本田雅一のAVTrends
CES 2015映像技術の一大トレンド「HDR」とはなにか
ソニー、パナなど各社TV対応。リアリティ向上への革新
(2015/1/7 09:03)
米ネバダ州ラスベガスで年初に開催される世界最大の家電ショー「International CES 2015」が始まった。展示会前日には各社が記者発表を行なうが、その中でソニー、パナソニック、LGといった企業がキーワードとして挙げていたのがHDR(High Dynamic Range)技術である。
たとえばパナソニックは発表会で、世界初となる4K解像度とHDRに対応したブルーレイプレーヤの開発発表を行なった。またブースで発表会を行なったソニーは、HDR映像と通常映像の比較デモを行なっている。
しかし、このHDR技術。言葉だけを捉えると「表現できる範囲が広い」ことを示しているだけであるため、少々想像しにくいというのもあるかもしれない。また、映像制作、それを伝送する経路、それにディスプレイ(テレビ)と、映像作品を消費者に届ける過程がどのようになっているかを把握出来ていないと、全体像を把握しにくい面もある。
そこで、今年のCESにおけるHDRトレンドを把握する上での情報を、現地での発表を交えながら紹介することにしよう。
そもそもHDRとはどんな技術なのか?
“HDR”という言葉で誤解を受けやすいのが、この1年ちょっとで一部メーカー(ソニーや東芝、最近はパナソニックも)が訴求してきた、一般的な放送やブルーレイの映像を処理し、高輝度部分の明るさを復元することで「キラリと光る」部分を見せることで、よりリアリティのある映像を見せようとするテクニックを「ハイダイナミックレンジ処理」と表現している場合があるからかもしれない。
しかし、ここで話題になっているHDRはむしろ逆。映像を捉えるセンサーが捉えている広いダイナミックレンジをそのまま圧縮せずに記録しておき(ディスプレイ、テレビはそれを表現できない)、再生時……すなわち実際に表示する際にディスプレイの性能に合わせて表示するというものだ。
では順を追って説明していこう。
諸説あるものの、人が眼で認識できる明暗差は最大で1:10万を越えるぐらいだそうだ。しかし、これは光彩(アイリス)による調整を含めての話で、同時に(つまりある瞬間に)認識できるのはその1/10とのことだ。それでも、認識できる明暗差は、もっとも暗い光の1万倍以上に達する。
かつては、この光をすべて捉えることはできなかった。ところが技術が大幅に進化したことで、現在はこのダイナミックレンジを越える充分なS/N比を持つセンサーが生まれ、実際に撮影にも使われるようになっている。
もちろん、暗い部分のノイズがあまりに目立つようならば、たとえ表現できているとはいえ映像作品を作る装置として実用には耐えないが、ソニーの開発した4KシネマカメラのF65の場合、暗い部分のS/Nを充分に確保した上でも、1万倍の輝度差を越えるダイナミックレンジをセンサーで捉えることができているそうだ。
つまり、パッと見た風景そのものが持つ大きな明暗差(ハイダイナミックレンジ=HDR)を、カメラは映像情報として記録できていることになる。これは何もソニーのシネマカメラの話だけではなく、REDでもキヤノンでも、HDR情報を残したまま映像を記録できる。
この映像に含まれているHDR情報を、作品にそのまま活かせないか? という動きが、昨今のHDR技術トレンドの源流にある。
では撮影できている1万:1もダイナミックレンジを持つ映像を、どのようにディスプレイ上で再現するのか。暗いディスプレイにHDR映像をそのまま表示したのでは、全体に暗くパッとしない映像になってしまう。
たとえば、実際捉えた最大輝度の1/100程度の明るさしか表現できないディスプレイに、素直に捉えたすべてのダイナミックレンジを表示しようとすると、ほとんど真っ暗に見える映像になってしまう。映像全体が1/100の明るさになるからだ。
通常の映像機器(低ダイナミックレンジ:LDR)は高輝度部をあらかじめ圧縮処理
そこで想定されるディスプレイの性能に合わせ、明暗のトーンカーブを調整して“それらしく”見せるように処理を行なう。“想定されるディスプレイ”は通常、BT.709という規格が採用されている。これは映像調整用……すなわち、映像を制作する際に使うマスターモニタ(通称マスモニ)という、ブラウン管を使ったモニターの特性と同じと考えていい。
ではどのようにダイナミックレンジを圧縮するのか。主要な被写体が適度なコントラストで描かれつつ、そこから白に向かってはギュッと圧縮するような飽和曲線に収める。光学的には無制限のダイナミックレンジを、電気的に限界のある幅に収めるこの処理を、EOTF(electro-optical transfer function)という。
BT.709の場合、ディスプレイ輝度は100nit(ニット。明るさを単位)と決められているため、それに合わせて映像が調整されている。これは先ほどの“何倍”といった表現方法で言うところの“100倍”と同じだと考えていただいて構わない。
実際、HDR映像の記録形式はSMPTE(米国映画テレビ技術者協会)で1万nitと決められているので、LDRとHDRの輝度レンジは100倍違うということになる。
今、放送されているテレビ番組、あるいはブルーレイディスクのソフトなどは、すべてこの100nitという規格に合わせたものだ。このダイナミックレンジをHDRに対してLDR(Low Dynamic Range)、あるいはSDR(Standard Dynamic Range)という。
100nitという明るさは、暗い部屋で見る場合にはそこそこの明るさ(ちなみに映画館のスクリーンはおよそ60~80nitぐらい)なのだが、眩しさを表現するには大いに不足している。また、明るい部屋では光量が不足するため、実際の家庭用テレビはもっと明るく見せているが、映像を作る際には「100nitに合わせてEOTF処理が行なわれる」ということだ。
ところが、これはブラウン管時代に作られた規格だ。現代は液晶テレビ、ディスプレイの時代になり、もっと明るい光を表現できている。
最新のLEDバックライトを持つテレビは、ピークで800nitぐらいの明るさを出すことが可能な上、ローカルディミングで画面の一部分だけを明るくするのであれば(バックライトシステム全体の電流上限を超えない範囲でピーク輝度を出す機能を使うことで)、1,500nitを越える明るさを出せるテレビも存在する。
今後もLEDの発光効率は良くなっていくだろう。すると2,000nit以上の明るさを出せるテレビも当たり前になっていくだろう。この性能をなんとか今までの映像作品でも生かそうというのが、昨今の輝度復元処理だが、もっと根本的にカメラが捉えていた光を生かせないか? というのが、今回のHDRということだ。
HDRを可能な限りそのまま映像作品の中に収めておき、各ディスプレイ(テレビ)の性能に合わせ、それぞれの機器が工夫して、最大限のダイナミックレンジで表現しようというわけだ。輝度復元処理は低ダイナミックレンジ映像を広ダイナミックレンジにする処理、ここで言うHDRは広いダイナミックレンジを装置に合わせて最適化するということだ。
今一度、整理しよう。
技術トレンドの変化によって、撮影に使う機材が(アイリス調整なしに)人間の眼が捉える明暗差(ダイナミックレンジ)と同等レベルまで進化し、また映像を表示する装置(テレビ、ディスプレイ)の輝度も上がってきている。
ならば、その間をつなぐ部分……すなわち、放送や映像ソフトに入れる映像フォーマットをHDRに対応させた上で、テレビ、ディスプレイが持つ性能を最大限に活かせば、これまで手つかずだった明暗の表現力を大きく向上させることが可能というわけだ。
“本当に効果はあるのか?” 一目瞭然に映像のリアリティレベルが向上する
百聞は一件にしかずで、同じ映像ソフトをLDR処理した場合とHDR処理した場合の比較を掲載しよう。この写真はCES会場のソニーブースで比較展示されていたHDRとLDRの映像を撮影したものだ。
ちなみにリオのカーニバルの映像は、かなりキラキラとピーク輝度が生きた映像になっていたが(撮影機材はF65)、これでもピーク輝度は3,000~4,000nit程度でグレーディング処理が行なわれており、1万nitの上限よりもずっと低いところで映像が作られているとのこと。それでも100nitのLDR映像とは比較にならないのは言うまでもない。
HDR映像に合わせて露出を絞っているので、全体に露出アンダーな点はご容赦いただきたい。また高輝度部は、それでも白トビ傾向にある。デジタル写真にする時点でLDRになってしまうため、このあたりが写真で伝えられる限界だ。この映像を、可能な限りディスプレイのバックライトを明るくして表示すると、本来の映像に近くなる。
問題はHDRの映像データを、どのようにしてエンドユーザーに届けるかだが、いくつかの案がある。ひとつは劇場向けで、ドルビーが映画シアター向けにドルビービジョン(かつて存在したドルビービジョンとは異なる)という技術を、CESをスタート地点にプロモートしていく予定だ。当初は欧州に数館の先行導入シアターを設け、そこに対応映画を送り込んでいく。
一方、家庭向けだが、欧州と米国では4K放送でHDR対応が進む予定になっている。4K放送はBT.2020という現在の放送よりもずっと色再現域が広い(断面積で2倍)規格だが、実はダイナミックレンジに関しては、BT.709と変わっていない。
しかし、色再現域が拡がっても、ダイナミックレンジが拡がらないと、鮮やかさは再現できない。明るい側の階調が圧縮されてしまうので、ハイライト部分の色が薄くなってしまうためだ。原色それぞれの比率を一定に保つには、ハイライトの表現に余裕がなければならない。
日本ではHDRに関する議論が進む前に4K放送が進んでしまったが、欧米では4K放送はBT.2020対応+HDRの10bit階調というのが世界的なトレンドになっている。また、CES会場で関係者に質問してみたところ、スカパー!もHDR放送への意欲は見せているようだ。NHKも然り。そもそも撮影時にはHDRデータがあるのだから、それを活かさない手はない。
ここでいう放送側の“HDR対応”とは何かというと、前述したEOTFの特性をHDRに見合うものにするということだ。どのようにEOTFを作るかは議論のあるところなのだが、SMPTEで規定されているPQカーブと言われる特性が、放送でも、そして今後登場する次世代ブルーレイでも使われるという。
HDR対応になると、対応テレビはローカルディミングになる
これから数年先までを見通すと、4K制作される映像ソースそのものがHDR対応していくため、4KテレビもまたHDR対応が主流になっていくということだ。まだ正式発表されていないため、メーカー名を書くことはできないが、一部メーカーは2014年発売のテレビへのHDR対応アップデートも計画していると聞いた。
ただし、HDRへの本格対応はローカルディミング(LEDの部分駆動)対応、それも直下型など細かく画面分割できるタイプでなければ厳しいため、当面は高級機の対応に留まるだろう。
従来の何倍も明るくバックライト光らせると、画面全体が光漏れで明るくなってしまうため、部分駆動(ローカルディミング)を使って、適切にコントラストを制御しなければ暗部が浮いた表示になってしまうからだ。
またメーカー間の画質差も当初は大きなものになるだろう。
3,000~1万nit想定で作られた映像ソフトを、いかにして実際のテレビ(1,500nit上限程度)で”より良く見せるか”によって、HDR映像の見え方が大きく変化するためである。そこはメーカー間の実装の違いが出る部分だ。
メーカー間の技術差やノウハウ量の違い、考え方の違いなどが明瞭に出てきやすいのがHDRとも言える。海外メーカーと日本メーカーの差も大きいだろう。中国系のメーカーは、ローカルディミングに対する技術が未成熟なので、とりわけ厳しいだろう。
一方、HDR対応の映像パッケージソフトだが、こちらは次世代ブルーレイが対応する。次世代ブルーレイはCES期間中に発表されない見込みだが、1月末から2月初旬の間に正式発表され、製品も2015年内に発売されるだろう。テレビとプレーヤーの間でHDR映像を伝送するためのHDMI仕様の追加も行なわれる。
階調特性は現行規格より良好に
さて、このHDR技術について最初に説明を受けた時、直観的に心配に感じたのが、階調表現を滑らかに行なえるの? という点である。
現行の映像規格では輝度階調が8bitだが、4K映像はすべて10bitとなる。次世代ブルーレイも10bitが必須仕様に拡張される。つまり階調性は256階調から1,024階調へと4倍も改善されるのだが、一方で規格上の最大輝度は1万nitまで高められる。さらには色再現域も色立体の断面積で2倍になる。
ということは、階調が4倍になったとしても、むしろ階調がガタガタと飛んで見えてしまう現象が出やすくなるのでは? もしかすると12bitは必要ではないか? と思ったのだ。しかし、これは誤り。実際に人の眼が感じる階調としては、従来規格よりも良くなるのだそうだ。
なぜなら、絶対的な明るさと感覚的な明るさの関係は線形ではなく対数(log)の関係になっているからだ。LDR映像の明るさはリニア表記のため、階調性に対する効率が悪いが、HDR映像は明暗をPQカーブ(より実際の眼の感じ方に近く効率が良い)で表現するからだ。
もちろん、これが12bitになった方がベターではあるが、デジタル映像技術において色深度が2bit違えば、コストは大幅に変わってくる。家庭用として普及させるのであれば、ちょうど良いところだろう。
リクツはともかく、実際の効果を見ればそうした話も納得するに違いない。一度その変化を体験してしまうと、これまでの映像(LDR映像)がものすごく嘘くさく見えてくるのだ。
以前は50インチ程度のフルHDテレビを観ていて、網戸を通して見るようにメッシュ感があるなどとは感じなかったが、4Kテレビになれてしまった眼で見ると、妙に格子のような感覚がある。これと似たような感覚……いや、それよりもずっと大きな違和感として、LDR映像が気になってしょうがなくなる。
CESでの状況を見ていると、HDRが2015年の映像技術としてはもっとも注目されるテーマになることは間違いない。