操作体系を搭載し、さらにはWindowsの「エクスプローラー」やMacの「ファインダー」にあたる「Files」というアプリも用意した。
この操作については、ハンズオンで撮影した動画を見ていただくのが一番わかりやすい。ちょっと複雑なのだが、わかってしまえば非常に快適で、私もすぐにも自分のiPadで使いたいくらいだ。
そもそもiPhoneは、PCと違い「ファイルを意識させないからわかりやすい」というところからスタートした。今もそれは生きており、画像管理やメッセージングなど、日常的なことではファイルを意識しない。しかし、これが事務作業やものづくりとなると、結局は「人と情報を渡し合う」ことが必要なので、なかなかファイルの概念から離れることができない。新しいOSや機器が出るたび、学習ハードルが高く日常的な整理作業が必須な「ファイル」というものを捨てよう……としてきた。だが、結局それに成功した例はなく、iOSも例外ではなかった……とも言える。
しかし、現実問題として、ファイル処理が求められているのは間違いなく、iOS11での改良によって、iPadにおける戦略の「ねじれ」は解消に向かいそうだ。
「もっとインテリジェントなスピーカー」を狙うHomePodは「iPodの成功」を再現できるか
そして、アップルが基調講演で最後に発表したのが、スマートスピーカーである「HomePod」だ。その特徴は本田氏の原稿に詳しく書かれているので、ここではさらっと触れるに留めておこう。
そもそもアメリカの市場には、「リビングでストリーミング・ミュージックを聞きたい」というニーズがある。そこをカバーするのがWi-Fiスピーカーでありスマートスピーカーなのだが、こと使い勝手や音質については、さほどいいものが揃っていなかった。
そこでアップルは、音場処理をより「インテリジェント」な方向に振り、さらにSiriによる音声エージェント機能を組み合わせることで、リビングにおける音楽体験を変えよう……としているのである。
その狙いは分かるが、「体験を変える」という性質上、自分で使ってみないことには他との差がわかりつらい。特にアップルは、他社製品よりも高い値付けをしており、その差は「音質」「体験」ということになる。
だがどちらにしろ、これは「MP3プレイヤーとiPod」の関係が試金石になる。あのときも、iPodは別に「トップランナー」ではなかったし、高かった。だが、体験が良かったので一気にメジャーになり、安価で先に普及し始めていた機器を駆逐していった。HomePodが本当に素晴らしい体験を提供できるなら、そうした成功を再現する可能性もある。
一方で、過去と異なるのは、体験を担保するものが手元の技術だけでなく、クラウドとAIに依存するようになっている……ということだ。そこで各社は戦いを繰り広げている。アップルがその中でどのくらいの差別化ができるのか。
未来は間違いなくこの方向にあるが、そこでなにができたのかは、やはり実物を体験するまでコメントを保留しておきたいと思う。