藤本健のDigital Audio Laboratory
第768回
ソニー復活のレコード一貫生産。「ニューヨーク52番街」制作の裏側を聞いた
2018年5月28日 11:10
ソニーミュージックグループ自社一貫生産アナログレコードが、29年ぶりに復活。その第1弾となるビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」、大瀧詠一作品集Vol.3「夢で逢えたら」の2タイトルが3月21日に発売された。これは同グループ内においてカッティングマスター制作からスタンパー製造、そしてプレスにおよぶアナログレコードの生産工程をすべて一貫で行なったもので、アナログレコード自社生産として約29年ぶりに復活した第1弾となる。
この“一貫生産”とはどういうことなのか、東京・乃木坂にあるカッティングの現場、そして静岡県焼津市にある(プレスなどの)生産工場を取材してきた。それぞれの現場で話を聞くことで、最新のアナログレコードがどのように作られているのか、昔のアナログレコードと何が違うのかが見えてきた。第1弾「ニューヨーク 52番街」を例に、どのような工程を経て最新のアナログレコードが作られたのか、2回に分けてレポートする。
昨年「復活したソニーのレコード制作現場を見てきた。'70年代の機材と最新技術でどう作る?」という記事で紹介したとおり、東京・乃木坂にあるソニー・ミュージックスタジオにアナログレコードのカッティング機材が導入され、いろいろと調整が行なわれていた。一方、静岡のCDのスタンパー制作工場内に、今年に入ってからレコードプレス機などが導入され、ソニーミュージックグループ内での一貫生産が行なわれるようになったのだ。今回第一弾としてリリースされたビリー・ジョエルと大瀧詠一は、1982年10月1日に世界初の商業用CDの第一号を発売したアーティストでもある。
前編である今回は、以前にも取材したソニー・ミュージックコミュニケーションズのスタジオオフィスマスタリング・ルーム マスタリングエンジニアの堀内寿哉氏、そしてソニー・ミュージックレーベルズのソニー・ミュージックジャパンインターナショナル マーケティング2部1課の佐々木洋氏に話を聞いてきた。
“今のレコード”はどのように作られた?
――昨年、堀内さんに話をうかがったときは、この乃木坂のスタジオにレコードのカッティングをするための機材を導入し、ようやく使えるようになってきたというタイミングでした。改めて確認のためお聞きしたいのですが、独Neumann(ノイマン)の機材が置かれているんですよね。
堀内:はい、レコードのマスターを切るためのカッティングレースと呼ばれる機械としてNeumannのVMS70をアメリカから輸入して設置しました。このVMS70は1970年代に生産された非常に古い機材であり、それ以来ずっと使用し続けられてきた状態のいいものです。非常に大きく、重たい機材ですから、一度バラバラに分解した上で、日本に運び、ここで組み上げたのです。ただ昔ならNeumannの代理店が組み上げて調整してくれたのでしょうが、今はそんなことができるところはありません。社内にも、そうした経験のある人はすでにいなかったので、競合他社も含め、さまざまな人のお知恵をいただき、協力していただき、なんとか組み上げていったのです。
――そのカッティングレースに対し、昔はアナログテープから信号を送ったけれど、現在はDAWを用いて送るんですよね。
堀内:その通りです。まずカッティングというのは、ラッカー盤と呼ばれるアルミにラッカーが塗られたものに、音の溝を刻んでいく作業を指します。音で針を振動させて溝を切っていくので、カッティングというわけです。一方、再生側は昔はアナログのテープレコーダを使っていましたが、現在はDAWを用いており、ここではMAGIXのSEQUOIAを使っています。
――さて、先日発売されたビリー・ジョエルの「ニューヨーク 52番街」のカッティングについてお聞きしたいのですが、まずこれは当時のアナログテープを日本に持ち込んで、それを元に作っていったということなのでしょうか?
堀内:いいえ、原盤国(アメリカ)からアナログテープを96kHz/24bitに変換したWAVデータが送られてきたので、それをもとに作っています。
佐々木:日本で一貫生産する体制が整ったので、「ニューヨーク 52番街」のレコードを第1弾として出したいからカッティング用のマスター素材が欲しい、という要望をアメリカ側に伝えたところ送られてきたのがこのデータだったんです。確か、今年の正月明けすぐくらいに届いたのです。
――それをDAWであるSEQUOIAに読み込ませて、カッティングしていったということですね。
堀内:まずは、届いたデータが、そのまま切れるクオリティのものであるかを確認したのです。それにあたり、以前に出ていた一連のレコードを聴いてみたのですが、そこでの結論は「このままでは厳しいよね」という判断でした。つまり、ある程度マスタリングをこちらで行なってからカッティングする必要がある、と。
佐々木:レコードは、国内版、輸入盤など複数種類あったのですが、大きくは4パターンくらいありました。初版のもの、ハーフスピードカッティングのもの、高音質盤・180グラム重量盤レコードと呼ばれる45回転で2枚組のもの、などです。
――実際、盤によって音に違いがあるものなのですか?
堀内:聴いてみると切っている時代、時代でかなり音が違っています。今はマスタリングというものがありますが、当時はカッティング=マスタリングでした。したがって、誰がカッティングしたのか、どこで行なったのかによって当然大きく音も変わってくるわけです。また、いくつかあった中で2011年にリリースされた45回転のものは、過去のものとはコンセプトも大きく異なりました。こうしたものと、手元に届いたデータを比較してみると、かなり違うものだったんです。これをそのままカッティングし、そのまま出すと以前のレコードを聴いていた方は昔の印象をお持ちでしょうから、驚かれるだろうなと。
――音が違うというのは、具体的に何がどう違うのでしょうか?
堀内:今っぽい音というか、CDに近い音なんです。CDに近いというのは音質というより、音圧であったりダイナミックスが、という意味です。やはりレベルを上げていてコンプレッションが強く、より派手な音になっているのです。そのため、昔のレコードの音の印象とはだいぶ雰囲気が異なるのです。そのため、このままの状態でカッティングしてしまうと、違和感が出てしまうだろうな、と。そこで制作の方々とおはなしをして、昔レコードを聴いていた人も普通に(違和感なく)聴くことができ、一方、最近の人にも聴ける音質を目指そう、ということになったのです。
――実際、どうしていくのですか?
堀内:まずは、昔のレコードの音に寄せてみました。EQであったり、コンプなどを使うマスタリング処理で寄せていくのです。こうしたこと、普通のCDのマスタリングでも行なう手段なんです。2ミックスで潰されすぎていることがあるので、これを解いてコンプを和らげてくという手段ですね。“今のレコード”だったらこうでしょう、という音作りをするのです。
佐々木:方向性は早い段階で決まっていたので、堀内さんのほうで作業をしてラッカー盤を切ってもらい、これをみんなで試聴しながら、ああでもない、こうでもないという議論を何度も繰り返してきました。手元の手帳を見ると、内部で最初の試聴会を行なったのが1月22日となっていますが、それから3回試聴会をしています。
――要するに、届いた96kHz/24bitの音を堀内さんの手でリマスタリングして、昔のアナログレコードっぽい音にするということなんですか?
堀内:ここから昔の音を模倣しても、昔のレコードと同じものにはなりません。やはりその当時、レコードを作るために最高の技術でテープに録り、生のテープから熟練した人達が、最高の音として作り出しているのですから。そこで、いまの時代に合った音のレコードを作っていくということなのです。そのために、一旦、昔っぽい音に寄せてみてから調整していくのです。
佐々木:一番最初は、US盤的にガッツリと寄せてみて聴いたところ、ボーカルが非常に目立つ印象があったけど、もう少し豊かさが欲しいなと感じました。とはいえ臨場感もパワー感も残しつつ、豊かさを……というかなり無理のあるお願いを堀内さんにしてみました。
――そうした声を元にできた第2弾はどうだったのですか?
佐々木:4日後の1月26日に第2回の試聴会を開いています。記録を見るとわれわれレーベル側から4人、スタジオ側で3人の7人が参加して聴いています。
堀内:今度はボーカルを意識しすぎて、ハイが強めになり、中高域が出すぎてしまった感がありました。これはやりすぎたなと思って、その次はもう少しまろやかにしたのですが、そうすると何か中途半端になってしまいました。最終的には、この第2弾で行くことに決めたんですよ。
――つまり3回カッティングを行なって、2回目のものにした、ということですね。
堀内:カッティング自体はもっともっと何度も行なっています。フルじゃなく、部分部分でのカッティングも入れたら50面以上は切っていますね。スタジオの総力を挙げて作るという意思もあったので、スタジオ内のエンジニアで聴いては調整を行ない、また聴いては調整を、と繰り返してきました。その上でこれでみんなで聴いてみようという段階で試聴会を開いたのが3回だったわけです。
自社一貫生産だからこそできたこととは?
――今回、プレスも含めて一貫生産ということでしたが、最終段階が決まったところでプレスに出すということなのですか?
堀内:いいえ、もっと早い段階からテストプレスを行なっています。ラッカー盤を聴いたときと、プレスから上がってきたものを聴くのでは、また少し違うことも分かってきたのです。工場が静岡にあるので、工場にラッカー盤を送るのに1日かかるし、プレス工程でもある程度時間がかかるし、戻ってくるのにも1日かかる。そのため、ラッカー盤ができてからプレス盤ができるまでにはタイムラグがあるのですが、聴き比べてみると違うのです、聴感上ですぐ分かるレベルでの違いですね。
――そうだとすると、試聴会においてラッカー盤だけを聴き比べても分からないということなのですか?
堀内:工場側はラッカー盤とスタンパーをとるところまでは、まったく同じ音になるように作業をしています。でも、聴くとどうしても音が違うので、そこを予測しながらこちらも作業をし、選んでいくのです。ただ、工場側も今回が初ということもあり、より良いものにするために試行錯誤をしていたんですよね。工場側では、ラッカー盤からまず最初にメタルマスターというものを作るのですが、その工程で調整をしていたから、お互いが工程をいじっていて、音が定まらないことも一時期ありました。その後工程が落ち着いてきて、今なら音の予測がつくようになりました。当時は毎日のように工場とやりとりをしていましたね。
佐々木:そんな音の違いが見えてきたこともあって、第2弾を採用することになったのです。実際にプレス盤を聴いてみると、ラッカー盤で聴いたときのような中高域の強さは目立たなくなり、ちょうどいい具合に落ち着いたんですよ。最終的に2月16日に、最終プレス盤試聴会というのを開いていますね。
――3月21日発売に対して、2月16日に最終プレス盤試聴会というのは、それなりに余裕があるということなのですか?
堀内:いいえ(苦笑)。本来であれば、もっと早くに工場側に受け渡しているはずだったのですが、最初だったこともあり、どうしても時間がかかってしまいました。その後、プレス作業をしてもらったのですが、本当にギリギリ間に合った感じですね。
――ところで、根本的な疑問ですが、CDなど現代の制作工程において、洋楽を日本でマスタリングするというケースはあるのですか? ここまでのお話をうかがうと、「ニューヨーク 52番街」では堀内さんがかなり音を調整しているわけですよね。
佐々木:CDの場合、リイシューとして敢えて日本のマスタリングエンジニアが手を施すというケースはありますが、基本的には海外でマスタリングされたものを、そのままプレスする形になります。
堀内:ただレコードのカッティングの場合、昔はアナログのマスターテープが届いて、これを工場に持って行き、これを工場で切っていたようです。そのため、工場でも誰が切るか、さらにはどのラインで生産するかによっても音が違ったようです。あまり情報がないのでわかりませんが、当時あった信濃町のスタジオでカッティングするというケースもあったかもしれませんね。レコードの時代はまさにカッティング=マスタリングですから、国内版と輸入盤に音の違いがあったのは当然といえば当然のことだったんです。
――なるほど、そうだったんですね。国内版と輸入盤、単純に日本語のライナーノーツが入っているかどうかというレベルで考えていましたが、マスタリングという観点で見て違うものだったんですね!
堀内:当時のことについて詳しい人が今社内にいるわけではないので、あまり断定的なことは言えませんが、違いはあっただろうと推測できます。
――さて、今回、約29年ぶりとなるソニーミュージックグループ内での一貫生産でのレコードが発売されたわけですが、評判はいかがでしたか?
佐々木:昔のレコードと比較して、とにかくノイズが少ないよね、ということはよく言われます。これは、工場側が「ラッカー盤とまったく同じものを作る」努力をして、突き詰めてもらったことが大きいのだと思います。もちろん、堀内さん側でも、さまざまな努力を重ねていただいた結果ですね。
堀内:まだまだ、試行錯誤を繰り返していますが、昔と違って検査のための顕微鏡の精度も格段に高くなっていますからね。CDのピットを見る顕微鏡でレコードの溝を見ているので、いくらでも検査はできそうですよ。
一貫生産第2弾も決定。今後レコードは増えてくる?
――これで一通りを身に着けたので、今後のレコード制作はずっと簡単になりそうですね?
堀内:なかなか一筋縄ではいかないですよ。やればやるほど、次々に新しい問題、初めてのことが出てきます。カッティングレースの機材も1970年代のものなので、普通に使っていても問題が起きることはあります。私も過去に経験がないので、いろいろと試してもいます。たとえば、「左右が逆相だと切れない」という話はきいていましたが、本当にそうなるのかを試してみたり、「溝が狭くなると針が浮く」というのがどういうことなのかを試してみたり。もっともっと経験値を積み上げていかなくてはならないと思いました。
――静岡に工場ができたことで、国内のレコードプレス工場は横浜にある東洋化成と2つ体制になったわけですが、今後一貫生産というのは増えていきそうですか?
堀内:少しずつ増えてきています。ちょうど、ボブ・ディランの「追憶のハイウェイ61」(1965年作品)が一貫生産アナログレコード洋楽第2弾として7月18日にリリースされることが決まったところです。
ただ、今後は全てが一貫でというわけではなく、中にはカッティングだけここで行なって、(国内でプレス工場を持つ)東洋化成さんでプレスするというケースもあるし、他でカッティングされたラッカー盤を静岡の工場に持ち込んで生産ということもあると思います。現在において7インチのシングルのカッティングはできるけれど、プレスは静岡ではできないため、東洋化成さんにお願いするしかなく、ケースバイケースになると思います。
――最後に、「どれが一番いい音なのか」を聞いてもいいでしょうか? ここでのカッティングの元になるものが96kHz/24bitのデジタルデータだとしたら、それをハイレゾ音源のまま聴くのが一番いい音である、とも考えられると思います。
堀内:どれが一番いいのかは、聴く人の好みによって変わってくるし、聴く環境によっても違ってくるので、どれがベストというのは難しいですね。それぞれに魅力があるので。僕らもハイレゾを作るときはハイレゾにいい音をつくっていますし、レコードに対してはレコードでよく聴けるように作っているのです。オリジナルに近いという意味ではマスターが一番であり、ミックスダウンしているときは、それが最良です。でも、そのスタジオで、そのD/A、アンプ、そのスピーカーで聴けというのには無理がありますよね。だから、ミックスしたものがそのままリリースされるのではなく、マスタリングという工程を通すわけです。今回、ここのスタジオの全精力を傾けて作り、レーベルのディレクターの意見も一致していいレコードができたと思っています。工場側も最高のものを作ってくれていい製品になったと思います。ぜひ、どれがいい音か、みなさんで聴き比べていただければと思います。
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