藤本健のDigital Audio Laboratory

第670回

究極のSACDが更に進化。藤田恵美「camomie Best Audio 2」制作の裏側を聞く

 音楽作品の作り手の思いが、オーディオファンにストレートに届いているのか……というと、そうでないことが多い気がしてならない。ミュージシャンが演奏し、レコーディングエンジニアが録音し、ミックスした際に意図した音像や表現をオーディオファンはまったく別の解釈をしていたり、違った見方で聴いているケースが少なくないからだ。それならば、制作する時点からオーディオの専門家を交えてオーディオファンが納得いく形で、レコーディング、ミックスしていったらどんな作品ができるのか……そんな実験をして大成功したのが2007年にリリースされた藤田恵美さんの洋楽カバー作品「camomile Best Audio」というSACDのアルバムだった。

 このDigital Audio Laboratoryにおいても、以前「『かないまるルーム』で生まれる究極のSACDとは?」と題して、その制作工程を4回にわたってレポートしていったが、その続編となる「camomie Best Audio 2」というアルバムが3月2日にリリースされ、Amazonのランキングや、ハイレゾ配信「e-onkyo music」のラインキングでは、さっそくトップチャート入りしている。

新作「camomie Best Audio 2」

 8年ぶりの作品となった今回のアルバムは前回と同様、ステレオと5.1chのハイブリッドとなっており、オーディオファンが理想とする形で音像を表現している。しかも左右の広がりや、奥行きだけでなく、高さ方向も表現しているというのだ。でも、その話を最初に聞いたとき「天井にスピーカーを置くわけでもなく、平面に置いた5.1chのスピーカーやステレオのスピーカーで再生するのに高さって、どういう意味なの? 」と思ったのが正直なところだった。

 しかし、実際に音を聴いてみて驚いた。試聴したのは東京・八重洲の「Gibson Showroom Tokyo マリンシアター」だったので、一般家庭のオーディオシステムとはレベルが違うのかもしれないが、ここで再生された曲を聴いたら、目の前にあるスピーカーではなく上のほうから音が藤田恵美さんのボーカルが聴こえてくる。「サラウンドってすごい!」と思ったら、「今のがステレオで鳴らした音です」といわれて驚愕した。

 続いてもっと面白い曲を、といって5.1chで再生してもらったら、前方の上からボーカルが、右斜め上からはオルガンが、少し下がった左の位置からはギターが……というように、明らかに遊んでいる風に音像が広がる。ちょっとバーチャルリアリティーの世界にいるというか、遊園地のアトラクションにでも入って音楽を聴いているような気がするが、やはり、上にスピーカーがあるわけではなく、キョロキョロしてしまう不思議体験なのだ。

Gibson Showroom Tokyoの試聴室、マリンシアターで聴いた
前作の「camomile Best Audio」

 前作の「camomile Best Audio」もサラウンドオーディオの凄さを実感できたアルバムだったが、今回の「camile Best Audio 2」はそれを遥かに上回るオーディオ体験ができるアルバム。制作メンバーは8年前と同じくレコーディングエンジニアの阿部哲也氏と、オーディオ機器のエンジニアである、「かないまる」こと金井隆氏。

 どんな手法を使ってこのような作品を実現しているのだろうか? 藤田恵美さんに、作品作りのキッカケや意図をおうかがいするとともに、camomileシリーズをずっと手がけてきたレコーディングエンジニアの阿部哲也氏に、その種明かしをしてもらった(以下、敬称略)。

阿部哲也氏(左)と、藤田恵美さん(右)

前作に入り切らなかった曲も収録。アナログレコーディングの音をデジタル化

――今回の作品「camomile Best Audio 2」という名称になっていますが、これはどんな経緯で制作することになったのですか?

camomile Best Audio 2

藤田恵美さん

藤田:camomileシリーズをまた作れたら……という思いはずっと持っていました。ただ、なかなか時間や予算、タイミングなどが合わず、できないままに長年が経過していました。エンジニアの阿部さんからも「また作りましょうよ」なんて声はかけていただいていたのですが……。そんな中、レコード会社側から、久しぶりに作ろう、という話が出てきたのです。

――Bestというくらいですから、新規に録音したわけではないんですよね?

藤田:個人的には新録ができれば一番いいなとは思っていたのですが、既存の作品からベスト盤を作る、と。既に「camomile Best Audio」を出していたので、ベスト盤はすでに終わったはずなのに、そんなのできるの? と不思議に思いました。ところが、まったく別の取り組みをする、普通のアルバムとは違うことをする、という話を聞いて、あのころの作品がどうなるんだろうと、ワクワクしていました。

――中には未発表曲もあるようですが。

藤田:camomileシリーズは、前回のベスト盤「camomile Best Audio」を除くとcamomile 3部作と2010年に出した「camomile smile」というアルバムがあります。今回はその中から選曲しているのですが、当時レコーディングしたもののアルバムに収録されなかったものがいくつかあるんです。具体的には2枚目のアルバムに入れるつもりだった「Home, Sweet Home」と「Father by Thy Hand」です。

阿部哲也氏

阿部:この未発表曲も含め、レコーディングはすべてアナログで行なっているというのが、ひとつの特徴になっているんです。アナログで録るというのがcamomileのコンセプトともなっており、3部作は今はなき一口坂スタジオにあったStuderのA-800、camomile smileはサウンドシティのA-80でレコーディングしています。いずれも24トラックのテープですね。

――24トラックで足りるものなんですか?

阿部:恵美さんのボーカルとギター、それにピアノとか、ベースという小編成のものが中心なので、なんとかなっています。ただ、弦楽四重奏などが入るものだと、24トラックだと無理になってくるし、camomile smileのときはサラウンドで鳴らすことが想定されていたので、多くのアンビエンスマイクも立てているので24トラックだと足りません。そこで、一度アナログで録ったものをデジタルで吸い上げ、それと同期させながら再度テープでとっていくという手法でトラック数を倍に増やしました。

――そのデジタル化について、もう少し詳しく教えてもらえますか?

阿部:アナログのテープの出力をMOTUのオーディオインターフェイス1296を介してDigital Performerへと吸い上げています。96kHz/24bitのフォーマットであり、もちろん非圧縮ですね。SMPTEで同期させることで、24トラックを越えるものでもうまく扱えるようにしています。

――ちなみに、昔のアナログテープも全部保存してあるのですか?

阿部:いえいえ、もうないですね。アナログテープはどんどん劣化していきますし、camomile Best Audioの前に、すべてデジタル化していますから、不要なんです。アナログが希少な時代になってきた2010年のcamomile smileの時点では、テープも高くて1本4万円近くしたので、3本を使い回す形にしていました。とにかく録って、その場で吸い上げていくんです。24トラックで足りなくてスレーブを作る場合なんかは「スレーブの作業に入りますので、30分お待ちください〜! 」なんて感じで作業していましたね。

音の「高さ」を追求したミックス

――では、ここから今回のアルバムについて具体的におうかがいしていきます。今回、新録がなかったということは、ほとんどは阿部さんの作業ということですか?

阿部:その通りです。私が作って、金井さんが確認し、指示を受けて再調整する……という形ですね。ただ、この作業、かなり大変なんですよ。かなり昔に録っているだけに、記録や記憶に残っていないものも多くて…。昔はトラックシートというのを作っていて、そこにメモ書きをしているのですが、ここにはOKとだけ書かれているので、これがOKトラックだと思いますよね。ところが、それでミックスして恵美さんやマネジャーが聴くと「36小節の2拍目あたりが違うね」なんて指摘が来るんですよ。よく聴いてみると確かに違う。おそらく当時ミックスダウンしたときに、「ここだけちょっと」なんて別テイクのトラックと差し替えたりすることがあるんですよね。当時はボーカルセレクターなんて高級な機材があって、それを使いながら切り替えることでつなぎ目が分からないようキレイに切り替えができるのですが、トラックシートに記録されていないものも結構あるんですよね。

――そんな細かな違いがあるとすると、オリジナルのミックスに揃えるのはかなり大変そうですが、どのようにしたんですか?

阿部:スイッチャーを使ったトラックも残っているので、オリジナルテイクの波形を比較しながら、切り替え作業をしていくんですよ。もともとボーカルセレクターを通したものも、そこでの音質劣化があったわけですが、DAW上で切り替え処理をすれば、その分音質劣化を防ぐこともでき、全体的な高音質化も図れるというわけです。ボーカルトラックだけでなく、楽器のトラックでも同様なことをしていることもあるし、アナログでのバウンスというか、当時でいうピンポンみたいなことをしているケースもあるので、すべてを疑いつつ、高品位に復元していくんです。以前のcamomile Best Audioのケースも含め、こうした作業はかなりやってきているので、今は結構効率よくできますよ。

――ずいぶん地道な作業なんですね。さて、今回のテーマは「高さ」だったとのことですが、これはどういうことなのでしょうか?

阿部:今回、ミックスしていくにあたり、金井さんからは「ステレオで高さのあるミックスをして欲しい、前の壁全面から音を聴きたい」、「最近、横に広がる音源は増えてきたけれど、高さがある音源が日本にないので、実現して欲しい」という要望をもらいました。この要望については2010年のcamomile smileのときにも出ていたし、その時もある程度はそこに応えられていましたが十分といえるものではありませんでした。そのため、この高さについては、ここ5、6年ずっと研究してきたテーマであり、これが私のレーベルであるHD Impressionを立ち上げるための動機にもなった話なんです。

――実際「高さ」のある音源というのは、世の中に数多くあるものなんですか?

阿部:金井さんによれば、少ないけれど海外作品では高さを持った音源があるそうです。意図せず高さを感じられるミックスができあがった、という可能性もありそうですが、スピーカー2つが鳴っているだけなのに、明らかに横方向だけでなく、高さが、違うところから出てくるという、キャンバスがものすごく広い音源が存在しているようです。また、そうした作品で、実際に高さ方向を感じることができるというのは、オーディオのセッティングが正しくできているということを意味するのだそうです。

――なるほど、逆にいえば、今回のcamomile Best Audio 2は高さ方向を感じられる作品であり、実際に再生して音が上から聴こえてくるようになれば、正しくオーディオのセッティングができていることを実証できるリファレンスになるというわけですね。でも、その高さというのはどうやったら実現できるのですか?

阿部:実際、ホールなどで歌っているのを聴くと、歌声はいろいろなところに反射し響きとして聴こえてきますよね。その響きをすべて録音することで、高さを感じることができるんです。実音が上がるのではなく、反射音が聴こえる。それが高さという考え方だと僕は思うのです。天井の高さを感じるということではないでしょうか? 横に広がるのは位相をずらせばできるのに対し、高さは位相差ではなく、反射音である、と。そのことはHD Impressionにおいて1ポイント録音をしたときに見出したのです。その後、試行錯誤をずっと続けてきたことで、ミックスという作業を単に各パートの音量バランスの調整ということではなく、上下、前後、左右の音を全部ブレンドすることで、音場を作り上げることができるようになってきたのです。

複数のマイクを組み合わせた阿部氏自作の1ポイントマイクシステム

過去の素材を生まれ変わらせた手法とは?

――ホールで演奏したものを1ポイントマイクで収録し、それをうまくミックスすることで、高さ方向を含めた空間的な音場を作れるという話は分かりました。でも、今回はホールで改めて録音するのではなく、過去に録音した素材を使うという話でしたよね?

阿部:その通りです。だから、今回はトリックを使っているですよ。テーマは「高さ」であって「広がり」ではなかったので、そんなに広いホールではなく、初期反射音がある場所を探しました。これまでいろいろと見てきた中でよかったのが、神奈川県にある藤野芸術の家というホール。以前パーカッション録りに使って、すごくいい響きをしていたんです。そこで、このホールを1日借りて、IR(インパルス応答)を録りに行ってきたのです。ツールはAltiVerbというものを使っています。ただ、会場の人からは妙な人に見られたと思いますよ。「今日は何をされるんですか? 」、「録音です」、「何人ですか? 」、「ひとりです」なんてやり取りをした上で、会場では「キュイーン」って音が響いていただけですからね(笑)。


神奈川県にある藤野芸術の家
AltiVerb

――コンボリューションリバーブ用のIRを自分で作ってしまうんですね。

阿部:はい、僕のワンポイント・マイクアレイで録音し、AltiVerbで3つのリバーブを作りました。モノ入力/ステレオ出力、ステレオ入力/ステレオ出力、ステレオ入力/サラウンド出力のそれぞれです。このIRを利用して、過去の素材を疑似的にホールで録音したようにしていくのです。金井さんが、高い音を作れ、というのでできる限り上げてみた上で、12月中旬に金井さん、恵美さん、またレコード会社などにデータを渡しました。

――金井さんの評価はいかがでしたか?

阿部:「高すぎる、音が硬い」と言われました。「高くしろ」というからやったのに(笑)。でも「やった! 」という思いはありましたよ。これまで誰もできていなかった高さをコントロールできるようになったんですからね。金井さんからは「狭くて上にあがったという気がする一方、地面がないように思う。こんなに音が硬くなってしまうなら、高さは諦めましょうか……」なんて言われましたが、こちらとしては解決手法もだいたい頭にありました。

普通のレコーディングでもそうですが、反射音というのは、結構嫌なものなんです。反射音は元の直接音に被さってくるので、音色が変わったり、音にいろいろな悪影響を及ぼすことがあります。また、高さを感じさせる音の成分は波形上、かなり細かいものであるため、それを足していくとどうしても音が硬く感じられてしまうのです。だったら、IRの使い方を弱めるとか、IRの初期反射のディレイ値を変えるなど、物理的パラメータを変更することで、音を改善していくことはできます。音色をEQを使うのではなく、リバーブのパラメータで変えていくんですね。これで調整していったことで、最終的にうまく作ることができました。高さが決められたので、そこからようやく普通にエンジニアとして音楽的なところでミックスしていく作業に入れたわけですね。

――ちなみに、2chのステレオと5.1chのサラウンドがありますが、両方を同時に進めていくのですか?

阿部:まずはステレオから固めていきます。やはりステレオとサラウンドの違いとして、見え方としてスピーカーが多くある分、サラウンドのほうが、それぞれの音が見えやすいんです。サラウンドで作ってからステレオに変換すると、見えなくなってしまう音が結構あるのです。だから、先にステレオで固めた上で、そこでの制限を緩めていく方向でサラウンドを作るほうが効率的なんですよ。細かく作りこまなくてはならないのがステレオのほうなんですよね。

――この後はもうスムーズにできたのですか?

阿部:3月発売が決まっていたのに、そもそもやり取りが始まったのが12月ですからね。年末年始ほぼ休みなく作業をしていましたよ(笑)。私のほうでミックスしてはみんなで共有で使えるサーバーにデータをUPし、金井さんが自宅で聴いて、指示が出て、私が自宅スタジオでDigital Performerを使って修正するというやりとり。かなりハードワークでしたね。最後に前作であるcamomile Best Audioの成功の経緯を踏まえて、同じクオリティにしたいという思いから、ソニーに協力してもらい、(前回と同じく)ソニーの試聴室でミックスと吸い上げを行ない、無事リリースすることができました。

阿部氏が自宅スタジオのDigital Performerで調整

藤田:最初に音を聴いたときには、私も「硬い」と感じ、それを阿部さんに伝えたのですが、その後はとってもいい感じに変わっていきました。あまり技術的な話は分かりませんし、「これいいね」とか「ちょっと違うね」ということしか伝えられませんが、私にとって、素直なストレスのない音になっていったことは十分に実感でき、表現豊かな、世界に入り込める作品になっていったことは分かったので、阿部さん、金井さんにお任せした結果、素晴らしい作品になったと思っています。ぜひ、このサウンドを多くの方に聴いていただければ、と思っております。

e-onkyoで購入
camomile Best Audio 2
Amazonで購入
camomile Best Audio 2
(SACD)

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto