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ディスクリートDACの先駆者、英Chordに聞く。「鍵はトランジェントとタイミング」Hugo 2の魅力再考

「Hugo 2」

ディスクリートDACの先駆的なメーカーのひとつ、コード

ホームオーディオ用のDACやDAPを含むポータブルなDACでも、D/A変換の回路的なアプローチは多彩になってきた。旭化成エレクトロニクス(AKM)やESSテクノロジー(ESS)などのメーカー製DAC素子を使うのが多かった時代から潮流に変化が生じて、いわゆるディスクリートDACといわれるFPGAと固定抵抗器などを組み合わせた構成のDAC回路がじわりと増えて市場を賑わせているのだ。私の守備範囲はホームオーディオなのだが、DAPやコンパクトなDACの進化ぶりには目を見張っている。

そんななか、私は久しぶりに英国Chord Electronics(以下、英国コード)のコンパクトなDAC「Hugo 2」(オープンプライス/実売約429,000円)を自宅で聴くことができた。短期間ではあるのだが、この記事のために輸入元のエミライから借用したのである。

英国コードはディスクリートDACの先駆的なメーカーのひとつ。同じ英国にはリングDACで知られるディスクリートDACのdCS(データ・コンバージョン・システムズ)もあり、英国コードは1999年にリリースした初めてのDAC「DAC64」から独自のディスクリートDACを展開してきた。

確か2014年だったと思うが、ホームオーディオやプロオーディオの世界で有名な英国コードが本気で手掛けたコンパクトなDACということで、初代の「Hugo」は世界的なヒットとなった。そして性能を格段に高めた「Hugo 2」が2017年に登場している。同社は基本的にロングセラーを意識した製品開発を心掛けている。ホームオーディオ用の最高峰DAC「DAVE」は2016年2月のリリースだから、今年で発売から9年目に突入。個人的にはそろそろリニューアルしてほしいと思っているけれども……。

ハイレベルに自然なサウンドのHugo 2

充電バッテリーを内蔵しているDACは「Hugo 2」と「Mojo 2」の2機種。ホームオーディオ用ではAC電源を内蔵する最高峰の「DAVE」を筆頭に、外部DC電源供給タイプの「Hugo TT 2」と「Qutest」があり、いずれも独自のディスクリートDAC回路を特徴にしている。

回路設計者の英国人ロブ(ロバート)・ワッツ氏が開発した高次オーバーサンプリングのWTAフィルター(ワッツ・トランジェント・アラインド・フィルター)とパルスアレイDACのコンビネーションが、英国コードならではのDACサウンドをもたらしているのだ。

Hugo 2では、256倍オーバーサンプリングという驚異的な演算処理のWTAフィルターを搭載している。この256倍というのは、44.1kHzサンプリングや48kHzサンプリングを基にした数値。たとえば96kHzサンプリングの音源なら128倍ということになる。

Hugo 2は持ち運びも考えてデザインされたコンパクトなDACで、大きさは13×10×2.2cm。実測で重さが376gというのは、剛性が高い切削加工のアルミニウムによる2ピース構造によるところが大きい。ポケットに入れて持ち歩くにはちょっと大きいのだが、ポーチなどに入れて旅先でも本格的な音を聴こうというポータブル用途には適している。

6時間くらいの駆動ができるという充電バッテリーを内蔵しているのはありがたい。私は使わない時に充電しておき、音楽を聴くときは充電ケーブルを抜いて使った。USB接続DACと充電用に独立している2つのUSB端子は、マイクロUSB規格である。

Hugo 2をデスクトップに置いて、オーディオテクニカのヘッドフォン「ATH-ADX5000」で聴き、参考までにRCA端子のラインレベル出力を経由してフィデリティムサウンドの「NC7v2_MW」フルレンジスピーカーでも鳴らしてみている。

オーディオテクニカの「ATH-ADX5000」
フィデリティムサウンドの「NC7v2_MW」

組み合わせたのは、ネットワーク入力 (RJ45) がありUSB(A)の出力を持っているアイ・オー・データ機器の「Soundgenic Plus」。このNASに入れてある聴き慣れた試聴曲から選んでいるが、ボーカル曲に加えてアコースティック楽器の音色や収録空間の響きがうまく捉えられている楽曲を中心に聴いてみた。そして、ストリーミングで米津玄師「Plazma」も聴いている。そのなかから、いくつか音のインプレッションをお伝えしておこう。4つからセレクトできるフィルターは、標準的といえる256倍オーバーサンプリングのニュートラル・サウンドだ。

ATH-ADX5000で音楽を聴いて最初に感じたのは「きわめて自然な音」という感触。「井筒香奈江/窓の向こうに~Beyond the Window」(11.2MHz DSD)から聴いてみたのだが、気がつくとアルバムのラストで彼女の自作曲「どこか~窓の向こうに~」まで聴きこんでいた。前言よりもさらに印象が良くなって「ハイレベルに自然な音」だというのが、このアルバムを通して聴いた私の感想である。レコーディングエンジニアの高田英男さんがマイクロフォンやコンソールなど機材やセッティングまで入念に手掛けた、極上のアコースティック録音であることが再認識できた。DSD音源なのでHugo 2の窓は白く光っている。

中央の窓の色で、再生しているデータの種類がわかる。丸い玉の部分も光り、ボリュームなどのステータスを表す

続いて聴いたのは、指揮者のサー・サイモン・ラトルがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を振った、ビゼーの歌劇「カルメン」である。実は意図的に44.1kHzサンプリングの楽曲から選んでおり、最後の第四幕を聴いている。このときHugo 2の窓は赤く光っている。

歌劇なので男女ともに声量が豊かで朗々と歌いあげるのだが、さきほどの井筒香奈江と同じように声色が生々しくライフ・ライクな表情を保っている。クロスフェードを使わずにヘッドフォンで聴いているので頭内定位になるわけだが、演奏会形式上演でのライブ収録であることが納得できる空間の拡がりも優れている。わざとらしさが皆無のニュートラルな音といえば雰囲気が御理解いただけるだろうか。

オーケストラ演奏もダイナミックで各楽器の音色も明瞭であり、しかも強調感だったりやかましさは皆無。明暗のコントラストやシャープネスを際立たせることなく、ニュートラルで写実的な音を提示してくるのだ。

ギタリストの渡辺香津美が2009年にリリースした「アコースティック・フレイクス」から、クラリネット奏者のリチャード・ストルツマンと演奏した「ブルー・モンク」も聴いた。96kHz/24bitなのでHugo 2の窓は緑色に光っている。

この楽曲もやはり素直な音というのが第一印象で、ギターの倍音が複雑な音色とクラリネットの音色を脚色することなく描きわけている。演奏の背景にある静寂さも好ましく、決して無音なのではなく周辺に空気が漂っていることを意識させてくれるような佇まいなのだ。暖かみを感じさせる音でもあり、大人びた落ち着きもある真摯な演奏が楽しめた。

ストリーミングで聴いた「米津玄師/Plazma」は、ボーカルにギッシリと音が詰め込まれているスピーディな新曲だ。これがHugo 2のヘッドフォン・リスニングでは彼が唄う歌詞が聴き取りやすい。詰め込まれている音も不明瞭にブレンドされることもなく、DAWで造りこまれている音楽が心地よく感じられた。アコースティックな音を好んで聴いている私も、この楽曲のグルーヴに飲み込まれていった。48kHz/24bitの音源だったので、Hugo 2の窓は朱色に光っている。

話題の映画「機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-」の主題歌、米津玄師「Plazma」。シャットも米津玄師自身が描き下ろしたものだ

ロブ・ワッツ氏が語るWTAフィルターの特徴

ロブ・ワッツ氏

話は昨年の5月にさかのぼる。ドイツのミュンヘンで開催されたオーディオショウ「ハイエンド2024」の会場で、私はワッツ氏と再会した。WTAフィルターの機能だけを専用で行なうアップスケーラーのハイエンド機を開発している彼は忙しいらしく、会えた日の夕方には英国に戻る飛行機に搭乗予定というのだ。それでも私とエミライの島さん(島幸太郎取締役)のために時間を割いてくれて、Hugo 2に代表されるコードのDACの特徴を語ってくれた。私はコテコテのオーディオファイルではなく、一般的な音楽ファンにもわかるように噛み砕いて説明してほしいとお願いしてみた。

ロブ・ワッツ氏:私が設計しているDACには3つの特徴があります。1つ目はノイズフロア変調がきわめて少ないことです。ノイズ成分は音楽信号に伴って上がったり下がったりするので、本来は暖かく豊かな楽器の音色を人工的な明るい音調にしてしまいます。

私が開発したWTAフィルターではノイズフロア変調が測定できないレベルまで抑えていますが、残念ながら測定限界以下の変調は残っています。とはいえ、ノイズフロア変調を低減することはデジタル音源を自然な音で再現するためにとても重要なことなのです。

2つ目は音量レベルの低い小信号での分解能が高いことです。それは音楽の細部や空間の立体感をもたらたす重要な要素です。たとえば、大きな教会で50m離れてオルガンを聴いたとしましょう。実際に聴いた場合には50mの距離を感じさせると思いますが、ヘッドフォンやスピーカーで聴くとそれほどの距離感は得られにくいのです。

その理由のひとつが小信号の再現性が低いことです。たとえば-60dBの音を-120dBまで小さくすると、本来なら-120dBのレベルになるわけですが、実際には僅かなレベルの増減が生じるので距離感の知覚を妨げてしまいます。最高峰DACの「DAVE」では350dBものノイズシェイピングを行なうことで精確性の高い音を獲得しています(筆者注:以下、“正確”という言葉は使わずに“精確”としている)。

私は音の立ち上がりであるトランジェントとタイミングの正しさが、最も重要だと考えています。私たちの脳が音をどのように捉えるのかというと、鼓膜の振動から伝わる音を基に、脳が音情報を処理した結果を感じているわけです。それは様々な音のトランジェントのタイミング情報に基づいて行なわれます。

その情報の精確性が低いと音の分離がうまく感じられないのです。声が楽器の音色もトランジェントに大きく依存しています。たとえばピアノの音やトランペットの音からトランジェントの成分を取り除いてしまうと、楽器の音色の区別がつかなくなってしまいます。また、低音を担当するベースギターから弦を弾く音を取り除くと音程を追うのが難しくなります。

デジタル音源の最大の問題は、標本化=サンプリングされた音の羅列であることです。アナログ信号は連続的な波形なわけですから、デジタル音源の再生にはサンプリングされたデータを連続した波形にしていく必要があります。単純な補間処理は完璧ではありませんからトランジェントに関わるエラーが生じます。しかし、無限の処理能力と関数計算を駆使することで精確で連続的な音に再構築できると思っています。

私が開発したWTAフィルターは高速なFPGAを必要としており、一般的なDAC素子のデジタルフィルター回路と比べて数百倍もの処理を行ないます。また補間フィルターのアルゴリズムも独自のものでトランジェントを再構築する性能を高めています。

一般的なDAC素子と比べ、数百倍もの処理をするために、高速なFPGAを採用している

FPGAのタップ長が多いほど精度が高まるのですが、Hugo 2では49,152タップもあります。208MHz動作でこれをリアルタイム処理しています。一般的なDACチップ内蔵フィルタが数百~数千タップ程度であるのと比較すると桁違いの演算量ですが、FPGAならばこのような超高精度処理が可能となります。そのためにHugo 2では、ザイリンクス(2024年11月にAMDに買収されて傘下になった)のArtix7(XCA15T)という高速で性能の高いFPGAを採用しているのです。

Hugo 2の内部
中央のやや左にあるチップがFPGAの「Artix7(XCA15T)」
タップ長が多いほど精度が高まるという

最終的なΔΣ変調の動作周波数は約104MHzと、高速な処理を行なうことで、Hugo 2はワッツ氏がいうところのノイズフロア変調の低減と小信号の高分解能を実現して、トランジェントと精確なタイミングを獲得しているという。

では最終的なアナログ信号を生成するD/A変換回路はというと、これも特徴的な独自のパルスアレイDACが担っている。これはデルタ・シグマ変調の一種らしく、デジタル領域で11次のノイズシェーピング処理と2048倍のオーバーサンプリングを行ない、可聴帯域内のノイズや量子化誤差を低減。微小領域までクリアな音をもたらしているようだ。

パルスアレイDACはフリップフロップと抵抗から成る回路で、Hugo 2の場合は1チャンネルあたり10個のパルスアレイ・エレメントを使っているという。これらが協調して高速にオン/オフすることでアナログ波形を形成するそうだ。なお、WTAフィルターで生成されたデータを、パルスアレイDACの手前でダウンサンプルするようなことはしていないと語っていた。

FPGAの隣にあるのが1チャンネルあたり10個のパルスアレイ・エレメント(フリップフロップと抵抗から成る回路)。これらが協調して高速にオン/オフすることでアナログ波形を形成する

アナログ変換された音声信号は軽微なローパスフィルターを経由してヘッドフォン出力とライン出力に運ばれる。彼は自身のデモンストレーションでクラシック音楽を中心にしたアコースティックな音源を好んで再生しているのだ。アコースティック楽器の音色や歌手の声色に加えて、ホール空間の響きや余韻の再現に注力していることが窺える。

Chord Electronics FPGA DAC Technology Explained

微小領域に至る音の深みでハイレゾを聴かせる

自宅でHugo 2を久しぶりに聴く機会を得たわけだが、スピーカーシステムで聴くよりもヘッドフォンで聴いたときのほうが音の特徴が明確に感じられたのが非常に印象深かった。

所有しているDAPと比較になってしまうが、私はAKの大型DAP「KANN Cube」(製造完了)を使っている。DAC素子にESSテクノロジー製「ES9038PRO」をチャンネルあたり1基使った贅沢な内容で、バランス(XLR)端子の別売ケーブルが接続できるので重宝しているのだ。

長年の友人が外装デザインと音質に関わった最後の作品ということでも手放せないDAPなのだが、ESSのDAC素子らしい鮮明さを際立たせた音が特徴といえる。いっぽう、Hugo 2はそれとはまったく対照的だ。たとえばショップで聴いたら少し地味な音の傾向に思われるかもしれない。しかし、自宅でじっくり聴いたら音の素直さが感じられ、しかも聴き疲れのしない音だとわかるだろう。

ピーキーな音の力強さでハイレゾリューションを感じさせる音とは真逆のように、微小領域に至る音の深みでハイレゾリューションを感じさせるのが、Hugo 2が聴かせる音の魅力なのだと再認識した次第である。

自宅以外にも持ち歩いたり外出先でも聴くというなら、別売されている純正のネットワーク・ブリッジ「2go」とHugo 2をドッキングさせるのがベストなのかも知れない。今回試してはいないが、有線LAN端子のほかにmicroSDカードスロットが2基あり、DAPのように使うことができるそうだ。

ネットワーク・ブリッジ「2go」とHugo 2をドッキングしたところ
三浦 孝仁

中学時分からオーディオに目覚めて以来のピュアオーディオマニア。1980年代から季刊ステレオサウンド誌を中心にオーディオ評論を行なっている。