藤本健のDigital Audio Laboratory

第638回

ハイレゾでリアルな5ch収録への新たな挑戦。再生機器ももうすぐ充実?

 スピーカー用に作られた音源をヘッドフォン用に作り替えてしまうというユニークな技術「HPL」を先日、記事で紹介した。一般的な2chのスピーカーのみならず、5chのサラウンドでも聴くことができるという技術だが、それを筆者が知ったきっかけは、3月に軽井沢大賀ホールで行なわれたハイレゾ作品のレコーディング現場に見学に行ったことだった。これは、レコーディングエンジニアの沢口真生氏が企画した、バッハの「フーガの技法」をサラウンドでレコーディングするというものだったが、その作品「The ART of FUGUE BWV-1080」が6月4日よりe-onkyo musicおよびHQM STOREで配信開始された。

The ART of FUGUE BWV-1080(フーガの技法)

 その発売に先駆けて、沢口氏によるプレス発表会が行なわれたので、参加してみた。この作品についてはもちろんのこと、いろいろと面白い機材情報なども得られたので、紹介しよう。

沢口真生(Mick沢口)氏が今回のレコーディングについて説明した

5人の奏者に囲まれたようなリアルなサラウンド

 今回リリースされた作品は、沢口氏が代表を務める沢口音楽工房のUNAMASレーベル「クラシック・シリーズ」の第2作として出されたもので、e-onkyo musicでは2chのWAVとFLAC、5.1ch(実際には5ch)のWAV、FLAC、ドルビーTrueHDが、HQM-Storeでは2chのFLAC、5.1chのFLACが販売されており、いずれも192kHz/24bitとなっている。前作である、ヴィヴァルディの「四季」と同様、軽井沢大賀ホールでレコーディングした作品であったが、今回の作品はさまざまな面で、面白い挑戦が行なわれていた。

レコーディングは軽井沢大賀ホールで行なわれた

 技術的な話に入る前に、今回の作品について簡単に説明しておこう。沢口氏は「フーガの技法はバッハ最後の作品とされ、ここでバッハが表現したかった音楽形式は、唯一の主要主題に基づくあらゆる種類の対位法とカノンを網羅することでした。まさに技法というべきもので、さまざまな仕掛けがされているのですが、この作者の思いを十分に表現するにはサラウンドが最適であると考えました」と話す。さらに5chのサラウンドを存分に生かすために、沢口氏自身も、この作品に仕掛けをしていたのだ。編曲を作曲家の土屋洋一が担当しているのだが、土屋氏の手により、この曲を弦楽五重奏へと書き換えていたのである。

左から土屋氏、竹田氏、田尻氏

 発表会のゲストとして招かれていた土屋氏は「特別変わったことはしていません。本来は入っていないコントラバスが違和感なく調和できるようにアレンジしてみました」とさらりと話していたが、全16トラックにおよくぶ楽曲を5人編成の曲へと仕上げていく力量は並大抵のものではないだろう。また第一バイオリンを担当した田尻順氏、第二バイオリンを担当した竹田詩織氏もゲスト参加していたが、編成としてはこの2人のバイオリンに、ヴィオラ、チェロ、そしてコントラバスが入ったものだ。

 さっそく会場で演奏された曲を聴いてみると、難しいクラシックの話などは横に置いておいても単純に楽しめる音楽だったのだ。なぜか。それは5chのサラウンドで再生すると、軽井沢大賀ホールでの演奏を思い出させてくれる響きであると同時に、各チャンネルから別の楽器の音が聴こえてきたからなのだ。現場で見学したときは、会場席で演奏を聴いていたのだが、ここでの5chデータの再生では、ステージ上で5人が自分を囲むように演奏している感じで、その息遣いまで感じられるすごくリアルなサウンドだった。

 発表会の最中ではあったが一人立ち歩いて5chある各スピーカーによってみると、左後ろが第一バイオリン、右後ろが第二バイオリンで、フロントは左からヴィオラ、コントラバス、チェロとなっている。複雑な旋律で、各パートが入り乱れたものとなっているが、スピーカーに近づいて音を聴くことで、それぞれのパートの演奏がハッキリと分かる。これがステレオで聴くと、どのパートがどの演奏なのかを認識するのは、なかなか難しそうに思えた。

左後ろが第一バイオリン
右後ろが第二バイオリン
フロントは左がヴィオラ、中央がコントラバス
右がチェロ

 といっても、1つのスピーカーから出ているのが1つの楽器だけの音というわけではなく、5つの楽器すべての音が入っている。マルチトラックレコーディングで1つずつ別々にレコーディングしたわけではなく、ホールの響きを感じて演奏できる会場で5人が息を合わせて演奏したものを、それぞれの楽器に向けて設置した5つのマイクで録音したものが、そのまま再生されていたのだ。

5人が同時に演奏したものを、5つのマイクで録音

立体的なサラウンド録音のためにとった手法とは

 ここで使われていたのはNeumannのデジタルマイク、KM-133D。沢口氏は「デジタルマイクは、かなり繊細な録音ができそうということはわかっていましたが、本当にうまくいくのか心配だったので、前回の四季のときは、アンビエンス用に使ってみたのです。ところが、実際に録ってみるとものすごくいい音だったので、今回はメインのマイクとして据えました」と説明する。

各演奏者の前に立てられたマイクスタンドに取り付けられているのがKM-133D

 デジタルマイクは、まだ珍しい機材だが、その名のとおり、捉えた音をそのままデジタルで出力できるというマイク。つまり、オーディオインターフェイス、A/Dコンバータを必要とせずにDAWへ取り込むことができるのだ。とはいえ、USBでというわけではなく、KM-133Dの出力はAES42という規格のものとなるので、RMEのDMC-842というデジタルマイク用のプリアンプを通じてMADIへ変換してPCへ伝送し、DAWであるPyramixでレコーディングしているのだ。

一番上のラックがDMC-842
Pyramixでレコーディング

 これら5つのマイクに加え、アンビエンスマイクも立てられていたが、基本的には各楽器に向けたマイクの音がそのまま各チャンネルのデータとなっているほか、アンビエンスマイクからの音がある程度ミックスされるという形になっているようだ。

 今回さらに実験的なことが行なわれた。それは、KM-133Dをステージ上で5方向に設置したマイク、およびアンビエンスマイクとは別に、もっと高い位置にも4chのマイクが設置され、これも同時にレコーディングされているのだ。これにより、下に5ch、上に4chという、より立体的なハイトサラウンドの作品にチャレンジしていたのである。この辺については以前の記事でもお伝えしたとおりで、9chを再生する装置をセッティングすることはなかなか難しく、とくに日本の家庭においては、あまり現実的とはいえない。そこで、これをHPL化して発売することを検討しているのだ。現在発売されているHPL作品は2chのHPL2と5chのHPL5の2種類だが、ここに9chのHPL9(という名前になるのだろうか? )が加わることになるのだろう。

 HPLを開発したアコースティックフィールドの久保二朗氏にインタビューした際、すでに9chをHPL化する手法は確立されていると話していたので、沢口氏が9chのデータを渡せば、すぐにでもエンコードできる段階にある。ところが、今すぐに渡すことができない事情があるようだ「9chのサラウンドをミックスするにはDAW側が9ch出力に対応してくれないといけないのですが、現在のPyramixが対応していないのです。ただ、間もなくリリースされるというPyramix 10が対応しているということなので、これを待っている段階です」とのこと。現在HPL5の作品も発表されていないのは、HPL9を念頭においているからなのかもしれない。個人的にはHPL5も出してもらい、HPL5とHPL9の音の違いなども聴き比べてみたいところだが、いずれにせよ楽しみなところだ。

DIGIBITのミュージックサーバー「aria」が国内でも登場予定

 ところで、この発表会はRME機材などを扱うシンタックスジャパンの試聴室で行なわれたのだが、そのプレーヤーとして使われたのがちょっとユニークな機材だった。これは先日ドイツ・ミュンヘンで開催された「HIGH END 2015」で発表されたミュージックサーバー、「aria」というもの。スペインのDIGIBITが開発したもので、時期/価格は未定ながら近い将来シンタックスジャパンが国内販売することは決まっているようだ。

DIGIBITの「aria」

 本体内に最大で2TBのSSDまたはHDDを収納でき、最高で384kHz/32bitのPCMデータが再生できるほか、DSDにも対応しているというもの。しかも外部にUSB DACを取り付けることで、PCMおよびDSDのサラウンド再生ができるという機材なのだ。

 内部にはWindows Embededを搭載しているため、通常の操作は画面を見たり、マウスで操作するということは不要で、あくまでも家電のように使える。リモコン操作にはWi-Fi接続したiPadが利用できるようになっており、WAV、FLAC、ALAC、AIFF、AAC、OggVorbis、MP3そしてDSD64、DSD128などのフォーマットのデータが再生できるのだ。

iPadからWi-Fi経由でコントロールできる
iPadでの操作画面
設定画面
HDD使用状況など
ネットワーク経由での曲追加も可能

 今回の発表会ではariaにRMEのFireface UFXを接続した環境で192kHz/24bitのサラウンド再生が行なわれた。各データはLANを通じて、aria内のストレージにコピーできるほか、フロントに用意されているCD-ROMドライブからCDをリッピングすることも可能だし、UPnPおよびDLNAに対応しているから、LAN経由でNASにアクセスして再生するといったこともできるようになっている。

一番上のラックがFireface UFX
CDのリッピングも可能

 リアパネルを見ると、コアキシャルのSPDIF出力が2つ(RCA×1、BNC×1)とAES/EBUが一つ、さらにI2Sでの出力も用意されているため、これらから直接デジタルオーディオ機器へと接続することもできるが、やはりサラウンド出力などを考えるとUSBオーディオインターフェイスへ接続するのがよさそうだ。

背面

 ここで気になるのは、DSDのサラウンド出力をどのようにするのかという点。現状DSD対応のUSB DACは2chのものしか市販されていないと思うが、間もなくPyramixの開発元であるスイスのMERGING TECH社がマルチチャンネルのDSD出力を可能にする機材を発売するとのことで、これを接続することで対応できるようになるらしい。

 これらはいずれもハイエンドユーザー向けの製品であり、一般のユーザーには、なかなか手が出せない値段になると思うが、まずはこうした製品が誕生してくれるのは嬉しいところ。機会があれば、実際どんな音がするのか、どのような使い方なのかなど試してみたいと思う。

e-onkyoで購入

UNAMAS FUGUE QUINTET/The ART of FUGUE BWV-1080

HQM STOREで購入

UNAMAS FUGUE QUINTET/The ART of FUGUE BWV-1080

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto