二重スパイを静かに追い詰めるG・オールドマン
英国名優陣の華麗な騙し合い「裏切りのサーカス」
裏切りのサーカス コレクターズ・エディション Blu-ray版 |
この作品は「スパイ映画」なのだが、銃弾が飛び交う激しいアクションやカーチェイスがあるタイプでは無い。スパイ同士の巧妙な駆け引きが行なわれているが、それらは全て水面下で進んでおり、「ミッション・インポッシブル」や「007」のようなカッコよさとは無縁に見える「静かなスパイ」たちが暗躍する。
キャストは主演のゲイリー・オールドマンをはじめ、コリン・ファース(「英国王のスピーチ」など)やジョン・ハート(「エイリアン」、「ハリー・ポッター」シリーズなど)、そして「シャーロック」でも知られるベネディクト・カンバーバッチといった錚々たる英国の名優が集結。このツワモノたちの間で、「誰が誰をだましているのか?」と想像するだけでも興味が湧き、観たくなった作品だ。
原作は、元諜報員でスパイ小説の大家であるジョン・ル・カレの「TINKER TAILOR SOLDIER SPY」(映画の原題も同名)。主人公の名前から“スマイリー3部作”の第1作とされ、イギリスではテレビドラマ化もされた。ル・カレの作品は「ナイロビの蜂」など多くが映画化されている。監督は、「ぼくのエリ 200歳の少女」のトーマス・アルフレッドソン。イギリス、フランス、ドイツの合作となっている。
東西冷戦下、英国情報局秘密情報部MI6とソ連国家保安委員会KGBは熾烈な情報戦を繰り広げていた。ある策略により、英国諜報部“サーカス”を去ることとなった老スパイ・スマイリー(ゲイリー・オールドマン)の元に、困難な任務が下される。 それは、組織の幹部に潜り込んでいるソ連の二重スパイ“もぐら”を捜し出すこと。 標的は組織幹部の4人、その暗号名はティンカー(鋳掛け屋)、テイラー(仕立屋)、ソルジャー(兵隊)、プアマン(貧乏人)。 過去の記録を遡り、証言を集め、容疑者を洗いあげていくスマイリー。浮かび上がるソ連の極秘内部情報“ウィッチクラフト作戦”の正体、そしてソ連のスパイ・カーラの影。やがて彼が見いだした裏切者の正体とは……。
■ 感情が表に出てこない男たち
スパイ同士の騙し合いを描いた作品だが、印象的なのは、極端にセリフが少ないところ。説明的なセリフやナレーションはほとんどなく、原作を知らない身としてはストーリーについていくのがかなり難しい。どこかに重要なヒントが隠されていると思って注意深く観ていたが、人物が次から次へと出てきて、急に回想シーンも挟まれたりと、複雑な構造になっていて物語に入り込むのが難しい。
主人公のスマイリーは、名前に反して愛想のかけらもない無表情な男で、感情をほとんど表に出さない。登場してから最初の10分間は、他の人間が話す中でも一言も発しないのには驚いた。そんなスマイリーをゲイリー・オールドマンが演じることで、「この表情の裏で何を考えているのだろう」と想像したくなるのだが、なかなか言葉が出ないこともあり、その考えがほとんどつかめない。
周囲の同僚たちも、「敵(KGB)だけでなく味方(サーカス)からも騙されているかもしれない」という疑念にとらわれていて、常に互いを監視しあうような緊迫した雰囲気。ヘタなことをしゃべって足元をすくわれるより、黙っていたほうがマシという異常な環境となっている。そうした状況を言葉で説明するのではなく、建物内の暗さや人物の表情、どんよりとした空などの映像で見せているのが印象的。もったいぶった表現ともとれるが、慣れてくるとスマイリーのわずかな表情の揺れからも感情の切れ端のようなものが見えてきて、少しずつこの作品の楽しみ方がわかってくる。
秘密のスパイ道具や、目を見張るような巧妙なトリックが隠されているわけでもない。彼らは、敵のわずかなミスを突き、そこを徹底して攻撃する。原始的だが、一瞬でも弱みを見せると終わりなので、必然的にどの人物、どのシーンにも緊張感が生まれ、地味だからこそ逆にリアリティを感じる。そんな環境のなか、スマイリーは表情を変えることなく、確実な情報を求めて、次第に“もぐら”を追い詰めていく。
登場人物のうち、若い男たちはよくしゃべるが、老獪な幹部たちはここぞというとき以外は言葉少なで、黙って視線だけを交わす場面や、「あと一言いいそう」なところで黙るシーンも多い。テンポを一定にしない工夫が“ひっかかり”を持たせ、観る者が想像する間(ま)を与えている。
スマイリーは、原作者らによれば、'70年代の英国テレビドラマ版(アレック・ギネス)とは全く違った人物像になったという。クセのある悪役などで強烈な存在感を発してきたゲイリー・オールドマンだが、彼が演じるスマイリーは温和な老紳士で、一見スパイとは思えない平凡さを漂わせている。しかし、そこには長年の活動で培った知識と狡猾さが隠されており、必要な時だけその力を発揮。顔色一つ変えずに少ない言葉と時には非情な手段で相手のペースを自分に引き寄せ、相手がしゃべらずにいられないような状況に導く手口は鮮やか。彼の表情は終始ほとんど変わらないが、だんだんそこから狂気すら感じられるから不思議だ。しかし、たとえ相手に勝っても、スマイリーの表情に晴れやかさはない。敵を騙し、時に味方も欺くスパイとして生きる人間が背負った深い業のようなものを感じさせる。
■ ラストまで静かに、物語に浸れる
映像はフィルム撮影とのことで、当時の雰囲気を出すためか、グレインが大量にのったシーンが多い。スパイ映画ならではの「2人で密談」という場面も多いが、逆光などで敢えて人の表情を全部見せないようにして、心を全て明かさないようにしている。
日本語字幕には「手書き風フォント」も用意されており、劇場で観ているような気分も味わえるのでオススメ。特典では、特に原作者のル・カレへのインタビューが興味深く、多くのスパイが持っていた悩みなどが明かされていて、それを知った上でもう一度観たくなる。ゲイリー・オールドマンとトーマス・アルフレッドソン監督によるコメンタリを聴きながら観ると、人物の心情が細かいシーンにも描かれていることがよく分かり、さらに深く楽しめた。ただ、そうした説明は本編から一切排除したことが、独特の魅力を生んだ要因だと思える。
「冷戦」、「KGB」といった言葉で「古い映画や歴史はちょっと……」と敬遠する人もいるかもしれない。しかし、人の心の隙間をつき、“静かな暴力”で激しく揺さぶるという、人間そのものを描く部分には全く古臭さが無い。これを可能にしているのは、幹部ら共演者の存在も大きい。彼らの振る舞いには何かが隠されていることは間違いなさそうだが、簡単には尻尾を出さず、ラスト近くまで「全員が怪しい」という状態のまま進行していく。分かりやすいドキドキ、ハラハラというシーンはほとんどないのに、じわじわと緊張感が場を埋めてくる感覚が面白い。
設定の難解さを考慮してか、ブックレットには登場人物の相関図や、物語の重要なポイントなどが簡潔にまとめられている。「映画は何度も観たくない」という人は、これを見ると原作を読まなくてもある程度状況を把握できる。ただ、1回目はこれに頼らず、だれが裏切り者かを探すのに頭を悩ませながら観ることを勧めたい。バックを流れる音楽は静かなメロディーがほとんどで、時には無音に近い状況で物語は進む。静かな夜に、ゆっくり浸りたい作品だ。
「裏切りのサーカス」の評価ポイント(5段階) | |
物語の難解さ | ★★★★ |
騙し合いのスリル | ★★★★ |
「静かな暴力」の恐怖 | ★★★★★ |
裏切りのサーカス コレクターズ エディション Blu-ray |
価格:4,935円 発売日:11月2日 品番:BBXF-2033 収録時間:本編約128分、特典約75分 映像フォーマット:MPEG-4 AVC 画面サイズ:16:9(シネスコ) 音声:(1)英語(DTS-HD Master Audio 5.1ch) (2)日本語(DTS-HD Master Audio 2.0ch) (3)コメンタリ(ドルビーデジタル2.0ch) 発売元:ギャガ 販売元:ハピネット |
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(2012年 11月 16日)
[Reported by 中林暁]