藤本健のDigital Audio Laboratory
第1053回

「声で演奏するドラム」から「新素材スピーカー」まで。ヤマハの最新研究のぞいてきた
2026年8月10日 08:00
2026年8月6日(木)・7日(金)の2日間、東京・渋谷サクラステージのSAKURAタワー8Fにあるヤマハのラウンジで、招待制の技術体験イベント「Yamaha Tech Showcase in Shibuya」が開催された。
普段は非公開となっているラウンジを特別に開放し、音楽・楽器・音響の未来を体感できる同社のコアテクノロジーを複数紹介するというものだ。首都圏拠点を活用した共創の可能性を広げる目的で企画されたイベントだという。
筆者がこのイベントに参加したのは、“VOCALOIDの父”として知られるヤマハ研究開発統括部の剣持秀紀氏からのお誘いがきっかけだ。会場には複数のブースが設けられ、それぞれ現場の研究者・エンジニアが直接説明にあたっていた。
今回は本イベントで発表されていた8つの技術について、担当者への取材内容を交えてレポートしていきたい。
サックスの“感覚”を可視化する「SMARTMOUTHPIECE」
最初に紹介するのは、研究開発統括部 先進技術開発部 音楽インタラクショングループの庄司哲郎氏が手掛ける、管楽器の演奏を計測・可視化する技術だ。
サックスは、マウスピースにリードと呼ばれる薄い板を程よく噛み、程よい息を吹き込むことで音が鳴る楽器だ。しかし、この「程よく噛んで、程よく息を入れる」という感覚は口の中で起きていることであり、外からは見えない。ピアノやギターであれば演奏動作を見て学べる部分もあるが、「管楽器は感覚器が見えない」というのが教育上の大きな課題だったという。
「もうちょっと優しい息で吹きなさい」「リードを噛みすぎ」などと指導されても、言われた側にはピンとこず、挫折してしまうケースも少なくない。この課題を解決すべく開発されているのが「SMARTMOUTHPIECE」だ。
このマウスピースには3つのセンサーが仕込まれている。1つは奏者の口腔内圧力(Pcav、いわゆる水槽圧)、もう1つはリードをどれだけ噛んでいるか(Dreed、リード開度)、そしてマウスピース内の圧力(Pmp)だ。これらを、マウスピース内部と外部それぞれのマイクで収録した音と同期させ、リアルタイムに波形表示・記録できる。
技術的な工夫点は、口腔内圧力の計測方法にある。マウスピースの壁面に細いトンネル状の通路を設け、先端の穴から奏者の口の中とセンサーをつなぐことで、演奏性を損なうことなく口腔内の圧力を取得できるようにしたという。実際に複数のプロ奏者に試奏してもらったところ、「普通のマウスピースと全く同じというわけではないが、違和感なく吹ける」という評価を得ているそうだ。
デモでは、初心者とプロが同じロングトーンを吹いた際のデータ比較も披露された。興味深いのは、リードの噛み具合(Dreed)はほぼ変わらないにもかかわらず、口腔内圧力(Pcav)は初心者がプロの約2倍に達していたという点だ。
いわゆる「力み過ぎ」の状態であり、プロは半分程度の圧力で、しかも滑らかに(プルプルと震えることなく)吹けているという。さらに、ピッチのグラフを見ると、プロは正しいピッチをキープできているのに対し、初心者は上ずってしまう傾向があり、その差は約20セント。定量的に“良い演奏”と“そうでない演奏”の違いが可視化されるわけだ。
画面には倍音レベルの表示機能もあり、これは楽器から出る音の基本周波数の整数倍の成分(倍音)がどのくらい出ているかを示すもの。音色を気にするプロ奏者からは「ここが面白い」という反応もあったという。
加えて、メトロノーム機能やチューナー機能も搭載されており、庄司氏は「今のチューナーに、こうした情報まで表示できるようになれば、“チューナープラス”のようなものとして面白いのでは」とも語っていた。
活用の方向性としては、初心者・教育向けだけでなく、プロ奏者が自身の奏法を探求するツールとしての可能性も見えてきているという。
実際、あるプロ奏者にこの装置を渡したところ、1時間ほど夢中になって吹き続けていたというエピソードも紹介された。将来的には、過去に自分が吹いた波形やお手本となる演奏の波形を薄く重ねて表示し、それに合わせて練習するといった機能も構想中とのことだった。
ただ、水槽圧などのデータはサックス本体やリードの個体差によっても変わってくるため、“お手本波形”をどう提供するかは今後の検討課題のようだ。まだ製品化や具体的な展開先が決まっている段階ではなく、実際に使ってもらいながら価値のありかを探っているフェーズだという。
「楽譜があなたに寄り添う」新しいアレンジ体験
続いて紹介するのは、研究開発統括部 先進技術開発部 技術展開グループの土橋優氏が手掛ける楽譜アレンジアプリだ。こちらは2つの技術を組み合わせた展示となっていた。
1つは、MP3などのオーディオデータから楽譜への聴き起こしを行なう「楽譜生成AI技術」。ヤマハが長年培ってきた楽譜同期技術の応用で、どんな音楽でもオーディオを取り込めば、ピアノアレンジの楽譜を自動生成できるという。
学習用データセットには、同社が展開してきたプリントロックサービスで蓄積された、数千人規模のプロが作成したピアノ譜データを活用しているとのことで、現状はポップス向けのピアノ譜として学習させているそうだ。ギター用やドラム用にするには、別途データセットを用意する必要があるが、原理的には同じアプローチが可能だという。
もう1つが、今回が社内初公開となる「感性モデリング技術」との組み合わせだ。楽譜生成AIだけでも大量のアレンジ譜を出力できるが、これはプロやピアノ講師など、アレンジに慣れた人にとっては便利でも、初心者や趣味層のユーザーにとっては「どれを選べばいいか分からない」という新たな課題を生む。そこで感性モデリング技術を組み合わせ、ユーザーの好みを診断した上で、それに寄り添ったアレンジを提案する仕組みを検討しているという。
デモでは、米津玄師「パプリカ」を題材に、94パターンものアレンジが用意されていた。楽曲はA・B・C・Dといったセクションに区切られており、各セクションごとに複数の候補が生成されている。
まず「感性タイプ診断」を試させてもらった。セクションごとに3つの候補(それぞれ「自然さ」「派手さ」「重厚さ」のパラメータが視覚化されている)から好みのものを選んでいく方式だ。
数回の選択を経て診断された筆者の感性タイプは「しっくり」。盛り上がりよりも響きの気持ちよさ・自然さで選ぶタイプ、という結果になった(ちなみにタイプは他に「アガる」「ひたる」がある)。診断結果からは「おすすめアレンジ」を提示することもでき、94個の候補の中から、そのユーザーのタイプに最もスコアの高いものが選ばれて再生される仕組みだ。
「人が楽譜に合わせて練習する」のではなく「楽譜があなたの好みに寄り添う」という、これまでの音楽との向き合い方を逆転させる発想だと土橋氏は語る。技術的には、楽譜から抽出したリズムパターンや音の密度といった物理特性を、「自然」「派手」「重厚」といった印象空間にマッピングし、そこからユーザーの好みのタイプを判定するという構造になっているそうだ。
今後の事業展開について尋ねると、価値探索は現在進行形としながらも、「一番わかりやすいニーズはやはり難易度変換」との回答だった。ユーザーの技量に合わせて弾ける難易度に調整するのがまず求められる機能であり、それだけでは寄り添いが足りない部分を感性モデリングでアシストするという機能拡張が十分考えられるという。
会話の中では、ゲームやドラマの劇伴において、同じテーマ曲をシーンごとに異なるアレンジで違和感なく繋げるといった応用の可能性についても話題に上っていた。
亡きチェリストの“音”を蘇らせる「Real Sound Viewing」の新たな挑戦
3つ目に紹介するのは、新規事業開発部のReal Sound Viewingプロジェクトを率いる柘植秀幸氏によるものだ。
このプロジェクトについては、以前にも本連載で2度取り上げたことがあるが、今回はそこからさらに一歩進んだ挑戦の話を聞くことができた。
Real Sound Viewingは、「全ての人に本物のライブ体験を届けたい」というコンセプトのもと、アーティストの演奏をそのまま記録・再現する「ライブ再現システム」の開発プロジェクトだ。
チケットが取れない、遠方で行けない、あるいはそのアーティストがすでに解散・活動休止しているなど、世の中には二度と見られないライブが数多くある。ライブCDやDVD、配信映像といった代替手段はあるが、そこから得られる体験は本物のライブ体験とはやはり異なる。そうした課題意識から生まれた取り組みだという。
いわゆる“自動演奏ピアノの全楽器版”と言えばイメージしやすいだろうか。現在、打楽器、弦楽器、そしてエレキギターやベースなど電気楽器を対象に開発が進められている。
今回、特に紹介されたのがチェロのプロジェクトだ。2023年、白血病のため21歳の若さで亡くなったチェリスト、山本栞路(やまもと・かんち)さんの演奏を、ご両親の依頼を受けて蘇らせるという企画である。栞路さんのご両親はヤマハ銀座店に常設展示されているReal Sound Viewingを鑑賞したことがきっかけでヤマハに相談し、このプロジェクトが始まったという。
これまでのReal Sound Viewingは、ライブ会場などで専用に収録された高品質な音源データを前提としてきた。しかし今回、ご両親の手元にあったのは、栞路さん本人の楽器と、生前スマートフォンで撮影された演奏動画のみ。
プロ用マイクで収録された音源とは異なり、高音成分が乏しかったり低音が強調されすぎていたりと、家庭用録音特有の「足りない成分」「過剰な成分」が多分に含まれている。そこにノイズ除去や成分補完といった調整を重ねながら、実際の演奏に近づけていったという。録音済みの音源から生音を再現するというのは、Real Sound Viewing史上初めての試みだったそうだ。
チェロが鳴る仕組みは、弓で弦をこすり、その振動が駒(ブリッジ)を伝わって本体に伝播するというもの。今回のシステムでは、栞路さんの楽器に取り付けたアクチュエーター(振動を発生させる装置)に、スマートフォン動画の音声データから生成した振動データを送り込み、弦を弾いているときと同じ振動を再現している。
ご両親へのヒアリングを重ねながら「もっと包み込むような音色」といったフィードバックを受け、その音を実現するために試行錯誤を繰り返したという。
最終的な演奏披露は、ヤマハ銀座コンサートサロンで、主にゆかりの方々を招いて行なわれた。曲目は『涙そうそう』『愛の賛歌』『無伴奏チェロ組曲第3番』、アンコールに『翼をください』の全4曲。
チェロの背後の大型スクリーンには生前の栞路さんの演奏映像が映し出され、屋外撮影時の風の音までも含めて再現されたことで、あたかもその場にいるかのような臨場感があったという。
生前、栞路さんと共演していたピアニストとの合奏という形での披露も実現し、父・昭夫さんからは「これは栞路君の音だね」という言葉を引き出すところまで再現度を高めることができたそうだ。
柘植氏はこの取り組みについて、「これまではリアルタイムで収録した音源をそのまま再現するというのが基本だったが、今回は既存の家庭用録音データからそれをやってみるという、大きく飛び越えた挑戦だった」と振り返る。
技術的には十分な手応えがあったといい、今後はAIによる音源分離技術の向上などとあわせて、レコード会社やアーティストがすでに保有している音源に新たな価値を付与するといった展開の可能性も見えてきているという。
余談だが、取材の中では「楽器博物館などでは楽器を保存できても、実際に鳴らすことができない」という課題についても話題になった。この仕組みを応用すれば、博物館に展示されている貴重な楽器を、演奏せずとも“鳴らす”ことができるようになるかもしれない、というアイデアも印象的だった。
声でドラムを演奏する「VXD」プロジェクト
Real Sound Viewingの技術を応用した、もう一つの興味深いプロジェクトが「VXD」だ。担当は研究開発統括部 先進技術開発部 社会共創グループの加藤亜実氏。
きっかけは、バンド・RADWIMPSのドラマー山口さんからの相談だった。山口さんは10年前、ミュージシャンズジストニアという病気を発症し、演奏活動を休止していたという。特に、バスドラムを鳴らすためのペダルを思い通りのタイミングで踏めなくなってしまい、バンドでの演奏が困難になっていた。
そんな中、山口さんがReal Sound Viewingの技術を知り、「入力を声に変えれば、また自分もドラムを演奏できないか」と相談を持ちかけたことから、このプロジェクトがスタートしたそうだ。
仕組みとしては、Real Sound Viewingが持つ独自の加振器によるバスドラム発音の仕組みに、声を拾うマイクと、喉の動きを捉える加速度センサー、そして高いレスポンス性を実現する信号処理を組み合わせている。
単純にマイクに向かって声を出すだけでは、周囲の音を拾って誤作動してしまう。そこで喉の動きを検知するセンサーを併用し、「喉が動いていて、かつ低い声がマイクに入ってきていれば鳴らす」「喉が動いていなければ、それは周囲の音だとみなして鳴らさない」という判定を行なうことで、誤作動を防いでいるという。
デモでは、実際にマイクに向かって「ドゥン」と発声することでバスドラムの音が鳴る様子を見せてもらった。
単に「ドゥ」と発声するだけでは、ドラマーが実際に使う「ドゥンチ」「ドゥ」「ドゥンチ」といった細かいリズム表現に対応できないため、不要な発音を鳴らさないための処理も加えられている。
発声からドラム音が鳴るまでのレイテンシーは5ミリ秒以内に抑えられており、ご本人が声を発してから音が鳴るまでの体感を、実際にペダルを踏んで音が鳴るまでの体感に近づけているとのことだった。
この技術によって山口さんは、去年ソロツアーとして10年ぶりとなるライブハウスツアーを実施。さらに、[Alexandros]の20周年ツアー最終日には、アンコールでメンバーとともに久しぶりの共演も果たしたという。
なお、現状は音量(ダイナミクス)のコントロールまでは実現できていない。音量情報を取得しようとするとレイテンシーが増してしまうというトレードオフがあり、オンオフのタイミングを最優先にした結果、5ミリ秒以内という高いレスポンス性を実現したとのこと。
バラードなどでの音量調整については、ボリュームペダルとの組み合わせなど、別のアプローチも研究が行なわれている。センサーは医療用の透明テープで喉に装着し、発声の高さなど個人の特性に合わせてカスタマイズ。座って演奏する際の椅子の揺れなど、演奏感を再現するための細部の作り込みも進められているそうだ。
特等席の音をどこでも再現できる「ポータブルなリスニングルーム」
続いては、研究開発統括部 先進技術開発部 音楽インタラクショングループの須山明彦氏による、立体音響・演奏体験システムのデモだ。
このシステムは、手軽な構成で“特等席の音”を作り出すというコンセプト。フロントスピーカー1chと、ネックスピーカー2chの、合計3chという最小限の構成。ここにヤマハ独自の信号処理技術を組み合わせることで、特別なスピーカーやネックスピーカーを必要とせず、他社製品でも実現できるというのがポイントだという。実際にデモでは、他社製のフロントスピーカーやネックスピーカーが用意されていた。
デモは大きく2部構成になっていた。1つは「聴く」体験、もう1つは「演奏する」体験だ。
「聴く」体験のデモでは、3人が同時にネックスピーカーを装着して試聴を行なった。通常のスピーカーでの試聴は、スイートスポットで聴くのが前提となるが、この技術を使うと複数人が同時にそれぞれ自分にとってのスイートスポットで聴ける状態になるという。
実際に、機能をオン・オフしながら聴き比べさせてもらったが、オンにした瞬間、音が頭の上や周囲に広がるような感覚があり、部屋全体が鳴っているかのような、これまで聴いたことのない聴こえ方を体感できた。バーチャル特有の不自然さがなく、自然に感じられるところが特徴とのことだ。
もう1つの「演奏する」体験デモでは、会場にあった木琴や小型太鼓、ギターなどを実際に演奏しながら、その響きの変化を体感した。
マイクで拾った音に、ヤマハが世界中のコンサートホールの音響特性データを活用して作り出した響きを付加し、ネックスピーカーから再生することで、まるでホールの中で演奏しているかのような感覚を得られる。ホールの種類(残響の長さなど)を切り替えると、それに応じて聴こえ方も変化する。演奏体験がより気持ちよく、楽しくなるという感想が寄せられているそうで、須山氏は「キメ細やかな体験価値としては結構高いのでは」と手応えを語っていた。
質疑応答では、既存のAFC(音場支援システム)との違いについても話題になった。AFCが多人数向けの本格的なホール音響システムであるのに対し、こちらはより手軽な個人ユース向けという位置付けだという。
技術的な課題としては、ワイヤレスのネックスピーカーそれぞれで低遅延化のカスタマイズを行ない、遅延を揃え込む必要があった点が挙げられた。
特にリアルタイムで演奏する用途では、この低遅延化がシビアに問われるとのことだ。単に音楽を聴くだけであれば数百ミリ秒の遅延があっても問題にならないが、演奏体験となるとそうはいかない、という説明も印象的だった。
「ギターアンプは楽器の一部」HiFiエンジニアが見たギター領域の異文化
ここからは、研究開発統括部 基盤研究開発部が展示していた3つのテーマを紹介する。まずは解析グループの大谷洋平氏による、ギターアンプとスピーカーの協調動作に関する研究だ。
大谷氏は普段、Hi-Fi領域(一般ユーザー向けのCDやヘッドフォンでの試聴など、原音を忠実に再現することが目標とされる領域)のアンプ研究開発に携わっているという。今回紹介されたのはエレキギター用のアンプとスピーカーの話で、いわばHi-Fiのエンジニアがギターという異文化と出会って得た知見だ。
一言で言えば「スピーカーもアンプも、ギターという楽器の一部である」という思想の違いがそこにはあるという。
Hi-Fi領域ではアンプとスピーカーがそれぞれ独立して“忠実な再生”を目指して開発されるのに対し、ギター領域ではアンプもスピーカーも、エレキギターの演奏体験に最適化された、互いに協調動作することが前提の設計になっているというのだ。
その鍵となるのが「出力インピーダンス」というパラメータ。Hi-Fiアンプの出力インピーダンスはおよそ0Ωで、これはアンプの出力がスピーカーのインピーダンスより十分小さいため、電圧一定(定電圧出力)の動作になる。
一方でギターアンプの出力インピーダンスは60Ωにも達し、スピーカーのインピーダンスより十分大きいため、電流一定(定電流出力)の動作になるという違いがある。
スピーカーのインピーダンスは実は周波数によって一定ではなく、共振周波数(f0)付近でピークを描く。ここが重要なポイントで、Hi-Fiアンプ(100W@8Ω)とギターアンプ(100W@8Ω)という同じ出力仕様のアンプを同じスピーカーに繋いだ場合、そのf0のピーク周波数における出力パワーには、10Wと50Wという実に5倍もの差が生まれる。
この“f0”こそが、エレキギターの5弦開放の基本周波数(110Hz)に他ならない。つまり、ギタリストが好んで求める「5弦開放の音のパワー感」は、ギター用スピーカーのf0がそこに合わせて設計されていることと、ギターアンプ特有の高い出力インピーダンスという2つの要素が噛み合うことで生まれていたのだ。
一般的なHi-Fiアンプでギター用スピーカーを鳴らすと出力が5分の1に落ちてしまい、これが「低音感が足りない」と感じる原因だったという。
大谷氏らはこの出力インピーダンスという数字さえ分かれば、Hi-Fiアンプの設計者でも調整が可能だと気づき、小型でありながら大迫力のデジタルアンプを実現した。
すでに製品化されているTHRシリーズの一部(THR100H/HDなど)がこの技術を採用しているといい、会場では“軽さは正義”というユーザーレビューも紹介されていた。
ちなみにTHRには複数の系統があり、部屋で静かに演奏したい人向けにHi-Fiアンプをベースにギター音色をシミュレートしたモデルと、ライブ会場などで大音量を鳴らすことを想定した、真空管アンプ同様の特性を持たせたモデルとでは、同じ「THR」の名を冠していても全く異なるコンセプトで設計されているという。
なお、市販のアンプシミュレーターでは再現しきれないポイントが2つあるという。1つは、シミュレーターの特性が決め打ちになっており、実機のように発熱などで特性がずれる変化には対応できないこと。
もう1つは、電源電圧の違い。ギターアンプは真空管アンプ並みに高い電圧(90V)で動作させる必要があるが、シミュレーターのようにHi-Fi的な低電圧設計では、大音量再生時に電圧が飽和してしまい、完全な再現は難しい。
ただしこれは家庭内での使用であれば問題にならず、ライブ会場のような大音量再生を目指す場合に限られる課題とのことだ。
音の違いを生む「材料」。スピーカー振動板の新素材開発
続いては、基盤研究開発部 素材素子グループの谷口あおい氏による、スピーカーの音響特性と材料の関係についての展示だ。
ここではウーファーだけでフルレンジを鳴らすスピーカーが4つ並べられており、よく見るとそのウーファーの色や材質が異なるユニークなものとなっていた。
まず、性質の全く異なる2つの材料を実際に手に取って触り比べ、その違いが音にどう表れるかを体感するというデモから始まった。実際に触ってみると素材ごとの手触りの違いは明確で、それが音の違いとしてもはっきり感じ取れた。
スピーカーの心臓部にあたる振動板には、「かたくて」「損失(振動吸収)が大きい」材料が良いとされている。柔らかい材料だと、入力に対する反応が遅れ「レスポンスが悪く」なり、逆に損失が小さい(振動を吸収しない)材料だと、一度鳴った振動がなかなか減衰せず「キレが悪く、余韻が残る」音になってしまうためだ。
ただしこの2つの特性はトレードオフの関係にあり、金属のような硬い材料は損失が小さく、ゴムのような損失の大きい材料は柔らかい、というように、単一素材での両立は難しいとされているそうだ。
そこで谷口氏らが開発を進めているのが、複合材料によるアプローチ。今回紹介されたのは、樹脂の中でも比較的振動損失の大きいポリプロピデンをベースに、防弾チョッキにも使われるほど弾性率の高いザイロン繊維を混ぜ込んだ新素材。この組み合わせにより、素材を硬くしつつ損失も向上させるという相乗効果を狙った。
聴き比べのデモも行なわれ、「弾き締まったような感じ」に音が変化する様子を確認できた。ただし、この評価は聴く人によって受け止め方が分かれる部分もあり、単に「どんな材料でどんな音になるか」を突き止めていくことで、望む音に対して適切な材料を提案できるようになる、というのが研究の狙いだという。
材料は基本的に購入したものを組み合わせて自社で成形しており、最短1週間程度で音出しまで確認できるスピード感で研究開発が進められている。色や着色料の違いが音にわずかな影響を与えることもあるそうで、単純な意匠変更に見えて、実は音質にまで関わってくるという奥深い話も聞くことができた。
“良い音”を科学する感性評価のものさしづくり
最後に紹介するのは、基盤研究開発部 感性情報グループの沖田歩氏による、音の感じ方を計測・可視化する取り組みだ。
スピーカーの筐体・回路・素材といった性能は、周波数特性や歪み、ノイズ量といった数値で表現できる。しかし、それらの数値が向上したとき、人が本当に「良くなった」と感じるかどうかは、また別の話だ。「人がどう感じるか」を理解するためには感性評価が必要になる、というのがこの研究の出発点だという。
従来のスピーカー開発では、“聞き分けのエキスパート”と呼ばれる人材が、経験と勘に基づいて「この試作はいい」「あの試作はダメ」と判断してきた側面があった。
しかし、これでは組織的なものづくりとしては脆弱で、そのエキスパートが退職・異動してしまえば、ノウハウそのものが失われてしまうリスクがある。そこで、エキスパートが持つ評価観点を言語化し、評価シートとしてまとめることで、製品を再現性高く評価できる仕組みづくりに取り組んでいるという。
具体的な手法は2つ紹介された。1つは「印象の評価・数値化」。
人が感じる「印象」をより具体的な項目(過渡特性における「立ち上がりの速さ」、空間特性における「音像の輪郭」「距離」など)に分解し、明確な評価基準(ものさし)を設定した上で、訓練されたエキスパートが厳密に統制された環境で精密に評価していくという手法だ。
音の輪郭がはっきりしているかぼやけているか、といった専門的な評価軸を、言葉としてしっかり定義した上で評価シートに落とし込んでいる。
もう1つは「顧客の多用な視点」を取り込むための「ラピッド法」と呼ばれる手法だ。専門家でなくても実施できる、自由で柔軟な評価手法で、評価語の設定やエキスパートの訓練を必要としない。
会場では、複数のスピーカーの音を聴き比べ、印象が似ているものは近くに、似ていないものは離して配置していくという評価デモ(Napping法)が体験できた。筆者も実際に体験させてもらったが、専門的な語彙を使わずとも、感覚的に「近い」「遠い」で評価できる手軽さが印象的だった。
この結果は自動的に解析され、評価者ごとに異なる言葉(「ぼやけている」「濁っている」「お風呂で聴いているみたい」など)で表現された印象が、実は同じ音の特徴を指していたのか、あるいは違う特徴を指していたのかといった分析にも活用されるという。
こうした取り組みについて沖田氏は、「エキスパートの仕事を奪うのではなく、その人が何を考えているかを他の人にも分かりやすくすることを目指している」と語る。
また数値化・可視化が進むことで、いわば属人的だった「職人技」の民主化が進む一方、最終的にどの方向性を目指すかという判断は、あくまで人間が行うものだという点も強調していた。「センサーはあくまで人間である」というスタンスは変わらず、マイクによる客観的な測定だけで完結するものではない、という言葉が印象的だった。
総括
今回の「Yamaha Tech Showcase in Shibuya」で紹介された8つの技術は、いずれも「まだ製品化前」あるいは「価値探索の途上」にあるものだ。
楽器演奏という感覚的な体験を定量化するアプローチ(SMARTMOUTHPIECE、音の感じ方計測)、AIと人の感性を組み合わせる試み(楽譜アレンジアプリ)、そして「二度と聴けないはずの演奏」を技術で蘇らせる挑戦(Real Sound Viewing、VXD)など、一見バラバラに見えるこれらの研究にも、「人がどう感じ、どう楽しむか」を突き詰めるという共通の軸が通っているように感じられた。
いずれの研究者・エンジニアも、来場者との対話や交流を通じて新たな気づきを得たいという姿勢を強く感じさせた。今後、これらの技術がどのような形で製品やサービスとして結実していくのか、引き続き注目していきたい。





















































