第366回:SACDや200g LPなど5メディアを1パッケージ化【前編】
~ HYPS新アルバムの“実験的プロジェクト”とは ~
5つのメディアを聴き比べることができる新譜「Chaotic Planet」 |
SACDとCD、さらにはHQCD、LPレコード……、どれが一番いい音なのかという議論は尽きない。そんな中、各メディアを存分に聴き比べができるという非常にユニークな新譜が5月8日、ポニーキャニオンから発売される(Leafage/ポニーキャニオン/PCCY60010/18,900円)。
最近は旧譜をリマスタリングしてSACDやHQCDにするパターンをよく見かけるが、これは完全な新作。レコーディングの時点からアナログ系、デジタル系に切り分けて行ない、最終的にSACDのマルチ、ステレオ、CD層の3パターン、そしてHQCD、LPレコードの計5つのメディアを聴き比べることができるというものだ。非常に興味深いプロジェクトなので、その内容を2回に分けて紹介する。
■ 5つの音を1パッケージにまとめたHYPSの新譜アルバム
HYPSのはたけやま裕さん |
今回アルバムとして登場するのは、女性パーカッショニストである、はたけやま裕さんが率いるプロジェクトユニット“HYPS(ヒップス):Hatakeyama You Project for Spirits”のメジャー・デビュー・アルバムとなる「Chaotic Planet(ケオティック・プラネット)」。
ポニーキャニオンの資料のキャッチには「時をぶった切るリズム! 空を打ちのめすアタック! そして、天使も休息する美的サウンド! ここに衝撃の新感覚ビートが誕生した! 」とあるが、実際に聴いてみるとそのすごさが実感的できる、すばらしい演奏の作品だ。
ジャンル的にはクラシックとジャズ、それに民族音楽が融合し、しかも、「5・5・3・3・5・5・10」といった変拍子がいろいろ取り入れられた不思議な世界。パーカッションのほかは、バイオリン、ビブラホン、ピアノ、ベース、サックスなどが参加している。
裕さん自身は、物心付いた時には身の回りの物を叩いていたという“天然たたき人”。国立音大卒業年に日本打楽器協会新人演奏会において最優秀賞を受賞し、これまで女子十二楽坊、yo-yo-ma、欧陽菲菲、上妻宏光、喜納昌吉、斉藤こず恵、浅岡雄也(元FIELD OF VIEW)、ジョー山中などのミュージシャンをはじめ、狂言師の野村萬(人間国宝)・五世野村万之丞(八代万蔵)など多彩なアーティストとの共演を行なってきた実績の持ち主でもある。
そんな裕さんを引っ張り上げ、まさに実験的なプロジェクトにしたのが、以前、藤田恵美さんのサラウンドSACDを作り上げた面々だ。
ポニーキャニオンのプロデューサーである溜知篤氏を筆頭に、レコーディングエンジニアでSTRIP inc所属の阿部哲也氏、そして、ソニーのホームエンタテインメント事業部4部主幹技師である、かないまること金井隆氏の3人。阿部氏と金井氏の両名は藤田恵美さんの作品で「第15回 日本プロ音楽録音賞」で優秀賞も受賞している黄金コンビでもある。
ポニーキャニオンの溜知篤氏 | レコーディングエンジニアの阿部哲也氏 | かないまること金井隆氏 |
その彼らが今回手がけたHYPS。その音楽性もさることながら、やはりユニークなのは、レコーディング手法とそのアウトプットだ。
5月8日に発売される今回のアルバムはハイエンドパッケージセットという500セット限定の商品となっており、音匠仕様SACD、LPレコード(アナログ30cm)、HQCDの3つのメディアが1つのパッケージに収まっている。
そして前述のとおり、SACDにはSACDマルチ、SACDステレオ、CD層の3つの異なるものが収録されているため、計5種類の音を聴き比べできるようになっているのだ。そのため、価格も18,900円と一般のアルバムと比較すると、6倍程度の価格になっているが、その価値は十分過ぎるほどあると思える。
レコーディングの流れ |
ここで図を見ていただきたい。直感的にすぐには分かりにくいかもしれないが、ここで表されているのはレコーディングから最終的なメディアになるまでの流れである。アナログ系、デジタル系の2つの系列があるわけだが、演奏自体は双方ともまったく同じものを収録している。
実際マイクは同じものを使っているのだが、それをアナログ系、デジタル系の2つに分岐しており、そこから先はまったく別に作業をしているのだ。
■ デジタル系のレコーディング
では、この図に沿って、その内容についてもう少し紹介してこう。まずレコーディング自体はスタジオとホールの2カ所で行なっている。コンディションのいいアナログ機材が現在でも稼動している河口湖スタジオと、藤田恵美さんの「ココロの食卓」のレコーディングでも使われた秩父ミューズパーク音楽堂ホール。いずれもアナログ系、デジタル系の2つの機材を同時に動かしてる。
レコーディングが行なわれた河口湖スタジオ |
秩父ミューズパーク音楽堂ホールでもレコーディング |
金井氏が開発・設計を行なったFine Focus Cable |
デジタル系は、基本的には藤田恵美さんの「camomile Best Audio」、「ココロの食卓」と同じ流れだ。つまりスタジオではProToolsを、ホールではDigital Performerを用いてのレコーディングを行なっている。ここには金井氏は登場してこないが、ProTools用のケーブルとして金井氏が開発・設計したFine Focus Cableを使っているという。
こうしてレコーディングした素材のミックスは、阿部氏の自宅スタジオであるCAPA3 Studioで行なっている。この際、ProToolsのデータはすべてDigital Performerに吸い上げて作業している。
このミックスは2chと5ch(サブウーファーchは使っていない)のそれぞれで行なっており、最終調整のためにソニーの金井氏のスタジオ、通称“金井ルーム”に持ち込んでチェックしている。
ここでは、金井氏、阿部氏とともに、アーティストである裕さんも参加して、細かく音像を作りこんでいる。そして、これはマスタリング工程も含んでいるため、24bit/96kHzでミックスしたものをそのままの状態でアナログ出力し、Sonomaで吸い上げてDSD化している。
素材のミックスは阿部氏の自宅スタジオで行なわれる | 最終調整は金井ルームのスタジオでチェック | 裕さんも参加して音像を作りこむ |
緑色の特殊インクでコーティングされた音匠仕様 |
ちなみにCD層に関してはCAPA3 Studioにて44.1kHzへ変換した上でDDP化してプレス工場であるソニーへと渡している。このようにして揃ったハイブリッドSACDの素材は緑色の特殊インクでコーティングされた音匠仕様にプレスされる。
筆者も先日、この金井ルームで完成した5chの作品を試聴させてもらったが、その音には正直驚いた。「camomile Best Audio」などと同様、音自体は後ろから飛び出してくるようなトリッキーなものではなく、あくまでも前から聴こえてくるのだが、正面の左右と奥行き感の広がりはもちろん、より高い位置からも音が聴こえてくる感覚は不思議なほど。
パーカッションとしてはコンガ、ボンゴ、ティンバレス、ジャンベ、カホン、ウィンドチャイム、スネアドラム、シンバル、トライアングル、ベル……と曲によってさまざまな楽器が多数登場しており、そのパーカッション達で作られる立体感がすごいのだ。
打楽器が多数登場しているレコーディング風景 |
聴いていて、複数人がいろいろな場所で叩いているのか、相当なダビングを重ねているのでは……と感じるが、裕さんに聞いてみると、特殊な例を除いて基本的にどの曲も一発録りとのこと。手足がそれぞれ4本か8本はあるのでは……と思ってしまう。
また同じ楽器でも、音程によって聴こえる位置が変わってくるものがあるが、これはマイキングによってなせる技。オンマイクで楽器のすぐそばでも数箇所で拾っているほか、数多くのアンビエンスマイクが立てられており、これを活用することで、音の広がりがとてもうまく演出されているのだ。
■ アナログカッティングにこだわったLPレコーディング
アナログテープレコーダでSTUDERの「A-800」 |
一方のアナログ系はというと、マイクは同じものを使っているものの、その作業工程はまったく違うものになっている。まずスタジオでは24chのアナログ・テープレコーダであるSTUDERのA-800が使用され、ホールでは同A-820/24が持ち込まれている。
ProToolsやDigital Performerと同時に録音するため、これらとはSMPTEで同期させて作業している。デジタル系と大きく異なるのは、トラック数が24chに限られていること。デジタル系も物理的制限によって32chとはなっていたもののほぼすべてのマイクを個別に録音しているのに対し、アナログではそれほどのトラックを扱うことができないため、多数用意されたマイクもコンソールでまとめられるものはその場でミックスして録音しているのだ。
また、録音した2インチのテープのミックスは、さすがに阿部氏の自宅スタジオでというわけにはいかないため、デジタルでのミックス作業終了後、イメージが完全に固まった後に、再度、河口湖スタジオに行って3日間かけて作業している。
そして、この完成したミックスは日本屈指のアナログカッティングテクニックを持つ、ビクタークリエイティブメディアのマスタリングエンジニア、小鐵徹氏の元に運ばれ、カッティングされた。
高度なアナログカッティンテクニックを持つエンジニア、小鐵徹氏(左)のもとに運ばれカッティングされた |
その際、筆者も同行させてもらったのだが、小鐵氏が非常に強調していたのが、レベルに関する問題。「アナログレコードはカッティングタイムが長くなればなるほど、音質が落ちる。そのため理想は10分以内の作品で、せいぜい12~13分前後がいいところ。また外周のほうが音がよく、中に行けば行くほど音質が劣化するため、一番困るのはだんだん盛り上がっていくという曲順だ。また最近のクラブミュージックなどはとくにレベルを上げたがる傾向にあるが、そうするとますます音質的に厳しくなるので、レベルは抑え目で行こう」と話す。
それに合わせてLPレコード用の曲順が作られており、A面、B面それぞれ1曲目に盛り上がりがくる構成となっている。つまり、ここまで触れなかったが、SACDとLPレコードでは、曲順が異なっているほか、収録できる曲数の違いから、SACDでは12曲、LPレコードでは8曲となっている。
このようにして世界的にも知名度の高い小鐵氏がカッティングしたラッカー盤が、日本で唯一のアナログレコード製造メーカーとなった東洋化成に持ち込まれ、スタンパーを制作。そして200g重量盤プレスが行なわれているのだ。
また、親切なのはHQCDがこのLPレコード用のアナログマスターから作成されているという点だ。ご存知のとおり、HQCDでは昔のアナログレコードを復活させた高音質CDが話題になっているが、ここでは古い素材ではなく、できたてのアナログ素材をHQCDにしているわけだ。
これによって、アナログレコードの再生環境がない人でも、気軽にCDプレーヤーでアナログな音を楽しめるようになっているのである。こちらの製造はメモリーテックが担当している。
このように普通では考えられないほど手の込んだことをしている、HYPSの「Chaotic Planet」。限定500枚ということで、すぐに売り切れて入手困難になる可能性も高そうだが、アナログとデジタルの音の違いやメディアによる音の違いを思い切り実感できる貴重な作品といえそうだ。
次回は、プロデューサーの溜氏とエンジニアの阿部氏、そしてHYPSのはたけやま裕さんへのインタビューを元に、どのようにこの作品を制作していったのかを紹介する。
なお、今回紹介したHYPS新譜の発売記念として、4月18日(土) に石丸電気レフィーノ&アネーロにて視聴会とミニライブが行なわれる。詳細は以下の通り。
・場所:石丸電気レフィーノ&アネーロ(東京都文京区湯島1-1-8)
・開催日:4月18日(土)
・開催時間:14時~15時30分 講演(オーディオ評論 三浦孝仁氏)・視聴会/1F視聴室
15時30分~16時 ミニライブ(HYPS)/2F特別イベントスペース