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シン・ゴジラを彩った2つのサントラ。「シン・ゴジラ音楽集/劇伴音楽集」
2016年10月28日 10:00
夏に劇場公開され、今も絶賛公開中の「シン・ゴジラ」。BD/DVDのパッケージも待ち遠しいところだが、今のところまだ発売のアナウンスはない。というわけで、例によってその飢餓感を癒すため、サントラを聴き込む日々が続いている。今回取り上げるのは、シン・ゴジラのサントラである「シン・ゴジラ音楽集」(CD版)、レコチョクやe-onkyo、moraなどで配信中の「シン・ゴジラ劇伴音楽集」(48kHz/24bit)の両方だ。
まだ公開中ということもあり、映画そのものにはなるべく触れないようにするが、公開直後に初めて劇場で見たとき、映画としての出来映えは拍手喝采だったものの、「何故5.1ch収録ではないのか?」という点が疑問だった。音響的にはなにか物足りない感じがしたのだ。伊福部昭によるオリジナル音源をそのまま使用したいくつかの楽曲がモノラル音声で、ステレオで新規に収録された曲との差を感じたことが理由かもしれない。いずれにしても音楽的ではなく、音質的にやや古くささを感じた(爆発音等の効果音も昔からの特撮で使われた素材が多かったことも理由のひとつ)。そのため、映画としてではなく、オーディオ、ビジュアル機器の性能を評価するための試聴素材としてみたとき、「シン・ゴジラは試聴では使いにくいかもしれない」とも思った。
自宅で聴いた「シン・ゴジラ音楽集」の音の良さに驚く
しかし、自宅のシステムでサントラ「シン・ゴジラ音楽集」を聴いて、その音の良さに愕然とした。自宅のシステムが質的に映画館(特に名は秘すが、最近は音響が優れている映画館にしか足を運ばない)よりも優れているわけではない。驚いた理由はCDのブックレットに書かれていた。伊福部昭のモノラル音源を使った曲は完全な再演奏(楽譜にない演奏の変更はおろか、小節単位で変化するBPMまでトレースしたという)をステレオ録音し、オリジナルのモノラル音源に薄く重ねたものだというのだ。
ちなみに劇場版の音声では、監督の決断によりステレオ音声は重ねないオリジナルそのままの音源が使われている。この違いは、そのまま「シン・ゴジラ音楽集」と「シン・ゴジラ劇伴音楽集」の違いのひとつでもある。サントラ用に製作された音源という意味では素材も含めて同じだが、映画のダビング作業よりも前に完成したのが前者で、実際に映画のダビング作業に使われたもの(正しい意味でのサウンドトラック)が後者だ。
モノラルがステレオになったから、愕然とするほど音質が良くなったかというと、そうではない。簡単に言えば、前方の2つのスピーカーと視聴位置が正三角形の頂点となる位置で聴いたからだ。たいがいの場合、筆者は(比較的席が空いていて、しかも一番画面が大きく見える)最前列で見ることが多い。しかも左右の端っこの方の席だ。そんな場所で見ていると本来の音響効果は得られにくい。シン・ゴジラのようにステレオ音場主体で制作された作品はなおさらだ。だから、音楽的な良さよりも音質的な古さが余計に気になったのかもしれない。
そう思って、平日の空いている時間帯を選び、劇場の前後左右を含めてど真ん中の席で見てみたが、音響的な満足度がまるで違った。劇場中を音で満たすのではなく、スクリーン側の最小のスピーカーからだけ音を出すことで音の密度を高め、スクリーンの奥に広がるステレオならではの立体感を出すこと。総じてスクリーン(映像)への集中度を高めることが狙いだったのではないかと思う。映画の音は100%作り物だが、音の密度を高め、音像を立たせることで、よりリアリティーを加味したかったのではないかと。
音像の立体感が際立つ「劇伴音楽集」。モノラル曲で感じるゴジラの凄み
「音楽集」と「劇伴音楽集」の違いは、ブックレットなどで詳しく記載されているが、主なものは、CDの44.1kHz/16bitと配信の48kHz/24bitという違い、マスタリングの違い、そして劇伴音楽集は使用されたカットに合わせて再生時間が調節されていることくらいだ。しかし、それ以外の細かな違いが膨大に積み重なり、実際に聴いてみると随分と違うことがわかる。
まずは第1曲目の「Persecution of the masses(1172)/上陸」(曲の表記は「劇伴音楽集」で統一している)。「音楽集」では、映画の冒頭にもある足音と咆吼がイントロとして加わっている。これは、映像を伴わない音楽作品ならではのサービスだろう。「劇伴音楽集」は映画で使われた劇伴そのままなので、すぐに音楽がスタートする。劇中で音楽が登場するのは、巨大不明生物が実際に上陸、その全容が映像に現れてから。それまでは劇伴なしでドキュメントと言ってもいいくらいリアルに、東京湾で起きた謎の災害を追っている。
シン・ゴジラの楽曲は、いろいろな意味で思い入れのある曲が多用されていることもあって、どの曲も大好きだが、第1曲目はテーマ曲とは言えないまでもシン・ゴジラを象徴する曲だと感じるほど好きだ。不気味さやなんとなく不安を醸し出すメロディー、そして曲の後半のコーラスでの人間の英知や文明をはるかに超えた存在を感じさせる圧倒的な迫力や重みがある。
面白いのは、そうしたテーマ性がより濃厚に感じられるのが「音楽集」ということ。単純に音の感触の違いで言えば、弦楽器などによる低音の響きが豊かでスケール感が大きい。音楽として壮大であり、メッセージ性の強い仕上がりになっている。
一方で「劇伴音楽集」は、ひとつひとつの音が実体感のある音になっており、響き感はむしろタイトで、個々の音像の立ち方が強いバランスと感じる。ある意味、パンチの効いたメリハリ型の音の仕上げとも言える。
こうした音の立ち方が、2曲目の「ゴジラ上陸/ゴジラ/進化」のモノラル音声の楽曲とよくマッチする。モノラル音声は音場はないに等しいが、そのぶん音像がしっかりと立つ。映画館ならばセンタースピーカーを使っているだろうし、音にこだわるオーディオマニアはモノラル録音の楽曲は1本のスピーカーで再生するという。左右の2本のスピーカーで聴いたときのモノラル音声の音像はファントム(幽霊)と呼ばれる仮想的な定位であり、実際にスピーカーから出た音をダイレクトに聴いた場合とは感触が異なるからだ。つまり、モノラルの音のダイレクト感が、「劇伴音楽集」ではかなり意識されていることがわかる。
一方で、「音楽集」の方は前述の通り、新録されたステレオ収録の演奏が薄く重ねられている。モノラル的な音楽全体がセンターに定位する感じはあるが、音の響きを含めて左右の広がり感があり、ステレオ再生することが主流である現代のオーディオ装置で聴くならば、こちらの方が音楽的なまとまりや完成度は高い。音楽だけをステレオ装置で聴いていても聴き応えがある。
8曲目「ゴジラ復活す/キングコング対ゴジラ/再上陸」、9曲目「ゴジラ登場/メカゴジラの逆襲/脅威」も、同様のモノラル録音だ。ついに見慣れた、それでいて不気味さや生物としての恐ろしさが強調された姿が画面に現れる。音がしっかりと立ち、圧迫感さえ感じる音像の彫りの深さは、ステレオ録音された楽曲にも迫力やスケール感で負けていないし、質的な差を感じることもない。そのあたりは「劇伴音楽集」の方が徹底していて、このバランスのために5.1chではなくステレオ主体の収録を選んだであろう作り手の考えがよくわかる。「音楽集」では質的な差はうまく埋めたうえで、音楽としてより表情豊かに聴かせるバランスとなっていて、音楽的だが、音の凄みにはやや差を感じた。とはいえ、伴うべき映像がないので音が凄みたっぷりなだけに映像のない物足りなさも募るのが「劇伴音楽集」なのだが。
13曲目の「Who will know(24_bigslow)/悲劇」も印象的な曲だ。ゴジラの放射能火炎が猛威を振るう場面で使われたもの。タイトル通りの悲劇的なメロディーと、痛切な響きを伴うソプラノが状況の悲惨さをよく伝える。ゴジラ映画だから、派手なシーンはたくさんあるが、これほどに破壊的な映像と悲愴な音楽のミスマッチがただただ哀しい。圧倒的な力を見せつけられ、ただ状況を見守るしかない無力感がよく伝わる。
ちょっと面白いのは、本来ならセンターに定位するべきソプラノがやや右寄りに定位すること。これはどちらもステレオ音場の定位は同じ。「音楽集」は中高域の分解能の高いバランスで、声の存在感よりもコーラスや伴奏を含めてハーモニーの美しさがよく伝わる。「劇伴音楽集」は声の立ち方が強く、より悲愴な表情が出ている。
この惨憺たる状況から、人類側の反抗の意志を描くことは、ゴジラ映画ならずともあらゆる映画に求められる要素で、ここからの人間たちの頑張りは素直に共感してしまえるし、次々と降りかかる困難がドラマを盛り上げていく。ゴジラの登場場面が凄いのは言うまでもないが、「シン・ゴジラ」が怪獣映画の範疇を超えて多くの人の支持を集めたのは、こうした人間たちを変にドラマチックにすることなく、しかし丁寧に描いたこともあると思う。困難に直面したとき、どうするか。映画だから理想論的になるのは仕方がないが、ひとつの回答がここに示されていると思う。
後はヤシオリ作戦による最後の戦いに熱狂すればいい。19曲目「宇宙大戦争/宇宙大戦争/ヤシオリ作戦」は、このフレーズを聴いただけで盛り上がってしまう人は少なくないと思うし、20曲目「Under a Burning Sky(11174_battle)/特殊建機第1小隊」、21曲目「Under a Burning Sky(11174_orchestra)/特殊建機第2・3小隊」と連なっていく緊迫感と戦いの高揚感は見事なもの。サントラを聴いている(映像が伴っていない)条件では、これは「音楽集」の方が聴き応えもある。
「音楽集」も「劇伴音楽集」のどちらを選ぶべきとか、優秀だとかを論じる必要はないだろう。個人的には、ここ最近の傾向としては自分自身意外だが、音楽のみを聴くならばCD版の「音楽集」の方が満足度は高かった。音楽ソフトとしての完成度の高さがその理由。「劇伴音楽集」は48kHz/24bitで、スタジオマスターそのままの品質だし、音質的にも優位だとわかる。だが、それだけに映像が欲しくなってしまい、物足りなさも感じるからだ。
ベストな位置で「シン・ゴジラ」の音を楽しめるBD化に期待
実は筆者は、冒頭で触れた通りに音響的な物足りなさも感じたので、サントラを自宅で聴くまでは、「BDは購入決定だし映画館に複数回行かなくてもいい」とさえ思っていた。ところが、サントラを聴いた後では何度も足を運んでいる始末だ。
その結果、1954年に制作された映画などで使われたモノラル音源を現代の最新の映画でそのまま使うための作り手の苦心には感心させられたが、同時に、本作が5.1ch収録ではないことを意識させられた。作り手の意図も理解できたし、作品としての音質的な不満も解消したが、ステレオ主体の音響は、現代の大きなサイズの映画館にはフィットしないと改めて思う。
映画館の音響が、モノラルからステレオ、そして現代のようなサラウンドへと進化した歴史を振り返ってみよう。ほとんどの人はなんとなく前後の音の移動感や音に包まれるような包囲感など、より臨場感の豊かな音響を再現するためと思うかもしれない。実はそうではない。
劇場内のすべての客席でほぼ同様の音響効果が得られるようにするため、というのが第一義。その意味では、サラウンドと呼ばれる音響が実際に採用される以前から、映画館の中には大きな劇場ほど壁の横にも後ろにもスピーカーが配置されていた。サラウンドの技術や効果は、こうした劇場の中に複数配置されるスピーカーをより有効に活用するための副次的な物なのだ。
これは家の中でも試せることだが、ステレオ再生装置から音を出し、前方のスピーカーの間にあるはずの一番良い場所から離れ、左右や後ろなどの壁際で音を聴くと、なんとなくステレオ感はあるが、音場感は消え失せる。カメラのレンズと一緒でピントの合う範囲を外れれば、音の焦点が合わず、ぼやけた音になる。家庭に比べて広さがケタ違いに大きな劇場でステレオ再生すると、劇場の真ん中の一番よい場所でないと、本来の音響効果が得られにくいという話だ。
「シン・ゴジラ」を劇場で見て、その音の凄みまで体感できたという人は、かなり限られてしまうのは事実だろう(音響的な効果が多少削がれたところで、作品の価値が半減してしまうようなものではないが)。だから、BD/DVD、あるいは放送や配信でもかまわないが、それらの発売が待ち遠しくてたまらないのだ。
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