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“スピーカーを消し、映画館を超える”。AVアンプから探る、新生パイオニアの音
(2015/8/25 10:00)
今年の3月、AV事業を統合したオンキヨーとパイオニア。両ブランドは今後も継続していくが、一般ユーザーからすると、誰が、何処で、どのようなこだわりを持って製品を開発しているのか見えにくくなった印象がある。各ブランドは、今後もそれぞれの特徴を活かした製品を開発し続けてくれるのか? という不安を感じている人もいるだろう。
そこで、先週オンキヨーの開発拠点に潜入。実際に製品を開発している試聴室にお邪魔し、今後も続いていく“オンキヨーのこだわり”を聞く事ができた。となれば、次はパイオニアの番だ。
最近ではカーナビやAVアンプの印象が強いが、そもそもパイオニアと言えば、バリバリのオーディオメーカー。創業者である松本望氏は、1937年に国内初のHiFiダイナミック型フルレンジスピーカー「A-8」を開発した人物。オーディオブーム全盛期には、オーディオ御三家とも呼ばれた。光ディスクにも強く、個人的には「トンガッた技術者集団」というイメージがある。それが合併によって変化していくのだろうか?
新川崎にあるパイオニア本社にお邪魔した。お話を伺ったのは、オーディオ技術部開発技術グループの平塚友久氏、シアター技術部第1技術グループの佐野健一氏、シアター事業本部マーケティング部の八重口能孝氏の3人だ。今回はAV Watch読者に特に注目度が高いAVアンプを軸に聞いていこう。
“綺麗な試聴室”と“片付けない試聴室”の秘密
新川崎の本社では、AV機器としてAVアンプ、ピュアオーディオの2chアンプ、ネットワークプレーヤー、CDプレーヤー、ミニコンポ、スピーカーの開発も行なわれている。ヘッドフォンについても、設計部隊の一部はこの場所で仕事をしており、まさに“パイオニアのAV機器開発の拠点”と言える場所だ。
案内していただいた試聴室は30畳以上ある広さ。落ち着いたトーンでまとめられており、非常に綺麗だ。この部屋、開発に使うこともあるが、社外の人に製品を紹介する際に使われる事が多いのだという。
現在進行形で開発をしている試聴室は、色々なパーツなとが散らかった状態なので、来客を案内するには適さないわけだ。だが、せっかくなので開発まっただ中の試聴室にも後で潜入してみたい。それにしても、単に散らかっているだけなら、片付ければ済む話では? という疑問も湧く。すると平塚氏から「製品開発時には、基本的にそういう事はしないのです」という意外な言葉が。
平塚氏(以下敬称略):例えば試作している機械が床に幾つか置いてあったとして、それをどかしてしまうと部屋の音が変わってしまうのです。私はよく“ラーメンの味”にたとえますが、なじみの店で「あれ? いつもとちょっと味が違うな」と感じる事ってありますよね。それは過去の味を覚えているからです。音もまったく同じで、昨日の音、一カ月前の音を覚えていますので、開発の途中で環境の音が変わってしまうと、支障が出てしまうのです。
置かれているものによって部屋の音響特性は変化する。新製品を開発し始めてから終わるまで、部屋に置いてあるものや、その配置は基本的に触らないというのだ。非常に細かい話ではあるが、エンジニアが細部まで、どれだけ音を注意深くチェックしているかがわかるエピソードでもある。
では、技術者が考える“開発に適した試聴室”とは、どんな部屋なのだろうか?
平塚:開発する製品の用途によって異なりますね。この部屋はもともとスピーカー開発部隊が使っていたものですので、反射を抑え、響きはデッド気味になっていました。スピーカー開発時には、スピーカーからの直接音を聴いて素性を把握し、チューニングをしていくためです。
一方、我々が手がけているAVアンプなどの製品は、残響音も含め、部屋全体での音がとても大切です。それゆえ、実際に開発している試聴室はややライブ気味にしてあります。お客様がAVアンプを使われる家庭の環境に近くするためです。また、ライブ気味に作っておけば、あとから吸音材を入れる事でデッド気味にする事も可能ですので。
綺麗な試聴室の壁には生地が貼ってあり、それを外すと格子のように木枠が現れ、そこに木の板が組み込まれている。木枠の背後には空間があり、スピーカー開発で使われていた時は、ここに吸音材が沢山入っていたそうだ。現在はそれを適度に抜き、ライブにするために板を木枠に組み込んでいる。
板を撮影していると、それが微妙に傾斜して取り付けられている事に気づく。部屋の正面に近い側が、やや奥に入っているのだ。平行面を作らず、定在波を防ぐ工夫で、平塚氏のアイデアによるものだという。
平塚:壁に絵画などを飾っているご家庭も多いと思いますが、その裏側に消しゴムなどを挟んで、美観に影響が出ない範囲で少し傾けるだけでも、音は全然変わってきますよ。
壁面は生地張りなので柔らかい。何かがぶつかって穴が開かないように、木材のガードが取り付けられている。注意深く見ると、その木材の一部に布のテープが。これも定在波を防ぐための工夫だそうだ。改めて部屋の中を見回すと、入り口のドアの部分にもテープを多数発見。「小さいテープですが、貼るだけでかなり効きます。特にドアの近くは平行面が多いので、共鳴・共振すると音楽の妨げになりますので」(平塚氏)とのこと。
こうした試聴室、どのような音響空間にするのか、パイオニア的な指標はあるのだろうか?
平塚:所沢に開発拠点があった時代からも含め、この部屋も日東紡音響エンジニアリングさんに作っていただきました。ですので、「このぐらいの周波数では残響時間はこの程度」といった、過去の試聴室のデータも残っています。それも踏まえながら、「次の部屋はこんな感じで」と、お願いしています。ただ、出来上がった部屋をそのままというわけにもいかず、AVアンプを開発している部屋は、その調整に一週間くらいかかりました(笑)。
現在の新川崎の拠点にも、所沢にあった試聴室と瓜二つな部屋を作ってあります。指標が何もない状態からいきなり製品を作るというのは難しいものです。試聴室の連続性があれば、前モデルから改良し、新モデルを作る時にも、作りやすいというのはありますね。
MCACC開発のキッカケ
音響特性の理想を追求した試聴室。そんな場所でピュアオーディオやホームシアターが楽しめれば理想だが、一般ユーザーは専用ルームはおろか、リビングや書斎など、音響特性が考慮されていない部屋で音を出すのが精一杯というのが実情だ。
そんな環境であっても、映画館や録音スタジオのような理想的なサウンドが楽しめるためには音場補正が必要になる。だが、細かな補正は素人には難しい。マイクを使い、部屋の音響を測定して各種設定を最適に行なってくれる……現在のAVアンプで当たり前の機能になっている自動音場補正技術だが、「MCACC(マルチチャンネル・アコースティック・キャリブレーション・システム)」として世界で初めて搭載したAVアンプ「VSA-AX10」(2001年)を発売したのは他でもない、パイオニアだ。
佐野氏(以下敬称略):音場補正機能をAVアンプに搭載しようと考えたのは、DVDオーディオのマルチチャンネルソフトで、サウンドにこだわったものが出始めた頃です。キッチリ調整された環境で聴くと、素晴らしいサラウンド体験ができましたので、これをどうにかお客様の家庭に届けたいと考えました。しかし、2chと比べると、家庭でなかなか再現できないというジレンマがありました。
そこで、当時あったパイオニアの総合研究所で、研究レベルからはじめました。当時、私は参加していませんでしたが、開発は相当大変だったと聞いています。スタジオと異なり、一般家庭では壁の材質1つとっても様々な種類があり、大きなブラウン管テレビなど、部屋に設置されているモノの影響も無視できません。そうしたものに合わせたパラメーターを作っていくと膨大な数になってしまうからです。
パソコン上でシミュレーションをすると、意外にすぐパラメーターは作れるのですが、それを実際に部屋で試すとシミュレーションとは違ってきてしまい、修正するという繰り返しです。作っては部屋に置いて測定して修正し、また違う部屋に置いて……の繰り返しですね。同じ部屋でも、スピーカーを床に置くと結果は変わりますし、ブラウン管テレビのメーカー、モデルが違うだけで測定結果が変化します。「このメーカーのこのテレビが置いてあると結果がおかしくなる」という具合にやっていくと、環境パラメーターが膨大になってしまうのです。
例えばブラウン管テレビが薄型テレビになるなど、ユーザー宅の環境も時間の経過によって変化していく。それにあわせてパラメーターの更新もしているのだろうか?
佐野:その通りです。一度作って終わりではなく、どんどん更新しています。問題の無いパラメーターでも、音質面で市場からのフィードバックがあると、それを受けて改良するというのを毎年続けています。
最近ではイネーブルドスピーカーのような天井反射型のスピーカーにも対応しました。Atmosの定位の良さを最大限活かすべく、天井反射経路の距離設定や、専用のバスマネージメントを用意しています。
平塚:測定し、DSPで補正し、理想的な特性になったとしても、実際に聴いてみると「なんだか良くないな」と感じる事もあります。我々は「聴感補正」と呼んでいますが、やはり聴いていて心地よいかどうかが問題ですので、必ず耳でチェックして、細かい点でも音場補正の開発メンバーに「ここはこのように変えて欲しい」というお願いをしています。
佐野:毎年毎年、その攻防が大変なんです(笑)
2001年に登場したMCACCはリスニングルームの音場補正を手軽に行なうものだが、パイオニアはその後も独創的な技術をAVアンプに搭載していく。2005年には独自の位相制御技術により、LFEチャンネルの位相のズレを解消する世界初「フェイズコントロール」を搭載した「VSA-AX4AVi」を発売。
そして2008年には、業界を驚かせた超弩級AVアンプ、SUSANO(スサノオ)こと「SC-LX90」が登場。10ch・1,400W同時出力の「ダイレクト エナジーHDアンプ」、スピーカー内、スピーカー間、すべての位相を測定して補正する「フルバンド・フェイズコントロール」が搭載された。
2011年には、再生するソフト自体に含まれる低音のズレまでも補正する「フェイズコントロールプラス」を「VSA-LX55」に初搭載。2012年には「フェイズコントロールプラス」を自動化し、リアルタイムで解析・補正を可能にした「オートフェイズコントロールプラス」を搭載した「SC-LX56」が登場している。
現在、これらの機能はMCACC、Advanced MCACC、MCACC Proとして分類されており、モデルごとに搭載しているものが異なる。簡単に言えば、入門モデル向けの「MCACC」はアンプ内部の調整と、位相管理(フェイズコントロール)を行なうもの。「Advanced MCACC」はそれに加え、部屋の影響による音質悪化(定在波)の低減や、ソフト側の位相管理も行なう。最上位の「MCACC Pro」は、マルチウェイスピーカーのユニット間の位相まで調整し、全帯域で再現力を向上させる「フルバンドフェイズコントロール」と、スピーカーのより正確な設置ができる「プレシジョンディスタンス」もプラス。アンプ、部屋、ソフトに加え、スピーカーまで調整と位相管理を行なうものと位置づけられている。
- | MCACC Pro | Adv.MCACC | MCACC |
スピーカー調整 (大小/音量/距離/クロスオーバー) 全て同じスピーカー 同じ距離で鳴らしたようになる | ○ | ○ | ○ |
EQ 全てのスピーカーの 音色が同じになる | ○(3D) | ○(3D) | ○(2D) |
フェイズコントロール 低音の迫力が増し 聴こえなかった音も聴こえてくる (アンプ) | ○ | ○ | ○ |
フェイズコントロール・プラス 低音の迫力が増し 聴こえなかった音も聴こえてくる (ソフト) | ○ | ○ | - |
スピーカー極性 スピーカーの±が 間違っていたら教えてくれる | ○ | ○ | - |
スタンディングウェーブ 部屋の影響による音質の 悪化(定在波)を減らせる | ○ | ○ | - |
SW EQ 低音の音色を調整できる | ○ (デュアル) | ○ | - |
フルバンド・フェイズコントロール マルチウェイスピーカーの ユニット間の位相まで調整 全体域で再現力を向上 | ○ | - | - |
プレシジョンディスタンス スピーカーのより正確な設置 | ○ | - | - |
こうした進化は、最初からロードマップ的に予定されていたものなのだろうか?
平塚:いろいろな“気づき”の積み重ねですね。デバイスパフォーマンスの問題もあります。アイデアとしてはあっても実現できない要素が、デバイスの進化で可能になった歴史と言い換える事もできます。AVアンプの中や、ディスクそのもので0.1chの低音がズレていたという事も、最初は我々もわかりませんでした。
様々な環境での測定を積み重ねてきたパイオニアだからこそ、ソフトやアンプの細かな問題点に気づき、いち早く対策を打ち出してこれたと言えそうだ。
平塚:こうした技術の進歩の中でも、「フェイズコントロール」はインパクトがありました。私は2000年までプレーヤー開発の部隊にいて、その後、2006年頃からAVアンプの部隊に入りました。97年頃に聴いたAVアンプは、2chのオーディオと比べるとボコボコの音で、「どうしてマルチではこうなってしまうのだろう?」と疑問を抱いていました。
その後、AVアンプの部隊がフェーズコントロールの重要性に気づき、それを導入したのですが、フェーズコントロールを施した音を聴いて「あれ!? 急に凄く良くなった」と驚きました(笑)。そうしたら、それがフェーズコントロールだったのです。
佐野:フェーズコントロールは2005年までお待たせしてしまいましたが、アイデア自体は2002年頃にはありました。スピーカー技術部などがテストをする中で、映画の低域の「ドーン!」という迫力が弱く、スカッと抜けてしまような現象は何故起こるのかを調べていたのですが、その中で低域が遅れている事に気づきました。アンプの中でそういう問題が起きている、それを合わせたら良くなるのではないかという気付きがあったのです。
八重口氏(以下敬称略):低音のズレに関してはソフト側にも問題がありましたので、それを改善しようと、フェーズコントロールを無償でライセンス提供する事にしまして、ロゴマークも作り、ソフトメーカーさんに集まっていただいてプレゼンも行ないました。採用してくださったメーカーさんもありましたが少数で、残念ながらあまり広まりませんでした。
ソフト側の低音ズレが存在し続けるのであれば、自分達の製品側で技術を駆使してなんとかしてしまおうという考え方自体が、いかにもパイオニアらしい。それにしてもこのフルバンドフェーズコントロール技術、先ほどのMCACCの話を思い出すと、古今東西スピーカー全てを検証して作ったのだろうか?
佐野:スピーカーのネットワークには、ある程度のパターンがあります。フルバンドフェーズコントロール機能では、AVアンプに接続されているスピーカーが、“その中のどのパターンなのか?”を見つけ出し、パターンに合わせた最適な位相補正を適用しているとお考えください。
そのネットワークパターンに関するノウハウはスピーカー技術部が持っていたので、そのノウハウをAVアンプに投入しました。パターンに当てはまらない自作スピーカーや特殊なホーンスピーカーなどは実機を測定し、データを補正していくという手法で、マルチウェイスピーカー全てに対応しています。
平塚:測定時にはスピーカーからの直接音を解析しています。何Hzにカットオフがあって、どんなスロープがあって、何ウェイで……という感じですね。スピーカーの中には、3ウェイの真ん中だけ逆相で接続しているようなモデルもあり、これが面倒なんです(笑)。
佐野:部屋の残響も含めて補正を行なうと、測定のマイクを設置したスイートスポットを外れると聴こえ方がおかしくなるという問題が出ます。もちろんスピーカーからの距離や、ポジションによる音量差などはマイクの位置で合わせるのですが、その他はいじりません。我々は「補正し過ぎない事が大事」とよく言うのですが、補正しすぎると厚化粧をしたように、音が不自然になってしまうのです。ですからスピーカー単体だけを補正する事をコンセプトとし、最低限の補正で最高の効果を出す……というのがミソですね。
八重口:MCACCやフェイズコントロールは、リリースした当初「机上の理論で作っているでしょう?」とよく言われました。そうではなく、実際に様々な部屋でテストし、積み重ねてきた技術だというのをユーザーの皆さんに地道にお伝えして、少しずつ広まってきたという経緯があります。
佐野:通常の開発の試聴室とは別に、MCACCなど、DSPのフェイズコントロールを専門に評価する部屋もあります。一般の家庭と同じような部屋の広さで、反射音の状況も一般家庭を模しています。そこで音を実際に聴いて、磨いた技術しか製品には搭載していません。
オーディオ/ホームシアターマニアだからこそ、「DSP処理をかけると音が悪くなる」、「ダイレクトモードでなければならない」というイメージを持っている人もいるだろう。だがMCACCのような機能が年月をかけて広まる事で、そうしたイメージも変わりつつある。
平塚:機能を搭載した以上、ONにして音が良くならないと意味がないじゃないですか(笑)。もちろんそういった機能には、重い処理でDSPがワッと動いた時のノイズをどうするかという問題などもありますが、そこにはキチンと対策を行なえばいいだけですからね。
「スピーカーを消したい」
平塚:DSPまわりを手がけている佐野のチームは、こちらが出したリクエストに素早く応えてくれ、頼りになります。フェイズコントロールプラス技術にしても、登場した当初はマニュアルで調整する形でしたが、調整が難しいという市場の声を受け、たった1年でオートフェイズコントロールプラスを実装してくれました。
市場からの声を製品に素早く反映させるのは、自社開発の強みと言えるだろう。一方で、チップセットメーカーが提供している音場補正技術も市場には存在する。自社開発をやめ、そうした技術を使う事を検討した事はあるのだろうか?
佐野:もちろん他社の技術も研究はしています。ただ、我々が目指している音が、他社と少し違うというのがあります。我々は“繋がりを重視した音場”を実現したいと考え、それができる補正を追求しています。最終的には“スピーカーを消したい”のです。(スピーカーのユニットを指さしながら)ここから“出ている感“を無くしたいのです。
八重口:Blu-ray時代になり、HDオーディオとしてロスレスのサラウンド音声を扱うようになると、音の情報量が増え、今までマスクされていた音まで聴こえるようになりました。すると、スピーカーの音の繋がりが、良いのか悪いのかがより鮮明にわかるようになりました。その点を追求してきた我々にとって、これは追い風になりました。
Dolby Atmosのようなオブジェクトオーディオも、我々にとっては理想的と言える技術です。天井からの音の成分も増え、より繋がりが重要になっています。
平塚:我々はマルチチャンネルの要素を“包囲感”、“定位感”、“移動感”だと考えています。これらを実現するためには、各チャンネルの音の繋がりを良くしなければなりません。
音の繋がり、音像の移動感といった要素を追求してきたパイオニアに、奇しくもソフト側の技術が追従してきたような状態になっているというわけだ。
そうした意味で、昨年発売した同社初のDolby Atmos対応AVアンプ「SC-LX58」において、音の繋がりを良くするMCACCの処理を、Atmosソフトの再生時でも利用できるようにしたのは、パイオニアとしてかなりこだわった部分だ。
Atmosの処理は重いので、他社のAVアンプはストレートデコードはできても、デコードと同時に、音響補正的な機能を重ねがけできないモデルが多いのだ。「AtmosがデコードできればとりあえずOK」とは考えなかったのだろうか? 佐野氏は笑いながら首を振る。
佐野:そもそも「AtmosとMCACCが両方同時に使えなければダメ」というのがスタート地点です。ですから、Atmosがデコードできれば良いという考えは最初からありませんでした。とはいえ、実際の開発が間に合うかどうかは相当ヒヤヒヤしました。もう意地ですね、絶対にやるぞという(笑)。
チップは2基で処理していますが、開発段階ではMCACCの処理がどうにも入らなくて頭を抱えました。2個目のチップでAtmosの処理をしつつ、ブロセッサの空いたパワーを使ってMCACCを処理する必要があるのですが、AtmosとMCACCで陣取り合戦のような感じの駆け引きを繰り広げて、なんとか搭載できました。
平塚:初めてAtmosを聴いた時は、今までよりも多くのスピーカーに囲まれるので空間表現がアップしたと感じましたが、同時に「これはMCACCをかけたらさらに凄いぞ」と思いました。逆に、MCACCをかけないと、歪んだ空間になってしまう場合もありますので、「ぜひAtmosとMCACCの両立をやってくれ、それをやってくれないと製品にならないぞ」と頼みました(笑)。
Atmosというと、天井にトップスピーカーを配置できる本格的なシアタールームがある人向け……という印象を持っている人も多いかもしれない。しかし、中級AVアンプでもAtmosに対応しはじめている現在、天井に反射させるイネーブルドスピーカーと組み合わせれば、価格的にも手軽に始められる状況は整いつつある。
平塚:Atmos搭載AVアンプの価格帯も下がってきていますので、天井にスピーカーはなかなか設置できないというお客様が、イネーブルドスピーカーを使った時でも、MCACCでより良い音になるように工夫しています。
佐野:イネーブルドでは、天井に音を反射させる際の距離も考慮して補正をしています。イネーブルドスピーカーはあまり大きくないので、低音を出すのは難しく、別のスピーカーに低域だけを割り当てる必要があるのですが、定位感のある低音をサブウーファに振ってしまうと、天井から聴こえるはずの音が下から聴こえてしまう事になります。ですので、そういった音はイネーブルドスピーカーを設置した真下のスピーカーから出し、定位感の無い低音だけをサブウーファに振るといった工夫もしています。
Atmos/DTS:Xといったオブジェクトオーディオのソフトでも利用できるようになったMCACC。進化としては一段落したように見えるが、そうではないようだ。
平塚:現在のMCACCが完成形だとは思っていません。アイデアはまだまだ沢山あります。佐野へリクエストしている、まだ実現していない物もありますので。
その実現できていないところが非常に気になるが……
平塚:すみません、まだ言えません(笑)。しかし、こうやればもっと理想的になる、違う世界へもう一歩先に進めるという実感は、実験レベルでは得ています。今後にも期待していただきたいです。
では、2chのピュアオーディオ機器にMCACC的な機能を入れるという予定はないだろうか?
平塚:2chのオーディオでもルームアコースティックは重要ですから、試みとしてはやってみると面白いだろうなと考えてはいます。技術的には何の問題もありませんからね。ただ、2ch系はトーンコントロールさえ嫌というような、とことんピュアを目指す方もいらっしゃる世界なので……。
AVアンプを開発している試聴室でサウンドを体験
開発の現場で、MCACCを適用したAVアンプはどのような音で鳴っているのだろうか? AVアンプ開発に使われている試聴室にもお邪魔してみた。先ほどの試聴室とは異なり、床は板張りで、ややライブな環境だ。
壁のパネルを外してみると、内部には沢山の吸音材が詰まっている。こんなに吸音材があるとデッドな部屋になるはずなのに……と首をひねっていると、平塚氏が壁のパネルの裏側を見せてくれた。そこには太めの板が多数配置されている。この板が音を適度に反射、板の無い部分を通った音は吸音材に吸われ、適度なライブ環境を実現しているというわけだ。
この部屋でDolby Atmosのソフト「シカゴ」や「アメリカン・スナイパー」を再生すると、包囲感のリアルさ、心地よさに驚く。「シカゴ」で独房に反響する足音はクリアで精密、その背後にある音楽とキッチリ分離して描写されており、音像は限りなくシャープ。
「アメリカン・スナイパー」では、室内の会話シーンで、家の中の反響をリアルに描写するため、部屋の広さが映像が無くても音だけでなんとなく把握できる。部屋の中の残響音をキッチリ描写しつつ、家の外で吹いている風の音、遠くの銃撃音などが、きちんと距離の遠い音像として描写される。
驚くべきは、周囲に置かれたスピーカーから音が出ているように聴こえないほど、まとまりが良く、渾然一体となった音場と、音像のシャープさが両立されている事だ。音のフォーカスをボワッとふくらませて、部屋に充満させて“包みこまれてるでしょ”とお茶を濁しているのではなく、タイトでシャープな音を出しながら、全身を包みこまれるような一体感を出している点だ。飛行機などの音像の移動もシャープである。
そういった細かい話を越え、試聴室の壁が無くなって外の世界が出現したような、空間を移動したような音場が体感できる。従来のホームシアターを超えた世界に脚を踏み入れつつあるというのが、パイオニアのAVアンプを聴くと感じる事だ。そしてMCACC技術は、この大変を特別な試聴室だけでなく、普通の家庭の部屋でも体験できるようにと進化を続けている。
AVアンプでクラスDにこだわる理由とは
パイオニアのAVアンプにはもう1つ、大きな特徴がある。それはデジタルアンプを使っている事だ。
平塚:AVアンプもアンプですので、新モデル開発時には、まず2chで調整します。音楽性が重要ですので、音の芯が出ているか、リズム感が出せているかといった部分を試聴していきます。そこでキチッとアンプとして作り上げてから、マルチへと進んでいくイメージです。
御存知の通り、AVアンプには様々な回路が入っています。新しい要素を追加する場合は、追加する部分だけを音質検討し、ある程度仕上げてから搭載しています。そうしないと、どの回路が原因で音質が低下したのかがわからなくなってしまうからです。この回路はこんな音、この要素はこんな音、と把握した状態で組み合わせて、全体の音をチェックするというイメージですね。
アンプ部分は、クラスDアンプを改良しながら採用しています。他社さんも以前はクラスDを使ってらっしゃいましたが……。我々はメリットもあると考えて使い続けています。特に映画では「ドーン」というトランジェントの良い音を、全チャンネル同時に出す事が可能です。アナログアンプですと、どうしても電源がよたってしまう。マルチチャンネルこそ、クラスDの持つポテンシャルを出しきれる製品だと考え、こだわって使い続けています。「絶対に使いこなしてやろう」という、私の意地もありますが(笑)。
採用第1弾はSUSANOこと「SC-LX90」。10ch・1,400W同時出力の「ダイレクト エナジーHDアンプ」が搭載された。これはICEpowerとコラボして開発されたもので、ICEpowerのリファレンスデザインをそのまま使っているのではなく、パイオニアのノウハウも投入された。現在、ゲートドライバーと出力段には、IR(インターナショナル・レクティファイアー:現Infineon)の「Direct Power FET」が使われている。
平塚:このデバイスは、我々が心臓部まで手を入れられ、より目標とする音に近づけられると考えて採用しています。この素子を採用する際も、先程申し上げたように、ある程度仕上げてからAVアンプに搭載しました(2011年のSC-LX85で初搭載)。最初は私の自宅で評価ボードに手を入れて、こうやれば、こんな音になるんだという試行錯誤をするところから始めました。
一度、改造している時に、グランドが浮いているのを気づかずに電源を入れて、バチバチ!!って壊してしまった事もありました。素子もすっ飛んじゃって、パターンも黒焦げで焼け切れてしまって(笑)。……そういった事を経て、音を練り上げてからAVアンプに搭載しました。
平塚氏をはじめ、パイオニアの技術者は、取材などで話をするとかなりマニアックな人が多いイメージがある。
平塚:そうですね、職人というか、病人というか(一同笑)。単純に音楽が好きだとか、映画が好きだという人が多いと感じています。それがエスカレートし過ぎている人もおりますが(笑)。しかし、開発の最後の最後で、「もう少し良くしたい!」とねばる熱意というか、想いというのは、結局のところ「自分自身が良い音で聴きたい」という動機あっての事だと思いますね。
音質の決定に、第三者の意見を取り入れる
かといって、マニアな技術者が自分の意見だけで最終的な音を決めているのではないトコロが、パイオニアの面白いポイントだ。彼らは製品開発の流れの中に、第三者の意見を取り入れるというポリシーを貫いている。それがロンドンの名門録音スタジオ、「Air Studios」とのコラボ。パイオニアのAVアンプに刻印されている、あの「air」のマークだ。
平塚:たまにこちらに来ていただく事もありますが、基本的には開発中の試作機を持って、毎回ロンドンのAir Studioに行っています。
そこで、スタジオのエンジニアに向けて、前年のモデルをリファレンスとして、新モデルとの聴き比べをしてもらいます。彼らが「前年モデルをあらゆる面で超えた」と判断したら、認証をもらえるという流れです。そのため、毎年ハードルは上がる一方です(笑)。
この部分は良くなったけれど、ここはダメだと言われたら、その場で回路図を見ながら「ここかな」と予想し、ハンダごてを片手に修正を加えます。一緒に会話をしながら、改良を重ねていくので、我々は「セッション」と呼んでいます。音を練り上げていく上で、非常に重要なプロセスだと思っています。
八重口:Air Studiosと我々で調整に使うディスクは決まっておりまして、Air Studiosのエンジニアは、彼らのスタジオにおいて“この曲はこう聴こえるべきだ”という音のイメージを持っています。そのサウンドを再生できるかどうかというのは、音楽の制作現場の音を、我々のアンプが再生できるかという意味でもあります。制作者の意図をキッチリ反映できるシステムを作る上で、自己満足ではなく、客観的な意見は必要だと考えています。
平塚:よく使う試聴曲は、「Diana Krall/Love Scenes」の1曲目、「All or Nothing at All」ですね。開発中の試聴曲は、鳴らしづらい曲がやはり多くなります。再生するのが最も難しいのはオペラですね。テノールバスの太い声から、女性の高い声まで、気持よく鳴らせるかどうか、やはり一番難しいのは人間の声です。その後は、管弦楽器の響きや色艶などを聴いていきます。
開発時は何百回も聴く事になるのですが、それでもハッとするような瞬間があります。聴き飽きていても「まだこんなに楽しめるんだ」という音が出る瞬間、アナログレコードでしか出ないと思っていた音がCDから出る瞬間というのがありますね。
アナログの音の魅力というのは、個人的には“音が途切れていない”事だと思っています。デジタルはサンプリングしますので、細かいですが、音はぶつ切りになっています。それにLPF(ローパスフィルタ)をかけ、連続性のある音として聴いているわけですが、その繋がりがよりスムーズに、彼らに言わせると“クリーミィ”に聴こえるかどうかが重要です。
また、我々は「基音」と呼んでいますが、ベースラインに注目して聴いています。ベースとドラムのライン、125Hzくらいがちゃんと出る事が音楽では大切です。ギターがあまり上手くなくて、音がつっかかっていても、ドラムやベースが上手だと音楽としては良く聴こえるというのに似ていますね。ベースラインの描写にこだわり、音を仕上げていくと、自然に高域も良くなっていきます。
ホームシアターで映画館を超える
平塚:AVアンプの開発に参加する以前は、実はマルチチャンネルはあまり好きではありませんでした。しかし、ロスレスのマルチチャンネルが登場し、テレビも大画面になり、実際に自分がスクリーン+サラウンドを体験すると、没入感に圧倒されました。「これは知らなきゃ損をする世界だな」と思いました。
それまで自宅では2chオーディオのみで、ホームシアターはまったくやっていませんでしたが、「これは映画のディスクも買って、シアターをやらないといけない」と、機材を買い集め、BDのソフトを月にン万円買ってしまい、嫁に怒られた事もあります(笑)。
最近ではDolby Atmosに対応した、音の良い映画館が沢山あります。まだ体験した事がないという方は、そういう映画館やAV機器のショップなどで、とにかく一度体験していただきたいと思います。
映画館は何百人という観客に聴かせるための空間で、我々が作っているAVアンプは1人か2人、多くても家族という限定された少人数向けです。映画館の設備は、何百万円、何千万円というシステムで、AVアンプのホームシアターとは文字通り桁が違います。しかし、テクノロジーを駆使すれば、限定した人数に向けて、映画館を超える最高の体験ができる環境を提供できるかもしれない。それが私達の夢であり、目標です。
そのためにも、我々が培ってきた技術や製品づくりの姿勢は今後も変えません。もっとも、“今後も音を守っていくぞ”と、開発陣が肩肘張る前に、オンキヨー、パイオニアそれぞれのオリジナリティをどう出していくかは経営層も考えており、それを元に商品開発していきます。それぞれ独自路線はこれまで同様継承していきますので、ご安心ください。
試聴室でAVアンプの音に浸り、話を聞いていると、訪問前に抱いていた「トンガッた技術者集団」というパイオニアのイメージが、そのまま確信に変わる。どんなに作るのが困難で面倒であっても、地道にデータを集め、改良を重ね、アイデアを製品としてカタチにしていく姿勢は、パイオニアらしさそのものと言えるだろう。
一方で、自らの技術だけに固執し、頑固になるわけではない。「Air Studios」とのコラボのように、第三者や市場の声を取り入れる柔軟さもある。技術力が高いので、改良も素早く、それが他社に先駆けて強力な製品を生み出すサイクルを支えている。この柔軟な技術者集団が生み出す音が、新しいパイオニアの音になっていくのだろう。
(協力:オンキヨー&パイオニアマーケティングジャパン)