藤本健のDigital Audio Laboratory

第767回

「VRミックス」で音楽CDをプロデュースしてみた! 2chでも立体的な音の仕組み

 ヘッドセット単体でVRが楽しめる「Oculus Go」なども発売され、ますます勢いのあるVRの世界。そんな中、筆者も自らオーディオでVRの世界にチャレンジしてみた。これはハードウェアを購入するとか作るというのではなく、自ら音楽CDをプロデュースするという手段。「VRミックス」というちょっと特殊な仕掛けを施した音楽作品を作ってみた。どんな作品なのか、どういう経緯でできたのか、どうやって聴く作品なのかなどを紹介したい。

筆者がプロデュースした小寺可南子さんのミニアルバム「Sweet My Heart」

自身で音楽CDをプロデュースした経緯

 現在のところVRは映像先行であって、オーディオはあまり進化がないのが実情だ。とはいえ、このVRをオーディオの世界へという動きも少しずつではあるが出ている。先日、記事で紹介したニッポン放送の野球中継を3Dオーディオで放送するというのも、その一つだと思うが、まだまだ少ない。

 今回、音楽CD作品を作ることになったキッカケは、「自分たちレーベルを運営したらどうなるのか、実際に本気でやってみて、それを記事にしたら面白いかも! 」という思い付きからだった。その辺の話は筆者のブログ「DTMステーション」で経緯を書いてきたが、かいつまんで紹介してみよう。

 このDTMステーションの発展版的な位置づけで、4年前に作曲家の多田彰文さんとDTMステーションPlus!というニコニコ生放送(後にFRESH! by CyberAgentも並行して放送する形に変更)を始め、今も隔週で放送を行なっている。その中で、多田さんとレーベル立ち上げの話が盛り上がり、実際にやってみることにしたのだ。

DTMステーションPlus!でレーベルの立ち上げることに

 そのレーベルの第一弾として作ったCDが4月29日に行なわれた、音系・メディアミックス同人即売会 [M3]というイベントでリリースした「Sweet My Heart」というミニアルバム。シンガーにはファルコムjdkバンドなどで実績があり、DTMステーションPlus!の番組にも何度か出演していただいている小寺可南子さんにお願いする形にした。ちなみに、小寺さんは、花王のクイックルワイパーや崎陽軒のシウマイのCMソングでも有名なシンガーだ。

Sweet My Heart
小寺可南子さん

 そして、このレコーディングなども自分たちの手で行なっていく一方、ミックスはDragon Ashや鬼束ちひろ、BAROQUE、SCANDALなどを手掛けるレコーディングエンジニアの飛澤正人さんにお願いすることにしたのだ。詳細は割愛するが、実は飛澤さんとはDTMステーションEngineeringというサービスを一緒に展開しているので、当然ミックスや飛澤さんに、ということになったのだ。当初、バラードとポップスをそれぞれ1曲ずつ作っていくということを想定して進めていたのだが、飛澤さんから、「VRミックス」を試してみないか? という提案を受けたので、「それは面白いかも! 」と飛びついた、というのがVRミックス作品を作ることになった経緯だ。

レコーディングエンジニアの飛澤正人さん

 とはいえ「VRミックスって何? 」という方も多いと思うので、まずは以下のビデオをご覧いただきたい。

 これが飛澤さんによるVRミックスのデモビデオ。普通のヘッドフォン/イヤフォンで聴いても、2chのステレオスピーカーで鳴らしてもOKというもので、5.1chサラウンドのスピーカーや特殊な機材は一切不要というのがポイント。この音をどう捉えるかは人によって違うと思うし、機材によっても違ってくるので、絶対に立体的であるとまでは言えないけれど、ヘッドフォンで聴けば、頭上や後ろから音が聴こえてくると思うし、前方に置いたスピーカーからは音が飛び出して、真横くらいまでやってくる。これは飛澤さんが、さまざまなプラグインや立体音響システムをソフトウェア的に組み合わせて実現させているものなのだ。

 そのVRミックスを、われわれの作品においても試してみようということになったのである。今回のアルバムではバラードの「Sweet My Heart」という曲とポップスの「Appreciation 100」という曲の2曲および、それぞれのオフボーカル(カラオケ)版で、計4曲入りとなっているのだが、そのうちの「Appreciation 100」のほうをVRミックスに、「Sweet My Heart」のほうは通常ミックスとした。

【曲目リスト】
1.Sweet My Heart
2.Appreciation 100 ~VR mix~
3.Sweet My Heart (Instrumental Version)
4.Appreciation 100 ~VR mix~ (Instrumental Version)

 このアルバム、CDで1,000枚ほどプレスした上で、前述のM3で販売したほか、現在では我々自身で運営している通販サイト「DTM Station Cteativeオンラインストア」で販売しているが、現時点では、まだネット上で音源を公開していないので、ここで直接、試聴いただくことができないのが申し訳ないところ。近いうちに、iTunes Storeやmora、Spotify、Amazon music unlimitedなどで流せるように計画しているところなのだが……。

CDで1,000枚ほどプレス
M3で販売
DTM Station Cteativeオンラインストアでも購入可能

 実際に購入いただいた方々からは「VRミックスという技術を見せていただきましたがマジですごい。スピーカーで聴いてみて、えっ!?と驚いきました」「効果音が頭上にあがったり、頭の周りをグルグル回感じが面白い!」「VRミックスの不思議な臨場感がよかったです!」などなどの感想が寄せられているので、それなりに伝わったのかなと思っているところだ。

 今回、プロデューサーという立場で制作した筆者として、このVRミックスをどう見ているのかというと、自画自賛の大絶賛というわけではないのが正直なところ。実験的企画として、現時点においては、なかなか面白い作品作りができた、とは思っているが、100%完璧なものとはいえないな、と。確かに、立体的なサウンドにはなっているけれど、誰にでもハッキリと「後ろから音が来た! 」と知覚できるレベルには至っておらず、「なんとなく後ろのほうかも」「ん? これは上なのかな? 」という感じだからだ。ここは、現時点での技術の限界、CPU演算力のパワーの限界というものとも関係しており、簡単に修正可能というものでもない。ちょっと言い訳っぽいところもあるが、そう思って聴いていただけると嬉しいところだ。

 このVRミックスは、どう聴くのがいいのか、今後どのように発展していくものなのかなど、先日、ミックスを担当した飛澤さんと半分雑談も交えて話をしてみたので、そのやりとりをそのまま紹介する。

飛澤正人さん

VRミックスは他の立体音響と何が違う?

――飛澤さんは、先日スタジオも引っ越して新たに作り直すとともに、完全にVRミックスに振り切った体制にされましたが、VRミックスをやろうと思ったキッカケはどういうことだったんですか?

飛澤さんのスタジオ

飛澤:昨今、映像が4Kだ、8Kだと進化するとともに、VRの作品がどんどん出てくる一方、音だけが置いてけぼりになっているのを悲しく感じていたんです。確かにハイレゾ作品というのはあるけれど、なかなか一般に普及してないし、どちらかといえばAACとかMP3が広く普及し、CDよりも音質が退化してしまっているのが実情です。音の世界に携わってきた自分としては、音をもっと魅力的にして聴かせたい、リスナーがワクワクするサウンドを作りたいと思っていたんです。そうすれば、リスナーがまた音に戻ってきてくれるんじゃないか、という思いです。

――最近は、イマーシブオーディオなんて言い方をして、ハイトスピーカーも含めたサラウンドで、より立体的に……という動きもありますよね。

飛澤:そうしたオーディオシステムが一般に普及してくれるのであれば、それがベストだと思います。Dolby Atmosとか、22.2chとか……すごくいいけれど、現実にそれらのシステムを導入するのはなかなか困難です。とくに日本の住宅事情を考えれば、無理ではないかと思います。現に昔からある5.1chだって、日本ではまったく普及していませんから。だったら、特殊なハードの設置を強いるのではなく、音を作る我々が、今聴いている人たちの環境に寄せるべきではないか、と。それが音を提供する側の使命だろうと考えるようになったのです。だからこそ、普通のヘッドフォンやイヤフォン、また2chのステレオスピーカーで聴けるものにこだわったのです。

飛澤さんのシステム

――2chで立体的に聴こえるようにするものは、これが初というわけではなく、昔からいろいろあったと思います。とくに、ダミーヘッドによるバイノーラルマイクを使った作品というのはいろいろありましたよね。音楽に限りませんが、最近はASMRなんて言われるゾワゾワするサウンドの作品なども出てきています。こうしたものと、飛澤さんのVRミックスは何が違うのですか?

飛澤:ダミーヘッドを使ったり、VRマイクと呼ばれる立体的に音を捉えるマイクを使って作品作りをするのもすごくいいと思います。それに対し、僕がいま、VRミックスといってチャレンジしているのは、ちょっと違う手法のものなんです。つまり、生の音をそのまま立体的に録音するというのではなく、マルチトラックでレコーディングした音を、ミックスする際に、3D空間に音を配置し、立体的に組み立てるという手法なんです。だから生の音を再現するのではなく、バーチャルに作る空間なんですよ。

マルチトラックでレコーディングした音を、ミックスする際に3D空間へ音を配置

――今回の作品を出した後、さまざまな人から「どんな環境で聴くのがいいのか? 」「推奨のヘッドフォンやイヤフォンはあるの? 」といった質問を受けることがあります。飛澤さんとして、お勧めの機材って何なんでしょうか?

飛澤:僕の中では、あまり縛りをつけたくなんですよ。あまり厳密な特定をせず、聴く人の自由にしたいし、聴く人がどう捉えるかでいいんじゃないかな、と。あまり厳密に追っていくと、結局はHRTF=頭部伝達関数に行きついちゃう。つまり誰のHRTFに合わせるかによって、リアルさは大きく変わってくるわけで、そうなっちゃうと、幅広い方に聴いてもらえる作品作りができない。だから、そこまで追求していないんです。スピーカーで聴けば音が飛び出してくるし、ヘッドフォンだと頭の周りをクルクルと回る。そんな軽いノリなんですよ。だから、すごく立体的に聴こえると捉える人もいれば、あんまりよく分からなかったという人も出てしまう。そこは、みんなで議論してもらってもいいんじゃないかな、って。誰の耳にもマッチするバーチャルサラウンドってできないいし、音楽に聴き方がいろいろあるのと同じように、VRミックスもいろいろあってもいいんじゃないかなって思っています。

どんなジャンルに合う? 聴き方は?

――飛澤さんのVRミックスは、ジャンルによって合う、合わないというのはあると思います。その辺はどのように捉えていますか?

飛澤:そうですね、やっぱりエレクトロニカとか、アンビエント系の楽曲によりマッチすると思います。そのため、そういった系統のアーティストの作品作りをしていきたいな、と思っています。一方、音だけを聴くのではなく、映像とセットとなることで、映像と音がお互いに補完しあいながら、よりリアルになってくるというメリットもありますね。VRの世界になると360度動かせるというのもVRの優位なところです。単純に立体的なサウンドとして2chにミックスしたバイノーラル作品もいいけれど、それだけでは面白くない。実際に操作して映像を回転させると音も合わせて回転していく。そんな作品づくりをしていきたいと思っているところです。

――その辺は、AmbisonicsのBフォーマットを使って、映像と合わせていくということですよね? 以前、ゼンハイザーのAMBEO VR MICというのを取材したことがありましたが、飛澤さんの場合は、こうしたマイクを使うのではなく、マルチトラックのDAWのオーディオからBフォーマットを作り出すというわけですよね。

飛澤:その通りです。まだまだ完璧というわけではなく、コンピュータの処理速度というものとも大きく関係してくるものだと思います。もともと、このVRミックスで立体的に聴かせるためには、さまざまなプラグインソフトを組み合わせながら、音によってマッチするものを試行錯誤しながら作り出しています。ベースとしているのはDolby Atmosの仮モニターのシステムなんです。本来は、Dolby Atmos専用のスピーカー配置をした環境で聴くべきものを、ヘッドフォンで聴けるようにする仮モニター。ただ、これはあくまでも制作で作業をするためのシステムであって、人に聴かせるレベルのものではない。でも、そこを逆手にとって、これを人に聴かせるレベルのものに仕上げていこうというのがVRミックスの基本にあるんですよ。

Dolby Atmosの仮モニターのシステムをベースとしているという

――先ほどのHRTFの話のように、個人個人に合わせることで、よりリアルなものにしていくという手法がある一方で、まだ立体的に聴かせるための演算レベルが低いので、これを向上させていけば、万人向けのVRミックスでも、よりリアルになっていく可能性はあるということですね。

飛澤:そうだと思うし、そうなっていくことを期待しているところです。今後まだまだ発展していく分野であり、事実多くのツールが登場してきている中なので、どう進化していくかは僕自身、すごく楽しみです。

――今回の作品作りにおいては、いろいろと苦労していただきましたが、個人的にもすごく面白かったです。さらに何年後かツールが進化したときに、再度ミックスしてもらったらどうなるかもちょっと楽しみに感じるところでもあります。

飛澤:僕自身、VRミックスとしては初となったポップス作品だったので、探り探り作っていった面はあります。360度を表現するのに、何をどこに配置したらいいのか、定位をどこにするべきなのか、まったくの白紙でしたからね。選択範囲は無限ともいえる状況で手法も考え方もいろいろあっていいけれど、今回の作品で、一つの指針ができたかな、なんて思っています。実際、藤本さんや多田さん、コテカナ(小寺さん)にも入ってもらって、みんなで決めた定位ですからね。ここでは、ドラムを平面の一番奥に置いたけど、場合によっては、ドラムの各パーツを360度にいろいろちりばめるなんてことがあってもいいかもしれない。方法論はいろいろです。今後もオーダーがあれば、ジャンルを絞らず、いろいろと取り組んでいければと思ってます。

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto