第367回:SACDや200g LPなど5メディアを1パッケージ化【後編】

~ 関係者に聞く、アナログ/デジタル同時収録の舞台裏 ~


HYPS「Chaotic Planet」

 今回は先週に引き続き、ポニーキャニオンが5月8日に発売するSACD、HQCD、LPレコードの聴き比べができる18,900円のハイエンドパッケージセット、HYPS(ヒップス)の「Chaotic Planet(ケオティック・プラネット)」に関する記事の後編をお届けしよう。

 今回は、プロデューサーであるポニーキャニオンの溜知篤氏、レコーディングエンジニアでSTRIP inc所属の阿部哲也氏、そしてHYPSのリーダーであり、パーカッショニストのはたけやま裕さんの3人に、どのようにしてこのプロジェクトが生まれ、制作されてきたのかを伺った。(以下敬称略)

ポニーキャニオンの溜知篤氏

エンジニアの阿部哲也氏

HYPSのはたけやま裕さん


■ デジタルとアナログを1パッケージ化する試み

藤本:今回発売される「Chaotic Planet」、デビューアルバムとして考えて、ずいぶん大掛かりなものになっていると思いますが、どんなキッカケでこのようなプロジェクトになったのですか?

はたけやま裕:私自身は、2007年1月に自主制作で「The Birth of YOU」というアルバムをリリースしています。このときはエンジニア兼プロデューサの方が、パーカッションの倍音やアタックなど、音にこだわって作ってくれました。最初は溜さんから、その延長線上で、もっと音にこだわったアルバムを作りたいというお話をいただいたのですが、途中からどんどんすごい話になっていきました(笑)。

溜知篤:お付き合いのある毎日新聞社の学芸部の川崎浩さんから「面白いパーカッショニストがいるから」って2年ほど前にライブに誘われ、行ったのが最初でした。アレンジがすごく新鮮で、これまで聴いてきたものと全然違う、と思ったのです。ビブラホンとバイオリン、ピアノ、ベースにパーカッション。音楽的にユニークで新鮮だし、ルックスも含めていい。それでしばらくしてから声をかけさせてもらったんです。2007年5月くらいだったでしょうか。

藤本:実際のリリースまで2年近くかかったわけですよね。

:確かに、ずいぶんかかってしまいましたね。2007年9月に一口坂スタジオでデモテープの録音をし、1年後に河口湖スタジオで本番レコーディングとなりました。ミックスダウンを3カ月かけて行なうなど、企画が企画なだけに、どうしても時間がかかるんですよ。

藤本:アナログとデジタル、それぞれのメディアをパッケージにして出すというアイディアはどのようにして生まれたんですか?

:これも元は毎日新聞の川崎さんのアイディアです。「すばらしい音楽だけど、音域や空間表現がなかなか難しいから、パーカッションのCDを出すのって難しいよね。でも、ちゃんとしたオーディオで聴いているところに打って出れば盛り上がるんじゃないかな。たとえばアナログのLPで出すとか……」って。私も半信半疑だったのですが、いろいろな人に意見を聞いてみました。

 実際、秋葉原の「Refino&Anhelo」をはじめ、いくつかハイエンドオーディオショップなどに行き、店長さんに、「こんな企画どうでしょう? 」って話をしたところ、「オーディオファンなら、みんな喜んで飛びついてくると思いますよ。限定500セットというと、すぐに売り切れてしまうのではないでしょうか?」って答えが返ってきたのです。またオーディオ雑誌にも話を持っていったところ、「それはいい企画ですね」って。それならぜひやってみよう、ということで具体化していったんですよ。

レコーディングの流れ

藤本:社内的にもすぐに話は通ったんですか?

:実際には、いろいろ大変でした。当初は1万円以下で作ろうとしたのですが、いろいろなアイディアが沸いてきて、それを盛り込んでいくうちに価格も上がってしまいました。私自身、オーディオが大好きであったこともあり、とにかくいい音の作品を作りたいと考えていたのですが、問題は費用対コストの調整。社内的にもそこが問題となり、なんとか18,900円に収めたというのが正直なところです。

 確かに、単価としては高いかもしれないけれど、リマスターなどではなく、収録からすべてアナログとデジタルを同時並行で行っているのは世界でも珍しいはず。分かる人には、その思いが届いてくれるはず、と確信を持つようになりました。その間、実際にどうしたらいいのかな、って阿部ちゃんにも相談しつつ進めていったのです。


■ スタジオとホールでのレコーディング

阿部:溜さんからこの話をいただいて、すぐに面白そうと思いました。でも、ほぼすべてのスタジオが録音はProTools化していますから、どうやっていこうか、あれこれ考えましたね。アナログ機材を使うとなると、どうしてもお金がかかってくるので、コスト的な相談をしつつ……。

 実際、録りに関してはそれほど複雑なものではありませんが、ProToolsとSTUDERにお互いに音を分岐させて、それぞれに録音するという普通ではやらないことなので、頭で思い描いていたより実際の作業はかなり複雑でした。

 というのもアシスタントの方にセッティング作業などを指示していくわけですが、各スタジオによってシステムや回線は違いますので、私の考えてることを伝え、どうすれば可能になるかを一つずつ、3人で照らし合わすというところが本当に大変でした。

藤本:アナログとデジタルの同時録音というのは、やはりそれぞれを同期させるわけですよね?

阿部:はい、アナログをマスターにして、SMPTEを使ってProToolsを同期させるわけです。ところが、テープの状態などもあって、途中で同期がはずれてしまったり、そもそもテープに磁気が溜まっていてノイズが多いなど、いろいろな問題が次々と発生してしまって……。エンジニアの仕事は、いかに気持ちよくミュージシャンに演奏させるかなのに、こちらの準備がなかなか整わず、テンションを下げてしまうという、一番やってはいけないことを……。実際、ようやくスタートしたところ、溜さんの一言目が「音、良くないよ!」って。久しぶりにテンパりましたよ(笑)。半日程度前もってセッティングにとりかかっていればよかったな、というのが反省点です。

藤本:今回のレコーディング、日数的にはどの程度かけているんですか?

阿部:河口湖スタジオと秩父ミューズパーク音楽堂ホールの2カ所で行ないましたが、河口湖が9月3日~5日の3日間で8曲、秩父が9月26日の1日で4曲、録っています。秩父はホールなので、機材を持ち込む必要があったわけですが、デジタル系は自前のDigital PerformerとMOTUのオーディオインターフェイスを持参し、アナログ系は河口湖とはやや型番が異なりますが同じSTUDERのA-820という24chのレコーダを持ち込みました。

 

河口湖スタジオ

秩父ミューズパーク音楽堂ホール

 ただ、ここでの一番のテーマはマルチをどう録るかということ。前回の「ココロの食卓」である程度、勘所はつかんでいましたが、やはりマイキングにはかなり気を使いました。どこにマイクを立てるかによって、ホールの反響音の拾い方も変わってくるため、曲としての印象も大きく変わってきます。またホールの場合は、スタジオと違ってセパレートされていないため、マイクの音がほかの楽器の音も拾ってしまうので、パンチイン・パンチアウトは事実上不可能。やはりメンバーのみんな、ProToolsの経験しかないですから、「パンチインはできないよ」というのは強く言っておきましたね。

今回使用したマイク

マルチ録音のためのマイキング。レコーディングに際し、かなり気を使ったという

藤本:アナログはともかく、基本的なスタイルは「ココロの食卓」と同じなんですね。その後、ミックスも同様な感じだったんですか?

阿部:そうですね、まずはデジタルのほうから行なっていて、流れとしても、先に2chを作って、その後5chをという点でも同様です。ただ、今回は金井さんのところに行く前に、ポニーキャニオンのマスタリングスタジオで音を確認し、ある程度完成度を高めてからにしています。というのも、HYPSとははじめて一緒にやらせてもらったので、間違った方向でミックス作業してしまうと大変なことになってしまうので、裕ちゃんの意向をどんどん聞いていきました。

サイズ80インチのシンフォニック・ゴングもレコーディング

はたけやま:私自身、曲ごとにストーリーやイメージがハッキリできているんです。たとえば、Chaotic Planetという曲では世界最大サイズ、80インチのシンフォニック・ゴングによるゴーンという音が一発入っています。

 これは巨大な隕石が落ちてきた音で、これが降ってきたことで、混沌としていた世界が一気に押しつぶされて消え去るのです。でも、すべて消えたのではなくアリのような小さな生き物がうごめいて出てくる……、そんなイメージを阿部さんにお話していました。


最終調整は金井ルームで

阿部:そこは、とくによく話し合ったよね。そうしたイメージを伝えてもらえると、ミックス作業もスムーズにできるし、そこに共感できる部分も多く出てきます。巨大な隕石の話は、かなりイメージに近くなったのではないかなと思っています。

 裕ちゃんのサウンドは芸術的部分がいっぱいあるので、ミックスを通じて表現してあげることで、明確に見えやすくなる。そこがすごく面白いんです。そんなやりとりをして、ある程度完成させてから、金井ルームで最終調整したのです。
藤本:金井ルームで初めて音を聴いたときの印象はいかがでしたか?

はたけやま:衝撃的でした。こんなに包まれるような音は初めてで強力でしたし、金井さんのキャラクタも強力で……(笑)。でも、本当にあそこで聴くと、曲のストーリー、イメージがはっきりと見えてくるんです。いい音で聴いていると、やはり耳も肥えてくるんですよね。あんなオーディオ機材でいつも聴きたいなって。

藤本:金井ルームでの作業はあくまでもデジタル系ですよね? アナログ系はどうしたんですか?

阿部:ほぼSACDの全曲できあがる直前に、河口湖に戻って、アナログ候補曲の10曲分のミックスを行ないました。録ったとき以来、開けていないアナログマルチをひもといていったわけですが、かなり緊張しましたよ。失敗できないじゃないですか。3日間、ほぼ徹夜での作業となったため、体には堪えましたね。

藤本:このアナログでの作業、やはり金井ルームで作った音の再現を目指して行ったわけですか?

阿部:同じものにしたいという気持ちはさらさらなかったし、SACDに近づけようという思いもありませんでした。確かに元は同じなのですよ。でも実際に入っている音はデジタルの音とはまったく違うため、そこにあるアナログらしい音の光っているものを、さらに光らせようという思いでミックスしました。だから、その場での聴き比べなどもしていません。あくまでも最初から作っていたのです。後でデジタルと聴き比べた際、結構違っていて自分自身ビックリしましたよ。

はたけやま:私は金井さんのところで聴いた音もすごくよかったのですが、臨場感という意味ではアナログのほうがよりリアルに感じました。その音を聴くと演奏していたときの気持ちを思い出してハラハラしてしまって……。とても冷静に聴いていられない、という感じでした。

藤本:何ででしょう?

阿部:ん~、やはりアナログはそのときの雰囲気、匂いがキッチリと入るんですよね。躍動感があるというか。デジタルでも入っているはずなんだけど、コピーしているうちに消えていくのかなぁ……!?(笑) でも、デジタルにはデジタルの良さがもちろんあり、洗練された粒立ちの良さはアナログには無いものですね。

藤本:実際に聴き比べてみて、どれがよかったですか?

はたけやま:曲によっていろいろですね。みんなでライブっぽく演奏しているものは、アナログで、その雰囲気を伝えたいですね。それに対して、隕石が落ちてくるChaotic Planetなどは、やはりサラウンドで聴いてもらいたい。アナログとサラウンドはまさに両極端という感じで、面白いですね。


■ アナログ音源をHQCDへ

藤本:ところで、このアナログの音がHQCDにも収録されているわけですよね。これはどういう流れになっていたんですか?

:元々はSACDとアナログレコードの2枚組でという話で、HQCDという考えはなかったんです。でも河口湖で3日間、3人で必死に作ってみてすごくいいものに仕上がり、とてもかわいくなってきたんですよ。レコードだけで終わらせたくない、この音もなんとかみんなに聴いて欲しいって。いい方法はないだろうか、と考えた結果、HQCDという形で話がまとまったのです。

 もっとも、当初HQCDにそれほど期待はしていなかったんです。実際、これまで聴いた新譜のHQCDって、キツイ音が多い印象だったので……。ただ古いアナログマスターを元にHQCDにしたものは、結構いいものがあったので、もしかしたらアナログとの相性がいいのではと、なんとなく思っていた程度だったのです。ところが、はじめてテストプレスで上がってきた音を聴いたら、これがイイ! メモリーテックの人にも事情を話したところ、「とにかく最高のものを作りましょう! 」って、とっても頑張ってくれたんですよ。それが本当に音になって現れてくれました。

阿部:HQCDへの作業工程的には、まず河口湖でミックスして1/2インチのテープに落としたものを24bit/96kHzでDigital Performerで吸い上げています。そのうち1曲だけ、Digital Performer上でちょっといじりましたが、それ以外はそのまま16bit/44.1kHzに落として、納品しています。ちなみにLPレコードのほうは、その1/2インチのテープをビクタークリエイティブメディアのマスタリングエンジニアである小鐵徹さんにお渡しし、マスタリング、カッティング作業をしてもらっています。

1/2テープに落としたものをDigital Performerで処理カッティング作業はビクタークリエイティブメディアの小鐵徹氏

藤本:なるほど、本当に手の込んだ作品ですね。500セット限定というと、すぐに売り切れてしまうような気もしますが、これが売れたら、終了なんですか?

:3メディアをセットにした聴き比べ可能なハイエンドセットとしては、一応終了となりますが、デジタルマスターとアナログマスターの両方からそれぞれの曲によって、ベストではないかなと思う方をセレクトしたSACD(Special Master Edition)のハイブリッドの作品は6月17日に改めて発売する予定です。ぜひそちらもよろしくお願いします。

藤本:ありがとうございました。


(2009年 4月 13日)

= 藤本健 =リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。
著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。また、アサヒコムでオーディオステーションの連載。All Aboutでは、DTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。

[Text by藤本健 ]