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なぜCDはプレスで音が変わるのか? キーパーソンに突撃取材~ヒカル伝説完結編

宇多田ヒカルさん。なぜCDはプレスで音が変わるのですか……

4月1日に掲載した前編では、宇多田ヒカルのCDにまつわる都市伝説……

『First Love』のCDはプレス工場によって音が違うらしい。
なかでもJVCの工場で生産されたものが最も高音質で、激レアである。

……を妄信し、80枚以上の『First Love』を買い漁るに至った変態男の顛末と、6種類の異なるプレスの聴き較べから「そもそも、なぜCDはプレスで音が変わるのか?」という根本的な謎に立ち戻ったところまでを記した。

後編では、その謎を解明するべく、2人のキーパーソンに突撃インタビューした模様をお届けする。

インタビュー①ミスターX氏

まず最初にお話を伺ったのは、CD生産の全盛期に某大手プレス工場で音質改善プロジェクトに携わっていた人物である。当初、この取材を受けることに躊躇いもあったそうだが、今だから話せることもあるかもしれないと、匿名を条件にインタビューに応じていただいた。ここではミスターX氏とお呼びする。

匿名を条件にインタビューに応じていただいたミスターX氏

IFPI SID Codeの意味とCDの作り方

ミスターX:おお~、これがその『First Love』ビクタープレスですか。当時から噂には聞いていましたが、現物を見るのは初めてです。

(IFPI SID Codeを覗き込みながら)あ~、たしかにこの刻印を見ると、カッティングは東芝EMIで、プレスは日本ビクターのようですね。いや~、よく見つけましたね。

秋山:Xさんが言うなら間違いないですね!

ミスターX:「IFPI SID Code」は、元々は海賊版防止のための仕組みです。「Mastering SID Code」はカッティング時に刻まれるもので、「Mould SID Code」は成型機の金型側に刻まれています。

東芝EMIがカッティング→日本ビクターがプレスした「First Love」

ミスターX:この『First Love』のビクタープレスを例にすると、「L153」というのが「LBR」に個別に割り振られた番号で、当時の東芝EMI・御殿場工場でカッティングでされたことを示しています。一方のMould SID Code「4011」は、上2桁「40」がJVCの識別コードになります。下2桁は工場側が自由に付けられます。

IFPI SID Code以外にも、傷のような印が刻まれている場合があり、それは「メタルマザー」や「スタンパー」の世代を表すことが多いです。

秋山:「LBR」や「メタルマザー」という、読者にはあまり聞き馴染みがないであろう用語が出てきましたね。私も入社時に説明は受けましたが、もうだいぶ忘れています……。

ミスターX:では、改めてCDのプレス工程を簡単におさらいしましょうか。

まず、マスターテープ(PCM-1630など)からガラス原盤を作る工程がカッティングです。ガラス板の上にフォトレジスト(感光剤)を塗ったものを用意して、レーザーで露光させることによって微細な凹凸(ピット)を刻んでいきます。その際に使われるマシンが「レーザービームレコーダー」、略して“LBR”です。

それを現像して、露光した部分のフォトレジストを剥がし、そこにニッケルメッキをしてまた剥がすと、ニッケルの板にピットの凸凹が写し取られます。それが「メタルマスター」です。

そのメタルマスターに再びニッケルメッキをして、今度は「メタルマザー」を作ります。そのまたメタルマザーにニッケルメッキをして作ったのが「スタンパー」となります。結果的にスタンパーはCDとはピットの凸凹が逆になります。

そのスタンパーをプレスマシン(成型機)にセットして、溶けたポリカーボネートを流し込み圧力をかけると、ポリカーボネートの板に凸凹が逆転写されます。そこに真空スパッタでアルミニウムの薄膜を反射膜として貼り、最後に反射膜が剥がれないよう紫外線硬化樹脂を垂らしてスピンコートをかけたものがCDとなります。

このあたりの詳細は、CDの生みの親である中島平太郎さんが書かれた『図解コンパクトディスク読本』という名著がありますので、気になる方は読んでみてください。

秋山:その本は私も入社時に貰いました。説明を聞いていて、当時のことをいろいろと思い出してきました。

プレスの受注合戦が音質競争のキッカケになった

ミスターX:スタンパーは消耗品であり、1枚で数万枚しかプレスすることができなかったため、アルバムの売れ行きによっては何度もスタンパーを作り直す必要がありました。

するとメタルマザーも傷んできます。後年は生産工程が合理化され、ガラスマスターから直接スタンパーが作れるようにもなりました。また、2000年代中期以降は、CDの生産枚数が減ったこともあって、メタルマスターを直接スタンパーとして使うケースも増えてきました。

ちなみに、このスタンパーを作る工程というのは、工場内に大規模なクリーンルームが必要になるので設備投資が大変です。そのため、プレス(成型)工程のみ対応しているプレス工場も多くありました。ですから、スタンパーのOEM自体は昔から普通に行なわれていたんですよ。

今回の『First Love』の件では、「コロムビアミュージックがカッティング→コロムビアミュージックがプレス」(③)というのが含まれていましたけど、これは東芝EMIの工場とコロムビアの工場のあいだで、スタンパーの互換性が無かったのかもしれません。それゆえコロムビアにはカッティングから外注していた可能性もあります。その場合は、プリマスタリング時にレコード会社の指示で複数のマスターテープが作られて、それぞれの工場に支給されるわけです。

前編で聴き較べたコロムビア盤(③)。ソニー盤(④)、ビクター盤(⑥)と異なり、カッティングから外注されていたようだ

秋山:当時はこうした外注案件って多かったのですか?

ミスターX:そうですね。国内のCD生産は1998年に約4.5億枚とピークを迎えますが、その頃のプレス生産枚数は大手の工場で月2,000万枚、中堅どころで1,000万枚程度だったかと思います(CD-ROMも含む)。しかし、レコード会社としてはバックオーダーが入った場合にはすぐにモノが欲しいですから、そういった場合に外注することがありました。『First Love』がまさにそうですね。

あとは、グループ内にプレス工場を持っていないレコード会社も多くありましたから、そういったところでは、複数のプレス会社に分散して発注すること自体は珍しいことではありませんでした。結局それが受注合戦に発展し、音質競争のキッカケになったとも言えます。

秋山:そうした音質競争って、いつ頃からあったのでしょうか?

ミスターX:CDの音質問題については、初期の段階からあったように思います。ただ、それはプレスの品質というより、PCMプロセッサーによって音が変わるとか、コピーマスターを使うと音が悪くなるとか、そういった話がメインでしたね。

秋山:私も学生だった頃、同じアルバムなのに輸入盤と日本盤で音が違うなと思った経験がありました。のちに、日本盤がコピーマスターを使っていたことを知って衝撃を受けるわけですが……。

ミスターX:ディスク自体の音質差について、初めてスポットが当たったのは、1980年代後半に登場した「24K GOLD CD」あたりだったと思います。反射膜に通常のアルミニウムではなく金を使った商品ですね。ただ、既発のCDとはプリマスタリング自体が異なることが多かったので、厳密な比較にはなりませんでした。

24K GOLD CDの例。反射膜に金を使用していた

ミスターX:純粋な意味でCDプレスの音質にメスが入るようになったのは1990年代前半だったと思います。

まずはカッティング工程から見直しが行なわれました。代表的なのはソニーの「アルト・レーザーカッティング」や日本ビクターの「K2レーザーカッティング」です。

例えば「アルト・レーザーカッティング」は、マスターテープのデータを一旦、半導体メモリに取り込んで、綺麗なクロックを打ち直したうえでLBRに信号を送り、ジッターを低減するというものですね。その後、2000年代に登場したPDLS(Pure Data Link System)の前身となる技術です。

音質に影響を及ぼす元凶は“ディスクの物理特性”

秋山:今回比較した6枚ですが、WaveCompareを使った検証では、出どころ不明な香港盤以外はバイナリも一致しました。XさんはCDプレスで音質が変わる要因はどこにあると考えていますか?

WaveCompareを使って1曲目「Automatic」のバイナリを検証した。写真左から「①東芝EMI通常盤と②東芝EMIドット付き」「①と③コロムビア盤」「①と④ソニー盤」「①と⑥ビクター盤」を比較したもの。結果、①④⑥は完全に一致。カッティングが異なると推測される②③も音楽データの波形部分は一致した
Pro Toolsでも6つのデータを比較した。⑤の香港盤以外は先頭の位置がずれているだけで、波形自体は一致。①を基準に「①と②」「①と③」「①と④」「①と⑥」を逆相にして加算すると、全て綺麗に0になった
香港盤は冒頭に1秒のオフセットが付いておらず、波形の先頭には微妙なフェードもかけられていて、マスターテープ自体が違うようだ

ミスターX:マスターのデータとプレスしたCDのデータが一致することは、工場としてはCDを製造する上での大前提です。そうでないとディスクごとにデータが異なる不良品となってしまいます。エラーについても、データ補正が発生するようなものは検査を通りません。それらを全てクリアーした上で、それでも指摘される音質差をどう改善するかに取り組んできたわけです。

カッティング時には、いかに綺麗な0と1の信号だけをLBRに送るかというのが重要になってきます。電源やクロックを強化するのは、ジッターなどの影響を最小限に抑えるためです。

一方でプレス時には、いかに綺麗なピットを作るかというのがテーマになってきます。CDはデジタルデータが記録されているわけですが、電子顕微鏡で覗いたところで、盤面に010101010……という数字が見えるわけではありません。

結局のところCDプレスって、デジタルデータを穴の凸凹によって記録するという、じつにアナログ的な技術なんですね。実際、温度コントロールが肝である成型工程では、プレスにかける時間(通常は1枚あたり3秒くらいのサイクルタイム)を長くすれば音質も向上します。

ミスターX:ただ、ピットの精度って案外、音質に及ぼす影響って小さいんですよ。それよりもディスクのダイナミックバランス(重量バランス)や偏心、面ブレ、反射率の均一性といった物理特性の方がはるかに大きかったりします。

それらの乱れがCDプレーヤーのピックアップを動かし、サーボ電流が乱れてプレーヤー内の電圧を揺らし、最終的な音質に悪影響を与える。これがCDプレスによって音が変わる要因です。

秋山:ピットの精度の方に注目が集まりがちですが、それだけではないのですね。

ミスターX:この影響をプレーヤー側のメカニズムで排除しようとした例が、ソニーの光学系固定方式やティアックのVRDS、パイオニアのターンテーブル方式ですね。

2023年4月に発売されたティアック70周年記念モデル「VRDS-701」(382,800円)の新開発V.R.D.Sメカ
ティアック「VRDS-701」のV.R.D.S.ドライブメカ

秋山:ソニー「CDP-R10」やエソテリック「P-0」なんて、とてつもない音がしましたからね。パイオニアのターンテーブル方式もスムーズな音の出方がとても印象的でした。

ミスターX:ですから今回、秋山さんと阿部さんがソニー「CDP-X5000」(光学系固定方式)を使ってブラインドテストをしたら、あまり差が分からなかったというのは、理に適った話なんですよ。

秋山:なるほど! ちょっと気がラクになりました(笑)。

ミスターX:それから、ブラインドテストというのは、直前に聴いたものに耳が引っ張られてしまいます。前の音がハイ上がりだと、次の音がフラットでも、すごくローが出ているように聞こえてしまうんです。そのため、工場でブラインドテストをやる場合はABX法が基本になります。

とはいえ、プレス工場としては、CDプレスで音が変わるというのは、できれば公にはしたくないんですよ。レコード会社やアーティストからの「マスターテープとプルーフ盤の音が違う」「プルーフ盤と量産品の音が違う」といったクレームは年々増えていましたが、毎回カッティングマシンやプレスマシンの指定をされては、生産管理が大変になるからです。

マスターとプレスしたディスクの音質の相関性もある程度は測定データに出るので、音が良い(とされた)生産ラインに他のラインの特性を合わせていくことも可能ですが、最終的には音色の好みで選ばれる場合が多いので、必ずしも測定データが重視されるわけでもありません。

しかし、プレス会社にとってレコード会社やアーティストは最大のクライアントであり、そうした声を無視することはできません。そこで、1990年代後半から各社が抜本的な音質改善に本腰を入れ始めました。1998年にCDの生産がピークになって、音質改善に設備投資する資金的余裕が生まれたことも大きかったと思います。

秋山:個人的な感覚では、宇多田ヒカルの東芝EMIプレスは『First Love』(1999年発売)よりも、次の『Distance』(2001年発売)の方がプレスの仕上がりが良かった気がします。

ミスターX:私も業界全体で言えば、1999~2001年頃がCDプレスの音質ピークだったように思いますね。その後は買収や統廃合が進んでしまいました。そうなるとクオリティコントロールというのはなかなか難しくなりますね。

もうひとつの都市伝説「コピーコントロールCDはプレーヤーを壊す」は本当か

秋山:話は変わりますけど、時期を同じくして「コピーコントロールCD(CCCD)」というのが出現しましたよね。違法コピー防止のためにわざとエラーを埋め込んだというもので、大きな物議を醸しました。そのエラー訂正のせいでサーボ回路に負荷がかかり、CDプレーヤーを壊してしまうという都市伝説までありましたが、これについてはどう考えていますか?

ミスターX:負荷がかかるのは事実ですが、通常のCDでもエラー訂正は常時行なわれていますし、傷だらけのディスクであっても音飛びなく再生できるように、それを見越した設計がされています。

CCCDの音質が悪かったのは、そのためにPCベースのエンコーダーが2台必要だったことが大きいと思います。このあたりの話は、現在のPCオーディオやネットワークオーディオにも通じるところがあるのですが、やはり無対策のPCを使うと音質って劣化するんですよ。

コピーコントロールCD関連記事リンク集

ミスターX:これはCCCDに限った話ではなくて、EFMエンコーダーがハードウェアベースからPCベースに変わった時や、マスターがPCM-1630からDDPに移行した時にも同様の問題がありました。

それこそ、私が業界に入って最初の仕事は、「Sonic Solutionsの音を良くしろ」というものでしたからね。そうした問題を1つ1つ解決していくことが、CDの音質改善に繋がるのです。

ミスターX:よく考えると、海外のプレス会社が音質にこだわっているという話はあまり聞いたことがありません。逆に海外のマニアが日本プレスのCDを買い求めるケースはありましたけどね。

CDの開発にはソニーだけではなく、オランダのフィリップスも関わっていますが、やはり日本人にとってCDというのは特別な存在なのだと思います。その誇りと、持ち前の職人気質と几帳面さが共鳴して、特有の文化を生み出したのではないでしょうか。

私はもう、CDプレスの現場からは離れていますが、当時のノウハウは今も音質に関わる様々な場面で役立っています。私自身、こういった話を今まで一度も公にはしてきませんでした。ここでは語れないこともたくさんあるのですが、CDという資産を未来に継承するためにも、良い機会を与えていただいたと思っています。

秋山:そう言ってもらえると嬉しいですね。興味深いお話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました! このディスク、今日のお礼に差し上げますね♪(ビクタープレスを差し出して)

ミスターX:え!? これがギャラ代わりですか!!(笑)

インタビュー②バーニー・グランドマン・マスタリング東京 前田康二氏

バーニー・グランドマン・マスタリング東京の前田康二さん

続いてお話を伺ったのは、日本を代表するマスタリングエンジニアの1人、バーニー・グランドマン・マスタリング東京の前田康二さんだ。

今でこそ仲良くしていただいているが、学生時代にマスタリングエンジニアを目指していた私にとっては憧れの大先輩である。前田さんが巨匠バーニー・グランドマン氏に弟子入りするために渡米したエピソードは、その後の私の生き方に大きな影響を与えたことは言うまでもない。

東京代々木にあるスタジオへ約束の時間にお邪魔すると、前田さんは何やら作業中。部屋の中からは私の好きな某バンドの曲が聴こえてきて、思わずテンションが上がってしまった。しばらくロビーで待っていると、私以上にハイテンションになっている前田さんが登場。話は意外な方向からスタートした。

音の変質対策は「とにかくコピーの回数を極力減らす」こと

前田康二さん(以下敬称略):いや~、待たせちゃってゴメンね! 今アナログ(レコード)用の作業をしていてさ! オレがマスタリングで、バーニーがカッティングなんだけど、一番のヒット曲が最内周に来ちゃって、そりゃないだろう! っていうんで、レコード会社の人にA面B面の割り振りの変更を直訴しているところなんだよ!

秋山:あの曲が最内周になっちゃうんですか! それはもったいない! 私、このレコード買うので、是非ともお願いします!(ちなみに、後日発売されたレコードはちゃんと対応されていました)

前田:それで、マッコー君(前田さんは私のことをこう呼ぶ)、今日は何だっけ? CDプレスの話だっけ?

秋山:そうです。前田さんって、Twitter(現X)によくCDプレスの工場ライン指定をしていることを投稿しているじゃないですか。そんな人、世界広しといえど前田さんくらいなんです。だから今回、CDプレスの記事を書くにあたって、前田さんには絶対インタビューをしないといけないって思っていたんです。

前田:なるほど、そういうことか。だけど、マッコー君ってさ、そこら辺の事情はかなり分かっているわけじゃない? なのに、マッコー君のTwitterを見ていると、ネットワークオーディオの音を良くするために四苦八苦しているからさ。よく出来るよな~って驚いていたんだよ。

秋山:(苦笑)。たしかに、スイッチングハブやルーター周りに大枚を叩いてばかりで、オーディオをやっているんだか、インターネットの工事をやっているんだか、分からなくなる時があります。

前田:だろうねぇ。オレは別に音楽配信を否定しているわけじゃないんだよ。ただ、CDでさえクオリティコントロールは大変なのに、ネットの向こう側なんてもうどうにもならないじゃない? 「サーバーはAkamaiを使ってください」、「やっぱりAWSにしてください」とか言えないでしょ。オレはそれが凄くストレスなんだよね。もちろんベストは尽くしているけどさ。

秋山:具体的にはどういった対策をしているんですか?

前田:これはCDも配信も同じなんだけど、とにかくコピーの回数は極力減らすようにしている。ちょうど今、DAWに比較できる音源があるから聴いてみる?

――そう言って前田さんは2つの音源データを再生してくれた。

秋山:同じ曲ですが、音質はかなり違いますね(同席したあべちゃんも頷いている)。この2つは何が違うんですか?

前田:片方はクライアントから届いたHDDからそのまま再生したもの。もう片方は一度DAWのPCにコピーしてから再生したものだよ。

秋山&阿部:え!? コピーしただけでこんなに違うんですか!?

前田:たった1回コピーしただけでも、これだけ音が変質しちゃうんだよ。だからオレはネットワーク経由でのマスター納品は絶対にしない。DVD-Rに焼いてクライアントに渡してる。もちろん、DVD-Rのメディア自体にもメッチャこだわってるよ。

でも、そうすると「DVDドライブを持っていないので読み込めません」っていうクライアントが必ずいるんだ。いや、それが狙いなんだよ。こっちはプレス工場や配信業者にDVD-Rを直接渡してほしくてやっているんだから。もし読み込めちゃったら、自分のPCにコピーして、Wi-Fi経由で送っちゃうでしょ? それだと、どんどん音が変わっちゃうよ、って。

それは、さっきやっていたアナログカッティング用のマスタリングでも同じで、LAにいるバーニーにデータを送る時には、当然ネットワーク伝送は使わない。HDDに入れてFedExで送っている。それもWireworld製のUSBケーブル付きで。現地でそれを受け取ったバーニーは、そのUSBケーブルを使ってHDDをDAWに接続し、カッティングを行なう。もちろんDAWのPCにコピーはせず、直接再生している。そこまで徹底しないとダメなんだよ。

秋山:さっきの比較を聴いちゃったら、そうせざるを得ませんね。

前田:結局、オレが最後の砦だからね。もしこれが、「デジタルは01の世界だからコピーしたって音は変わりません」っていうなら、オレの仕事の悩みは8割解決しちゃうよ(笑)。

アーティスト、制作の人間がベストを尽くしていることを知ってほしい

秋山:CDプレスの話に戻りますが、前田さんのTwitterを見ていると、ソニーのプレス工場を指定されていることが多いですよね。マスタリングエンジニアがプレス工場を決めるケースって多いんですか?

前田:いやいや、そんなことはないよ。この東京スタジオがオープンしたのは1997年だけど、たしかにその頃からプレスの音質競争みたいなものはあった。でも、レコード会社が系列のプレス工場を持っている場合には、他社に出すことは基本的に無理だった。そういう時は工場内のプレスのラインを指定するくらいしかできなかったね。

だからオレは、どこのプレス工場の何号機がどういう音質なのかっていうリストを作っていた。その中から最善手が選べるようにね。最近はソニー、メモリーテック、ビクターから選ぶことが多い。もう大手はそれくらいしか残ってないからね。

前田:ある意味、今はラクだよ。CDの生産枚数も減ったし、プレスの音質について言う人もいなくなったからさ。工場のラインを指定するマスタリングエンジニアなんてもうオレくらいでしょ(笑)。だからいろいろと融通してもらえる。

秋山:前田さんがよく使っているのはソニー静岡工場でしたよね?

前田:そうだね。ソニーミュージックのアーティストはもちろんだけど、レコード会社の縛りが無い場合にも、可能な限り指名させてもらってる。

秋山:それはやはり音質的な理由ですか?

前田:もちろん! あとは人だね。随分前にいつも指定しているラインが油圧式プレスから電圧式に変わった時も、工場の品質管理部門の担当者がすごく頑張ってくれて、同じ特性が出るようにしてくれた。

その人は数年前に定年退職されたんだけど、その時にも後継者を連れて挨拶に来てくれた。そういうことの積み重ねが信頼関係に繋がっている。もちろん他の工場の人たちとも日頃から交流させてもらってるよ。プレスってマンパワーだからね。

DDPマスターを持つ筆者とPCM-1630マスターを持つ前田さん

秋山:そのことをTwitterに投稿するのは何故なんですか?

前田:オレはいつだって、楽曲に込められたメッセージがリスナーに最大限に伝わるようなマスタリングを心掛けている。プレス工場を指定するのも同じ理由。

ファンはプレスのことなんて興味が無いかも知れないけど、オレやアーティスト、制作の人間がベストを尽くしていることを知ってほしいんだ。それに、投稿は工場の人も見ている。ファンの反応やコメントがモチベーションに繋がるんだよ。

秋山:その気持ちはよく分かります。私も自分が書いた記事の評判が良いと、次回も頑張ろうというモチベーションになります。

前田:もちろん情報発信には気を使っているよ。DAWの画面に映っていた波形のせいで、アルバムの曲順がバレちゃったりするからさ。それでも、たまにフライング気味で情報を出しちゃって怒られることもあるけどね(苦笑)。プルーフ盤のことを知らないファンから、「ニューアルバムのジャケットは銀色なんですか!」って言われたこともある(笑)。

ファンが喜んでくれれば、必ずアーティストに返ってくる

秋山:サブスクが全盛の今、前田さんがそこまでCDを重要視する理由は何なんですか?

前田:オレはアーティストがちゃんと儲かる仕組みを作りたいの。音楽をずっと続けてほしいんだよ。だから選択肢を増やしてあげたい。ファンが喜んでくれれば、必ずアーティストに返ってくるんだよ。CDなら隠しトラックも入れられるしさ。

あとは最初に言ったけど、クオリティコントロール。サブスクやダウンロードじゃ、残念ながらオレの手を離れた瞬間にアンコントローラブルになってしまう。そういう意味では、ハイレゾが収録できるブルーレイには期待していたんだけど、やっぱりテレビで視聴するのが基本のメディアだったから難しかったね。

ちなみにマッコー君、ブルーレイだってプレスで音質はもちろん、画質も変わるんだぜ。

秋山:でしょうねぇ。プレスの比較はしたことがないですが、DVD-RやBD-Rのメディアによって画・音が変わることは体験済みです。誰も指摘しないんですけどね。興味ないのかな。

前田:だからさ、オレはCDというフォーマット自体にはそれほど不満は無いんだよ。プレスで音は変わるし、PCM-1630、PMCD、DDPで音が違うのも事実なんだけど、40年以上経ってもこれだけ品質が安定しているメディアって他にないからね。早々にCDを捨てた北米は早まったんじゃないかな? レコードも復権したし、次はCDの復権もあるかもしれないぜ。

秋山:そうですね。今になってCDプレーヤーの新製品も増えてきたように思います。再ブームが来るかは分かりませんが、CDが聴ける環境だけはいつまでも残ってほしいですね。

前田さん、今日はお忙しいところ、ありがとうございました!

前田:え? もう帰っちゃうの? CDやレコードも良いんだけどさ、時代はアトモスだよ! マッコー君、アトモスやらないの? 最近、アトモスのマスタリングを始めたんだけどさ♪

秋山:(笑)

――(こうして夜が更けていくのであった)

「SCIENCE FICTION」のプレス違いを見つけたら一報を

さて、2日連続でCDプレスにまつわる様々な話をお届けしてきたが、いかがだっただろうか?

この都市伝説を信じるか信じないかはあなた次第だが、4月10日発売『SCIENCE FICTION』のCDを購入予定で、ちょっとでもプレスのことが気になったという方は、ぜひディスクをひっくり返して、IFPI SID Codeをチェックしてみてほしい。

普通に考えれば全てソニープレスだと思うが、万が一、他社プレスを発見された際には、編集部あべちゃんまでご一報ください。新たな都市伝説の幕開けである。

宇多田ヒカル「SCIENCE FICTION」
2024年4月10日発売 ソニー・ミュージック
【完全生産限定盤】ESCL-5925~27 4,950円
【通常盤】ESCL-5928~29 4,400円
秋山真

20世紀最後の年にCDマスタリングのエンジニアとしてキャリアをスタートしたはずが、21世紀最初の年にはDVDエンコードのエンジニアになっていた、運命の荒波に揉まれ続ける画質と音質の求道者。2007年、世界一のBDを作りたいと渡米し、パナソニックハリウッド研究所に在籍。ハリウッド大作からジブリ作品に至るまで、名だたるハイクオリティ盤を数多く手がけた。帰国後はオーディオビジュアルに関する豊富な知識と経験を活かし、評論活動も展開中。愛猫2匹の世話と、愛車Golf GTI TCRのローン返済に追われる日々。