プレイバック2020
聴きたかったベートーヴェンはコレだ! 生誕250年記念のオススメ5名盤 by 山之内正
2020年12月29日 10:00
1770年12月生まれのベートーヴェン。2020年は生誕250年にあたり、記念イベントやコンサートツアーが目白押し……のはずだったが、コロナのせいで大半は中止になってしまった。
筆者も生地ボンまで出向いて記念コンサートやイベントを楽しむつもりだったが、それもかなわず、苦労して確保したチケットもすべてただの紙切れに。なんとも残念な状況のなか、メモリアルイヤーは終わりを迎えようとしている。
そんななか、録音活動はほぼ予定通りに進行したものが多かったようで、CDだけは続々と発売された。クラシックの世界でベートーヴェンは大人気コンポーザーなので、記念アルバムのタイトル数は半端ではない。単独アルバムだけでなく、交響曲全集やピアノソナタ全集のようなボックスセットも複数登場して、ベートーヴェンに限れば大豊作の一年であった。
私も仕事やプライベートでこの一年間に何枚ものベートーヴェン作品を聴いたので、そのなかから「聴いてよかった!」、または「こんなベートーヴェンが聴きたかった!」と思えるCDを何枚か紹介することにしよう。試聴室のアンプやケーブルを一新して音が鮮烈かつ高密度に生まれ変わったこともいずれ紹介しようと思うが、今年はそれよりベートーヴェンイヤーの過ごし方が特殊すぎたので、その話題に絞る。
まずは人気トップ作品の交響曲第5番《運命》。
春に登場したクルレンツィス指揮ムジカエテルナのCDは、他の曲を収録せず《運命》1曲に絞っている。2018年夏にウィーンで行なわれたセッションでは第7番も録音していたのだが、2曲を一枚にまとめるのはクルレンツィスのコンセプトに合わなかったらしく、2枚に分けて別々に発売されることになった。
ちなみに第7番は少し延びて2021年4月に発売されるという(テオドール・クルレンツィス指揮ムジカエテルナ「ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 作品92」Sony Classical SICC-30566)。
この演奏、始まったら最後まで一気に聴かせるテンションの高さと推進力が尋常ではなく、ライヴでも滅多に聴けないほどの集中力の高さに強く引き込まれる。楽器同士のバランスを計算し尽くしているので、ここでこんな楽器が活躍していたのかと再発見させられるフレーズも多い。テンポはとても速いが、息苦しくなるような切迫感とは違うところが面白い。
秋にはロト指揮レ・シエクルの《運命》が発売された。4月頃は、この超有名作品への新しいアプローチはクルレンツィスの演奏が決定版かと思っていたのに、10月にはさらなる衝撃が待っていたのだ。
ロトは現代の指揮者のなかでも楽器の音色と響きへのこだわりが突出していて、特に自ら結成したレ・シエクルは、膨大な楽器コレクションのなかから作品ごとに最適なものを選んで演奏に臨むという。これはもう音色マニと言っていいだろう。
そんなロトが振った《運命》は管楽器だけでなくヴァイオリンやチェロなど弦楽器まで現代の楽器とは艶や倍音の乗り方がまったく違う。第2楽章のチェロの旋律はとても明るい艷やかな音で、これまで聴いたことのない歌わせ方も新鮮だ。
第5番の競演はクルレンツィスvsロトの一騎打ちに終わったわけではなかった。10月末にスペインのサヴァールとル・コンセール・デ・ナシオンが第1番から第5番までのセットを発売したのだ。
彼らは残響の長い教会で録音することが多いのだが、今回もカタルーニャのコルドナ城修道院をあえて録音会場に選んでいる。立ち上がりの速い古楽器と何秒も続く余韻の組み合わせは、録音アプローチさえ誤らなければ、鋭さと柔らかさが両立した絶妙なサウンドを生む。
《運命》第1楽章や第3楽章でチェロやコントラバスが刻むリズムは人数の割に豊かな響きだが、これも演奏会場の余韻を活かした好例。極めつけはティンパニ。絶妙な発音タイミングで力強い打音を繰り出す名手がオーケストラ全体の響きを引き締めて爽快だ。大量の空気が一気に動く感触や柔らかい残響など、録音のクオリティの高さにも注目したい。
《運命》と並ぶベートーヴェンの重要な交響曲といえば、第9番《合唱付き》である。年末恒例の演奏会も今年は合唱の人数を絞ったりオンラインで配信するなど、いつもと違うスタイルでの演奏を強いられているが、それがかえって新鮮な響きを生むこともある。12月21日からNHK交響楽団の演奏会でこの曲を振ったカサドの演奏もそれに近かった。
カサドの第九の録音はフライブルク・バロック・オーケストラを振ったもので、速いテンポのなか音を活発に動かしながら、フレーズの歌わせ方や管楽器と弦楽器のバランスに独自の工夫を凝らし、どの楽章を聴いても新しいベートーヴェン像が浮かび上がってくる。引きずるような重さはどこにもなく、風が通り抜けるような見通しの良さを確保しているのに、演奏の高揚感はとても強く、聴き終えたときの感動にも深みがある。
ここまで紹介した4つの交響曲録音の共通点は、いずれも指揮者がドイツ人ではないということ。クルレンツィスはギリシャ、ロトはフランス、カサドとサヴァールはスペイン出身で、オーケストラもフライブルク・バロック・オーケストラを除いて非ドイツ系だ。
クラシックの演奏家に国籍や国境はないも同然とはいえ、活動の拠点がどこかは重要な意味を持つ。ベートーヴェンが活動したドイツ・オーストリア圏ではない地域の演奏家がいまの時代のベートーヴェン演奏に強い影響力を持っている事実が実に興味深い。
2年前からベートーヴェンのピアノソナタ集をリリースしてきた河村尚子の最新CDは、「こんなベートーヴェンが聴きたかった!」と思わせる革新的演奏の代表格だ。シリーズ完結作にあたる今回のアルバムは最後に《ハンマークラヴィーア》を収録しているが、これがこれまで聴いたことのない澄んだ響きの演奏で、力強い冒頭の和音から旋律が複雑に交錯するフーガまで、全曲の構造がはっきり聴き取れるし、流れもごく自然に滞りない動きだ。
響きはダイナミックで深々とした低音は聴き応えがあるが、音量で重さを演出するのではなく、質感の高さで良質な低音を引き出す点が見事。ソナタのピアノ録音としては2020年聴いたなかでベスト3に入る高音質録音でもある。