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第625回

「効果はあるが準備なしでは不可能」、ネトフリが語る「バーチャルプロダクション導入」

ドラマや映画の制作では、「バーチャルプロダクション」を使うことが増えてきた。俗に言う「LEDウォール」を背景として映像を撮影することを主軸としたものだ。

一方で、映像制作の現場では、採用・導入に対して戸惑いの声も少なくないという。

Netflixは、6月に東宝スタジオで、映像業界向けに「バーチャルプロダクションセミナー」を開催した。これはメディア向けに技術を紹介するものではなく、映像制作の現場に向けて、バーチャルプロダクションの現状と導入に向けた課題を解説するもの。Netflixが日本国内でこのようなイベントを開催するのは2回目のことだという。

Netflixは東宝スタジオで、映像業界向けに「バーチャルプロダクションセミナー」を開催

現在、日本でのバーチャルプロダクションの導入はどうなのか? 利用状況から費用の一部まで、生々しい声が聞かれた。

プリプロから撮影までをカバーする「バーチャルプロダクション」

イベントはまず、バーチャルプロダクションに関する基本的な説明から行なわれた。

バーチャルプロダクションで象徴的なのは、LEDウォールを使った撮影だろう。背景をCGにすることで、予算や内容の関係で撮影が難しいシーンの制作を、グリーンバックなどによるVFXに頼らずに撮影する方法だ。本連載でも何度か採り上げている。

ただし、バーチャルプロダクション=LEDウォールを使った撮影、と捉えるのは正しくないようだ。制作=プロダクション全体で、実際のロケーション撮影以外(バーチャルな環境)を活用するのが「バーチャルプロダクション」であり、LEDウォールによる撮影=インカメラVFX(以下ICVFX)はその一部である……という考え方だ。

バーチャルプロダクションの概念図

つまり、撮影の前行程にあたるコンテ作りやロケハンといった部分でもCGを活用し、その知見を活かして最終的な撮影に臨むプロセスを構築する、ということになる。

撮影の前行程にあたるコンテ作りやロケハンといった部分もバーチャルプロダクションの一部

そのためには、ロケハン(バーチャル・スカウティング)のために風景モデルなどの制作が必須になる。映画ではセットや小道具を揃え、映画美術全体を担当する「美術部」スタッフが必須だが、バーチャルプロダクションを活用する場合には、美術部スタッフと同時に「バーチャル美術部」が必要になる。そして、最終的な撮影では、両者の知見・アセットを活用することが大前提となる。

美術部とCG担当の「バーチャル美術部」が連携

インカメラVFXは「2D」と「3D」がある

さらには、ICVFXも、撮影したい題材に合わせて「2Dのもの」と「3Dのもの」がある。

ICVFXの「2D」と「3D」の特質

3Dのものは、LEDウォールに映すべき背景を、Unreal Engineなどのゲームエンジンを使って表現。カメラの位置・画角に合わせて背景映像を変えられて、実在しない場所を含めたあらゆる場所を撮影できる。

3DのICVFXでできること

2Dのものは、映し出す背景を「2Dの映像」とする。主に実写映像が使われるが、もちろんCGでもいい。カメラの位置に合わせた画角などの変化は必須ではなく、3Dに比べるとシンプルな構成となる。主に乗り物の中のシーンや室内から外が見えるシーンなど、「窓の向こうに風景が見える」パターンのシーンに多く使われる。

では、制作全体でのコスト感はどうなるのか?

セミナーでは3DのICVFXを例に、「どこにコストがかかってどこが減るのか」が図示された。予算は全体的にカット可能ではあるものの、セットデザインやステージ構築などにはやはりコストがかさむ。

3D ICVFXを使う際に「どこに予算インパクトがあるか」のイメージ

以下は3D ICVFXを導入する際の「撮影まで」のタイムラインである。最低6カ月前からの準備が必要で、現場でのフィードバックによる修正作業やテストも大切な工程になる。

最低でも撮影半年前からの準備が必要

そして、撮影後の編集、VFX工程になると、グリーンバックからの仮編集コスト・VFX作業自体の工数は減るものの、3D ICVFXとなじませるための作業を含めた工数は必要になる。

撮影からポストプロダクション工程での予算インパクト

これをみると、3D ICVFXを使ったバーチャルプロダクションになったからと言って、シンプルに安価になるとは考えるべきではない、ということが見えてくる。

では2Dはどうか。

本セミナーでは、2D ICVFXにより多くの時間を割いて説明が行われた。

2Dでも3Dでも、ICVFXではLEDウォールの運用に向けてセットアップが必要になる。

2D ICVFXで必要になる機材
ICVFXでのLEDウォール配置例

セミナー会場となった東宝スタジオの第9スタジオには実際にLEDウォールが設置され、実際にテスト撮影体験も行なわれた。(その様子は記者には公開されていない)

東宝スタジオ内に、セミナーのために準備されたICVFX用のセット
設置されたLEDウォールの裏側
ICVFX撮影のための機材とオペレーションスタッフ

2D ICVFXにも複数の形態がある。

2D ICVFXには大まかに3パターンあるという

もっともわかりやすいのは、複数のカメラで撮影した映像をつなげて表示するもの。これは想像がつくだろう。

画像をつなげてLEDウォールに流し、その前で演技

そして実は、「つなげることもなく並べる」だけの場合もあるという。それで大丈夫なのか、と考えがちだが、その部分が撮影するカメラから見て目立たない場所になるならこれでもOK、という話になる。

画像をスティッチしないで撮影することも。画角などによってはこれでも十分

さらに凝ったパターンでは、カメラで撮影した画像に加え、360度カメラで撮影した画像を使うこともあるという。こちらについては、360度カメラでの撮影画像は表示に使うのではなく、LEDを使った照明での色演出に活用する。

360度カメラで同時に撮影、その映像を照明に生かすことも

それぞれメリット・デメリットはあるが、コストを下げればアングルが限られ、効果を高めると入念な準備が必要になることがわかる。

それぞれのケースのメリットとデメリット

Netflix版『新幹線大爆破』ではどう活用されたのか

ここまでみておわかりのように、バーチャルプロダクションの導入にも、ICVFXの導入にも、綿密な準備と計画が必須だ。

その実例として、Netflix版『新幹線大爆破』のスタッフが登壇。実情がどのようなものであったかが語られた。

Netflix版『新幹線大爆破』のスタッフが登壇し、同作でのバーチャルプロダクションについて語られた

『新幹線大爆破』では、撮影用に7回、特別編成の新幹線を走らせているが、それでも全シーンをカバーするには足りない。そのため、実際の新幹線車両と同じ素材を使った車両セットを2つ作り、その両側にLEDウォールを配置し、そこに車窓映像を流す形で撮影が行なわれた。

Netflix版『新幹線大爆破』でのLEDウォールを使った撮影の様子

以前にも同作品のVFXについては記事化しているので、そちらも併読いただきたい。

ただ、最初からこの形での撮影と決まっていたわけではない、という。

実のところ、当初本作品では、「JRから協力が得られない」という前提のもと、実車両での撮影は想定されていなかったという。

結果的にはJR東日本の特別協力も得られ、車両内での撮影が可能になったものの、それでも、新幹線の内部を再現しつつ、多数のカットをセットで撮影せねばならない、という点に変わりはない。

車窓の再現について、当初はグリーンバックやプロジェクターによる投影が検討されていたという。特にプロジェクターについては、6万ルーメンという非常に明るいものを使う想定で、カメラテストまで実施されていた。

しかし、実際にはグリーンバックでもプロジェクターでもなく、LEDウォールが採用された。

まず、グリーンバック合成は、膨大なカット数を処理しなければならず、仕上げまでの時間がかかる。カットごとに品質の差が生まれる可能性も懸念された。

他方でプロジェクターの場合、必要な機材(6万ルーメンのプロジェクター4台)が日本で調達できない、という問題も発生した。また、そこまで輝度の高いプロジェクターであっても、まだ輝度が足りない。車内に差し込む強い日差しを再現するには、より強い光源が必要……という判断があったという。

スケジュールと予算の制約がある中で決まったのが、「車窓の実景を、新幹線から実際に撮影する」「それを素材としてLEDウォールに映し出して本編を撮影する」という手段だ。

LEDウォールは2,500nitsまで出せるため、「面での明るさ」で比較するとプロジェクターよりも有利で、リアルな外光表現にも向いていた。また、実車内での撮影と異なり、演者の表情や感情表現に合わせて色味や明るさを変えられるため、そのこと自体が演出に使える、というメリットもあったという。このあたりを頭に入れて本編を見ると、「なるほどあのシーンは」と気が付くかもしれない。

演者にとっては「非常にやりやすい」と現場の評価も高く、撮影後の「ポストプロダクション処理」も最小限で済んだ、という。今回の作品ではシネスコ撮影につきものの歪みやフレアもあるが、グリーンバックと違い、その点をそこまで考慮しなくていい、という利点もあったという。

LEDウォールがどんな感じだったかは、出演女優・大原優乃のYouTubeチャンネル「ゆーのちゅーぶ」で公開された撮影現場密着映像からもわかる。

どんな現場だったかは、ぜひ以下の動画をチェックしていただきたい。

【神回】Netflix映画『新幹線大爆破』の撮影現場に密着‼️

意外なほど準備にはコストも手間も必要、「いきなり」は使えない

結果として作品が非常にハイクオリティなものになったのはご存知の通りだ。

一方で、撮影自体が相当に大変なものであったのも事実であるようだ。

セットは千葉県某所の倉庫内に作られた。LEDウォールは27mもあり、それが2面ある。

この構築はなかなか大変だった、という。なぜなら、倉庫内の床は、映画スタジオのように整地されていたわけではないからだ。大きなLEDウォールを設置するために「水平を正確に取る」という作業ですら膨大なものになる。

また、LEDパネル自体、意外なほどデリケートなものだ。物理的接触や静電気でドット抜けが発生することもある。カメラの画角を調整するICVFXに必要なモーションセンサーの配置についても、LEDウォールの配置の制約を受ける。そのため、トラッキングが難しい場面もあったという。

LEDウォールに投影する車窓の映像は、実際に新幹線にカメラを持ち込んで撮影したものだという。使われたのは、GoProやiPhone、LUMIX DC-GH5、DJI Ronin 4D、Sony Cinema Line ILME-FX3など。コンパクトな機材が多いが、車両に入って撮影準備をするための設置時間は「10分」しかなかったため、綿密な準備をした上で行なわれたそうだ。

こうした準備やテスト走行、カメラテストなど、撮影開始の段階でも相当な準備と費用がかかった。今回のセッションでは、初期投資だけで約1,500万円がかかっていることが明かされた。もちろん実撮影に入る場合、さらにLEDの本番設置費用、そのために必要な技術者の費用が発生する。

グリーンバックを諦めた理由はコストだったが、ICVFXのためにLEDウォールを使った場合のコストも大きく、グリーンバックに比べ「ちょっと安くなる」程度でしかない、という想定もあった。

多数のVFXが必要な作品に関わり、本作でも准監督を務めた尾上克郎氏は、バーチャルプロダクションについて、「準備を万全に整え、様々なテストを行なう環境があれば、ものすごく使えるシステムだ」と評価する。尾上氏はさまざまな作品で、LEDウォールの活用を初期から見てきた経験もあり、「非常にクオリティも良くなってきた」と話す。

『新幹線大爆破』准監督の尾上克郎氏

特に「演者にとってはプラスであるし、天候に左右されづらい点も大きい」という。

一方で「いきなり『じゃあこれでやろうか』という形には絶対ならない」とも強調する。

「どこまでをCGで、どこまでLEDで、どこまでをグリーンバックで……といった切り分けは必須。そこは監督・作品の哲学に近いところでもある。今回は、監督(樋口真嗣氏)が仕上がりに近いコンテをかける人なのでうまくいったが、そうしたビジョンがないと危ない」(尾上氏)

撮影前にイメージを構築してスタッフ全体で共有し、「こういうことができる」「こういう絵を作る」という計画がないと、簡単に扱えるものではない、ということだろう。

日本への浸透に課題感、スタッフ同士のコミュニケーションが重要

Netflix側からの解説についても、尾上氏をはじめとする『新幹線大爆破』スタッフの証言についても、バーチャルプロダクションを一方的に勧めるような言い方ではない。今回が「外向き」のPRイベントではなく、制作者に向けたセミナーであったことも関係しているだろう。

なぜこうしたセミナーを開いたのか?

Netflixで映像制作技術マネージャーを務める加藤陽介氏は、「実際にどうすべきか、現場だけでなくプロデュースする側からの要望も多かったため」と説明する。技術だけでなく難点や予算感などの言及が多かったのはそのためだ。

また、今回のセミナーが、2Dの映像を使ったICVFX中心であったのも、日本の状況に合わせたものだという。Netflixで、日本のVFXマネージャーを務める大田垣香織氏は、「日本の場合、背景を3DにするICVFXの実践例は非常に少ない。そもそもバーチャルプロダクションの導入すら稀であり、ICVFXのニーズも2Dに偏っている」と話す。

日本においてはまだまだ活用が進んでいないからこそ、準備とコストメリットの面で「まだしもハードルが低い」と思われる2DのICVFXが中心である……ということのようだ。

Netflix Koreaでバーチャルプロダクション・マネージャーを務めるジン・キム氏も、「バーチャルプロダクションの導入に重要なことは、コミュニケーションに尽きる」と話す。

「バーチャルプロダクションは本来多様な取り組みであり、どのような方向性で取り組むか、という方向性の認識が不可欠だ。そのためには、優れた監修者のサポートが、初期段階から必要になる。撮影ももちろんだが、プリプロダクションでの計画が、成功に不可欠な要素といえる」(キム氏)

Netflix Korea バーチャルプロダクション・マネージャーのジン・キム氏

説明自体の厳しさは、先に導入が進む韓国からのメッセージであり、日本で活用している現場の生の声でもある。

その上で、メリットをうまく享受すべく、導入が進められていくことになるのだろう。

バーチャルプロダクションの典型的チーム構成。この中でのコミュニケーションによるビジョン共有が必須
西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、AERA、週刊東洋経済、週刊現代、GetNavi、モノマガジンなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。 近著に、「生成AIの核心」 (NHK出版新書)、「メタバース×ビジネス革命」( SBクリエイティブ)、「デジタルトランスフォーメーションで何が起きるのか」(講談社)などがある。
 メールマガジン「小寺・西田の『マンデーランチビュッフェ』」を小寺信良氏と共同で配信中。 Xは@mnishi41