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第433回

「キングダム」と「BLEACH」の佐藤監督&佐藤組が、映画制作にiPadを使う理由

4月19日より公開されている映画「キングダム」。5月24日には興行収入47億円を超え、今も大ヒット中だ。中国春秋戦国時代を舞台にした歴史活劇だが、アクション映画を得意とする佐藤信介監督の手により、小気味良くも「熱い」展開の続く作品に仕上がっている。

佐藤信介監督の最新作「キングダム」。全国東宝系で現在も大ヒット公開中
(c)原泰久/集英社 (c)2019映画「キングダム」製作委員会

佐藤監督は、実は知る人ぞ知る「映画撮影へのテクノロジー導入」の先駆者でもある。撮影中は常にiPadを片手に持ち、ロケハンから編集まで、道具として活用している。

佐藤信介監督。手元にあるのは、常に持ち歩いているiPad Pro

だが、iPadを撮影に活かしているのは、なにも佐藤監督だけではない。佐藤監督と共に映画を作り上げるスタッフもまた、テクノロジーの価値を活かして、映画制作の効率化とクオリティアップに取り組んでいる。「キングダム」や「BLEACH」(2018年公開)のような、佐藤監督が得意とするVFXアクション活劇は、VFXの面のみならず、制作プロセスでのテクノロジー活用があって、でき上がっているものだ。

佐藤監督作品「BLEACH」(2018年公開)
(c)TITE KUBO/SHUEISHA (c)2018 “BLEACH” FILM PARTNERS

「佐藤組」は、CG以外の部分で、テクノロジーをどう映画制作に活かしているのだろうか。佐藤信介監督と、ピクチャーエレメント代表取締役でテクニカルプロデューサーの大屋哲男さん、スクリプターの田口良子さんに話を聞いた。

取材を行なった、東京・砧にある東宝スタジオ。「ゴジラ」と「七人の侍」の壁画でお馴染み

なおBLEACH制作の現場については、アップルが公式サイトにて動画で特集を組むそうだ。興味がある方は、そちらもご覧いただければと思う。

ピクチャーエレメントと佐藤組のiPadを活用した映画制作ワークフローの変革(BLEACHの現場)

共同作業を円滑化するためにiPadを活用

映画はどのようなプロセスを経て作られるのだろうか? ごく初期の企画段階は別として、次のようなプロセスになる。ディテールは作品やチームによっても違うので、「ざっくりこんな感じ」レベルで捉えていただきたい。

  • シナリオをまとめる
  • スタッフ集めを開始。ロケハン、絵コンテ作成を含めた撮影に必要な情報収集と準備を行なう
  • 撮影。VFXやCGなどは並行して進める
  • 編集。最終的なVFXやCGなどの合成作業もここで

監督はシナリオ作業のため、撮影の1年以上前から作品に取りかかっているが、それ以外のスタッフは、作業のフェーズに応じて集められる。どのフェーズでどのスタッフが必要なのかは異なるが、プロが集まって行なう「集団作業」であることに変わりはない。そのプロセスでは、意思疎通をいかに円滑にし、すばやく作業を進めるかが重要になる。

佐藤監督は学生時代からのMacユーザーで、アップル製品をよく知っている。2010年春にiPadが発売されると、すぐに個人的に買って、映画制作の現場に持ち込んでいる。「たぶん、世界で最初に映画制作現場にiPadを持ち込んだ人間なんじゃないですかね」と笑う。

佐藤信介監督(以下敬称略):とにかくこの仕事は紙が多いんですよ。撮影する前から、各種資料・台本・絵コンテなど、たくさんのものをスタッフ・キャストと共有して進める必要があります。今も膨大なコピーとの戦いです。しかも、内容が頻繁に書き換わりますから、「バージョン違い」があると大変なことになる。

そういったものを、Dropboxなどのクラウドストレージを使って共有するようになって、数年が経ちますかね。最初は色々トラブルもありましたよ。間違って大事なデータを消されちゃうとか(笑)。

初期には普通のiPadに、静電容量式のスタイラスペンを組み合わせていたが、iPad Proが出てからは、そちらをメインに使っている。ロケハンの際にはiPadのカメラで風景を撮影してペンで書き込みをしたり、セットの構造やキャストの動きも、ペンで書き込んで残している。

「BLEACH」ロケハン中の作業データから。こうして風景を見つけると、そこにCGで重ねるモンスターの絵を自分で描き、感覚を掴む

佐藤監督は絵コンテや脚本と並行して「字コンテ」も多用する。すばやく内容を修正し、アイデアを形にするためだ。ロケハンで得られた風景からアイデアを得ることもあるし、撮影中に「こうすればいいのでは」と考え、変えることもある。字にしているのは、その方がすばやく関係者に共有できるからだ。

撮影の世界には「割本」というものがある。脚本のうち、その日に撮影するシーンをまとめたものだ。そこには、絵コンテ・字コンテ・脚本などから、その日の撮影に必要なものがまとめられる。だが、この作業は、必然的に「紙との戦い」「バージョン揃えの作業」を強いられるため、大変だ。

佐藤:映画制作はアナログな世界。本当に忙しくて、瞬間瞬間に判断しないといけないことが多い。頭の中がぐちゃぐちゃになりそうな時もあります。

撮影しながら「こうしたほうがいい」とか「このあとはこうしよう」という判断になる時もあります。

でも、それがちゃんとスタッフに伝わっていないといけない。だから監督など中枢メンバーの会話に皆聞き耳を立てているんですが、それだけだと、伝言ゲームになってしまって、ちゃんと伝わらないこともある。

今は、字コンテなどを共有し、関係者が見ています。

演出部としては、書き換わった資料を見て、「明日何カットあるのか」を確認しておきたいんです。それをみんなで集まって話し合っていては時間がかかってしまう。だから今は、割本もファイル共有し、みんなで見ています。

「ああ、大変そうだな……」

そんな風に思うかもしれない。実際大変なのだ。間違いなく、私たちが思うよりずっと。

たとえば、撮影の順番。ロケやVFXの都合によって、映画のストーリーの順に撮影するわけではない。クライマックスから撮影し、後から最初のシーンに戻って行くこともある。劇中で登場人物につく傷や服装なども、ちゃんと時間経過に応じて設定しておき、撮影時にはそれに合わせる必要がある。

例えば「キングダム」では、中国でロケされたクライマックスシーンは、スケジュール的には初期に撮影されている。そこから他のシーンを撮影していくため、傷がどうなったかを確認する「傷香盤」があった。ちなみに香盤とはスケジュール表のこと。傷にも「出番確認」のためのスケジュール表がいるのが、映画という世界だ。

「キングダム」の1シーンより。主人公の傷などもすべて管理され、映画内でのつじつまがあうようになっている。
(c)原泰久/集英社 (c)2019映画「キングダム」製作委員会

映像に映るあらゆる部分について「つじつまを合わせる」のだから、大変だ。

監督の仕事を補佐し、撮影を円滑に行なうための「記録」の専門職が「スクリプター」だ。スクリプターの田口良子さんは佐藤監督の他、多数の制作現場で働いているが、「制作が決まったらまず声をかける」と佐藤監督が言うくらい、信頼が厚い。その田口さんも、iPadを使っている。

スクリプターの田口良子さん。佐藤監督の映画を支える仕事人のひとりだ

田口:現在使っているのは、Metamojiの「GEMBA Note」です。iPad Proが出た頃(2015年)に色々アプリを探して、結局これにたどりつきました。みなこのアプリを使っています。このアプリのいいところは、変更が全員に共有されているところですね。スクリプターは大量のコピーとの戦いだったのですが、いまはずいぶん仕事が楽になり、寝る時間も増えました(笑)。

田口さんのiPad Pro。使っているアプリはMetamojiの「GEMBA Note」。表示されているのは、「BLEACH」撮影に実際に使われた絵コンテだ

佐藤:GEMBA Noteにはシェア機能があるので、撮影やロケハンの間にメモると、次のことをやる間に田口さんが絵を組み替えて、整理しておいてくれるんです。そして、すっかり書き換わったものが各人のiPadに届くようになっています。

実際に絵コンテなどの作業をする様子を再現する佐藤監督。「GEMBA Note」にペンでアイデアやシーンの様子を書き込み、修正しながら撮影を進めている

こうしたやり方については、GEMBA Note開発元のMetamojiが、佐藤監督へのインタビュー動画を公開している。田口さんも、スクリプター仲間向けに解説講座を開いたりと、積極的に拡散に取り組んでいる。

GEMBA Note活用事例 佐藤信介監督紹介動画

iPadはモニター代わり、「素材確認フロー」が変わる

だが、佐藤組でのiPad活用はこれだけでは終わらない。

情報共有・筆記具としてのデジタル機器活用だけでなく、もっと幅広い形でiPadは使われている。

佐藤:この数年で一番劇的に、素早く変わったのは、「撮った素材をどう確認し、その後のフローに渡していくか」ということです。

撮影したならば、素材を確認し、リテイクするかしないかの判断をし、あるものはCGの制作へ、あるものはグレーディングへと回す必要があります。この流れはだんだん複雑化しています。

この辺はもう、人海戦術でも追いつかないところがあります。みんなで揃って映像を見て話し合う時間があればいいのですが、それはなかなかできなくなってきている。本当は、CGチェックなども、CG制作ルームに行ってすべてをチェックするのが基本ですが、難しい時もある。

それをiPadで解決できるようになって、働き方も、仕事の取り方もずいぶん変わってきました。例えばCGなどは、次の作品の準備にかかりながら、延々iPadで並行してチェックできるようになっています。

こうした、制作プロセスの効率化に携わっているのが、ピクチャーエレメントの大屋哲男さんだ。

ピクチャーエレメント代表取締役でテクニカルプロデューサーの大屋哲男さん

大屋さんは長年、映画制作に「VFXプロデューサー」として関わってきた。だが、映画制作にデジタル技術が関わることが増えた現在、あえてVFXの看板を外し、あらゆる映画の中でのテクノロジーの活かし方を考える専門家として、作品制作に関わっている。

大屋:私は編集、ネガの編集を経て、VFXの世界に入りました。でも初期から、自分の仕事を助けるためにコンピュータを色々使っていました。

例えば、編集はフィルムにあるエッジNo.を記録し、そこから間違えないように選んで切っていったんですが、そのエッジNo.をみんなパソコンで管理したり、写植でテロップを打っていた時代に、ワープロで打つとその文字に相当する写植を自動的に拾ったり……といったことです。

今の「テクニカルプロデューサー」というのは、そうしたことの延長線上にあります。VFXのプロデューサーという看板はいったんはずして、映画のワークフロー全体を見てみよう……と考えたんです。

それは別の言い方をすれば、制作者の個人プレイをいかにまとめるか、ということです。制作現場によって、求められるものはまったく違います。それぞれの現場にあったテクノロジーの活かし方を考えるのが、私の仕事です。

そのため大屋さんの仕事は、ともに組む監督や映画作品によって範囲がかなり異なる。

大屋さんが「佐藤組」に提供しているのが、「PE RUSH!」というツールだ。これは、撮影済みの素材やVFX素材など、完成前の「ラッシュ」ムービーをiPadの中で管理するためのツール。独CinePostproduction社のアプリをベースに、ピクチャーエレメントが管理運営するサーバーと連携して動作している。

ピクチャーエレメントが提供している「PE RUSH!」。ピクチャーエレメントが管理運営するサーバーと連携し、ラッシュムービーを視聴するためのツールだ

撮影した映像は撮影後にPE RUSH!へと取り込まれ、どこからでも視聴できるようになっている。データは専用のサーバーに収納されていて、バックアップも当然ちゃんと行なわれており、履歴管理もある。

ラッシュのチェックといえば、従来は人が集まってやるか、いちいちDVDに焼いて手渡し、というのが定番だった。

だがそれはもうやっていない。

大屋:DVDに焼くのはいいものの、それがどこかに行って管理できない。回収もできない。そこから流出してしまう、ということもありました。

では、どうやって見るのか? そこで見つけたのがiPadなんです。日本にはなかった文化ですが、アメリカでは、その場で音や絵の確認をして、編集するツールもあります。セキュリティを保って、さらにみんなで見るにはどうしたらいいか、と考えてシステムを作りました。

通常、PE RUSH!はピクチャーエレメントがiPadに入れて、必要な人に貸し与える形で使われているという。現在はiPad Proの最新世代のものが使われている。過去のモデルは一切使われていない。新しくなるたびに入れ替えている。

大屋:最近のiPadはディスプレイがDCI-P3に準拠したので、色の確認に十分な能力を持っています。しかし、同じ世代のものでないと、ディスプレイが同じではないのでどうしても違いが出ます。ですから、貸し出すiPad Proはすべて同じ世代で統一しています。

監督などの場合には、特別に同じ世代の、最新のiPad Proを使っていることを確認した上で、アプリを入れていますが、基本は「貸出」です。

佐藤:私の場合、ずっとiPadを使って作業しているので、持ち歩くものが「2台」になっちゃいますからね。大変なので、入れてもらってます(笑)。

大屋:クラウドと連携したシステムなので、万が一なくした場合なども、リモートワイプでデータを消すことができるので安心です。

「モニターのカメラ撮り」も有効活用、アナログ的手法も使って制作を円滑に

こうしたシステムを使いつつ、佐藤監督は、またiPadを別の形で使ってもいる。

佐藤:急いでいる時は、モニターをiPadのカメラで動画撮影して、そのカットを元に荒く編集して確認したりしますね。

田口:それ、監督はもうずいぶん前からやっておられますね。

佐藤:10年くらい前からかな。なぜiPadで、PCじゃないかというと「カメラがあるから」です。

監督のiPad Proには、落とさないようにリングが。場所が中央でないのは、「スマートキーボードと干渉しない場所を探した結果」だとか

田口:私たちの仕事では、「その日に撮るか撮らないか」を判断するのが重要なんです。そこで「いる・いらない裁判」になるんですが。

佐藤:これ、もうちょっと行けるかな、ここにカット必要かな……という時があるんですけど、本当にそれが必要か、いらないんじゃないかこのカット、というのを洗い出さなきゃいけない。

個人的には、「わからないから全部撮ってから考える」というのが大嫌いなんですよ。

パッと撮ってつないで撮影部に見せて、一緒に判断します。CGを重ねる時も、CGカットのラフがたまたまあったので、それをその場でつないでみて……みたいなことをしました。

こういうのは、アナログとデジタルの間ですね。

映画作りには、そういうアナログな部分があるんですよ。デジタルというと、勢いで全部デジタルの工程にしようとします。変なアイデアでやろうとすると違うところも出てくる。

アナログな使い方に見えるものも使い、ちょっとずつ助けてもらう。意外とそれが一番いいいんです。

ただ、デジタルの度合いが増えてきていることは間違いないです。

編集の際には、こんなこともするという。

佐藤:実は、iPadに編集中の映画を入れて、そっと街角の喫茶店で最後まで見たりします。

映画は映画館で見るものですが、いまは、「映画館の後」も多い。(iPadを指して)映画のライフサイクル全体を見れば、こういう画面で見ている人の方が多くなっているとも言えます。

だとすれば、「この感動や気持ちは、大画面にだまされたものじゃないのか」「小さい画面でも同じ気持ちになるのか」を確認したくなります。

だから、iPadで確認のために見るんです。

そうやって、「くそ、面白いな」とか「誰に言われても、これはこれでいいんだ」なんて、自分の作品を集中して見たり、ボロ泣きしたりしてますよ(笑)。

iPad Proは確認用モニターとして十分なのか? そういう疑問を持つ人もいるはずだ。その疑問に、佐藤監督は明確に答える。

佐藤:もちろん、ちゃんとマスモニも見ます。しかし、モニターを全員が見れるわけではないし、モニターがたくさんあればいい、というわけでもない。重要なのは「皆が同じ基準のものを見ている」ということ。「前の撮影、暗すぎない?」的な話も、結局、同じ基準のものを見ているから話し合えるわけで。

大屋さんの答えも同様だ。

大屋:今はソフトもハードもクオリティがあがりましたからね。確かにマスモニとは違うものですが、iPadの上で(表示として)起きていることは、ほぼほぼマスモニの上でも起きている。少なくとも、この上で撮影や編集のためのジャッジはできる。そういう総合環境ができています。

こうしたiPadを使った制作は、ようやく広がり始めたところだ。潮目は「最近変わった気がする」と3人は口を揃える。

大屋:この世界はみんなプロですから。自分の道具を大事にしています。なので「これはいい道具だ」ということが納得できると、広まるんです。

佐藤:10年近くやってきましたけど、あるとき、「抵抗される側」から取材される側になった気がします。うーん、iPad Proくらい(2015年9月)からじゃないかなあ。

田口:iPad Proでも最初の頃は「私はぜったいこういうのは使わない」という人も多かったですよ。それがこの1年くらいで急激に「私も使いたい」という人が増えた。説明した時の感想も、以前とは違いますね。買って持ってきて、「教えて欲しい」という方もいますし。色々な撮影現場で、使う人が増えている気がします。

映画「キングダム」予告

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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