トピック

音楽スタジオのエンジニアが、“自分達で”理想の音へチューニングしたワイヤレスイヤフォン「NEXIEM Limited」とは

チューニング中の「NEXIEM Limited(Studio Master Edition)」

オーディオメーカーが、“音楽制作スタジオのエンジニアに意見をもらいながら開発した”ヘッドフォン/イヤフォンは、市場に幾つか存在する。だが、エンジニア自身が直接、音をチューニングした珍しいイヤフォンが登場する。エミライのオリジナルブランド・emの完全ワイヤレスイヤフォン「NEXIEM Limited(Studio Master Edition)」がそれだ。

現在クラウドファンディング中で、プロジェクトは6月末までの予定だったが、7月31日まで延長された。幾つかのプランがあるが、超早割(33% OFF)で13,200円と、比較的手に届きやすい価格の完全ワイヤレスイヤフォンだが、その中身はかなりユニーク。

浜崎あゆみをはじめとする、数々のアーティストのサウンドを手掛けてきた森元浩二氏、最近ではアイナ・ジ・エンド「革命道中 - On The Way」のAtmosミックスも担当した峯岸良行氏、そして三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEなどLDH関連の楽曲を手掛ける太田敦志氏という、音楽制作スタジオ・prime sound studio formのレコーディング・エンジニア3人が主体となり、「スタジオの仕事で使って、感覚的に違和感がないイヤフォン」を作ったというのだ。

prime sound studio formのエンジニアである森元浩二氏、峯岸良行氏、太田敦志氏

プロのエンジニアが求める音のイヤフォンとは?どのように音作りをして、実際にどんな音のイヤフォンに仕上がっているのかを取材した。

NEXIEM Limited(Studio Master Edition)

NEXIEM Limited(Studio Master Edition)プロジェクトページ

普通のTWSと、NEXIEM Limited(Studio Master Edition)の違い

「NEXIEM Limited(Studio Master Edition)がユニークなイヤフォンだ」という話の前に、「普通の完全ワイヤレスイヤフォンはどのように作られるのか?」を知っておきたい。そうすることで、NEXIEM Limited(Studio Master Edition)のユニークさがわかるからだ。

一般的な完全ワイヤレスイヤフォンは、筐体の中に、ドライバーやバッテリー、アンテナなどに加え、Qualcommなどが手掛けるSoCを搭載している。このSoCは、Bluetoothで受信した信号を左右のイヤフォンに振り分けたり、データをデジタルからアナログに変換したり、イコライザーで音質を調整したり、それを増幅してドライバーを振幅させるアンプも内蔵するなど、ワイヤレスイヤフォンの“心臓部”と言っていいものだ。

イヤフォンの音作りでは、筐体の素材、形状、ドライバーの種類や数、どのように配置するか、内部の振動対策、ノズルに取り付けるフィルターなど、アコースティック的な部分の工夫が重要だ。

だが、完全ワイヤレスの場合、バッテリーやアンテナ、SoC、マイクなどを中に搭載する必要があるため、内部のスペースや形状に制約も多い。手を加えられる余地が少なく、音の良い完全ワイヤレスイヤフォンを作る時には、SoCに内蔵しているイコライザーを使った調整が、ほぼ不可欠品と言ってもいい。

つまり、アコースティックな技術だけでなく、“どのようにイコライジングするか”という技術も重要になってくるわけだ。

また、オーディオメーカーが作るイヤフォンの場合、メーカーが追求するサウンドというのも存在するため、音のチューニングをするのはあくまでメーカーのエンジニアやチューニングの担当者だ。音楽スタジオの意見を参考にするパターンもあるが、スタジオのエンジニアが直接SoCの開発キットを操作してイコライザーのカーブをいじるわけではなく、アドバイスを聞いて、それをメーカー側が咀嚼してチューニングする流れとなる。

一方のエミライは、これまで輸入代業務としてNoble Audioなどのメーカーのイヤフォンを国内で展開してきた。その過程で、オーディオメーカーがイコライザーでチューニングする様子や、チューニングした音についてどう感じるかといったアドバイスを求められる事も多々あったという。

そんなエミライは、2025年に自社オリジナルブランド・emの完全ワイヤレスイヤフォン「NEXIEM(ネクシーム)」を開発。

初代のNEXIEM

自社ブランドの製品ということもあり、エミライの取締役・島幸太郎氏が、中国のファクトリーで音のチューニングに参加した。島氏は、オーディオマニア歴30年以上、これまでエミライで扱ってきた多くのオーディオブランドを海外で見つけ、日本に紹介してきた人物。また、FIIOのTHXアンプ回路採用のきっかけとなった日本独自アンプモジュールを企画するなど、ハイエンドオーディオからポータブルオーディオまで携わってきた経験を持つ。

だが、そんな島氏でも、SoCメーカーが用意しているチューニング用機材が片耳用であったため、片耳だけで聴きながら音決めをしなければいけなかったり、島氏自身が、チューニング用の専用ツール・ソフトウェアでパラメトリックイコライザーを操作したが、どの帯域をどのようにチューニングするかが手探りだったことから、時間もかかったという。

長期間現地に滞在するのも難しかったため、帰国後、遠隔で現地のサポートエンジニアと協議しながらチューニングを進めたが、「もう少し低音を強く」といったようなオーディオ的な表現では、なかなか伝わらず、微調整が難しかったことなど、さまざまな苦労があったという。

エミライの取締役・島幸太郎氏

NEXIEMは、製品としてなんとかカタチになったが、完全ワイヤレスイヤフォンにおけるイコライザー・セッティングは、いわゆるHi-Fiオーディオ機器でいうところの“音作り”とは改めて異なる技能だと思い知った島氏。音作りのセンスを持つ開発者に対して、リスペクトする気持ちを新たにすると同時に、「もし、イコライザーのプロに作り込んでもらったら、きっと凄いイヤフォンが作れるのではないか?」と考えるようになる。

こうしたて開発がスタートしたのが、新モデルの「NEXIEM Limited(Studio Master Edition)」だ。

デザインや形状は昨年のNEXIEMを踏襲しており、MEMSドライバーと10mm径ダイナミックドライバーを組み合わせたハイブリッド構成である事も同じだが、新たに、イヤフォン内部の気流を最適化する「ETL(Embedded Transmission Line)」というパーツを追加しているのが特徴。SoCは、Qualcommの「QCC5171」を搭載した。

NEXIEM Limited(Studio Master Edition)の内部。ETLは、イヤフォン内部で発生する定在波・反射波を吸収し、低音を中心とした全周波数帯域で安定した特性を維持するためのパーツ

「今回はあえて、素の状態での懐の深さといいますか、チューニングの余地を多くとった、ポテンシャルのあるハードとして設計しました」(島氏)。

ハードウェアは完成し、残るはチューニング。島氏は、イコライザーのプロであるスタジオエンジニアに、音作りのすべてを任せようと考えた。

老舗のオーディオブランドであれば、明確に音作りの個性が確立され、そこにファンも定着しているため、それを大きく変えるのは難しくなるだろう。だが、ブランドとして出来たばかりのemの場合、まだユーザーの中に“emブランドの音”というイメージは確立されていない。そこを逆手に取った。「今のNEXIEMにおいては、プロオーディオの素晴らしいエンジニアさん方と協働するということが、ブランドの個性になると思ったのです」(島氏)。

手を挙げたのは、音楽制作スタジオのprime sound studio form。森元氏も含め、スタジオ全体が「レコーディングスタジオやエンジニアの仕事というものを、もっと知って欲しい、訴求したい」という想いを持っており、今回のようなイヤフォンやBluetoothスピーカーなどの音質監修も積極的に引き受けくれる事も決め手となった。

こうして、emブランドのイヤフォンではあるが、音に関してはprime sound studio formが全てを担当したNEXIEM Limited(Studio Master Edition)が生まれる事になった。

prime sound studio form

チューニング作業はどのように行なわれるのか

実際に、イコライザーによる調整はどのように行なわれるのか。

イコライザーと聞くと、ワイヤレスイヤフォンのアプリに搭載されている、グラフィックイコライザーを連想する。グラフィックイコライザーは、あらかじめ調整できる周波数が固定されており、その周波数のゲインを直感的に操作できるようにしたもの。使い方が簡単なので、ユーザーが調整できる機能として用意された製品が多い。

一方で、調整したい周波数を自分で自由に変更でき、ゲインだけでなく帯域幅も変えられる、より自由度の高い「パラメトリックイコライザー」が、SoCには用意されている。これは、エンジニアが製品開発時のチューニングに使うもので、ユーザーに解放されている製品は少ない。自由度が非常に高い反面、扱いが非常に難しいからだ。

だが、日々レコーディング・ミキシングをしているエンジニアは、イコライザー調整のプロ。そして、音楽が生まれる現場で、その音を調整しているので、最終的にそのイヤフォンから、どのような音で音楽が聴ければOKなのか?という「正解」を知っている人でもあるわけだ。

prime sound studio form

かくして、2025年の11月から、prime sound studio formの森元氏、峯岸氏、太田氏がチューニングを開始。3人が意見を出し合い、オーディオ機器開発の監修や信号処理技術、イヤフォンの測定機などについても詳しい峯岸氏が、SoCの開発ツールにそのイコライジング設定を反映させ、イヤフォンを試聴するという作業を繰り返し、ブラッシュアップしていく事になった。

“3人のエンジニアがチューニング”と聞くと、「森元氏がチューニングした音」、「峯岸氏がチューニングした音」、「太田氏が……」と、3種類のチューニングが出来あるのかと思いきや、実際の製品は1つのチューニングのみだという。

理由を尋ねると、森元氏は「個人個人でほんの少しの違いはあるかもしれませんが、スタジオのエンジニアが求める音というのは、実は決まっているんです」と語る。

「我々は日々、色々な場所で、色々な機材で仕事をしますが、リファレンスとなる曲を使って、これが正しいという音に調整をします。30年間ほぼ毎日のように違う環境で聴いているので、頭の中に“この曲はこう聴こえるのが正しい”というのがもう存在するわけです」(森元氏)。

太田氏も、「この曲の、この部分をもっとドンドンと鳴らしたらカッコよく聴こえるだろう、というゴールではなく、我々の中にある“この曲は、こう聴こえるものだ”というのを満たしていく作業が、今回のチューニングですね」と語る。

峯岸氏も、「4月に開催されたヘッドフォン祭に、チューニング途中のNEXIEM Limited(Studio Master Edition)を出展しました。その時に、AとB、2種類のチューニングを皆さんに聴いていただきましたが、あれも、“登り始めた登山口”が違うだけで、目指す頂上は同じというイメージですね」と語る。

森元氏によれば、「ヘッドフォン祭で2種類のチューニングを用意したのは、ユーザーの皆様が“どのくらい低音を欲しているのか”を知りたかったからです。世の中のイヤフォンは、かなり低音が豊富に出ているものも多いですが、どのくらいの低音が必要とされているのかという参考にさせていただきました」とのこと。その結果として、「もっと低音が欲しい」という意見は1人のみで、その他の人は「この低音で十分」という意見だったそうだ。

スタジオ・エンジニアが求める音というとい、“モニターヘッドフォン”や“モニターイヤフォン”のような音を連想するが、NEXIEM Limited(Studio Master Edition)で追求したチューニングは、それとも異なるという。

例えば、ソニーのMDR-CD900STのようなモニターヘッドフォンは、あくまで録音の時に、タイミングや音程をわかりやすく聞き取るためのヘッドフォンであり、“作業時の道具”としての側面が強い。

NEXIEM Limited(Studio Master Edition)の音はそうではなく、エンジニアが“この曲はこう聴こえるのが正しい”という要素を満たしたものというわけだ。

このように、エンジニアの理想とする頂上を目指したチューニングだが、作業はかなり難航したという。それは音が決まらなかったからではなく、開発用ツールに癖があったため。

パラメトリックイコライザーの値などをイヤフォンに書き込む開発ツール

実物を見たが、開発機は弁当箱のような形状をしており、そこから短いケーブルが伸びて、先端にNEXIEM Limited(Studio Master Edition)がぶら下がっている。開発機はパソコンとUSBで接続。開発用のソフトウェアでパラメトリックイコライザーを調整し、その調整値を、ケーブルを通じてイヤフォンのSoCに流し込んで音をチェックするという仕組みだ。

前述のように、開発機は片耳用として作られており、そのままでは片耳ずつでしかチューニングできない。そこで、2台開発機を用意。開発機から伸びるケーブルが短いため、2台の開発機をマジックテープで帽子に固定したり、“首掛け”のようにするなど、工夫して、ステレオで試聴できるようにしたそうだ。

開発ツールを2台用意し、ステレオで試聴しながらチューニングできるように工夫

さらに、開発機で頻繁にイコライザーの値を変えるのが困難という問題にも直面。最終的には、森元氏らが普段使い慣れているDAWソフトの「Pro Tools」のイコライザーを使い、試聴に使う曲の方をイコライジングし、“NEXIEM Limited(Studio Master Edition)で聴いた時に、理想的な音になるようなカーブ”を作成するという手法に切り替えたという。

そこで作成したカーブを、SoCの開発機のパラメトリックイコライザーに持ってくるわけだが、パラメトリックイコライザーの能力が同じではないため、作成したカーブに、聴感上近くなるようなカーブを、開発機側に落とし込んだそうだ。複雑な作業ではあるが、こうした技術に明るい峯岸氏がいたことで、無事にチューニングが進んだという。

音を聴いてみる

実際にチューニングに使っている開発機材で、NEXIEM Limited(Studio Master Edition)の音を聴かせてもらった。なお、完成版ではなく、9割まで完成している状態だという。

まず、NEXIEM Limited(Studio Master Edition)のチューニングを何もしていない状態で、「グレゴリー・ポーター/When Love Was Kin」などを聴いてみた。

ユニットの構成としては、MEMSドライバーと10mm径ダイナミックドライバーのハイブリッド構成だが、率直に言って、チューニング無しの状態では、各ドライバーの良さが出ていない。全体として低音が過多で、モワモワ、ボワッとしたサウンド。ダイナミックドライバーらしい低音の豊富さは感じるものの、締りがなく、音の輪郭が不明瞭。MEMSドライバーの高域も鳴ってはいるが、モワモワした低音に覆い隠されているような印象だ。

チューニングした状態で聴くと、これが激変。

霧が晴れたようにクリアな音になり、低域から高域までバランス良く耳に入る。膨らんでいた低音は、余計な響きが減って、スッキリと音の輪郭が見えるようになる。

そのおかげもあり、MEMSドライバーによる高域の繊細な描写も聴き取れ、歌手の口の開閉や、ブレスなどの細かな音も聴き取れる。かといって、輪郭を強調したような不自然なサウンドではなく、ナチュラルな音で、聴いていてホッとするサウンドでもある。音楽の美味しいところを、味わえる音になっていた。

クラウドファンディングプロジェクトは7月末まで延長されている。9割の状態でも十分楽しめる音になっていたが、最終的にどのようなサウンドに完成するのか、スタジオ生まれのTWSに期待したい。

なお、完成したVer. 1.0のパラメトリックイコライザーカーブを適用したイヤフォンは、7月1日から蔦屋家電で展示されるほか、7月11日・12日に開催される「ポタフェス 2026夏 秋葉原」、および7月18日に開催される「夏のヘッドフォン祭 mini 2026」に、エンジニアも参加し、出展される予定だ。

山崎健太郎